02 家政魔導士業希望者
トリスヴァル領南部のアイロラ湿原沿いを通る街道を逸れ、一行はすっかり葉を落とした広葉樹が生い茂る雪道に踏み込んだ。雪道といっても地面には数センチメテルほどの積雪しかなく、驚くほど歩きやすい。ブナの一種らしい巨木群の複雑に張り出して絡み合う枝が森全体を覆い隠し、ほどよく雪を遮っているからだった。
新雪が薄く降り積もった小道をさくさくと歩きながら、殿を務める弓使いのリヌスが背伸びをする。
「うん、雪は降ってないし運良く同行者も確保できたし、幸先がいいなー」
どんなときでも陽気に振舞う彼が一人いるだけで、旅が驚くほど楽しい。そんな彼と一緒に今年最初の依頼を受けることができて良かったと、シオリはアレクと共にくすりと笑う。足元のルリィも楽しげにぽよんと跳ねた。
「そうね。シオリもいるから夜の心配もしなくていいもの」
治療術師のエレンもほくほく顔だ。
二人はこのマンドレイク採集の旅の同行者だ。それぞれ急ぎの用件があり同行者を探していたところだったという。リヌスは料理人からの依頼で食材調達、エレンはニルスと同じく薬草採集での参加だ。
こちらとしても、聴覚が鋭く動物や魔獣の接近に敏感な元猟師に、女医の肩書も持つ治癒魔法の使い手が一緒なのはありがたかった。
「僕達も同行者を募るつもりだったからね。毒攻撃が主体の魔獣が多い場所だし、治療系が二人いれば大安心さ」
「そうだな。それに大型魔獣が出る場所ではないが、攻撃系が俺一人では心許無い」
目的地は洞穴だ。日が当たらず低温というイメージがあるが、実は年間を通して内部の温度はあまり変わらないらしい。だから夏は涼しく感じても、外気温が氷点下を下回る冬の間は逆にむしろ温かく感じるのだ。
勿論例外はあるようだけれど、そのホルテンシア洞穴は冬でも温かいようだ。その温かい洞穴に、雪のない季節に活動する魔獣の一部が逃げ込んでいるという。元々洞穴に棲息している鳥型魔獣には遠距離攻撃ができる弓使いは最適。さらに暖を求めて外から入り込む魔獣というのが毎年異なるためにどんな魔獣が現れるかはほとんど予測ができず、これには物理と魔法、そしてその合わせ技という多様な攻撃手段を持つ魔法剣士が適しているようだ。
「シオリは初めてだったな」
「うん。注意しておいた方がいいことってあるかな」
訊くとアレクは少し考えるような仕草をした。そして何故だか眉尻が微かに下がる。
「場所柄、高火力で衝撃が大きい魔法は使わない方がいいが……」
「……ああ、うん。それは大丈夫だね」
濁した先の言葉を察して、低級魔導士であるシオリは苦笑した。
「あとは、群れから逸れた鳥や獣型の魔獣が単体で出る以外は、ほとんどが虫系か植物系魔獣だ。癖が強いものが多いから接触次第倒す方向でいこう」
「うん。了解」
頷いてから、シオリは少しだけ眉根を寄せた。
「虫かぁ……ちょっと苦手だな」
「ほう。虫は全般的に駄目か? それとも特定の種類が苦手なだけか?」
小さなものが沢山蠢いているようなものや、何かの幼虫のようなものはできれば遭遇したくはない。そう言うと、エレンも苦笑気味に頷いた。
「あまり気持ちのいいものではないものね。でも、そういうものは食べるものが少ない冬の洞穴では他の魔獣の餌になるから、滅多には遭わないわよ」
「そうなんですね。良かった」
ほっと胸を撫で下ろすと、男性陣から小さな笑い声が上がった。
「まぁ、僕もどちらかと言えば苦手だよ。でも家の中に出るのでなければ大丈夫かな」
「マスターは辛いかもしれないけどねー」
「確かにな」
組合マスターであるザックの虫嫌いはトリス支部では有名だ。しかしいくら寒冷地の王国と言えど、夏にもなれば虫系魔獣は多く出る。S級冒険者として名が知られている彼は、今までどう凌いでいたのだろうか。
「ああ、それはな」
何かを思い出しているのか、アレクが含み笑いしながら教えてくれた。
「あいつは仕事のときにはそういう苦手意識を完全に殺せるんだ。だからどんな苦手な魔獣が出ても確実に倒す――んだが」
彼の含み笑いが、苦笑いに変わった。
「精神的には大分無理をしているらしくてな。遭った魔獣によっては……帰ってきてから寝込むこともあったな」
「えっ寝込むの? あんなに強い兄さんが? それは……なんというか……」
アレクが言うには、虫系魔獣でも特に触覚の長いものと黒いもの、そして幼生体が苦手なのだという。一度などは複数体とやり合って帰還した直後、ばったり倒れ込んでそのまま一晩目を覚まさずにずっと魘されていたそうだ。
「なるほどー。触覚が長い奴」
「それに黒いものと、幼生体……ね」
リヌスとニルスも小さく噴き出した。
それは自分も御免被りたいところだが、寝込むほどかというとそれほどでもないような気がした。何度か気味の悪い思いをして後を引いたこともあるけれど、その程度だ。
もっとも魔獣という形で出る虫は、その姿や大きさなどはシオリの想像を絶するものも存在する。まだ冒険者登録して三年ほどの自分には、未経験の魔獣は沢山いるのだ。
「う……覚悟して臨むよ」
「大丈夫。全部に絶対効く訳じゃないけど、虫除けも持ってきたんだ。洞穴に入る前に渡すから装備してくれよ」
