13 喧嘩の御相手は承れません(2)
職業蔑視やいじめに関する内容で、少し痛くて不愉快な描写がありますのでご注意ください。
「……穏やかじゃないねぇ」
ナディアは唸った。リヌスとエレンも難しい顔をする。
シオリは何か依頼でも受けたのか、街から出てしまった。それを尾行て行く娘達もまた、躊躇うことなく進んでいく。
「街から出ちゃったねぇ。どういうつもりなんだろう、あの子達」
「まさか危害でも加えるつもりなんじゃ」
「……さすがにそこまでするようなお馬鹿さんだとは思いたくないね」
そうは言ったものの、ナディアも少しばかりの不安を声に滲ませた。まさにそのシオリに「危害」を加えた者達が居た事を思い出したからだろう。
冒険者というものは戦いに身を置く以上、血気盛んな者は多い。冒険者同士の私闘は組合の規則で禁じられているが、些細な揉め事から互いに得物を持ち出しての刃傷沙汰に発展することも間々あるのだ。
そして、残念ながら――活躍する同僚への嫉妬や、能力的に劣る者への蔑みの気持ちから、愚かにも嫌がらせに及ぶ者も決して少なくはないのである。【暁】の一件は、その発展型とも言える事件だった。
視線の先で、シオリは街道から道を外れ、森へと向かう小径に入って行く。人通りの多い街道から、あまり歩く者の多くは無い小径に入ったことで、目立つことを恐れでもしたのか娘達が躊躇う素振りを見せた。だが進むことを決めたらしく、小径に踏み込み暫く行った所で辺りを見回し、それから脇の茂みに身を潜めるように入って行った。
「あの様子だと、彼女に何かやましい事するつもりなのは確定だよねー」
「それよりも、あの連中はこちらの尾行に気付いてないようだが……程度が知れるな」
増長しているということだからどれだけ使えるのかと思ったが、これでは魔獣の接近にも気付けないではないか。呆れるしかない。今まで余程運が良かったか、偶さか幸運な現場が続いていただけなのかもしれない。どちらにしても、高が知れている。
「駆け出しの子でもないでしょうに、油断し過ぎだわ」
「シオリは気付いてるみたいだけどね。多分、こっちにも」
魔法の心得があり、注意して見てようやくどうにか気付くレベルの極めて微弱で微細な魔力の網。恐らく単独で外に出る際には、例の探索魔法で近付く気配を探っているのだろう。魔力切れを起こさない範囲での最大限の警戒だ。
手練れと、思い上がった小娘達との歴然たる差。自らの力を過信するが故に、油断しているに違いなかった。あれでは遅かれ早かれ痛い目に遭うだろう。
娘達は先輩達に酷評されつつ尾行されているとは露程も思わないのか、こちらに気付く様子も無く、ひたすらにシオリを追い掛けている。
シオリが森の拓けた場所で立ち止まった。背後を気にする様子を見せはしたが、その場にしゃがみ込んで何かを採収し始めたようだった。恐らく秋摘みのベリーだろう。
しばらく採集を続けていたが、やがて手を止め立ち上がると振り返って背後に視線を向けた。娘達の居る方角だ。娘達はまさか気付かれているとは思わなかったのか、僅かに動揺する気配を見せた。
娘達は相変わらず、かなり接近したこちらに気付く様子は無かった。近場の森だと舐めてかかっているのか、それとも元々そういう頭すらないのか。
アレクは既に娘達への興味を失っていた。程度が低過ぎて話にならない。冒険者としての資質もそうだが、人間性すら疑われる。
実のところ、訳有りの受け皿としても機能している組合はこういった質の悪い冒険者というのは存外に多いのだ。そして、そういった者達は自然と淘汰されていく。
