27 幕間五 歌姫の手紙(フェリシア、シオリ、アレク)
『親愛なるシオリ様、アレク様
ご機嫌よう。お元気でいらっしゃるかしら。わたくしは――って、ああ、やっぱ取り繕うのはやめだやめ! 最近はプライベートじゃすっかり素のオレで馴染んじまって、なんか変な気分だぜ。
元気でいるか? オレはまぁ元気っちゃ元気。
でもヒルデの奴や楽団の連中は皆ちょっと疲れ気味だ。なんたって王都一の歌劇場から二人――いや、三人も犯罪者出しちまったんだからな。毎日朝から晩まで新聞やら雑誌やらに追っかけられて仕事どころかレッスンすらままならねぇんだ。家にも記者が押しかけて来やがるし、ヒルデなんかは庭先にまで忍び込まれたらしくって、騎士隊呼ぶ騒ぎになったみてーだ。そんな訳でオレ達しばらくは自宅待機だとさ。
ま、でも人の噂も三ヶ月って言うしな。王都では毎日のように色んな事件が起きてるから、そのうち皆飽きて他のネタ漁りに行くだろうさ。
あー……で、カリーナの奴なんだけどさ。裁判はこれからだけど、やっぱしばらくはムショ生活することになりそうだ。でも取り調べも大人しく受けてるらしいし、すげぇ反省してるから、この分ならモハンシューだかなんだかで早く出てこれるかもって話だ。
そんでも親父さんは勘当だって大騒ぎだった。そりゃあ領地持ちじゃなくても一応お貴族様だからな、外聞が悪過ぎらぁ。
うちの父さんも当分は距離置くって言ってたし、兄貴は見たこともねーくらいどえらい剣幕でブチ切れてた。信頼して家に寝泊まりまでさせてた親戚の娘が、養女に手ぇ掛けようとしてたんだからな。
……カリーナんちな、両親もおねーさんも皆すげぇ優秀らしくてさ。それでガキん頃から皆をガッカリさせないようにって沢山頑張ってたらしいんだ。でも、なんでもできて優秀だけど、どれもこれも一番にはなれなくて、なんかそれで……な。色々辛くなっちまったんだろうな。
親父さん、怒ってたけど、ずっと待ってるって言ってた。ちゃんとあいつのこと分かってやれなかったって、悩んでるなんて思ってもみなかったって……すげぇ泣いてた。あの親父さんにも色々言ってやりてーことはあるけど……でも、やっぱ家族って、いいよな。どんなになったって待っててくれるんだぜ。
オレも……いや、なんでもない。
婚約は当たり前だけど破棄されたらしい。ま、仕方ねーわな。前科モンを領主様の嫁さんにするわけにゃいかねーし、あっちもずっと結婚待っててやってたらしくて、いい加減結婚しねーとヤバいんだそーだ。婚約者さんは未練があるっぽいけど。
……馬鹿だよなぁ、カリーナも。でも、あいつが欲しかったものってのはきっと、そーいうもんじゃなかったんだろうな。オレにはよく分かんねぇけど。いつか、分かってやれるんだろうか。
ランナル……ああ、ヒルデのマネージャーなんだけど、こいつは思ってたよりずっとしょーもねぇ奴だったみてぇで、お務めは長くなるんじゃねーかって話だ。横領してた金、ほとんど使っちまってすっからかんなんだとさ。実家から金借りても返せねぇ額だって噂だから、ホールのお偉いさんはもうカンカンで色々面倒なことになりそーだ。
あと、シオリさん達は知らねぇと思うけど、二人を裏で操ってた女もしょっ引かれていった。ホールの三番手だった奴。オレとヒルデがいなけりゃトップスターになれるってことで色々悪さしてくれてたみてーだ。
主犯だしあんまりにも悪質なんで、こっちはかなり長いムショ生活になるみてーだ。なにしろ殺人未遂だぜ。クッソ重い舞台照明、オレの頭に落としてくれやがったんだからな。カリーナが庇ってくれたから良かったけどよ、そうでなかったら……って思うとゾっとするぜ。
あんた達もオレ達の事情に巻き込んで、ホントに悪かった。ごめんな。
でも……ありがとう。事件を暴いて解決してくれて、ヒルデとは仲直りできたし、音楽会も大成功で、ホントに感謝してるんだ。
もし王都に来ることがあったら是非ホールに寄ってってくれよ。うまいことオレの舞台が入ってたら招待するぜ。それに美味い店とかデカい百貨店とか、王城とか、他にもきれーな景色とか、色々案内してやるからさ。
迷惑かけといてなんだけど、あんた達とはこれっきりにしたくねーんだ。なんか、すげー話しやすいし、一緒にいて楽しかったんだ。
これから先も、良かったら、その……うん、まぁ、よろしく頼むわ。
じゃ、またな。いつかまた会えることを祈っとく。
フェリシア・アムレアン
追伸
実はヘルゲの奴にすげーアタックされてんだけど、マジで想ってくれてるみてーで、なんか……マジな奴は初めてでどうしたらいいか分かんねーけど、ちょっと胸の奥があったかくてほわほわするなって思うんだ。シオリさんとアレクさんもそーなの?』
