09 淑女達の慰労会
女性冒険者事情などなど。
ちょっくら月のものに関する内容を含みますので、苦手な方はご注意くださいね。
同僚が楽しげに語らいながら料理を楽しむ中、ナディア達に手を引かれて座らされたシオリは、前掛けを外して背凭れに掛けながらほんの少し気後れするような心持ちでぐるりと辺りを見回した。押し付けるようにして持たされた果実酒をちびちびと舐めているうちに食堂の婦人達が戻ってくるのが見え、ほっと息を吐くとそれを見ていたナディアが苦笑気味に料理の皿を目の前に置いた。
「さ、あんたも食べな。働き者で気遣い屋なのはあんたのいいところだけど、あんまり過ぎるのは良くないよ」
「……あ、うん」
何か堂々とこの場に座っていることが躊躇われていたシオリは眉尻を下げる。どうにも落ち着かないのは家政魔導士という仕事柄ゆえだろうか。
皆から料理のお裾分けをもらっては嬉しそうに取り込んでいたルリィが、慰めるようにシオリの足を撫でる。
「でも、分からないでもないわよ。完全に補助職だと前線で命張ってる前衛職と同じようにしてていいのかしらって思っちゃうものねぇ」
その気持ちを察したのかどうか、パン屋のベッティルがしみじみと言った。差し入れに持ち込んだ雑穀パンを綺麗に薄切りにして、手早くチーズや燻製肉をトッピングして次々と配っている。その手際は見事なものだが、それよりも女性陣に違和感なくしれっと交じり込んでいる彼にシオリは目を丸くした。何人かは女言葉の偉丈夫をどう扱って良いものか悩むらしく遠巻きにしているようだったが、本人は涼しい顔だ。
「私も自分の仕事には誇りを持っているけど、やっぱりねぇ……後ろで護られてるだけでしょって口さがない人もいるから気後れしちゃうわ」
「気後れ……?」
そう言う割にはまったく気後れしている様子はないベッティルにナディアやマレナは首を捻っているが、「分かるわ」とエレンが頷いた。
「今はもう言われなくなったけれど、ランクが低い頃はやっぱり言われたわね。いつも後ろで楽してるんだから給仕しろって」
「……エレンさんでも言われたんですか」
「ええ。同じように働いているつもりでも、魔獣と戦っている訳ではないから……やっぱりそう思う人は一定数いるわ。年配の人だと特にそうよ」
治療術師の持つ治癒の力は魔法の中でもかなり特殊で、一部の聖職者が持つ聖属性の魔力と同様に後から努力して身に付けられるものではない先天的な能力だ。それゆえに治療術師や聖魔導士は希少価値が高く、この能力を持つ者はどこに行っても重宝される。
そんな治療術師にしてさらに女医という肩書を持つ才女でもそうだったのなら、自分はよほどだとシオリは思った。
「そうなんですね……」
職業による差別意識はどこの世界でも同じらしい。
『営業の連中ったら、事務員をただの雑用係かなんかだと思ってるのよねぇ』
日本の職場でも同僚がそんなようなことを言って嘆いていたなと思い出して、シオリは苦笑いする。
「王国はこの辺りじゃかなり先進的な国だけど、そういう差別はなくならないもんだねぇ。女なんて特にさ」
果実酒のグラスを傾けながらナディアが嘆息し、それを皮切りにして同僚達も口々に不満を口にする。
「そうね。同じ職業なのになぜか女ってだけで雑用押し付ける人もいるわ」
「騎士だって女性が増えたけど、出世できる人はあまり多くはないっていうし。女の社会進出が進んだとは言っても、身体の作りが男とは違うんだもの、どうしたって同じように働けない日もあるから……仕方ないと言えば仕方ないわよね。それに結婚して子供ができたらやっぱり女の方が家庭に入らざるを得ないのだもの」
「騎士だったセシリア様が王妃になられてからは随分変わったとは聞くけど、なかなか難しいよね。男の立場になって考えてみれば、やっぱり……だもの。だからと言って積極的にそこを指摘されて役に立たないって言われると困るけど」
