24 幕間二 跪く王子と癒しの女神(アレク、ザック、クリストフェル)
むさ苦しくててすまない。
夜の帳が下りて雪景色が深い青に染まる頃。辺境伯邸の門前に一台の雪馬車が滑り込んだ。停車した雪馬車の御者と二言三言言葉を交わした衛兵は、目隠しの垂れ幕を捲り上げて小窓から顔を覗かせた乗客にちらりと視線を流した。それを屋敷の主の客人と認めるや小さく敬礼し、開門する。
再び走り出した雪馬車は前庭をゆっくりと走り抜け、エントランス前で停車した。
ドアマンによって開けられた扉から先に降り立ったザックが、こちらを振り返って微かな苦笑いを浮かべた。些か気後れしていることに彼は気付いているのだ。
覚悟を決めて馬車から降りたアレクとザックを、柔和な笑みを浮かべた顔馴染みの執事が出迎える。
「閣下がお待ちですよ」
招き入れられた二人は、執事に先導されて真紅の絨毯が敷かれた玄関ホールに足を踏み入れた。静まり返った邸内。それは既に家人が就寝し、主だった使用人達もまた自室に下がったことを示している。
剣や槍、盾などが陳列されている私兵団の武器庫を兼ねた廊下を抜け、奥の娯楽室の前に立った執事は扉を叩いて客人の来訪を告げた。室内から聞こえた深みのある声が入室を許可し、執事に促された二人は遠慮なく扉を開けた。
部屋の壁面には屋敷の主の蒐集品が飾られ、重厚な意匠の飾り棚には名工の手によるものらしい美しい装飾の施された盤上遊戯の道具が並べられている。中央の卓には細やかな酒宴の用意がなされていた。
その卓の前の長椅子にゆったりと腰掛けて寛いでいた灰色の髪の男が、人のよい笑みを浮かべて立ち上がった。
「よく来たな。さあ、入ってくれ」
親しい友人に対する呼び掛け。
彼――クリストフェル・オスブリングとは少年時代からの友人だというザックは、気安い調子で彼に片手を上げてみせた。短い近況報告を交えた挨拶を交わす二人の様子から、久しぶりの会合ではなく幾度も顔を合わせているだろうことが窺えた。
一通りの挨拶を済ませたクリストフェルは、次はアレクに向き直った。
「久しいな。音楽会では挨拶程度になってしまったが……本当によく来てくれた」
温かく親しみの籠った声色。心から歓迎されているのだということを察して薄い笑みを浮かべながら、アレクは差し出された右手を握り返す。
「……クリス。あんたも元気そうで何よりだ」
言いながらふと違和感に気付いて目線を下げたアレクに、彼は苦笑いした。
「言わんでくれよ。ブレイザックにはもう指摘されたのでな」
記憶にあるクリストフェルは、無駄な肉付きのないがっしりとした体躯をしていたはずだ。しかし目の前の男の腹は、ほんの僅かにではあるが前にせり出しているように見える。
「鍛錬は欠かさず続けているが、やはり若い頃のようにはいかんな」
外向きの仕事の一部を息子や若い者に任せ、執務で一日中机に向かうことが増えた今は、以前と比べれば明らかに運動量は落ちている。健康のためにも晩酌と食事量を多少減らし、私兵に混じっての鍛錬の時間を増やしたのだと言いながらも、上等な酒と肴が並べられた卓を指し示して彼はにやりと笑った。
「まぁ、今夜は特別だ。旧知の友が二人も訪ねてきてくれたのだからな」
「それは良かった。土産が無駄になったかと焦ったぞ」
手土産にと用意した葡萄酒を差し出すと、礼を言って受け取ったそれの銘柄に視線を走らせたクリストフェルは小さく感嘆の声を漏らす。
「九十四年の『オスティーユ』か。よく手に入ったな。今はこの銘柄は手に入れ辛いと聞くが」
「それは王都周辺だけらしいぞ。新物は確かに品薄らしいが、九十五年以前のものなら地方の店にまだ残っているようだ。まぁ、噂の舞台が地方でも上演されるようになれば本当に希少になるんだろうがな」
昨年王都で上演された騎士と魔女の恋物語は、若者を中心に貴族や富裕層のご婦人方にも人気を博したらしい。流行歌となった舞台の主題歌は、先日の音楽会でも歌姫が曲目に選んでいたほどだ。劇中、主人公が恋人や親友と共に酌み交わしたこの葡萄酒は上演後に人気が急上昇し、現在品薄状態が続いているということだ。
