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14 喧嘩の御相手は承れません(3)

シオリの過去の断片。

やっぱり少し痛い話です。

 出先で使う雑貨類の注文に寄った馴染みの雑貨屋の女将に別れを告げ、東門に向けて歩き出す。秋も深まるこの季節、コケモモが摘み頃になっているはずだった。そのままでは酸っぱいコケモモも、砂糖で煮詰めれば肉料理によく合う添え物になる。

 顔馴染みだった立哨の女騎士と挨拶を交わし、秋晴れの良い天気の中、街道を歩いて行く。様々なベリーの群生地が点在する森の前で立ち止まり、探索魔法を展開した。比較的危険は少なく、ベリーや茸摘みに分け入る人も多い森だが、念の為だ。万が一にも魔獣や盗賊の類に出くわさないとも限らない。あまり戦闘力の強く無いことは自覚しているから、街から出て人の少ない場所に出向く際は、必ず行っていることだった。

 ――街を出る前から何とはなしに視線を感じていたから、念入りに。ここ最近、ずっと誰かに見られているような気がしてならなかった。

 森への小径に入ってしばらくすると、探索魔法の端に気配が三つ引っ掛かった。それは一定の距離を保ちながら、こちらに向かって来ているようだった。続いて、新たな気配。こちらは――四つか。これもまた、自分と三つの気配を追うようにして近付いてくる。

「……なんだろね」

 人目が無くなると遠慮なくスライムらしい不定形な粘液状に広がって歩くルリィに、今のところ目立った反応は無かった。ルリィが気にしていないのなら、問題は無いのだろう。

 少なくとも、今のところは。

 何となくじっとりと絡み付くような視線を感じて居心地は悪い。

 小径脇の茂みの向こう側に、拓けた場所が見えて来る。コケモモの群生地だ。

「おお。まだ沢山あるね」

 気配を感じる方向に一瞬だけ視線を向けた。接触までにはまだ少し時間がかかりそうだ。しゃがみ込んで少し厚みと艶のある独特な葉を掻き分け、赤く艶々としたコケモモを摘み始める。持ってきた容器には徐々に赤い小山が出来てきた。

(――頃合いかな)

 ごく近くまで接近した三つの気配。ルリィが饅頭型に戻り、そちらを注視した。立ち上がり、そちらを見据える。茂みの向こうでひそひそと囁く声が聞こえた。その更に向こう側、四つの気配もまた、ややずれた方角に移動すると、その場で立ち止まったようだった。

 ふと、ルリィが身動ぎした。奥の四つの気配が気になるようだった。しかし、すぐに元の体勢に戻る。

 がさりと音を立てて、側の茂みから若い娘達が顔を覗かせた。

(あ、面倒なことになりそう)

 綺麗な顔が台無しになるような嫌な笑みを浮かべてこちらを見る娘達には見覚えがあった。一年程前に組合(ギルド)入りした娘達だ。最近C級に昇格したばかりだと聞いていた。確かに三人パーティで一年でのC級昇格は早い方だとは思うが、ここのところ気が大きくなって生意気な態度が目立つようになったと同僚達がぼやいていた。先輩の苦言にも耳を貸さず、それどころか逆に助言や指導めいた意見をするようになったとか、仕事を選り好みして、組合(ギルド)職員を困らせているという噂もあった。

 組合(ギルド)で見掛けた時も、あまり好意的ではない値踏みするような目で見ていたことには気付いていたが、もしや最近感じる視線は彼女達のものだったか。

 自分と同じような魔導士姿の娘が口を開いた。

「よく気付いたなあ。腐ってもB級なんですね、オバサン」

 他の娘達もくすくすと小馬鹿にしたような笑い声を立てる。

(いや、普通気付くでしょうよ)

