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08 紳士達の慰労会

「料理はこれで全部です。こっちが塩味、こっちの皿が香辛料を使った少し辛めの味付けです。お好みでどうぞ」

 そう言ってシオリが大皿を卓の上に載せると、わっと歓声が沸き上がった。山盛りの油で揚げた薄切りの芋が、揚げたての良い香りを放っている。

「おっ美味そう! いただきまーす!」

 早速手を伸ばしたのは弓使いのリヌスだ。口に放り込んでぱりぱりと小気味よい音を立て、それを見ていた新人がごくりと唾を呑み込んだ。

「……お前な」

 苦笑しながらアレクは皿に取り分け、遠慮がちにしていた彼らにも回してやった。恐縮しつつも嬉しそうに破顔した彼らに微笑してみせてから、シオリに声を掛ける。

「シオリ、お前もそろそろ座れ」

「え、でも」

「あら、本当にいいのよ。魔法でほとんど洗ってくれたんだもの。後はあたしらだけでもすぐに終わるから、あんたはもう行きな」

 まだ片付けがと言って躊躇った彼女の背を、食堂を預かる婦人達が押しやった。その手をナディアとマレナが引いて、談笑する輪の中に引きずり込む。

 恋人を笑みを浮かべて見送りながら三角巾と前掛けを取ったアレクは、同僚が揃って各人各様の微妙な表情で己を眺めていることに気付いて眉根を寄せた。

「……なんだ」

「いやぁ……なぁ」

 ぱり、と一口齧った薄切り芋の揚げ物を咀嚼して飲み下したルドガーが言い淀み、隣のリヌスと苦笑し合っている。

 クレメンスも無言で酒――と言っても緊急依頼に備えて度数がかなり抑えめのものだったが――を傾けていたが、こちらもやはり似たようなものだ。口の端に意味深長な笑みを浮かべている。

「――いやぁ参った! ひでぇじゃねぇかクレメンス、連中を俺に押し付けて自分はさっさと逃げちまいやがって……っと、なんだ、どうしたよ」

 熱狂的とも言える様子で取り囲んでいた新人や若手の輪の中からどうにか抜け出してきたザックが、微妙な半笑いで目配せし合う彼らと渋面のアレクを見て怪訝な顔をする。

「いや、なに。人間変われば変わるものだと思ってな」

 そう言ったクレメンスが揚げたての薄切り芋を一枚齧り、「む、美味いな」と誰に言うでもなく呟いてからアレクにちらりと視線を流した。

「だから何がだ。なんなんだ、一体」

「お前は一見気難しそうに見えて意外に人付き合いはいい方だったが、ああして若手にまで気を使うようなことは滅多にはしなかった。厨房に入るために装備を外してまでというのはシオリ目当てだから分からないでもないが」

 クレメンスの言葉に皆しみじみと頷いた。

「だよなぁ。言っちゃあなんだけど、アレクの旦那ってどっちかってーと若手に厳しい方だったしよ」

「なー。俺、人付き合いは得意な方だけどさぁ、旦那にはちょっと声掛け辛いとこあったなー。実際は話してみるとそうでもなかったけど、なんかちょっと気難しそうでさ」

「そうか? そうだったか……」

 気難しく声が掛け辛いなどと言う割には言いたいことを言うルドガーとリヌスの言葉に、アレクは首を捻る。

「……いや。そうかもしれんな」

 思い返してみればそうだったかもしれないと今更ながらに思い至り、アレクは眉尻を下げた。

「若いのに纏わりつかれるのが俺はどうも苦手のようだ。あまりいい想い出がないせいだと思う……が、そうだな。最近はあまり気にならなくなったな……」

 十代から二十代前半の年頃の若手。孤児院で相手したような明らかな子供ならばそうでもないが、数人に取り囲まれて手合わせや指導をせがまれるときの熱量を帯びたあの視線が苦手だった。貴族の子女達に取り囲まれた王子時代の記憶が蘇り――次の瞬間には無意識に意識の外に追い出していたように思う。