ニルスの頼もしい言葉に続いて、自分もいるぞとルリィが身体を震わせて主張した。
エレンと共に安堵の息を吐く。
やがて再び道を逸れた一行は、木々の合間を抜けて目的地を目指した。時折小動物や大人しい小型魔獣が姿を見せる程度で今のところは戦闘もない。ホルテンシア洞穴を除けばこの近隣は冬の期間だけ安全に狩りができる場所になっているらしく、ところどころにある開けた場所には地元の猟師が野営したらしい焚火の跡が残されている。
「できれば森で野営したいところだけど、やっぱり一晩は洞穴内での泊りになりそうかな」
「だろうな。しかし俺達には有能な家政魔導士がいるんだ。魔獣には気を配らねばならんだろうが、どこだろうと快適に過ごせるさ」
「わっ……ちょっと」
仲間内だからいいようなものの、恋人からの遠慮のない賛辞にシオリは慌てた。さすがに外部の依頼人相手に言うようなことはしないだろうけれど。
恥ずかしいからやめてと睨み付けると、小さな笑い声が上がる。
「でもさー、シオリがいるから冬の遠征でもあんまり気が重くならないんだよねー。慣れてはいるけどさ、やっぱり一日の終わりにあったかい風呂と飯があると思うと気分が全然違うじゃん」
「分かるわぁ」
「だよね」
「う……」
「お前、まだ褒められ慣れてないのか」
雑用をしているだけだと揶揄されることもあるシオリにとって、時折親しい仲間に掛けられる称賛の言葉は嬉しくもあるが恥ずかしくもあるのが正直なところだ。
アレクには苦笑いされてしまった。
「うーん、でも、シオリのその……生活魔法って言ったっけ? それ、本当に便利だと思うんだ」
ふと笑みを引っ込めたニルスが真剣な顔になる。
「僕もほんの少しだけなんだけど魔力があってね。本当は治癒魔法の才能でもあればと思って期待してたから測定結果にはがっかりしたし、魔力も攻撃に使えるほど強くも伸び代もないって言われてすっぱりと諦めてたんだけど……その生活魔法なら僕でも使えるかもしれない。薬師の仕事にも使えると思うんだ。だから、機会があったら是非教わりたいって思ってたところなんだ。料理も多少ならできなくもないし」
「あら。それ、他の人も言ってるのを聞いたわ。学者さんとか薬師さん達とか、補助的な仕事だけじゃ申し訳なく思ってる人って結構多いのよ。兼業で家政魔導士業をやってみたいって」
「そ……うなんですか」
最近は幸いあまりないが、何かのタイミングで家政魔導士への依頼が重複するときがある。そういう場合に日程調整でザックが頭を悩ませていることを知っているシオリは、もう何人か家政魔導士がいても良いのではと思うようになっていた。
(……私みたいに武器も使えないし特別な力もないけど、他に雇ってくれる場所もないっていう人もいるみたいだし)
何度か見掛けただけで直接話をしたことはないが、日雇いの仕事の合間に余りの依頼を受けている同僚を何人か知っている。彼らがこの仕事をどう思うかは分からないが、もし自分の技術や知識を役立てることができるのなら、そんな人達の選択肢の一つとして家政魔導士という仕事があってもいいと思うのだ。
――環境の厳しい野営地で日常に近い生活を。それは思いのほかに士気を高めるのだと知ったから。
ロヴネル家の依頼で親しくなったデニスには、魔導士に生活魔法を仕込むのは難しいかもしれないと言ってしまったが、自分のように極めて低い魔力だったら、魔力の出力時に微調整が要る生活魔法に適しているかもしれない。
「手が空いたときにでも講習会を開いてみたらどうだ。希望者は多いかもしれんぞ」
「……うん。そうだね。考えてみる」
アレクの提案に頷いたシオリに、もしやるんなら日程教えてよ、とニルスが言った。
「おっ。家政魔導士第二号の誕生かな。ニルスだったら食事は薬膳料理になりそうだけどねー」
「いいわね、それ。より一層体力回復しそうだわ。かなり好みは分かれそうだけど」
冗談のようで本当になりかねないリヌスの言葉に皆が笑った。声を立てて笑うことで遠征の緊張感が程よく解れ、ルリィもまた陽気にぷるんぽよんと跳ね飛んでいる。
そうして笑い合い他愛のない会話をしながら歩くうちに、木々の隙間から真っ暗な口をぽっかりと開けた洞穴が見え始めた。マンドレイクの採集地となるホルテンシア洞穴だ。
「――そろそろ気を引き締めて行こう」
「了解」
やがて着いた岩肌が剥き出しのその入り口の奥は、侵入者を拒むかのような漆黒の闇だ。試しに伸ばしてみた探索魔法の網に、いくつかの小さな気配が掛かる。蠢く何かに魔力の糸伝いに触れられたような気がして、シオリは小さく身震いした。
「さ、虫除けだよ。ベルトに下げて使ってくれ」
ニルスに手渡された革紐付の小さな布袋を指示通りにベルトに結び付ける。揺れるたびに薄荷のような爽やかな香りが漂った。人間にとっては良い香りでも、虫にとってはそうではないのだろう。
「……よし。じゃあ行こうか」
アレクの合図で魔法灯が灯され、真っ暗な入り口を明るく照らし出す。
シオリ達はその灯りを頼りに洞穴の中へと足を踏み入れていった。
ルリィ「虫が沢山いると嬉しいなぁ」
大蜘蛛「はぁーいジョージィ」
ペルゥ「……癖になってる」
得意料理がそれぞれ違う家政魔導士を選ぶ時代がくる……かもしれない。