 本気で意外そうな顔をして嘲るように笑う娘達に、思わず呆れてしまった。まさか、気付かれていないと思っていたのだろうか。

 後衛職、特に補助職は無能がなるものだと決めつけて見下す輩は少なからず居る事は知っている。実際、それで何度も嫌な思いをさせられた。そうは言っても馬鹿にし過ぎだ。

 新人のうちは難しい気配察知も、D級に上がる頃には何となく感じる程度にではあるが、使えるようになるのが普通だ。さすがに人の多い街中では余程の熟練でない限りは難しいが、街から出てしまえば、匂いであったり、物音であったり、周囲の景色に混じった微かな違和感のような形で気配を感じ取れるようになる。それは何度も外での依頼をこなした経験の積み重ねで習得できるものだった。

『あくまで持論だけどな、パーティ組んでる奴よりは、ソロの方が習得は早ぇよ。頼れるのが自分自身しか居ない分、警戒心が強くなるからかもしんねぇな』

 ザックがそんな風に言っていたのを思い出す。確かに、平和な国で生まれ育ち、すっかり平和呆けしていた自分でさえも、気配察知が出来るようになった。ただ、弱い事は自覚していたから、確実に相手の接近に気付けるように、試行錯誤して魔法で警戒範囲を広げては居るのだが。

『パーティ組んでる奴よりは――』

 思い出したザックの言葉の断片。もしかして、この娘達は気配察知を覚えないまま昇級してしまったのだろうか。初期能力の高さに驕り、複数で行動することで油断して、身を護る上で大事な基本的な技術を学ばないまま。たまにそういう者も居るらしい。

『偶々幸運が重なって失敗を経験して来なかったみたいでねぇ。自分の力を見誤ったみたいなのさ』

 そういえば、ナディアがそんな風に言っていた。

「……何か御用でしょうか」

 若干呆れながら娘達に問う。それが気に入らなかったのか、娘達はむっとした表情になった。

「最近調子に乗ってるみたいだからさあ」

「私達、オバサンがB級なのちょっと疑ってるんです。だって、魔導士のくせに魔力なんかほとんど無いじゃない。やってることなんて使用人みたいなもんなんでしょ。そんなんでB級なんておかしいなって」

 ――魔力なんかほとんど無い。自分の弱点、本当は最も触れられたくない弱味を突かれて内心酷く腹が立ったが、顔には出さなかった。元より外国人に言われるところの、表情の分かり難い日本人だ。多分気付かれてもいないだろう。それに、若い娘――それも、「オバサン」が罵倒言葉だと思っているような娘の悪口に本気で怒るほど、自分は大人げなくはないつもりだ。

「それで、具体的な御用件はなんでしょうか」

 こんな人気の無い場所まで尾行つけて来たのだ。碌でもない事を企んでいるのに違いなかった。こちらが怯えるとか怒るとか、そういう態度を期待していたのかもしれない娘達は、冷静に返されたことでいよいよ苛立ちを露わにした。

「わっかんないかなぁ! オバサンだから頭も老化しちゃってるわけ?」

「あたしたちが本当にB級に相応しいかどうか確かめてあげるっつってんの!」

 魔法剣士姿の娘と弓使いの娘が、もったいつけるような仕草で得物に手を掛けた。魔導士の娘は杖を前に突き出して脅しかける。

(目撃者が居るかもしれないのに、相手に攻撃の意思を見せるなんて。やっぱり、あっちの気配に気付いてないんだ)

 娘達の軽率な行動に呆れつつも、明らかな脅迫行為に思わず身を硬くした。奥の四つの気配に動きは無い。助けてくれるつもりは無さそうだが、かと言って悪意めいたものも感じられなかった。もしかしたら、このところ増長して同僚との諍いも目立つあの娘達に監視でも付いたのかもしれない。

 さて、どうするか。この場をどう切り抜ける。

「結構です。明らかに悪意を持っている様子の貴女方に公正な判断が下せるとは思いません。そもそも私が非戦闘員であることは御存知なのでしょう。戦闘員が三人がかりで非戦闘員を相手にするなど、害意有りと判断されても文句は言えませんよ。組合(ギルド)の規定で冒険者同士の私闘は禁止されている事は御存知だとは思いますが」

