04 恐怖喰らい
「こんな希少種は要らないよー!」
「同じ希少種なら薬草か素材だったら良かったわ!」
「同感だ!」
リヌスとエレンがもっともな感想を述べ、アレクはすかさず同意した。あれは危険だ。ルリィにシオリ達を護るよう伝えると、任せろとばかりに勇ましくぷるるんと震えた。
「そんなに危険なの……」
「お前は初めてなんだな」
冒険者になって一番日の浅いシオリは血の気の失せた顔で頷く。
シルヴェリアで幻獣雪男に遭遇したときも一体何の冗談だと思ったが、これはこれで厄介な代物だった。高い魔力と知能を有し、獲物の脳や内臓を好んで食べる悍ましいこの魔獣は、帝国領時代の悪逆非道な魔法実験を施された実験動物が繁殖したものではないかとも言われていた。
しかしこれでも一応は魔獣生物学的に分類できるれっきとした生物であることが分かったのはごく最近のことだ。どちらかと言えば精霊の成れの果て――あるいは死霊に近い存在に分類される魔獣。
今のように冒険者業が一般的ではなかった古い時代には幻獣として扱われ、現在は確実に存在する魔獣として認知されている脳啜り。かつては幻獣とまで言われたがゆえに、その遭遇率は極めて低い。地下遺跡や古代墳墓の深部に棲息し、稀に洞窟にも姿を現す――闇の中に生きる魔獣。
「リヌス、お前はあれとやり合ったことはあるか?」
連射するつもりなのか、弓矢を器用に数本握って脳啜りの頭部を狙いながら彼は答えた。
「今までに遭ったのは二回だけー。でも一回は足止めして何とか逃げた。そのときは一人だったし足には自信があったからねー。旦那は?」
「三回だ。だが二回はやはり俺も逃げた。経験値は稼げるかもしれんが、できれば今回も遠慮したいところだな。一度はザック達が一緒だったからなんとかなったが」
毒の息をまともに食らって倒れ、あわや餌になりかけたところをザックとクレメンス、そしてナディアが総攻撃を仕掛けて木っ端微塵にしたのだったが、今は主戦力は己と遠距離型のリヌスだけ。あれとやり合うには心許ない。
「私は一回だけよ。でも遠目に見ただけで皆して逃げたわ」
「僕は幸いまだ一回も……だけど、なるほどあれは気味悪いね。あれに中身を吸われるのかと思うとぞっとする」
それぞれが正直に答え、そして乾いた笑い声を立てる。
本来の棲息地ではない場所で、危険な希少種の魔獣に遭遇するとはあまりにも運が悪かった。せめて希少な素材でも採れればよいが、あれは命が尽きたが最後、あっという間に細胞が壊死して土に還ってしまうのだ。ごくごく稀に魔法石を落とす程度で旨味はほとんどない。
そんな魔獣の生態をなんとしても暴いてやろうと目ぼしい場所を渡り歩き、連れていた手練れの冒険者で総攻撃を仕掛け、仕留めた瞬間凍結させて持ち帰ったという魔獣研究者のその執念には恐れ入る。
――脳啜りは様子を窺っているのかそれとも最初の獲物を見定めているのか、十数メテルほど向こうで立ち止まったまま動く気配はない。だが逃がしてくれる様子でないことだけは確かだった。二体で何か相談でもしているのか、にたにたと笑うように目を細めて口元を蠢かしている。
どういう訳か必ず番で行動するというのも厄介なところだ。
「いいか。皆、よく聞いてくれ。あれは強力な魔法攻撃と精神攻撃の合わせ技で仕掛けてくる。魔法耐性が高いから物理攻撃が主体になるが、間合いに入ったら即座に毒の息を吐くんだ。吸い込んだら幻覚症状が出るから絶対に近付くな。あれは厄介だぞ。常に目を離さず距離を保ってくれ。直接攻撃は俺がやる」
「……ブロヴィートの事件の報告書読んだけどさぁ。雪狼は魔法耐性があるけど体内への魔法攻撃は有効ってあったじゃん? あれ、あいつらにも使えるかなー」
リヌスがぼそりと言った。可能性があるなら何でも試したいと彼は言っているのだ。
「分からんがやってみる価値はある。リヌス。それからシオリ。援護を頼むぞ」
「おっけー!」
「了解」
