10 マンドレイク採集
翌朝。
真っ暗な洞穴内でも朝晩の区別はあるらしく、夜行性の魔獣が放つ独特な闇の気配が鳴りを潜めて朝特有の清涼感が満ち始める。起き出してきたルリィがうねうねと目覚めの伸縮運動を始めた。
朝食の支度を兼ねて最後の見張りを務めていたシオリは、一緒に起きていたアレクの横顔をちらりと見た。魔法灯の明かりの下で見るその顔色は悪くはない。ニルスが危惧していたように悪夢を見ることもなく、穏やかに眠れたようだった。
「良かった。ちゃんと眠れたみたいだね」
「ああ、お陰様でな。それどころか素晴らしく良い夢が――」
そこまで言ったアレクはふとシオリを凝視して言葉を途切れさせ、次の瞬間何故か口元を押さえて視線を逸らした。その目元はどことなく赤い。
「ど、どうしたの? もしかして気分でも悪くなった?」
「ん、ああ、いや、大丈夫だ。あまりにも良い夢だったんで、つい思い出して……」
一体どれほど良い夢だったのかは分からないが、視線を泳がせて取り繕うアレクに首を傾げながらも、体調が良くないわけではないことを知ってシオリは安堵する。
「でも、あんまり無理はしないでね。本当に気分が悪かったらすぐに教えて」
「……なんだい? 体調が良くないのかな」
いつもと立場が逆だなと言って苦笑するアレクの後ろから、今度はニルスが声を掛けた。時間よりも早く起きて薬湯を煎じていた彼は、湯気が立ち上るカップをアレクに手渡しながら言う。
「おはよう、二人とも。見た感じ顔色は悪くなさそうだけど――というか、どうしたんだい? むしろ赤いような気がするけど、まさか熱でも」
「い、いや、問題ない。夢見が良過ぎたんだ。シオリが熱心に慰めてくれる夢をだな」
「え、私が?」
「ふーん? 赤くなるほどいい夢って一体どんな……――」
何気なく訊いたニルスは不意に言葉を切った。アレクをじっと見ていた瞳がじっとりとした半眼になる。
「――ああ、うん。分かったよ」
言いながら未だ手付かずのカップをアレクから取り戻したニルスは、「そうだ、入れ忘れた」と苔色の粉薬をひとさじ追加して混ぜ溶かしたものを再び彼に手渡した。
それを一啜り口に含んだアレクは、次の瞬間目を丸くして口元を押さえた。うぐ、と妙な呻き声を上げながら無理やり飲み下した彼は、じろりとニルスを睨み付ける。
「おい。何かとんでもない味だったぞ!」
「いやぁ。口の中が甘ったるくなってるんじゃないかと思ってさ。苦みの強い滋養強壮の薬草を追加してあげたんだ。すっきりしたろう?」
「ニルスお前」
しれっと言い放つニルスと睨み合うアレクを首を傾げて眺めていたシオリは、アレクの言う「熱心に慰めてくれる夢」の意味を察してさっと顔を赤らめた。どうやらこの恋人は夢の中で自分相手に「お楽しみ」だったらしい。
「……アレク……もう、心配して損した!」
「不可抗力だ! 別に見ようと思って見た訳では」
むぅ、と膨れながら取り出した赤唐辛子のオイル漬けを見た途端にアレクが蒼褪める。勿論脳啜りを行動不能に追い込んだあのオイル漬けだ。
「アレクのスープ、特別にちょっと辛くしておくね。身体が温まるよ」
「悪かった。いや、悪かったのか? 見たいと思って見た訳では……いやしかしできれば続きを見たかっ」
「アーレークー」
押し問答を始めた二人にニルスは苦笑し、足元のルリィが何をしているんだとばかりにぷるんと震えた。
「おはよー。朝っぱらから賑やかだなー」
「なんだか楽しそうね。アレクも元気そうで良かったわ」
身支度を済ませたリヌスとエレンも参加し、朝の野営地に楽しげな笑い声が響く。こうして些か緩んだ空気の中、遠征二日目の朝が始まった。
「――さて、ではどうする。採集地を近い場所から順繰りに見ていくか?」
温かい朝食と野営地の解体を済ませ、緩んだ空気から緊張感を取り戻したアレクが依頼人であるニルスに訊ねる。彼は念のためにと持ち込んだ地図を見ながら頷いた。
「うん、そうだね。マンドレイクがどこまで逃げているか分からないから、順番に見ていこう」