ちなみに、当たり年のオスティーユを入手できたのはクレメンスの手柄だ。古い友人への手土産に酒を選ぶならと紹介してくれた酒屋で勧められたのがこれだった。店主がわざわざ秘蔵の酒を出してくれたのは、上客の紹介だと聞いたからだろう。今後もご贔屓に、という意味合いだ。
(あいつめ、相当通ってるな)
苦笑しながら肴にと一緒に勧められたブロヴィート産の山羊乳チーズを手渡し、促されて座り心地のよいビロード張りの椅子に腰を下ろす。
「悪かったな。本当ならもっと早くに訪ねるべきだったが……」
ほとんど言い訳のような台詞だったが、クリストフェルは構わんよと手を振って笑った。
「壮健でいることが何よりの便りだ。秋頃には体調を崩したと聞いたが……思ったよりも元気なようで安心したぞ」
知っていたのか。ちらりと横に視線を流すと、ザックは気まずそうに視線を逸らす。およその情報の出所を察してアレクは苦笑した。
「確かに寝込みはしたが、熱心に看病してもらったお陰でほんの数日で済んだ。今はこの通りだ」
「シオリ女史か」
手土産のオスティーユを注いだクリストフェルは、その芳醇な香りに目を細めながら口元に深い笑みを浮かべた。
この訪問の目的は、ただ旧交を温めるためのものではない。彼女について知り、そして今後の扱いを定めるためのものだ。
己の身の置き所をどこに定めるにせよ、避けては通れぬ道。
――王族の血を引く己が、訳有りの異邦人と共に在るということ。そのこと自体が既に彼女の立場を危ういものにしている。
ただでさえ異質な女だ。四年前に発見された時点で監視が付いたはず。そんな彼女に王兄が心を傾けてしまった。事情を知る者からすれば、到底見過ごせない事態だ。
そして、今回のことで異質であることの一端を衆目に晒してしまった彼女。
――神々の視点を知る彼女は一体何者であるのか――。
「……『天女』と。我々はそう呼んでいる」
「天女?」
「東方語で天上界の女だとか神の使いだとかそういう意味の言葉だそうだ」
「天上の……」
――四年前。シオリの発見現場周辺には、その場所に至るまでに何者かが侵入した痕跡は何一つ見つからなかった。道の途中や街中ならまだしも、下草の生い茂った森の奥深い場所だ。下草や低木を分け入り踏み倒した跡も、彼女の足跡一つさえも残されていないという状況は明らかにおかしい。
そして発見直前、依頼帰りに付近を通りかかったザックが感じた、まるで空間そのものが揺らぐような強烈な違和感と一瞬だけ起きた発光現象。そして直後に何か重いものが落ちたような物音と同時に突如出現した人間の気配。
その場所で倒れていたシオリが、空から降ってきたのだと思われたとしても致し方ない状況だった。
「天女ってのは、あいつを調べる過程で東方の文献を手に入れた調査員が付けた暗号名なんだ」
「……やはり監視は付いていたのか」
「それはそうだ」
ワイングラスをゆったりと回しながらクリストフェルは言った。紅玉色の液体が縁で弾け、熟した果実の香りを放つ。
「身元を偽って市井に混じっている王兄が極秘任務で旅立って間もなくの頃だ。そこへまるで狙いすましたかのように王兄と親しい男の目前に怪しげな異国の女が現れた――とくれば、当然何か下心があると疑いもする」
胡散臭い遠方の異民族が保護されたと聞き付けた騎士隊はシオリを拘束して調べたがったが、ザックは敢えて泳がせ様子を見るために彼らを言い包め、身元引受人として彼女を引き取った。無論クリストフェルもまた手を回して監視を付けたが、結果は白。
「言葉も分からなけりゃ生活魔道具はおろか、魔法や魔獣の知識すらもほとんどねぇときてる。身形も立ち居振る舞いも悪くねぇとくりゃ、箱入りで育てられたどこぞの国のお姫様が迷子になったとしか思えねぇ様子でな」