そもそもC級までは余程の無能でない限りは誰でも到達できる。そこから先に行けるかどうかで冒険者としての価値が決まるのだ。新入りは知るべくも無いが、C級からB級の間には、滅多な事では越えられない壁のような物が有った。そこを越えるには相応の努力が要る。決して親から貰ったものだけで勝負して生き残れる世界ではない。例外があるとすれば、冒険者組合にまで貴族主義が入り込んでしまった帝国の冒険者くらいだ。
シオリと娘達の姿を視界の端に入れつつ、どうにか声の聞こえる場所まで移動する。万が一の時は止めに入れるように。だが、可能な限りは手出しをするべきではないだろう。シオリも中堅冒険者としての矜持を持っている。ただ守ってやるだけでは彼女の矜持を傷付けるだけだ。
確かに純粋な戦闘力では娘達よりはシオリの方が劣る。しかし、案外簡単にあしらってしまうのではないか。そんな気がした。彼女は決して無力な女ではなかった。先日の迷子騒動でそのことがよく分かった。
ふと、ルリィが身体の向きを変えた。どちらが前後かはわからないが、多分こちらを見たのだろう、それが雰囲気から感じ取れた。それからすぐに向こうに向き直る。
「よく気付いたなあ。腐ってもB級なんですね、オバサン」
茂みから姿を表した魔導士の娘が言った。明らかに挑発する台詞だ。残りの二人もくすくすと嫌らしい笑い声を立てる。
「何か御用でしょうか」
対してシオリの方は、普段と変わらぬ穏やかさだ。表情も、口調も。それが気に入らなかったに違いなかった。娘達は態度を硬化させた。
「最近調子に乗ってるみたいだからさあ」
「私達、オバサンがB級なのちょっと疑ってるんです。だって、魔導士のくせに魔力なんかほとんど無いじゃない。やってることなんて使用人みたいなもんなんでしょ。そんなんでB級なんておかしいなって」
娘達の台詞に、はぁ、とリヌスが溜息を吐いた。
「だからさー、前線出て戦うだけが冒険者じゃないからさー」
彼はぶつぶつ呟いたが、まさに同意見だ。
戦い方は人それぞれだ。それぞれの戦い方を熟知し、尊重し、互いに補い合い、支え合う。そうして難しい仕事をこなしていく。それが冒険者の在り方だ。それを理解しない限り、あの娘達に昇級の道は無い。
「――それで、具体的な御用件はなんでしょうか」
娘達の遠回しな言い方に、シオリは極めて冷静に返す。もしかしたら、こういった手合いの相手には慣れているのかもしれない。
動じる様子も無い彼女に、娘達はいよいよ鼻白んだ。
「わっかんないかなぁ! オバサンだから頭も老化しちゃってるわけ?」
「あたしたちが本当にB級に相応しいかどうか確かめてあげるっつってんの!」
意味有りげに魔法剣士の娘と弓使いの娘が得物に手を掛け、魔導士の娘は杖を見せびらかすようにシオリの前に掲げて見せる。
「結構です。明らかに悪意を持っている様子の貴女方に公正な判断が下せるとは思いません。そもそも私が非戦闘員であることは御存知なのでしょう。戦闘員が三人がかりで非戦闘員を相手にするなど、害意有りと判断されても文句は言えませんよ。組合の規定で冒険者同士の私闘は禁止されている事は御存知だとは思いますが」
言葉こそ強いがシオリの口調は穏やかなままだ。歯牙にも掛けないと言った風にも見える。案外これは彼女なりの挑発なのかもしれない。
果たして、娘達は激昂した。圧倒的優位に立っているはずの自分達が素気無くあしらわれている事が気に障ったのだろう。魔法剣士の娘はついに抜刀し、弓使いと魔導士もまたそれぞれの得物をシオリに向ける。
瞬間、ルリィの体色が赤く染まった。酷く不吉な、血を思わせる色だ。普段の惚けた気配は霧散し、魔獣らしい禍々しい妖気を放つ。