 そのときの態度が恐らくは若い者達に気難しく近寄りがたい印象を与えていたのかもしれない。

 だが、今はどうだろうか。あまり意識はしていなかったが、先日の新人向け講習会では決して不快ではなかった。先ほどもごく自然に彼らに接していたように思う。

「しかし……俺の態度で輪を乱していたこともあったかもしれん。だとしたら本格的に改めねばならんな」

「身贔屓かもしれねぇが……仕事をする上でそれを感じたことはねぇよ。だがもし心当たりがあるってんなら謝れるもんは謝っとけよ」

 許されるかどうかは別問題だが己を省みて改めることは大事だと言ったザックは、アレクの肩を叩いて微笑んだ。

「――ああいう気遣いの仕方はシオリに似ている。あれほどいつも一緒にいるのだから、少なからず影響を受けているのではないか」

「誰しも苦手なもんはあるが、克服できたんなら良かったじゃねぇか。こと人付き合いに関してはなおさらな」

「……そうだな」

 友人達の温かい言葉にアレクは小さく笑った。

 癒し合い満たし合うだけではなく、影響も受けていたのか。

(シオリも何がしかを俺に影響を受けているのなら……もしそうだとすれば、それは喜ばしいことだな)

 ――互いに良い影響を与え合い、それで物事が良い方向に向かうのなら、今以上に彼女と共に在りたいと思うのだ。

 そんなアレクの想いを察したのかどうか、あーあ、とリヌスが羨ましげに声を上げた。

「旦那はシオリのお陰で丸くなるし、シオリは旦那が来てから笑顔が増えたし。いいなー、俺もそーいう相手が欲しいなー」

「護る相手がいるってのはいいもんだぜ。何をするにも張り合いが出るし、なんていうかなぁ、生活に潤いがあるっつーか」

 言いながら物欲しそうに女達に視線を流したリヌスに、愛妻家のルドガーが惚気とも取れる言葉を堂々と宣う。

 アレクと同じく魔法剣士の彼は、秘かに想いを寄せていた三つ年上の幼馴染を追い掛けて冒険者入りしたという逸話の持ち主だ。始めは子供をあしらうような態度だったという彼の妻――槍使いのマレナも、熱心に仕事に打ち込みいつの間にか自身と肩を並べるようになっていた彼を想うようになっていたという。

 もっともこれらは全てルドガーの弁だ。話には主観的な脚色が加えられているかもしれないのだが。

 グラスの影で秘かに苦笑したアレクは、ぱりぽりと薄切りの揚げ芋を食べ進めているリヌスに話題を振った。

「しかし意外だな。お前の仕事ぶりと人当たりの良さなら女が放っとかなそうなものだが。今まで相手はいなかったのか?」

「うーん、よく言われるんだけどねー。何度か声掛けられたことはあるんだけどさ、今までは仕事が楽しくてそういう気分にならなかったんだよねー。でも旦那とシオリを見てたらそういうのも悪くないなって最近思うようになったんだ」

 塩と油のついた指先をぺろりと舐め取ったリヌスはそう言って笑った。

「……なるほど。人間、どこでどう影響するか分からないものだな」

 シオリとの出会いが己を変えた。彼女もまた同じだった。互いにかかわり合うことで囚われていた過去に向き合おうと思えるようになった。

 そんな自分達が、他の誰かの考えを変える切っ掛けになっているのかもしれない――そう思い至ったアレクは薄く微笑んで目を伏せる。

 良くも、悪くも。

 人は互いに影響し合って生きていくものなのだろう。

 ――場に柔らかく穏やかな空気が満ちる。

「……あ。影響って言えば」

 それまで黙々と皿の料理を消費しながら皆の話を聞いていた出稼ぎ組のオロフがおもむろに口を開いた。

「アレク。お前、行きつけの娼館じゃ底無しで鳴らしてたろ。今も結構夜はお盛んらしいけどその割には……シオリ、あんま影響してねぇっつーか、いつ見ても元気そうだよな。あれってやっぱセーブしてやってんの? かなり体格差もあるし、底無しのお前にがつがつやられたら持たねぇもんな」