東方は近年ようやく開かれつつある未開の地だ。可能な範囲で調査はしたが身分のある女が出入りした様子はなく、唯一王国に出入りしている東方系商人にもそれとなく探りを入れてみたが、やはり覚えがないということだった。無論、その商人が手引きした形跡はない。
――ある日突然空から降ってきた、異国の姫君――天女。
「今となっちゃあ、俺としては……あんまり賛成はしたくねぇ呼び名だけどな」
クリストフェルの言葉を補足したザックはそう言って苦み交じりの笑みを浮かべる。
諜報活動ならザックのそばにいた方が何かと都合が良いだろうに、生活に慣れると同時にナディアのアパルトメントに引っ越してしまった。外部の人間との接触は一切なく、自由に街を出入りできる冒険者となってからもそれは変わらなかった。
本当に――何の悪意もない、ただの行き場を失くした「迷子」だったのだ。
そう判断された彼女は冒険者登録して一年を過ぎた頃、警戒度評定を最低レベルまで引き下げられた。それがあの【暁】に加入する直前のことだったというのは何とも皮肉なものだ。
「俺の立場で監視対象に情を移すなんてこたぁあっちゃならねぇってことは分かってる。あいつが何か隠し事をしてるってこともな。だがな、あいつは本当に普通の女なんだ。ただ生き抜くために必死だった――そのために何度も傷付いて死に掛けて、それでも必死に生きようとしていた、人一倍努力家の……ただの女だ」
「ブレイザック……お前は」
ほとんど聞き手に徹していたクリストフェルは瞠目した。ここに至って旧友が天女に心を寄せていたことに気付いたのだ。なんとも言えない表情でザックを見つめていた彼は、やがて低い笑い声を立てた。
「そうだった。お前が惚れるのはいつも真面目で努力家の女ばかりだったな。そうか……彼女は王兄ばかりかお前までも虜にしていたか」
「否定はしねぇが……そいつぁもう解消したよ」
苦い笑みを浮かべながらザックはグラスを傾ける。
「今のあいつは妹だ。俺の、自慢のな」
「……心強い兄もいたものだな」
いよいよ笑みを深くしたクリストフェルがザックを小突く。
想いを告げることなく自らその恋情に終止符を打ち、それでいながらおかしな虫が付かぬようにと彼女を囲い込んでいた。そこにザックのシオリに対する複雑な心境が垣間見えて、アレクもまた苦笑するしかなかった。
二人から視線を外し、すっかり暗くなった窓の外に目を向けた。小高い丘の上に立つ辺境伯家からは、トリスの街が一望できる。夜の帳が下りた今は、街の明かりが煌めいていた。
あの明かりのどれか一つに、シオリがいる。己を癒し、そして心を預けてくれた愛しい女。
「天女……か」
空から降ってきたかのように現れた――そこまで考えてアレクはふとグラスを傾ける手を止めた。
「そういえば、あいつ……落ちてきたって言ってたな」
ぼそりと落とした呟きに、何やら小突き合っていた二人が動きを止めた。
「……落ちてきた?」
「ああ」
先日の指名依頼で知己となったロヴネル家の主従との旅の最中、何気なくシオリが発した言葉。
「落ちてきたのがこの国で良かった――と。そんなふうに言っていた」
「シオリが? そう言ったのか」
「ああ。間違いない。クレメンスやナディアも聞いている」
「落ちてきた、か。何とも意味深長な言葉だ。まるで天から来たということを肯定するようではないか。それにあの神々の視点……」
嘘だろ、とザックが絶句する。
ぞくりと肌が粟立った。
聞かされた側にしてみれば何か重大な秘め事を打ち明けられたような気分だったが、彼女はその後も普段と変わらぬ様子だった。本当に、無意識に発した言葉だったのだろう。だからこそその言葉は事実なのではないかと思うのだ。
あのときのシオリの言葉は、彼女自身が「落ちてきた」という自覚があるからこそのものではないか。そして音楽会で披露した天界からの眺め――。
到底信じられるものではないが、しかし今手元にある事実はまさに、シオリが天界から舞い降りた「天女」であることを示している。