異変を察知し、ルリィの変化を気に掛けつつも、アレクらは万一に備えて得物に手を掛けた。
「戦えもしない家政婦風情が生意気よ!」
「どうせザックさんに色仕掛けで昇級してもらったんじゃないの? クレメンスさんとだって仲良いみたいじゃない! 上級冒険者に色目使って査定甘くしてもらってるんでしょ!」
「最近じゃアレクさんにまで色目使ってるじゃない! オバサンの癖に若作りまでして気持ち悪いわよ!」
娘達は赤く染まったルリィに一瞬怯んだようだったが、口々に口汚くシオリを罵った。彼女を挑発したつもりが、逆に挑発に乗せられてしまっている。アレクは自分の名が出たことに内心驚いたが、シオリの様子が変わったことに気付いて身構えた。
ぴりりと刺すような感覚が肌を襲った。シオリの魔力が揺らいでいる。普段穏やかなはずのその顔に滲むのは確かな怒りだ。
「取り消して」
丁寧さを保たれていた口調が崩れた。
「あの人達は色仕掛けで騙されるような安い人じゃない。わからないの? 貴女達は今、私を貶すつもりで、間接的にあの人達を貶した」
娘達は、彼女の逆鱗に触れてしまったようだった。自分ではない、自分と親しい者達を貶された。それが、優しいシオリには我慢ならなかったのか。
「あの人達は自分の仕事に誇りを持っている。誇りを持って仕事を全うしているの。貴女達のような他人を平気で見下せるような人間が、貶していい人達じゃない」
刺すような、痛みすら覚える攻撃的な気配が辺りに満ちる。
娘達はたじろいだ。異変に対応できず、狼狽えるばかりだ。
アレクらの身を潜める茂みのこちら側でもまた、リヌスがぶるりと身を震わせた。
「――何これ、どういうこと? 非戦闘員が出す気配じゃないよ、これ」
呻くように言うリヌスに、ナディアは妖艶で凄絶な笑みを見せた。
「見てなよ。シオリはね、魔法の効果的な使い方を知ってるのさ。魔力の低さを補って余るほどのね」
シオリの足元の地面がひび割れ、周囲の木の葉や小石が弾け飛ぶ。めり、と不穏な音を立てて木々の枝が折れて飛んだ。彼女の黒髪を束ねる髪紐が弾け飛ぶ。彼女を中心として渦巻く怒りに満ちた力が、その黒髪を舞い上げた。
「ひ、」
娘の一人から引き攣ったような声が漏れた。圧倒的な力に気圧されたらしかった。弓使いの娘が半ば混乱したように弓をつがえてシオリに向ける。
シオリの目が娘達を見据えた。その漆黒にも見える濃い色の瞳に宿るは静謐な怒りと昏い狂気。ゆらり。彼女の纏う魔力の渦が黒く色付き、娘達に触手を伸ばした。
「――!」
魔導士の娘は腰を抜かしてその場に尻餅をついた。じわり、その足の間から流れ出た温かい何かが、地面に染みを作る。それを合図にしたかのように、声にならない悲鳴を上げて他の娘達が駆け出した。
「ゃ、ちょっと、ね、待って、ねぇ!」
置いて行かれた魔導士は這うようにしてシオリから離れると、どうにか立ち上がって濡れた服にも構わず這う這うの体で逃げ出して行った。
――娘達の姿が森の向こうに消える頃。
唐突に静寂が戻る。ルリィは元の瑠璃色に戻り、シオリは普段と変わらぬ様子でその場に立っていた。辺りは何事も無かったかのような、いつも通りの穏やかな森の景色を見せている。ひび割れたはずの地面は平らかなまま、折れ飛んだはずの木々の枝も綺麗なまま空に向けて伸び、微風に吹かれて木の葉を揺らしている。巻き上げられて乱れていたはずのシオリの黒髪も、やはり何事も無かったかのように艶やかに整えられていた。ルリィはいつもの瑠璃色に戻り、ぷるんと呑気に震えて見せた。
「――さすがだな」
アレクは驚きで目を見開いたまま、簡潔な言葉で称賛した。やはり手出しは無用だった。攻撃力では圧倒的に勝る相手を簡単に往なしてしまった。