――王都の消印が押された封筒の、その中の手紙を読んでいたシオリは最後の一文に一瞬瞠目し、それからふっと小さく微笑んだ。
「……どうした? 何が書いてある?」
月初に受けた指名依頼で知り合った王都の歌姫からの手紙。それを読むシオリの笑みに気付いたアレクが訊ねる。
上品な花の香りがする便箋を手渡すと、彼はそれを受け取って文面に視線を走らせた。事件のその後を語る内容に少しだけ難しい顔をしながら読み進めていた彼は、追伸で同じように目を見開いた。
ほんの少し考え込んでいた彼は、やがて顔を上げて微笑みかける。
「……お前はどうなんだ?」
右の手を取られ、そのまま引き寄せられて彼の胸元に押し付けられた。
「俺は――温かいぞ」
その触れたところから伝わる温もりと、服の上から感じられる鼓動が彼の存在を肯定してくれる。それを感じる自分もまた、今確かにここに存在しているのだと教えてくれる。
「……うん」
そっと距離を詰めて、その広くて逞しい胸板に頬を摺り寄せる。
「うん。温かいよ。こうして触れ合ってると本当に……温かくて、とても幸せなの」
「そうだな」
彼はその紫紺の瞳を細めて柔らかく笑う。
「俺も幸せだ」
熱く掠れる声が近付く。頬に手が触れ、唇が重ねられて、深く激しく熱を分け与えられて、いっそ胸が痛むほどの幸福感で満たされていく。
「……カリーナさんにも、こうして満たしてくれる何かがあったら――あんなことにはならなかったのかな」
彼の腕の中に囲われて、その温もりに身を委ねながらシオリはぽつりと言った。
――何もかも、欲しいもの全てをフェリシアが手に入れてしまった。そのフェリシアを今度はヒルデガルドが奪おうとしていると、カリーナはそう言っていた。
自身が手を伸ばしても届かなかったものを手に入れた女達への嫉妬が、彼女を狂わせてしまったのだろうか。
彼女が身の内に隠していたもの、それは狂おしいほどの渇望だ。
心を満たす何かがあれば、あんなことにはならなかったのだろうか。間違わずに済んだのだろうか。
「そうだな」
シオリを抱き締めたまま、その黒髪を指先で弄んでいたアレクが言う。
「だが、今のあの女には何を与えても満たされることはないだろう。あの女が求めていたのは、何かにとっての『一番』だ。一番なんてものはそのときの状況で簡単に覆されるものだというのに……あの女は一番である己ばかりを求めていた」
それはトップスターであるフェリシア自身も理解していた。いつかは若手に明け渡す日が来るのだと。
友人にしたってそうだ。出世すれば、結婚すれば――子供が生まれれば。その一番の座は簡単にとって代わられる。
そんな簡単に覆る曖昧なものを求め続け、奪われたと錯覚して、そうして彼女は次第に病んでいったのだろうか。
たった二日かかわっただけのカリーナという女性の、全てを知ることは勿論できない。しかし、寝食を共にするほど長く一緒にいたフェリシアには何か思うところがあったのだろう。手紙の中で、何もかも一番にはなれなくてそれでカリーナは辛くなってしまったのではないかと彼女は言っていた。
「……一番ではなかったかもしれないけど、でも確かにあの人はフェリシアさんの友達だった。友達で、先生で――フェリシアさんの掛け替えのないパートナーだった。それは多分、誰にも取って代わられることがない居場所だったと思うよ」
「ああ。その通りだ。一番にはなれない。だが、唯一ではあったはずだ。誰にも取って代わられることのない立場にあった。それをあの女は分かっていなかったんだろうな。それどころかきっと、それ以上のものを求めてしまった」
努力だけではどうにもできないことはある。持って生まれた才能や身分、立場――そういったものの前には敵わないものなど世の中にはいくらでもある。けれども、今持てるだけの力を最大限に生かすことはできるはずだ。
フェリシアもそして自分も、そうしなければ居場所を作ることができなかった。先を生きていく見通しすら立たなかったのだから、必死だった。
カリーナに足りないものがあったとすれば、もしかしたらそれはきっと、必死さだったのかもしれない。フェリシアやシオリにはない、最後の砦である逃げ場所が彼女にはあったからこそ、死に物狂いで手に入れようとする必死さがなかったのかもしれない。
勿論それは想像でしかなく、もう確かめることもできないのだけれど。
「もっとも、あの女がしたことを肯定するつもりは全くないが、納得できないという気持ちも理解はできる」
そう言って彼は眉尻を下げて困ったように笑った。
「……俺の母は多分父にとっての唯一だったと思う。一度父に訊いてみたときにははぐらかされてしまったがな。いや、そうあって欲しいという俺の願望かもしれないが……多分そうだと思っている」