「これはいよいよ本格的に『保護』する必要があるかもしれんな」
クリストフェルが唸る。
「警戒度評定は最低レベルになっているが、彼女への疑念は完全に晴れた訳ではない。その上、我々の想像を超える何かを知るとなればみすみす見逃す訳にはいかん」
元は監視対象だった女。そして表沙汰にはできない事件の被害者となりながら、その事実を知らされずにいる女。今はこの世ならざる世界を知るかもしれない女だ。面白半分に見世物にしようと目論む者や、何か有益な知識や情報を隠し持つのではないかと手出しする者が出ないとも限らない。
(それ以上に……俺がこれから先に選ぶつもりでいる道に連れていくのなら、あいつの後ろ盾は増やしておきたい)
まだ彼女に明かしてもいないし、同意してくれるのかどうかも分からないが、下準備だけはしておきたい。
「大司教も協力は惜しまねぇって話だ。あれを恒例行事化するつもりらしいぜ」
「教団としては天界の眺めを知るあいつを囲い込みたいという腹積もりがないとも限らんが、利用できるものはさせてもらう」
珍しい技を持つ人間を聖人や聖女に祭り上げ、信者を増やそうと目論んだ事例がない訳ではない。コニーはともかく大司教がどのような人物か分からない以上、全面的に信頼する気にはなれないが、強い影響力を持つ者を利用しない手はない。
「それほど野心家のようには思えなかったが……いや、分かった」
大司教の人となりを知っているクリストフェルは顎先に手を当てて考え込んだが、ややあってから頷いた。
「シオリ女史には私も借りがある。私の監督不行き届きで領地内で重大事件を発生させ、あまつさえそれに巻き込んでしまったのだからな」
金糸雀の夢事件は高度な政治的判断を要するものだった。クリストフェルに罪がある訳では無論ないが、国防に携わる立場の人間として、国家規模の極秘作戦実行中にあれだけの事件を自領地内で発生させたこと自体が問題だった。事情を知った一部の者からは相当の突き上げがあったとも聞く。
その金糸雀の夢事件と暁の事件は密接に繋がっていたがゆえに内々で処理され、シオリを傷付けた者達は表向きは無罪放免とされてしまった。事情を知らない彼女にしてみれば、加害者を誰一人として裁かないまま野放しにしたように思えたはずだ。
「可能な限り私も力を貸そう。コニー司祭からはもう話は聞いたのだろう?」
「ああ。恩に着る」
クリストフェルは口元に微かな笑みを浮かべた。
「……彼女のことでお前が礼を言うのも妙な気がするが」
そうかと呟いた彼は、納得したように頷いた。
「噂には聞いていたが……本気なのだな」
シオリへのこの想いが。
「ああ」
もう失敗したくはない。そして逃げたくもない。十八年前に失敗し、そして逃げ出したあのときのような思いは二度としたくはない。
「ずっと後悔し通しの十八年だった。俺がもっとしっかりしていれば彼女ともあんなことにならなかったんじゃないかと。あんなふうにぼろぼろになって逃げ出すようなことにもならなかったんじゃないかと、ずっと後悔していた」
あのときあの女にぶつけられた酷い言葉を忘れた訳ではない。あの日逃げ出したのも、あのときの未熟な自分ではああするより他なかったのだということは分かっている。しかし心に抱いた悔悟の念は、あれ以来ずっと己を苛み続けている。
「もう後悔し続けて生きるのはまっぴらだ。俺はあいつと生きると決めた。そして二度と後悔しない道を選びたいんだ。そして……今まで俺を見守ってくれた皆に報いたい」
あの、ロヴネル家の主従との旅で抱いた希望。護るべきもののために逃げずに戦い続けたあの男を見て決心がついたのだ。
アレクの言葉を黙って聞いていた二人は、柔らかく微笑んだ。兄のような立ち位置で、ずっと見守り続けてくれた男達。
「……そうか」
クリストフェルが空になったグラスをアレクの手に握らせた。
「ほれ、飲みやがれ」