「だろ? 魔力放出と幻影魔法の合わせ技さ」
ナディアも満足気に頷いている。エレンは感心しきりだ。
「え、あれ、幻術!?」
この場でただひとり、魔力の流れを読めないリヌスは素っ頓狂な声を上げた。
「攻撃の意思を混ぜた魔力を網目状に周辺に張り巡らせて殺気混じりの気配を演出し、それ以外の現象は音も含めて全て幻影魔法で再現したんだ。見事なものだ。あいつは多分、頭で思い描いたイメージを魔力に乗せるのが相当に上手いんだろうな」
「へぇ~……」
リヌスは感嘆の声をあげ、シオリに視線を戻した。
「じゃあ、ルリィが赤くなったのも?」
「いや……あれは幻術じゃないよ。本当に赤くなったのさ」
ナディアが眉を顰めて吐き捨てるように言った。
「ルリィはねぇ、シオリに殺意がある奴が近づくと、ああやって赤くなって警告するのさ。だから、あのお馬鹿さん達はあの瞬間確実にシオリを殺る気だったってことだよ」
さすがに組合に報告しておいた方がいいだろうね、そう続けてナディアは不快そうに唇の端を歪めて見せた。
「――思った通り、幻術に掛りやすいタイプだったみたいだね」
シオリの声が聞こえた。ルリィ相手に話しているらしい。
「ああいう自分を過信するタイプはね、危険対策を怠りがちなんだよね。あらゆる危険に対する知識が圧倒的に欠けてるから、危険予測が出来ないんだもの。面白いように騙されてくれたなぁ」
同意するようにルリィがぽよんと跳ねた。
全くもってその通りだ。自らの能力を過信するあまりに危険対策を怠り、下級魔獣や些細な罠で落命する冒険者も少なからずいるのだから。あの娘達は最たる例だ。相手の挑発にも呆気なく乗ってしまった。いとも簡単に幻術に嵌められてしまった。学ばなければ、早晩命を落とす事になるだろう。
「……でも、調子に乗ってるって言葉は傾聴すべきなのかな。生意気、だって」
不意にシオリの声が硬さを増し、思わず彼女の顔を凝視する。茂み越しに見る顔は気のせいか、微かに蒼褪めて見えた。胸元を押さえ、僅かに前屈みになるのを見て咄嗟に身を乗り出すと、ナディアがそっと腕で制止した。
「ここまで黙って見てたんだ、ここから先も見ないふりしてやっておくれ。今出てっても、あの子の矜持を傷付けるだけさ。ね?」
「だが……」
「――女にだってね、男には見られたくないものがあるんだよ。男にもあるだろ、そういうの」
だから。
「一人にしてやっておくれ。今だけでいいから」
切なげに揺れる金茶色の瞳は、しかし、有無を言わせない強い光を宿している。
「……わかった」
思うところが無いわけではない。だが理解は出来る。アレクは頷いた。
「……ありがとね」
ナディアは緩やかに目を細めると、静かにリヌスとエレンを促した。二人はやや躊躇う素振りを見せたが、ナディアの言わんとする事を察したに違いなかった。頷き、一瞬だけシオリに視線を向けてから、踵を返して歩き出した。ナディアがそれに続く。
もう一度、シオリを振り返った。俯いて立ち尽くしたままの姿は何かに耐えるようでもあった。その背中を抱き締めたくなる衝動に駆られながらも、ぐっと堪える。
街へ向けて、歩き出した。
そうして、彼女から遠ざかってしばらく後。
――女の激しい慟哭を、聞いたような気がした。
他の仕事と比べると、なかなか評価して貰えない仕事もありますよね。それで嫌な思いをする人も多いと思います。
職業に貴賤は無いと申しますが、確かに偏見の多い仕事もあるかとも思います。でもどんな仕事であろうと、殊更に悪し様に言ってくるような輩は、まぁお里が知れるかな、と。
次回は、今回の話のシオリ視点です。