「そうさねぇ……」
筋力や剣技なら修練を積めばどうにかなるかもしれない。けれども女性特有の事情から、男性と同等の働きをするのが難しい時期が月に一度の頻度であるというのが女性騎士の悩みだ。女性冒険者でも似たようなものだが、こちらは自分の裁量で休みを決められるからまだ大分楽な方ではある。
それにエナンデル商会では女性冒険者向けの衛生用品の取り扱いがある。シオリも密かに世話になっているこの商品のお陰で、女性冒険者が増加したという話もあるらしい。
――もっとも、しやすくなったというだけで月のものの辛さが軽減されるものでもなく、やはり一週間は仕事を休む女性冒険者は多いのだけれど。
(……あ。アレクと一緒に住むようになったら……それも話しておいた方がいいのかな)
この世界に来てからは心労と重労働のせいか不順気味だ。まったく巡ってこない月もあって、計算して仕事の調整ができないのが辛いところではある。
(ちょっと話し辛いなぁ……皆はどうしてるんだろ)
夫婦で活動しているマレナあたりにでも聞けば教えてもらえるかもしれないとぼんやり考えていると、女性の秘め事の話題になったのを察してベッティルが「私は向こうに行くわね」とパン籠を持ってアレク達のいる卓に移っていった。
その背を見送ったナディアが、彼が作ったカナッペを優雅につまみながら艶やかな笑みを浮かべた。
「……あいつ、あんな変わり者だけれど、ああいうところはきっちりしてるんだよねぇ」
女言葉を使ってはいるが、内面は紳士なのだ。あの言葉遣いを苦手とする者は多いけれど、反面その人柄もあってか好意を抱く女性も多いようだ。ただ、早起きで長時間勤務が基本のパン屋という職業柄、恋人はできてもあまり長続きはしないらしい。本気でパン屋の女主人になる気でもなければ一緒にいるのは難しいのだろう。
「まぁでも、それって冒険者にも言えるわよね」
マレナが薄切り芋の揚げ物をぱりぽりと齧りながら言う。
「しょっちゅう留守にするし、稼ぎも不安定だし、命の危険だってあるんだもの」
「片方が一般人だとやっぱり長続きはしないって言いますもんね。女性の方が冒険者だと特に、結婚するなら仕事辞めろって言われちゃいますもん。子供を産んで育てるってことを考えたら死ぬかもしれない仕事はさせられないっていうのは分かりますけど……積んだ実績を捨ててってなると中々簡単にはいきませんよねぇ」
しみじみと言ったのはベテランの受付嬢、ルイス・フォルシアンだ。冒険者組合に属してはいるが、冒険者ではなく事務職員である彼女もまたこの仕事に誇りを持っており、辞めて家庭に入ってくれという恋人を振って以来ずっと独身のようだ。
不本意でやむを得ず冒険者になったというなら別かもしれないが、自ら望んでこの世界に足を踏み入れたのなら、辞めろと言われて素直に頷く気にはなれないだろう。
もっとも、体力の衰えが目立ち始める三十代に入る頃から一線を退いて内勤や新人指導に回る者も多く、それを機に結婚する者も一定数いるようだ。
加齢による運動能力の低下は避けては通れない道。身体が資本であり、そして死と隣り合わせの冒険者や騎士は、それゆえにこの年代から身の振り方を考え始めるものらしい。
八十を過ぎてなお現役で活躍しているハイラルド翁などは例外中の例外だ。そんな彼でさえ、還暦を迎えると同時に元はA級だったランクをB級に降格するよう自ら申請したという。若い頃と同等の働きができないからというのがその理由だ。
「……身の振り方、かぁ……」
自分はこれから先も冒険者を続けるつもりだ。やむを得ない事情があったとはいえ、ここまで頑張ってきたという思いもある。しかし自分の年齢を考えれば、十年後にも同じように働ける自信は正直あまりない。
アレクはどうするのだろう。
そして、自分は?