 聞く耳を持たないだろうが、一応警告の言葉を発してみた。そして、この言葉は彼女達にとって挑発されたように思えるだろうことも計算のうちに入れて。無能だと見下している相手が挑発に乗らず、それどころか動じもせずに逆に諭すような物言いをするのだから、きっと腹を立てるはずだ。愚かしいほどに自分の腕に根拠のない自信を持つこの経験の浅い娘達ならば、きっとこちらの挑発に乗ってくれるはず。やり合うことになれば一対一でもこちらが確実に負けるだろうが、こちらの思惑に乗ってくれるのなら勝機はある。逆上して冷静な判断の出来なくなった人間ほど、自分の得意とする幻術に掛りやすくなるのだから。

 果たして、思惑通りに娘達は激昂した。怒りのままに魔法剣士の娘は抜刀し、弓使いと魔導士もそれぞれの得物をこちらに向ける。殺気。瞬間、ルリィが赤く染まった。明らかな殺意に反応して臨戦態勢に入ったのだ。

 この場合、先に武器を向けた方が負けだ。目撃者が居る状況で、組合(ギルド)の規定に違反する行動に出てしまった。奥で様子を伺っているらしい四つの気配に動きがあった。僅かな魔力の揺らぎ。恐らく、向こうも応戦出来るように構えている。これでほぼ確定した。見張られているのはやはり、娘達の方だ。彼らが敢えて気配を隠そうともしないのは、こちらに対する害意が無いことを示してくれたのかもしれない。

「戦えもしない家政婦風情が生意気よ!」

「どうせザックさんに色仕掛けで昇級してもらったんじゃないの? クレメンスさんとだって仲良いみたいじゃない! 上級冒険者に色目使って査定甘くしてもらってるんでしょ!」

「最近じゃアレクさんにまで色目使ってるじゃない! オバサンの癖に若作りまでして気持ち悪いわよ!」

 激昂した娘達は口々に罵倒し始めた。何故か男達の名前を口にして。シオリは察した。

 男絡みの嫉妬だ。確かに彼らは良い男だ。整った顔立ちの上級冒険者が揃いも揃って独り身なのだから、その恋人の座を狙う女は多い。

 けれども、自分が彼らと親しいのは、ランクが近く同じ仕事をする機会が多いからだ。数を重ねれば当然親しくもなる。

 それに、自分を悪く言うだけならまだしも、あの人達の事を悪し様に言うのは我慢ならない。こんな得体の知れない女を拾い、何くれと世話を焼いて生活出来るように心を砕いてくれた優しい人達。でも、仕事に対しては自己にも他者にも厳しい人達だった。どんな些細な仕事でも真剣に向き合って、必ず良い結果を出していた。後進の失敗を責めはしなかったが、手を抜きいい加減な仕事をする者には容赦ない叱責を飛ばす。それだけこの仕事に誇りを持って当たっているからだ。

 そして。袖口から覗く腕や、時折襟の隙間から見える胸元に幾つも残る、決して小さくはない傷跡。きっと、見えない場所にも多くの傷跡があるのだろう。あの地位に辿り着くまでの道程が決して平坦では無かっただろう事が窺い知れた。そんな苦労をしてあの場所に立つ人達が、女に色目を使われて簡単に評価に手心を加えるような真似をするものか。