シオリを抱き締めたまま逸らした紫紺の瞳が、窓の外のどこか遠い場所を見る。
「唯一ではあったかもしれないが、立場上一番には絶対になれなかった。しかし当時はまだ側室制度が残っていたから、二番三番になれるような環境ではあったんだ。それで納得できたのなら、きっと二人は一緒になっただろう。しかし母は身を引いた」
貴族階級にはあったが、貴族としては底辺に近い位置にあったというアレクの母親。その彼女は愛した男とそれでも添い遂げるだけの覚悟も教養もなく、だから身を引いたのだという。
だがそれ以上に、妻としての扱いは下位に置かれ、そして別の女が彼と共に夫婦としての務めを果たす、それをそばで見続けなければならないという状況が辛くもあったのかもしれないと、アレクはそう言った。
「そう……だね。私も女だからそれは分かるよ。それにね、『一番』は目に見えるけど、『唯一』っていうのは目に見えないから、不安にはなると思う」
「ああ、そうだな。だが」
彼の指先がシオリの黒髪を梳く。
「それでも多くの者は日々を粛々と生きている。他人の居場所を妬んでそれを奪おうなどとは思わない。それをあの女は間違えたんだ。その代償は大きいだろうな」
彼女自身の努力で築いた居場所を、たった一度の過ちでほとんど全てを失ってしまった。もうきっとその手に戻ることはないだろう。壊した居場所を修復するにせよ、新たな居場所を築くにせよ、そのどちらにしても決して容易ではない。
どこかにあった分岐点。その選択をほんの少し間違えてしまったばかりに、彼女は。
脳裏に浮かんだ気難しい表情の女の顔が、不意に懐かしい顔に変わった。粗削りだけども強くて気のよい男達と、そして移民仲間だねと言って笑った女の顔。
――かつて仲間だった者達の顔だ。
「……シオリ!?」
異変に気付いたアレクがぎょっとして声を上げる。
「どうした? 気分でも悪いか? それともどこか痛むのか?」
狼狽えて覗き込む彼の瞳が不安に翳った。
「ううん。大丈夫」
双眸から溢れる涙を手で拭いながら、シオリは頭を振った。
「……皆も」
「うん?」
「皆も間違えなかったら、今も楽しくやってたのかなって……どこかにあった分かれ道を間違えなければ……ううん、私があのパーティに入らなければ、皆は今でも」
気のよい人達だった。共に旅をし戦い、野営地では自分の手料理を振舞って、それを皆が美味しいといって食べてくれて、夜は他愛のない話や未来の夢を語り合って過ごす、気のよい仲間達だった。
「なのにどうして……なんであんなことになっちゃったんだろう」
関わらなければ彼らは選択を迫られることもなく、徐々に荒んでいくことも、死ぬことにもならなかった。それどころかもしかしたらやり手のパーティとして活躍していたかもしれない――。
「シオリ」
親指の腹で濡れた頬を拭い、溢れる雫を唇で受け止めたアレクは今度は強く抱き締めてくれた。
「お前がパーティ入りを選んだことと、奴らが選択を誤ったことは別の問題だ。ランヴァルドの誘いがあったにせよ、あの結末は彼ら自身が選んだ末の結果なんだ。誘いに乗らない選択も当然あったはずだ。そうしなかったのは奴らなんだ。だから、お前が気に病むことも責任を背負う必要も全くない」
「アレク……」
まだたった二年ほど前の出来事だ。心に受けた傷は未だに癒えず、身に受けた傷は生涯消えない。そして、自分さえ関わらなければという思いはずっと心の片隅に棘のように刺さって痛んでいた。
けれどもアレクの心からの言葉はシオリを確かに救った。
「奴らが負うべき咎をお前が背負う必要はない。お前はただ、傷を癒すことだけに専念していればいい」
「うん……うん」
強く優しく、温かい人の腕の中で、シオリの傷は少しずつ癒えていくのだ。
アレクの腕が緩み、その手が頤に添えられ、上向かされた唇に口付けられた。
徐々に深く激しくなる口付けに、身も心も溶けていく。膿んだ傷口が緩やかに塞がれていく。「完治」までにはまだ遠いけれど、こうして癒してくれる人がそばにいてくれるから、きっといつかは。
「……ありがと、アレク」
すっかり力の抜けてしまった身体を預けると、もう一度力強く抱き締められた。優しい色を湛えた紫紺の瞳が柔らかく細められる。
「こうして互いに癒し合い、支え合う相手がいる――それは、とても幸せなことだな」
その言葉はきっと彼の本意だ。
「うん。そうだね」
シオリも頷く。
「そうしてずっと……一緒にいられたらいいな」
満たし合える彼と、ずっと。
彼は笑った。
そのまま再び口付けられた唇は、蕩けそうなほどにひどく熱く、そして甘かった。
ルリィ「スライム姦から一転してこのシリアスデロ甘さ」
ペルゥ「スライム姦言うな」
人生、何が分岐点になるか分からないものです。