「――身の振り方って言えばさ、シオリ」
なんとなく盛り下がってしまった場の雰囲気を振り払うようにして、ナディアがさり気なく話題を振った。
「あんた、アレクと一緒に住むって聞いたけど本当なのかい? あいつ、あんたのアパルトメントに引っ越したって言うじゃないか」
「え……あ、うん。一人じゃ広いから良かったら一緒にどうかって……」
急な話ということもあって年内にはさすがに無理だけれど、年明け早々に部屋を移るつもりだと告げると、その台詞を全て言い切る前に同僚達がわっと歓声を上げた。
「凄いですね! アレクさん、勢いが留まるところを知らないわ!」
「これはもう秒読みかしら!」
「あんなにガード堅かった二人がまさか一緒になるなんて!」
「わ、わあぁっ!?」
興奮気味に盛り上がる同僚達の勢いに押されてシオリは仰け反った。恋話はどこの世界でも最高の話題らしい。ちらりと振り返って見たアレクも同じように取り囲まれ、何やら熱心に話し掛けられている。向こうも似たような話題になっているのだろうか。
視線に気付いたのか、ふとアレクが振り返った。目が合った彼はふっと柔らかく微笑み、それからまた話の輪の中に戻っていく。
たったそれだけのことだったけれど、少し嬉しくなったシオリもまた薄く微笑んだ。
「恋人か……」
場の雰囲気に当てられたのかそれともあまり酒に強くないのか、いつものきりりとした表情をとろりと緩めて卓に突っ伏したエレンがぽつりと呟く。
「私も欲しいわー……」
「おや」
目を丸くしたナディアが、次にはぽってりとした色っぽい唇を笑みの形に引き上げる。
「仕事一筋のエレン先生もとうとう身を固める気になったのかい」
向こうの世界のファンタジー小説に出てくるエルフのような美しさの彼女は、トリス支部でもたったの五人という治療術師ということもあって色目を使う男は多かったらしい。
しかし彼女は自分の力を役立てることに生き甲斐を感じており、その能力を最大限に生かそうと数年冒険者業を休業してまで医師免許を取るための勉強に費やしたほどの熱心さだ。ふんわりとした容姿だけに惹かれて近付くような半端な男は、恐怖の女医モードで一刀両断だという。
ブロヴィートの事件のときもアレクをたじたじさせるほどの迫力だったなと思い出して、シオリはこっそりと噴き出した。
「今までは仕事が楽しくて恋愛する気にはなれなかったの。でも、シオリとアレクを見てたらなんだか私も欲しくなっちゃったわ。いいわよね、あんなふうに支え合える関係って」
うっとりと目を細めた彼女の視線が、男達の輪に向けられた。
誰か目当ての人でもいるのだろうか。そう思ったけれど、その視線が誰を捉えているのかまでは分からなかった。
「でも、エレンさんなら恋人希望の人が殺到しそうですね」
そう言うと、エレンはくすりと笑う。
「そういうの、悪い気はしないけれど……やっぱり仕事にはきっちりとした人がいいわね。そして普段は一緒にいて楽しい気持ちにさせてくれる人がいいわ。仕事熱心で陽気で話し上手で気遣い上手な人がいいの」
「へ……え?」
高過ぎる理想の人物像の体裁を装ってはいるが、その実妙に具体的で身近な誰かを思い描いているような気がした。気のせいだろうか。
シオリは小さく首を傾げたが、エレンはくすくすと楽しげに笑うだけだ。
そのうちに女達の話題はやがて、それぞれの好みの男や理想の男性像の話に移っていった。
「ねぇシオリ」
果実酒の炭酸割りを一口飲んだエレンが囁く。
「幸せになってね」
グラスを握っていた手に触れた彼女の手から、ふわりと温かで優しい光が溢れて消えた。家事仕事で荒れた手が一瞬で綺麗になる。
「……あ」
「大怪我でもなければ治癒魔法は使わない方がいいのだけれど、今日は特別」
エレンはトパーズのように輝く銀青色の瞳を細めて微笑んだ。
「一年間お疲れ様、シオリ。また来年もよろしくね」
「……はい。エレンさんも」
仲間の心からの労いが嬉しくて、シオリは破顔した。ルリィが串焼きの肉を取り込みながら、愉快そうにぷるんと震える。
――この気のいい仲間達と新たな年を迎え、そして誰一人欠けることなくまた無事に一年を終えられるといい。
どうか、そうでありますように、と。
そう思いながらシオリは、この一年でより一層親しくなった仲間達の話の輪の中に入っていった。
雪男「私も恋人欲しいですねぇ」
ルリィ「……雪男の恋人って雪女なんだろうか」
繁殖しているとして、雌でも「雪男」って呼称なんだろうかといつもすごく気になります。
次回、シオリのターンで間章終了です。