「昨日より魔獣が増えてるみたいだからちょっと気を付けよう」
昨日の戦闘で回収して手入れを済ませた弓矢を指先で確かめながら、リヌスが油断なく周囲を見回して言った。洞穴内の空気に混じる気配が増えているのだ。
「昨日はなんとなく魔獣が少ないと思っていたけれど、脳啜りのせいもあったのかしら」
そう呟くエレンの横で、シオリは探索魔法を百メテル四方に伸ばす。明らかに気配の密度が濃くなっていた。強敵の存在に怯えて逃げていた魔獣達が戻ってきたのだろうか。
「……本当だ。小さな気配が増えてる。近場に中型以上の気配は今のところはないよ」
「そうか……まぁ、脳啜り以上の魔獣が出るとも思えんが、昨日よりは警戒が必要だということだ。引き締めていこう」
「了解」
それぞれが荷物を背負い、最初の採集地に向けて歩き出した。
「しかしシオリのその探索魔法は便利だね。僕らのような非戦闘員にこそ必要な魔法のような気がするよ。本来の探索魔法を拡大して使ってる……って解釈でいいのかな」
「ええ、そうですね」
歩きながらのニルスの問いにシオリは頷いた。
本来探索魔法は室内などのごく狭い範囲にある、魔素を強く帯びたものを検知する魔法だ。主に遺跡などの遺構で魔道具を探すときなどに使われている。魔導書を読みそして何度か使ってみて気付いたのだが、この魔法は放出した魔力伝いに対象物を検知していた。体内から放出した魔力は身体から切り離さない限りは自らの知覚の一部のようなものなのだ。
つまり、探索魔法は知覚機能を拡大する術なのだ。
そして人間や魔獣を含む全ての生物が魔素を帯びている。
これを応用しない手はないと思って研究と練習を重ねた結果がこの探索魔法だ。しかしながら、一度放出した魔力を身体から切り離さないまま広範囲に広げるのは相応の魔力と集中力が必要になる。集中力には自信はあるが、最大の欠点である魔力の低さは如何ともしがたい。結局均一に広げるのではなく目の大きい網の目状にし、なおかつ使用時間を抑えることで魔力を節約していた。
「なるほどなぁ……練習して簡単に使えるようなものでもなさそうだね」
「実は俺も何度か試してみたんだがな。広範囲に放出した魔力を身体から切り離さないまま維持するというのが思う以上に難しかった。魔力よりも集中力が持たん。何よりも頭で強くイメージし続けないと網の目を作り出すことすらできなかった」
シオリの説明を聞いたニルスが唸り、アレクもまた苦笑気味に打ち明ける。
「やるなら探索魔法の練習よりも先に、集中力と想像力の強化を考えた方がいいかもしれないわね……でも、魔力を身体から切り離さないまま放出し続けるっていうのは治癒魔法も同じよ。これは治療術師だったら案外習得しやすいかもしれないわ」
エレンは思案顔だ。
考えてみれば攻撃魔法は放出した魔力を身体から切り離して対象にぶつけるものだ。対して探索魔法や幻影魔法は魔力を放出し続け、なおかつ集中力や想像力が必要という特徴がある。これらの魔法が不人気なのは、瞬間的に発動して放つ攻撃魔法と異なり構築や維持が面倒だからというのもあるかもしれないとシオリは思った。
「帰ったら少し練習してみようかなぁ」
そう言ったニルスに、苦笑交じりの忠告をする。
「気を付けてくださいね。最初は加減が分からなくてごっそりと魔力を持っていかれますから」
自分と同じく低魔力だというのなら、慣れないうちはたった一度の練習で魔力が枯渇して昏倒しかねない。誰も居ない場所で練習して倒れでもしたら大変だ。やるなら温かい部屋か誰かが見守っている場所でやらないと命に関わると脅かしておいた。
そうして何度か小型魔獣との小さな戦闘を挟みつつ魔法談義しながら歩くうちに、本日最初の採集地に辿り付いた。地面に近い岩壁に開いた隙間から冬の淡い陽光が差し込み、その場所をほんのりと照らしている。
「おっ……いたいた。良かった、何本か生えてるよ」
生えていると形容した植物を「いた」と表現するのも面白いなと思ったけれど、それは口には出さないでおいた。魔獣というものは未解明な部分が多く、植物と動物の区分に単純には当てはめられないところも数多い存在なのだ。