リヌスの空元気気味な、そしてシオリの僅かに震えを帯びた返事があった。足元のルリィもぷるんと震える。
「とすると、僕とエレンは絶対にやられる訳にはいかないね。解毒は任せてくれ」
「ああ、頼む」
今回は体力的には己よりも劣る補助職が三人もいる。あれを撒いて逃げるという選択肢はない。
だが。
(……できれば……逃げたかったが)
光魔法で戦場の視野を広げるための光球を打ち出しながら、アレクは内心歯噛みした。
脳啜りは獲物の恐怖を何よりの好物としているとも言われている。毒で恐ろしい幻覚を見せ、獲物が恐怖に慄いた瞬間を狙って食らうのだと。
あれは、受けた者の恐怖心を増幅する猛毒だ。
――あの毒による幻覚症状は、もう二度と経験したくはなかった。
(しかしそうも言ってられんか)
主戦力の片割れ、リヌスは遠距離型だ。接近しての攻撃はアレクが担う。
脳啜りがゆらりと身動ぎした。微かな魔素の揺らぎ。
仕掛けてくる、そう思った刹那、空を切る音がした。続けざまに三発。敵目掛けて射出されたリヌスの弓矢が、一本は触手によって叩き落とされたが一本は纏ったぼろ布の中央に、そしてもう一本は隣の脳啜りの首元に突き刺さった。
もぞもぞと蠢いていた口元がばっくりと縦に裂けた。耳をつんざくような悲鳴が洞穴の空気を揺るがす。およそこの世の生き物とは思えぬ悍ましい造形の魔獣が上げるその声もまた、死の世界に誘うような凄まじさだ。
だがそれに怯まず一気に間合いを詰めたアレクは、剣を大きく横に薙ぎ払った。数本の触手が千切れ飛んだが、地面に落ちたそれがまるで意思を持つかのようにアレクの足元に絡みつこうと蠢いた。咄嗟に跳躍して躱したアレクは舌打ちする。
「前も思ったが――なんて生命力だ!」
脳啜りが何か叫んだ。
何もない空間に生まれた火球が弾けて飛散する。
「氷壁!」
「水陣!」
己とシオリの声が重なった。二重の障壁が降り注ぐ火の礫を防ぐ。
ほとんど偶然であったが、二人の息の合った防御行動に気を良くしたアレクはにやりと笑った。
「上手いぞ!」
一息吐く間もなく飛来した雷の矢が頭上に降り注ぎ、すかさず次の障壁を張った。
「石壁!」
「砂塵!」
強力な雷が岩盤から生じた壁に吸い込まれ、巻き上がった砂塵が雷の矢を巻き込みながら脳啜りを襲った。剥き出しの肌と大きな眼球に砂埃が張り付いたか、彼らは不快そうに身を捩る。
「やるな!」
「ありがと!」
補助職とてシオリもまた一端の魔導士だ。属性を考えた攻撃と防御は攻撃系魔導士に決して引けを取るものではない。
火には氷か水を、そして雷には土を。
いくら魔力が高くとも、この「属性」という理屈が分からぬがゆえに魔法を使いこなすことができない者もいる。魔導士が魔導士たる条件の一つ。それは四元素特性の理解とそれに関する知識、そして状況判断力だ。
「あのさ! 魔法で壁作って逃げるとかってのは駄目かなー!?」
ふわりふわりと奇妙な動きで魔法を繰り出す脳啜りに弓を射かけながらリヌスが叫んだ。
「壁ごと通路を破壊されて落盤事故になったって報告書にあったわよ!」
「マジかー! それじゃ駄目だなー!」
エレンが答え、彼はうへぇと妙な呻き声を上げた。それでいながら的にしっかり当てている彼の腕前には恐れ入る。しかし魔法障壁と蠢く多くの触手に阻まれ肝心の急所には当たらず、いつもは陽気なその表情を歪めて舌打ちしている。
脳啜りが次の魔法を放とうと僅かに構えたの見て取り、リヌスの矢が放たれた瞬間を見計らってアレクは一気に間合いを詰めた。矢を払おうと触手を広げて生まれたその隙を狙い、炎を纏わせた愛剣を濁った片目に突き立てる。
魔獣の凄まじい絶叫。残った片目が憎々しげにアレクに向けられた。相当深く突き刺したつもりだったが、それでも致命傷には至らない恐るべき生命力に舌打ちする。
魔獣の口が縦に割れ、それぞれがばらばらの方向に生える乱杭歯と吸引口だろう管状の舌がちろりと覗いた。
毒息を吐く兆候。
(――来る!)
