16 急病人の看病承ります(1)
朝起きた時、妙に節々が痛んだ。知らぬ間におかしな寝相でもして筋を痛めたかと思いつつ、組合で討伐依頼を受ける。トリス北東の洞穴に住み着いたトロール数体の討伐。未だ被害は報告されていないが、いつ人を襲うとも分からない連中だ。分厚い筋肉に覆われた体躯と強靭な生命力、そして驚異的な再生能力は生半可な攻撃では屠るのは困難だが、A級の魔法剣士ならば余程油断しない限り単独でも討伐可能だ。洞穴までなら日帰りでも行ける。
森林地帯を抜ける街道を外れ、薄暗い木立の中の獣道を三十分ほど歩いた場所にその洞穴はあった。低木樹と生い茂った雑草に隠れるように存在するその洞穴の入口には、トロールにしては小柄な個体が一体。見張りのようだ。知能の低い魔獣だが、それでも見張りを立てる知恵はあるらしい。気配を探る。見張りの一体を含めてもそれほど多くは無い。行けそうだ。
魔法剣に炎を纏わせる。相手は気付かない。魔力の流れも読めぬ相手ならば容易い。木陰から飛び出すと、一気に間合いを詰めて敵に切り付ける。首を落とし、返す力で急所ごと身体を両断した。剣に纏わせた炎が傷口を焼き、再生を妨げる。倒れ伏したトロールは生き別れた下半身を繋ぎ合わせようともがくが、焼き切れた傷口は再生することもなく、やがて痙攣と共に事切れた。まずは一体。
肉の焦げる臭いと生臭い体液の臭いが混ざった異臭が鼻を衝いた。普段ならば気にも留めない臭気がやけに不快に感じられて、顔を顰める。
外の騒ぎを聞き付けてか、三体が中から飛び出して来る。先程屠った見張りよりは体格も良い。これは切断するのは無理かもしれない。
「――光の矢」
光り輝く無数の矢を生み出し、トロールの目を潰して足止めする。光を嫌う性質の彼らが怯む隙に手前の一匹の急所を抉って穴を開け、そこから炎を流し込んで体内を焼いた。それは口から煙を吐いて絶命する。途端に背後に殺気を感じ、振り向かずにそのまま横に飛び退った。瞬間、今まで居た地面に棍棒が振り下ろされ、轟音と共に大穴が空く。一体はまだ目潰しが効いてもがいていたが、もう一体は足止めが甘かったか、唸り声を上げて威嚇してきた。
――関節が痛む。
トロール相手の戦いに然程影響も無いが、それでも多少気が散り苛ついた。
「氷の針!」
細く鋭い氷柱を相手の顔目掛けて解き放つ。びっしりと生え揃った硬い体毛と分厚い筋肉に覆われて刃の通りにくい身体も、鍛えようの無い顔だけは無防備だ。何本かが両目を貫き、両手で顔を押さえて苦悶の咆哮を上げる。すかさず間合いを詰め、炎を纏わせた剣を急所に突き付けた。剣を差し込んだまま炎の力を強め、急所を傷口ごと消し炭にする。先程よりも大きな咆哮は断末魔だ。
倒れ伏す巨体の下敷きにならぬよう飛び退り、残る一体と対峙する。前の三体と比べても体格の良いそのトロールは、身の丈三メテルはあろうかという巨体だ。
汗が頬を伝った。息が切れる。おかしい。大した動きはしていないはずだが、体力の減りが早い。戦いは長引かせない方が良い。
(――足を狙うか)
あの巨体では、長身の己でもさすがに急所には届かない。もう一度光の矢を放って視力を奪い、背後に回って剥き出しの足首に魔法剣を振り下ろした。腱を傷付けられて前のめりに膝を付いたトロールの背、急所の辺りに全体重を掛けるように魔法剣を突き立てる。途端にトロールは怒りの咆哮を上げ、アレクを振り払うように身を捩った。剣を魔獣の体内に残したまま飛び退く。
「電撃!」
全力で雷の魔法を剣に落すと、トロールは幾度か大きく痙攣し、肉の焦げる嫌な臭いとともにその場に崩れ落ちた。
もう一度気配を探る。森に棲む小動物らしき気配しか無い。討伐は完了した。
「……っ」
戦いを終え、気を抜いた瞬間にくらりと視界が歪み、たたらを踏む。ここに至ってようやく身体の変調に気付き、アレクは深い溜息を吐いた。袖で額の汗を拭う。