「ざっと見た感じでは六本か……まだまだ足りないから、半分だけ採ったら次に行こう」
「分かった。じゃあ済んだら声を掛けてくれ。俺達は見張りをする」
「うん、頼んだよ」
薬草採集の作法に則って、ニルスは次の新たなマンドレイクが生えてくるようにいくらか残して採集を始めた。
「ね、アレク。ちょっと見学してもいい?」
自ら歩き回る不思議な植物魔獣に興味を抱いたシオリは、アレクを見上げる。相棒兼愛しい恋人は快く頷いてくれた。
「ああ構わんよ。見張りは任せておけ」
「うん、ありがと」
ニルスが採集する間、リヌスとエレンはそれぞれの目当てのものを採集するつもりのようだ。と言ってもニルスの作業は十分足らずで終わるという。すぐ集合できるように半径十数メテルほどの範囲内での採集になるようだ。
ルリィは周辺をぽよぽよと歩き回っている。ルリィなりに警戒してくれているらしい。
二人の相棒に見張りを任せ、シオリは採集器具を取り出しているニルスの邪魔にならない位置に陣取った。
「雑草が生えているだけに見えますね」
「うん、ほとんどは本当に雑草だよ。マンドレイクは雑草に紛れて土に埋まっているから慣れないとちょっと分からないと思うけど……ほら、これだ」
洞穴のような薄暗い場所特有の植物なのだろうか。地上ではあまり見ないような不思議な形状や色合いの雑草が疎らに生える中、ニルスはある一角を指差した。
茎はなく、根元から艶のある卵型の葉が何枚も層状に重なった植物が数ヶ所に生えていた。葉の緑色は濃く、艶々としたやや肉厚の葉が生い茂る中央にはよく見るといくつかの蕾を付けている。
「葉っぱだけだと雑草と見分けにくいんだけど、こっちのみたいに蕾や花を付けていると少し分かりやすくなるかな」
「あ……本当だ。鈴生りな感じで花を付けるんですね。紫色が鮮やかで綺麗……」
「花が終わると真っ赤な実がなるんだ。そうなると一目瞭然なんだけど、すぐに実を落としちゃうからお目に掛かることはあんまりないね」
「へぇ……」
紫色の小ぶりの花をいくつも咲かせているその植物は、鉢植えにして窓辺に飾ればさぞかし映えるだろうと思うほどに可憐だった。とても魔獣のようには思えない。
「上に見える部分は綺麗なんだけどね。埋まってる根っこは奇怪というか……なかなかグロテスクだよ」
言いながらニルスは手にした細長いシャベルで周辺の土を掘り始める。ある程度土を掻き出してから、マンドレイクの根を傷付けないように周りの土を丁寧に手で取り除いていった。そうして取り出したマンドレイクに付着している土を指でそっと払うと、鮮やかな橙色の表面が露わになる……が。
一見するとただの人参にも見えるそれがぷるぷると震え、幾股かに分かれた手足のような根がもぞもぞと蠢いた。表面の筋が怯えた老人の顔のように歪む。
「う、わ……」
思わず呻いたシオリにニルスは笑った。
「気味悪いだろ」
「ええ……でも、キモ可愛いとか言って一部の女子には受けそうですね」
「き、キモ可愛い? 女子受けするのかい?」
そういう感覚はよく分からないけどと言って、今度はニルスが呻いた。
マンドレイクは何故か満更でもなさそうにくねくねと蠢く。
「ええ……ちょっと可愛いかも」
「そ、そうかい? 可愛いかな!? もしかしてシオリの故郷ではそうなのかい!?」
言うなりとうとう絶句してしまった彼に思わず噴き出す。
目を白黒させながら、彼は採集したマンドレイクを丁寧に蝋引き紙に包んで皮袋に収めた。そして二本目を掘り始めたニルスの手元を興味深く眺める。
「そういえば、これって逃げたりしないんですか? 危険を感じたら安全なところまで逃げるって話でしたけど」
「……ああ、それね。その辺がまだよく分からなくて検証中ではあるんだけど……種としての危険を感じるレベルでなければ逃げないんじゃないかって話だよ。まだ仮説の段階ではあるけどね」
「というと?」
「根こそぎ採ろうとすると逃げ出す。だけど何本か残して採ると滅多には逃げない」