「……取り消して」

 不愉快だった。

「あの人達は色仕掛けで騙されるような安い人じゃない。わからないの? 貴女達は今、私を貶すつもりで、間接的にあの人達を貶した」

 娘達は気付いていないのだろう。彼らを貶めるような物言いをしたことを。

「あの人達は自分の仕事に誇りを持っている。誇りを持って仕事を全うしているの。貴女達のような他人を平気で見下せるような人間が、貶していい人達じゃない」

 大した苦労もして来なかったくせにこうまで増長し、仕事もせずに嫌がらせに夢中になっているような人間が、他人を批判するなど烏滸がましい。

 ――いや。違う。この怒りは、そうじゃない。

 シオリは自らの怒りを全て魔力に乗せた。それは明らかな攻撃の意思を伴って、張り巡らせた魔力の網を伝播していく。

 娘達はたじろいだ。辺りに満ちた、殺気とも呼べる攻撃的な気配に動揺していた。

(そうまで言うのなら、お望み通りB級に相応しいかどうかをその目で確かめさせてやる)

 周囲に広げた魔力の網を基点に出現させた映像(イメージ)を、立体的に展開する。

 ぴし。足元の地面がひび割れ、周囲の木の葉や小石が弾け飛ぶ。めり、と不穏な音を立てて木々の枝が折れて飛んだ。髪紐が弾け飛び、自分を中心として渦巻く怒りに満ちた力が、黒髪を舞い上げた。

 脳内に描いた「怒りの奔流」の音声付き立体映像(イメージ)は、娘達に覿面に作用した。

「ひ、」

 魔法剣士の娘が引き攣ったような声を漏らす。弓使いの娘は半ば混乱し、つがえた弓をこちらに向けた。あれが放たれればただでは済まないことは分かっていた。でも、今はそれもどうでも良かった。今抱いたこの気持ちを、彼女達に思い知らせてやりたかった。

 身に纏う漆黒の魔力を、娘達を絡めとるように纏わりつかせてやる。

「――!」

 魔導士の娘は腰を抜かしてその場に尻餅をついた。じわり、その足の間から流れ出た温かい何かが、地面に染みを作る。それを合図にしたかのように、声にならない悲鳴を上げて他の娘達が駆け出した。

「ゃ、ちょっと、ね、待って、ねぇ!」

 置いて行かれた魔導士は這うようにしてシオリから離れると、どうにか立ち上がって濡れた服にも構わずうの体で逃げ出して行った。



 ――呆気ないものだった。遥かに劣ると見下していた女の思わぬ反撃に恐れをなして、恥も外聞も無く逃げてしまった。

「……相手が私で良かったね」

 これが魔獣なら。悪意ある人間なら、この時点で既に命は無かったはずだ。

 娘達の姿が完全に見えなくなったのを確かめて、幻影魔法を解除する。辺りは何事も無かったかのような、いつも通りの穏やかな森の景色。

 ルリィも攻撃色を解除すると、ぷるんと震えて見せた。

「思った通り、幻術に掛りやすいタイプだったみたいだね。ああいう自分を過信するタイプはね、危険対策を怠りがちなんだよね。あらゆる危険に対する知識が圧倒的に欠けてるから、危険予測が出来ないんだもの。面白いように騙されてくれたなぁ」

 同意するようにルリィがぽよんと跳ねた。

 新人を脱却したD級、C級に昇級したばかりの時期に、あの娘達のように思い上がって仕事や先輩を軽く見るようになる者も時折居るのだ。冒険者としての生活にも慣れて来て、気が緩む時期だ。調子に乗って危険対策を怠った結果、下級魔獣や些細な罠で落命したり、冒険者生命を絶たれる者は案外多い。

(――調子に乗って、か)

 唇を噛み締める。

「……調子に乗ってるって言葉は傾聴すべきなのかな。生意気、だって」

 どこかで思い上がって、鼻につくような態度になっていたのかもしれない。

 いや。違う。投げ掛けられたあの言葉は、そういうものではない。

『調子に乗ってるみたいだからさあ』

『戦えもしない家政婦風情が』

『色目使って査定甘くしてもらってるんでしょ!』

 あの言葉は、諫めるためのものではなく、明らかに相手を傷付けるためだけのものだ。けれども、自分が調子に乗っているというのなら、あの連中はどうなのか。

 ああ、そうだ。娘達に言われて怒りを覚えたのは、親しい人達を貶されたからだけではなかった。本当は、ただただ、自分が貶されて悔しかっただけだ。ここまで来るために、どれだけの思いをしてどれだけの努力を積み重ねて来たか、それを全て無視してただ気に入らないと詰られたことが、ひどく悔しかっただけだった。