力任せに剣を抜き、飛び退って間合いを取ろうとしたその瞬間。素早く伸びた触手が左手首と左脚に巻き付いた。
「くっ……!」
崩れた体勢をどうにか踏ん張りその場に倒れ込むことだけは避けたが、拘束された手足が不自然な方向に引っ張られた。利き手の剣が届かず斬って逃げることはできない。
「火炎!」
効かないことは知っている。だが隙を作れればいい。雪狼と同様体内への攻撃は有効かもしれない。放った巨大な火炎が脳啜りの口内を焼いた。
短い悲鳴が上がり、触手の力が緩む。
「アレク!」
「旦那っ!」
真横を何かが横切り、脳啜りの目に突き刺さった。続いて背後に迫っていたもう一体にも当たる。リヌスの矢だ。この状況下で狙い過たずに的を射るその腕前は見事なものだ。
だが。
「ぐっ……!」
重傷を負わされて怒り狂った脳啜りの触手が身体に絡みついた。手負いとは思えない、息が詰まるほどの力。右半身も拘束されて身動きすらできなくなる。
背後の一体が掛かった獲物に近寄るかと思いきや、脇をすり抜けていった。向かう先はシオリ達がいる場所だ。アレクを番に譲り、己は標的を変えたのだ。
脳啜りから放たれた氷槍が彼女達を襲い、シオリの火炎陣とルリィの身体がそれを防ぐ。しかし魔力差ゆえに全てを防ぎきれず、数本の氷槍が障壁を貫いた。悲鳴が上がる。
負傷者が出たかもしれない。
「くそっ!」
アレクは筋力増強の魔法を唱え、渾身の力を振り絞った。
「ぐ、おおおおおお!」
触手を引き千切り、自由になった利き腕を力任せに振り回してばっさりと切り捨てた――瞬間。
甘ったるい独特の臭気が鼻を突いた。覚えがある香り。焼いたはずの口内から吐き出された毒の吐息だ。咄嗟に息を止めて防いだつもりだったが、酷い眩暈と共に視界がぼやける。
(……これは……やはり、皮膚からも吸収するのか)
希少種ゆえにあまり調査が進んでいないこの脳啜りの毒素。完全に息を止めても症状が出るという報告が残されていることから、毒ではなく幻影魔法ではないかとも言われていた。しかしその一方で、呼吸器からだけではなく皮膚からも吸収される可能性も示唆されていたのだ。
脳がかき回されるような耳鳴りに襲われ、ぐらりと身体が傾いだ。
(まずい)
アレクは震える指先で薬品ポーチの解毒薬を探りながら、ぐっと唇を噛み締めた。噛み切って出血するほどの力。そうして幻覚症状に耐えようと試みる。気を強く持つだけでもある程度は防げると聞かされてはいたが、どこまで効果があるかは正直疑問だった。
しかし幻に呑まれたら終わりなのだ。己だけではない、仲間も――愛しい女も。
努力の甲斐あってか、頭が割れそうな耳鳴りが晴れて視界が開けたその瞬間。
女の苦しげな悲鳴が響き渡った。シオリの声だ。
「シオリ!」
霞む視界を振り払うように頭を振り、悲鳴が聞こえた方向を見たアレクの視界に飛び込んできたのは――魔獣の触手に胸を貫かれた、シオリの姿。朱に染まった胸元から夥しい量の血液が滴り落ち、小さな唇からこぽりと赤いものが溢れ出る。
――凄まじい恐怖と絶望が、アレクの胸を黒く塗り潰した。
こんな引きで終わっておいてなんですが、宣伝です。
昨日28日発売の月刊ゼロサム1月号に家政魔導士第4話、シオリの過去話回が掲載されています。格好良い演武シーンとトビー相手に大人げないアレクは必見です。絵では初めてのニルス、【暁】の皆さんも登場しますよ。興味がある方は是非。