 せっかく良い雰囲気に纏まりかけていた場の空気が、あまりにも露骨なこの質問に一気に微妙なものになった。

 リヌスやルドガーなどは興味津々といった態だが、常識人のザックやクレメンスなどはあからさまに動揺している。初心な年頃などとうの昔に過ぎ去っているはずのザックは口元を引き攣らせ、クレメンスは平静を装ってはいるが手元が小刻みに震えてグラスの中身が波紋を作っていた。

 それはさておき、言われた事柄に全く身に覚えのないアレクは眉根を寄せた。

「……何のことだ?」

「何って……ナニのことだよ」

 アレクは腕を組み、考え込む。

「彼女とはまだ(・・)何もないが……一体何のことだ。誰かと間違えてないか」

まだ(・・)ってところも気にならなくはないが、それこそ何のことだよ」

「そうそう。ブロヴィートから戻ってすぐにシオリんとこお泊りして朝帰りしてたっていうじゃん。朝、部屋から満足げに出てきたって」

「それに旦那、シオリのところに何度も泊まってるだろ。何もねぇってこたねぇだろ」

 首を傾げるオロフにリヌスとルドガーも参戦した。いつの間にか後ろを取り巻いていた同僚達もまた深々と頷いている。

「俺も……」

 ぼそりとザックが言った。

「……声、聞いたぜ。真昼間っから」

 いよいよ本格的に考え込んでしまったアレクを、皆が固唾を呑んで見守る。

「――いや、心当たりはないな。彼女とはまだ何もない」

 全てを求めるのは、もっと彼女の傷が癒えてからだと自らに制約を課したのだ。多少は舐めたり撫でたり揉んだりはしたかもしれないが、声が漏れ聞こえるほどの行為に及んだ覚えは全くない。

「ブロヴィートから戻ってすぐのことなら、あれはシオリが体調を崩したから泊まりで看病してやってただけだ。満足げにというのも、まぁ……多分、そのときに俺とパーティを組むという誘いに乗ってくれたから、多少は顔に出ていたかもしれんが」

 ともかく、彼女と事に及んだことはただの一度もない。

「……だがよぉ、あいつの部屋からお前らの声が」

 なおもぼそぼそと何やら言い募るザックを、いつの間にやら足元に来ていたルリィがちょいちょいとつつく。

「お? なんだ、ルリィ」

 ルリィはしゅるりと触手を伸ばすと、彼の背を何度か押す仕草をした。

 それをしばらく黙って眺めていたアレクはやがて、ああなるほど、と合点がいって頷いた。

「多分、按摩してやってたときの声じゃないか。心当たりがあるとすればそれだけだな」

「は――」

 ザックは絶句し、クレメンスは眉間に指先を押し当てて深々と溜息を吐く。一瞬置いて周囲の同僚達がどっと噴き出した。

 腹立ち紛れかザックが力任せにアレクの背を叩く。

「……っ、何をするんだ。勘違いしたのはあんただろうが」

 ぐっと空気の塊を吐き出したアレクは、その按摩のときに彼女が漏らした声と吐息で実はうっかり昂っていたことなど盛大に棚に上げて、忌々しげに彼を睨み付けた。

 ますます高まる周囲の笑い声に、向こうの卓で談笑していたシオリ達が何事かと振り返る。

 ――年の瀬のトリス支部。こうして些かくだらない話で幕を開けてしまったこの慰労会ではあるが、それもまたこの催しの醍醐味であるとも言えよう。

 ともかく、料理と酒が尽きるまで会話を楽しもうとアレクは思った。

 新たな人間関係を築いた今年は終わり、じきに新しい年を迎える。その新たな一年もまた、愛しい恋人やこの気の良い同僚達と過ごして無事に終えられるといい。そうして一年後の今日、再びこの慰労会で皆と楽しく酒を酌み交わせればいい。

 そんなふうに思いながら、アレクは未だに仏頂面の兄貴分を肘先で小突いてやった。


大蜘蛛「一発芸やりまーす! ハァ~イ、ジョージィ」

ルリィ「待ってそれ色んな意味で駄目なやつ」


……まぁ、はい。

慰労会はくだらない話で盛り上がるのがセオリーかと存じます。

次回は淑女達のターンです。

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