 ――胸に昏いうねりが湧き起こり、じりじりと焼くような痛みを生じさせた。

 胸を、押さえる。

(――早く行ってくれないかな)

 すぐそばで見守るようにして留まっている幾つかの気配。誰かは分からないけれども、でも、誰にも見られたくなかった。こんなふうに昏い想いを抱く自分を見られたくはなかった。

 察したのか、気配がひとつずつ、静かに離れて行く。最後まで残っていたひとつの気配もまた、やがてその場を離れて行った。

 そして、しばらく後。四つの気配が、探索魔法の網の外に消えた。

 良かった。

 姿を見せず、そしてこれ以上を見ないでおいてくれた彼らの気遣いを有難く思いながら、シオリはその場にくずおれた。

『魔力なんてほとんどないくせに』

『家政婦のくせに生意気な』

 あの娘達の口にした言葉は、自分を快く思わない者達に、そしてかつて仲間だと思っていた者達に投げ掛けられた蔑みの言葉と同じものだ。

 何一つ不自由することの無かった日本こきょうから、何も持たず、身一つで投げ出された見知らぬ世界。物語の主人公(ヒロイン)のように何か果たすべき役割も、与えられた素晴らしい力もあるわけでもなく、言葉も通じない、誰も知る者も居ない、何もないところから、(ゼロ)から始めなければならなかった此処での生活。

 この世界に馴染むように必死に言葉を覚え、あらゆる書を読み漁り、いつ如何なる時にも役立てられるように、寝食を惜しんで知識を蓄えて来た。

 はじめはどこかで働き口を探そうとした。けれども、いかに陽気で人の善い気質の者が多いトリスとは言えども、近隣諸国では見かけない異国人風の容貌と身元不明で訳ありの身とあっては簡単に雇い入れてくれるところなど無かった。日常会話に支障は無いとは言え、やや不便さの残る言葉遣いが堅気の商売では障りが出ると敬遠されたこともあった。

 平和呆けした自分が出来るとは思わなかった冒険者になったのは、止むを得ないことだった。でも、剣も弓も使えず、頼みの綱の魔力は戦力にならない程に弱かった。だからこそ、必死に努力して技を磨いてきた。

 薬草摘みに失せ物探し、迷子探しの手伝いに買い物の代行。駆け出しの冒険者にすら敬遠される地味でささやかな依頼を片端から受けて来たのは、どうにかしてこのトリスという街に自分を受け入れて貰いたかったからだった。

 手持ちの知識と新たに得た知識をもとに、工夫を凝らして自分なりの魔術を構築し、血の滲むような努力も続けて来た。それなりの評価を得て来たつもりだった。

 でも、それでも。

 戦う力の弱い後方支援に向けられる視線は厳しいものが少なくない。どれだけ頑張ろうとも、剣士や攻撃系魔導士などのように、目に見える形で成果の出せる職業の者ほどには評価されない。評価すらされず、むしろ批判されることも多かった。家政魔導士などと銘打っては居るが、実際のところ、ただ少し魔法が使えるだけの単なる家政婦だ。言わんとすることは分からないでもない。

 だとしても。

『調子に乗るなよ』

 足手纏いの役立たずと貶され、努力していざ結果を出してみれば今度は生意気だと。不正を働いて評価を得たのだと陰口を叩かれる。

「……一体どうしろと言うの」

 何かしても、しなくても、心無い言葉に傷付けられる。

「――何がわかるっていうの」

 簡単に評価してもらえる者達に、この痛みが分かるものか。どれだけ努力を積んで結果を出しても貶されるばかりのこの悔しさが分かるものか。身一つで投げ出され、慣れない仕事に就くしかなく、生き抜く為に形振り構わずに努力して、ここまで必死に生き延びて来たこの辛さが分かるものか。