「あ……なるほど」
感心したシオリは、まだ埋まったままのマンドレイクをしげしげと眺めた。シオリの称賛を察したのかどうか、そのマンドレイクの葉がぴこぴこと揺れる。
「頭? がいいんですね」
「そうだね。頭があるのかどうかはよく分からないけど、そこはまぁほら、魔獣だから」
「う、うーん? そう……ですね?」
よく分からないことは「魔獣だから」の一言で済ませてしまうこの世界の住人の感性もいまいちよく分からないのだけれど、間違ってもそれを口にすることはできずにシオリは口を噤んだ。
そうこうしているうちに三本のマンドレイクを掘り出したニルスは、終わったよと宣言した。適当に作業を終わらせたリヌスとエレンも合流する。
「どうだった?」
次の採集地に向けて歩きながらアレクが訊いた。
「楽しかった。マンドレイクの絶叫にもちょっと興味はあるけど、結構満足」
「そうか。絶叫はまぁ……遠くから聞くことをお勧めする」
「聞いたことあるの?」
「遠くからな。地獄の底から響いてくる断末魔のようなぞっとするような声だ。絶叫を聞いて駆け付けたら、知らずに抜いた奴が倒れていたことが何度かあったな」
「うわぁ……」
「お前も気を付けろよ。洞穴や鬱蒼とした森のように常に暗い場所では迂闊に草を引き抜かない方がいい」
「う、うん。分かった」
そばに誰かがいればいいが、そうでなければ倒れたところを他の魔獣に襲われかねない。一人で洞穴や視界の悪い場所に入ることはまずないだろうけれど、時折薬草採集の依頼を請け負うこともあるシオリは肝に銘じておくことにした。ルリィも「自分もいるけど一応気を付けてね!」というように足元をぺちぺちと叩く。
「それにしても、昨日より魔獣の気配は増えてるのにあんまり襲ってこないね」
「様子を窺っているような気配はいくつかあるようだがな」
「まだ警戒しているのかもしれないわね。脳啜りは脳を持つ生き物なら手あたり次第に何でも食べるもの。雪熊みたいな大型魔獣も例外ではないっていうし、襲われたら大抵は……だから」
「というよりシオリを警戒してるんじゃないかなー。あんなものぶっかけられたらひとたまりもないよ」
「ええー……」
仲間達の揶揄いにむくれて見せたシオリは、それでも少し楽しくなって小さく笑う。昨日はどうなることかと思ったけれど、今日は穏やかだった。勿論油断は禁物だが、たまにはこんなのんびりとした遠征も悪くはない。
と。
不意にぴりりとした敵意が肌を刺した。アレクとリヌスは瞬時に得物を構え、シオリ達後衛職は数歩下がる。それを護るように赤く染まったルリィが立ち塞がった。
岩陰から飛び出したいくつかの影が行く手を塞ぐ。氷蛙の群れだ。毒を帯びた長く伸びる舌は鞭のように撓って対象を切り裂き、魔力の強い個体になると毒交じりの氷魔法を吐き出すものもいる。強い麻痺毒を持った巨大蛙だ。
互いに威嚇し合うが、戦力はこちらが遥かに上だ。前衛職二人の気迫に負けたか、様子を窺うだけで襲ってくる気配はない。かといって引き下がる気もないようだ。
「あれも粘膜剥き出しだよねー」
「やめてさしあげろ」
リヌスが何を言わんとしているのかを察したアレクが苦笑する。
「もうかけるほど残ってないな……」
「残ってたら使うのかい……」
シオリの言葉にニルスが突っ込む。
有効な手段であることに間違いはないが、魔獣の種類や使用量によっては逆上させてより危険な状況になりかねない。それに自分が風下にいた場合はより危険だ。かけるつもりが自分で被ってしまうことになる。
「でも検証と改良を重ねれば脳啜りの対抗手段としてはかなり有用だよ。洞穴や遺跡探索のお守り代わりにはなるだろうね」
油断なく身構えながら、今後の研究課題だと言ってニルスは笑った。
「来るぞ!」
好戦的な一体が先陣を切った。
飛び出してきた氷蛙を全力で切り裂いたアレクがそのまま群れに踏み込んでいく。
こちらを狙って高く跳躍した二体の魔獣はリヌスが即座に撃ち落とし、さらに足元に撃ち込んで地面に縫い留めた。
「もういっちょー!」