発熱していた。関節の痛みは熱によるものだった。
(――まさか出先で気付くとは……)
せめて街に帰還するまで気付かないでいたかった。まだ後始末がある。その上で一時間以上歩いて戻らねばならないというのは、不調を自覚してしまった今ではかなり辛いものがあった。体力的にも精神的にも。
のろのろと身体を動かし、剣を回収して事切れたトロールの右耳を削いでいく。全部で四枚。臭い消しの薬草を詰めた革袋に、削いだ耳を詰めてしっかりと口紐を閉じる。あまり気持ちの良いものではないが、討伐完了の証拠に必要な物だ。
それから洞穴へと足を向けた。要救助対象や被害者が居ないかどうか、念の為の確認だ。明りの魔法を放ち、洞穴内を照らし出す。幸い被害者は無いようだ。
片隅の古ぼけた木箱に目をやる。蓋は無く、中身が剥き出しになっていた。薄汚れては居たが、宝飾品や貴金属、コインが詰め込まれている。トロールにはどういう訳か光物を好んで蒐集する習性があった。遺失物か戦利品か、それとも盗品かは分からないが、元の持ち主がトロールでないことだけは確かだった。紛失届けが出ている品かもしれない。嵩張るが、押収品として持ち帰らなければならないだろう。
携帯していた布袋に詰め込み、立ち上がる。途端に血の下がるような不快感を覚え、身体が揺らいだ。咄嗟に岩壁に手を付き身体を支える。不味い。早く戻らねば。
道中はなるべく無心に歩いた。身体の不調に思考が及ぶたびに挫けてその場に座り込みそうになるからだった。最後の方には疼くような頭痛までし始めて、どうにか気力だけで歩いていた。重い身体を引き摺るようにして組合に辿り着く。扉を開けると、こちらに視線を向けたザックが目を見開き、続いて直ぐに顔を険しくした。
「おい。まさかどっかやられたんじゃねぇだろうな」
わざわざカウンターから出て歩み寄って来るあたり、相当酷い顔でもしていたのだろうか。検分用にトロールの耳を詰めた革袋と押収品の布袋を押し付け、息を吐く。
「……少し気分が優れなくてな」
「少しじゃねぇだろ、その顔色は。休憩所で休んで行くか? 直ぐ使えるぜ」
有難い申し出だったが、落ち着いた場所でゆっくり休みたかった。組合の休憩所は大部屋なのだ。あまり目立つのは好きではない。
「……いや、気遣いは有難いが、宿に戻る。悪いが魔力探査は次にしてくれ」
「なら誰かに送らせるか?」
報酬を手渡しながらザックが言う。言動から一見粗野に見えるこの男は、実はかなり面倒見が良い方だ。言葉の端々にこちらを気遣う様子が見えた。
「……大丈夫だ。宿に戻るくらいなら問題ない」
押し問答になりそうな気配にザックは折れて溜息を落とす。
「――そうか。長旅の疲れが今になって出たのかもな。ゆっくり休めよ」
「ああ」
別れを告げ、組合を出る。問題無いとは言ったものの、歩くのがひどく億劫だった。歩いて数分の定宿までの距離が怖ろしく長く感じた。ともすれば崩れ落ちそうになる身体を叱咤し、どうにか歩を前に進めるが、あと僅かというところでどうにも耐え切れずに立ち止まった。そのまま道沿いの建物に身体を預ける。
熱と頭痛から来る酷い不快感を何とかして押し止めようと、深く早い呼吸を繰り返してみたが良くなるどころか気分の悪さは悪化するばかりだ。
参った。意地を張らずに組合で休めば良かった。もうこのままここに座り込んでしまおうかと半ば本気で思った時、目の前で立ち止まる女と目が合った。
「――アレクさん?」
買い物帰りらしいシオリは、こちらを見るなり血相を変えて駆け寄って来る。
「大丈夫ですか!? 顔色が、」
身体を支えてくれるつもりなのか、遠慮がちに手が伸ばされる。その手を掴んで引き寄せ、華奢な肩に頭を預けた。知った顔を見て気が緩んだのか、急速に意識が遠のく。
――シオリに名を呼ばれたような気がしたが、そこから先の記憶は酷く曖昧だった。
次回は9日0時に更新。