「……ふっ、ぐ……」

 嗚咽が漏れる。

「……う、あ、」

 地面についたままの手で、大地に爪を立てる。指先が傷付き血が滲んだ。でも、そんなもの、大した痛みではなかった。この身を切りつけるような怒りと悔しさ、胸を衝く悲しみに比べたら、こんなもの。

「――うああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!」

 置いて来た世界を思い、帰る術も知らぬこの身を思い、必死に生きて来たこの四年を思い、そして、役立たずと捨てられた、あの日の自分を思って、シオリはいた。

 魂の慟哭が、森の静謐な空気を切り裂く。

 ――優しい色を湛えた瑠璃色の身体が、静かに、寄り添った。




 黄昏時。

 街から出る人足ひとあしは減り、家路へと急ぐ人々が門の中へと吸い込まれていく中、シオリは泣き疲れによる怠さを感じながら、ゆっくりと街道を歩いていた。

 すっかり遅くなってしまった。気の済むまで泣き叫び、それから泣き顔が落ち着くまで森で時間を過ごしていたら、もう空は茜色だ。閉門の時間は近い。やや足を早めて街へと急ぐ。

 ふと、東門の入り口に、見知った男の姿を見つけて足を止めた。腕を組み、苛々と落ち着かない様子で行ったり来たりを繰り返し、立哨の騎士に胡乱な目を向けられている。

 男が顔を上げてこちらを見た。目が合う。

「――シオリ!」

 アレクはシオリに気付くと駆け寄って来た。

「シオリ、」

 何か言い掛け、しかし言葉が出ない様子で口を噤む。その手が遠慮がちに伸ばされ、そっと自分の頭に乗せられた。そのまま優しく撫でられる。

「……アレクさん?」

 意外な行動に、シオリは目を丸くした。頭を撫でられて喜ぶような歳はとうの昔に過ぎていたが、その温かさに目を細める。

 ああ、そうか。

 シオリは思った。

 さっき、娘達に絡まれていた時に、すぐそばで見守ってくれていたのはきっと彼だ。そして、あの見苦しく泣き叫ぶ姿を見ずに立ち去ってくれたのも。だから、こうして心配してここで待っていてくれたのだろう。

 何故彼がこんなふうに気遣ってくれるのかは分からなかったけれども、頭を撫でる大きな手の温もりに、今は身を委ねていたかった。

「――帰るぞ。もうすぐ門が閉まる」

「……はい」

 撫でていた手が離され、そのまま自分に向かって差し出される。その手に自らの手を重ねると、そっと握り締められた。手を引かれて、街に向かって歩き出す。

 繋いだ手は、やはり、温かかった。

同僚達から見るシオリと、実際のシオリには差異があります。

親しい人達からは好意的に評価されていた行動も、実態は必死さゆえの行動だったわけで。

ナディアは女同士なのでシオリの心の機微には聡いっぽいです。



以下の点を気にしてる方が結構おられるようですので、今後の予定を少しだけ開示します。


・シオリの過去(故郷編はほぼ無し。ストリィディアに来てからの話)

・ルリィの過去(発生してからシオリと出逢うまであたり。ルリィの希望通りハードボイルドに出来るといい)

・アレクの過去(生まれ育ちのことと冒険者になった経緯。家族の話。隣国での「仕事」について)

・ザックの過去(生まれ育ちのことと冒険者になった経緯。家族の話。アレクとの出会い話)


上記4点は話の構成上、早期に出す予定はありません。今回のように一部を断片的に、残りは中盤~後半でしっかり枠を取って書く予定です。有難い事に楽しみにしてらっしゃる方も多くおられるようですので、どうか気長に読んで頂ければ幸いです。

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