口内に矢を放ったのは舌による攻撃を阻止するためだろう。最も得意な攻撃手段を封じられた氷蛙がもがくうちに、素早く近寄った彼は腰元の短剣で急所を的確に貫いた。
その間にアレクは既に残りの数体を仕留めていた。重量に任せた剣技と得意の魔法の合わせ技で斬り伏せられた氷蛙の遺骸が地面に転がっている。
「……鮮やか……」
五分にも満たない魔獣の群れとの戦闘。二人の動きに無駄は何一つなかった。
(C級くらいまではあれが二、三匹出ただけで大騒ぎだったけど)
呆気なく全滅した群れを見てシオリは苦笑した。氷蛙の討伐難易度が低い訳では決してない。それだけアレクとリヌスの戦力が高い証拠なのだ。蓄積した戦闘経験の活用力の高さも戦力を底上げしているはずだ。
昨日はあの悍ましい希少種との戦いで文字通り大騒ぎした一行だったが、あの戦いの経験もまたいずれは生かされることになるのだろう。
「よし、終了。ありがとう、全部綺麗に採れたよ」
せっかくだからと氷蛙の毒腺を全て回収したニルスはほくほく顔で保存容器をしまい込んだ。かつては冬にしか採れない貴重なもので、劣化も早くすぐに加工しなければならなかったこの毒腺。魔導具の発達で長期保存ができるようになった今は、原料のまま保管して様々な使い道をじっくり研究できるのが嬉しいらしい。
「それに解毒剤は需要が高いからね。原料は沢山あっても困るものじゃないんだよ」
ニルスによる薬物談義を聞きながら再び歩き出した一行は、何度か小さな戦闘を繰り返した後に次の採集地に辿り付いた。
今までの採集地と同じように、天井の穴から差し込む僅かな光が地面を淡く照らしている。壁を這っていた銀色の巨大ムカデがこちらに気付いて動きを止めた。しかし即座に反応したルリィを恐れてか、追いかけようとしたスライムから逃れるように慌てて岩陰に姿を消した。
残念そうにぷるるんと震えるルリィを見て笑ったシオリは、ぐるりと辺りを見回した。苔や下草に覆われた広場には、ごく小さな気配がそこかしこに点在している。ほとんどが魔獣のものだ。でも敵意は感じられない。油断はできないが、大人しいものばかりなのだろう。
足元を見たシオリは苦笑した。前の採集地とは違い、下草の葉はマンドレイクによく似た形状のものばかりでほとんど見分けが付かなかった。試しに探索魔法で調べてみると、ただの雑草に紛れて植物系魔獣ものだろう気配が掛かる。
「ううん……この辺、かなぁ」
「あら、正解よ。探索魔法を使ったのね」
指差した地面を見たエレンが言った。
「ええ。でも位置の特定ができただけで、私では掘り出すのは難しそうです」
似たような形状の他の雑草と重なり合っていて、目視ではどれがマンドレイクなのか分かり辛い。傷付けずに掘り出せる気がしなかった。
「他はどうだ?」
アレクに言われて周辺の探索をしたシオリは、数ヶ所を指差した。
「ここと、ここと、あそこと……あとあっちのは気配がするけど違う魔獣みたい」
マンドレイクの葉と色は似ているものの、葉の形状や重なり具合が異なるのが素人目にも分かる。
「おっと、それは踏むと葉を飛ばすから気を付けて。先端が鋭くて怪我をするよ。なるほど、探索魔法で位置特定はできないこともないけど、入り乱れている場合は難しいのか」
「……そのようです」
「はは、でも雑草の中をじっくり探して回る手間は省けるわけだから、ずっと楽だよ」
なんとなく残念に思えて肩を落としたシオリをニルスが朗らかに笑って慰めた。
「幸いここには沢山生えているようだから、必要分は全部集まりそうだよ。シオリは場所だけ教えてくれるかい?」
「分かりました」
このマンドレイク採集にはエレンも加わった。自分用の他に、騎士隊の衛生部隊にいる知人へのお裾分け用にも採集するつもりのようだ。「あそこはあまり高級な薬草は気軽に買えないらしいのよ。専属の治療術師もいるのに高い薬草なんか買ってどうするんだって言う人もいるらしいから」と彼女は苦笑した。
騎士隊は税金によって組織が維持されている公的機関だ。王国では概ね好意的に見られている騎士隊に対しても、当たりが厳しい者がいるのだろう。
その会話を最後に、しばらくは黙々と作業が続けられた。似たような葉が入り乱れているせいか、慣れているはずのニルスも作業に時間が掛かっている。
「ついね、勢い余って引っこ抜きそうになるときがあるんだよね」
「分からんでもないが、気を付けてくれ」
ぼそりと呟いたニルスに突っ込みを入れたアレクがふと顔を上げた。肩越しに振り返った彼は、ある一点を凝視している。緊張と警戒を浮かべた彼の利き手は、既に愛剣の柄に掛かっていた。リヌスも片手を矢筒に添えている。
――アレクが見ている先。その方向から強い視線を感じる。
ルリィの体色に変化はないから危険ではないのかもしれないが、異様な気配と視線に気付いた一行に緊張が走った。
「……何か……こっち見てる?」
「……だな」
一見するとそこは何もない、ただの草地だ。しかしよくよく見ると、草の合間から何かが顔らしきものを覗かせているのが見えた。
薄紫の葉の下の蒼白い顔。顔の上半分だけ出しているそれの目が開いているようには見えないが、切れ込みのような筋が閉じた瞼を連想させた。にもかかわらず、こちらを見ているという気配だけはひしひしと感じられる。
「あ、死霊……?」
あまりの不気味さにふるりと身体を震わせたシオリをアレクが後ろに庇った。
「いや、あれも植物系の魔獣だ。アルラウネだ」
「アルラウネ……」
――マンドレイクの変異種。世代交代の早い植物系魔獣は変異種が出現しやすく、採集中に一定の確率で出るのだという。
「一度の遠征で希少種と変異種かぁ……あんまり心躍る感じではないなぁ。どうするー? 一応レアだけど」
攻撃の意思は見られないが何がしかの思惑がありそうなアルラウネの様子に、皆困惑の表情で顔を見合わせた。正直に言うとあれに近付きたいとは思わない。
「薬草としてはマンドレイクよりも価値は高いけど、積極的に採りたいとは思わないわね、あれは。あんな意味有りげに見てくることなんて今までになかったもの……」
「それにあれは抜かなくても絶叫するからな。攻撃手段としてあの奇声を利用するんだ。なるべく刺激したくはないな……っと、どうしたルリィ」
不意の攻撃に備えて軽く耳を抑えながら戸惑うシオリ達をよそに、ルリィがぽよぽよとアルラウネに近寄った。ぷるぷると震えるルリィに対してアルラウネがわさりと葉を揺らす。まるで会話しているかのようだ。しかしそれも束の間、ルリィが触手をしゅるりと伸ばしてアルラウネの葉を無造作に鷲掴みにした。
「ちょ、ルリィ、何を!?」
「よせ、ルリィ! 戻れ!」
思慮深いはずのスライムの予想外の行動にぎょっとして皆で叫ぶが、大丈夫と言わんばかりに身体を揺らしたルリィがそのまま触手に力を籠めるのが分かった。
抜く――。
察したシオリは咄嗟に耳を抑えて蹲った。それを庇うようにしてアレクが上から覆いかぶさる。同じようにして蹲るエレンをリヌスが耳を塞ぎながら庇い、残念ながら一人余ってしまったニルスがせめて少しでも音を防ごうと襟巻の上から耳を抑えた。
引き抜かれるアルラウネ。
――しかし予想したような絶叫が響き渡ることはなく、代わりに聞こえたのは、「あ――――――…………」という恐ろしく気の抜けた気怠げな声だった。
脳啜り「刺激物を無闇に散布してはいけません!!!!!!」
雪男「いいから年越し前にお風呂入りますよ」
大蜘蛛「あっ石鹸きれてる。新しいの出そう」
雪海月「自分は寒いからストーブに当たってる」
年内最後の更新に気の抜けたラストですみません。
そして宣伝すみません。
28日発売の月刊コミックゼロサム2月号にて最新話の第5話が掲載されています。
またコミックシーモアさんでも第5話まで先行配信中です。
よろしければ年越しのおともにどうぞ。
家政魔導士の第一被害者大蜘蛛氏や少年貴族、そしてラストにあの娘達が登場です。
アレクにお姫様抱っこされるシオリや失恋クレメンス、画面の端っこで何かモグモグしているルリィなども合わせてお楽しみください( ´艸`)