ザックがオスティーユをそのグラスに注ぐ。深く、それでいてどこまでも透明な、美しい紅玉色の葡萄酒。
「この酒な。例の舞台にあやかってんのか、恋愛成就の願掛けや祝いに飲むのが流行ってるらしいぜ。まだ気が早ぇかもしれねえが、まあ、祝い酒ってことで」
「……なるほどな」
それで王都の若者やご婦人方がこぞって買い求めているのか。合点がいったアレクは、その深い紅の液体に視線を落として微笑んだ。
「どうにも気恥ずかしいが、気持ちは受け取っておこう。ありがとう――兄さん」
二人の男は瞠目し、そして次の瞬間破顔した。それぞれにアレクの肩を叩き、自身のグラスにも酒を注ぎ足して掲げる。
男三人の細やかな祝宴は、夜が更けるまで続けられた。
――夜半。
心行くまで美酒と語らいを楽しみ、そしてそのまま転寝を始めたアレクに毛布を掛けたザックは、ふっと嘆息しながら彼が眠る長椅子の肘掛けに腰を下ろす。
見下ろしたアレクの寝顔は柔らかく穏やかで、そしてどこかあどけない。心底安らいでいるのだと分かる。
「……まだまだこれから片付けなけりゃならねぇことは山とあるが……本当に、良かったぜ」
「そうだな」
同じようにして彼の寝顔を覗き込んだクリストフェルが頷いた。
「天女……いや、シオリ女史の存在はそれだけアレクの癒しになっていたのだろうな」
「……ああ。それに、こいつもまたシオリの癒しだった」
初めて二人を引き合わせたときにはよもやこのようなことになるとは思いもしなかったが、結果として彼らは惹かれ合った。
もう、傷付いた二人をどうすることもできないのかと半ば諦めかけていた。
しかし彼らは互いの虚を埋めて満たし合って、そうしてようやく前を見て歩き出そうとしている。二人の兄貴分として、これほど嬉しいことはない。
「――たった一度だけだったが」
「ああ?」
ぽつりと言ってそこで言葉を切り、グラスの酒を呷ったクリストフェルは先を続けた。
「静養地で預かっていた頃にな。何度か気晴らしにと遠出に連れ出したことがある。そのときに通り掛かった村の寂れた教会で、どういう訳か祈りを捧げたいと言い出したことがあった」
「……祈り? そりゃまたどうして」
不信心とまでは言わないが、アレクは熱心に教会通いをする質ではなかったはずだ。
「分からん。理由までは言わなかったが、あれだけ心身が疲弊していたのだ。祈りたい気分になるのも無理はないとも思ってな」
教会を任されていた神父に幾許かの寄付を渡し、そして人払いをした――と言っても小さな山村の外れにあるような寂れた教会ゆえに、他に参拝する者は元よりいなかったのだが――礼拝堂で祈りを捧げた彼。
女神像の前に跪いて一心に祈る彼の姿は、祈るというよりはむしろ懺悔するように見えたという。
「……傷付けてすまない、一人にしてすまない、とな。ずっとそう呟いていた」
「詫び、か」
「……ああ。そのようだ。祈る姿を見たのは後にも先にもその一度きりだったが……あまりにも鬼気迫る様子だったのでな。そのときのことは今でもよく覚えている」
なんとも言いようのない思いに駆られ、ザックは弟分の寝顔を再び見下ろした。
「この野郎。お前はずっと……自分の責任だと思ってやがったのか。全部抱え込んでやがったのか」
見捨てた女を憎んでいるのだと思っていた。
ようやく築いた居場所を追い出し、弟と引き離した貴族どもを恨んでいるのだと思っていた。
だが実際にはどうだ。この男はずっと己のせいだと自身を責めていたというのか。
いや、だが――だからこそ。ずっと責め続けてきたからこそ、十数年という年月が経ってもなお心の傷は癒えずに生々しいまま、膿んで爛れてしまったのだ。
『後悔し続けて生きるのはもうまっぴらだ』
そう言った彼の言葉は真実、自分自身を責めていたからこそのものだったということなのか。
そのことに気付いたザックの胸はひどく痛んだ。
「アレクよぉ」
手を伸ばし、さらりとした栗毛をそっと撫でる。
「お前だけが悪かった訳じゃ絶対にねぇよ。本当にもう、忘れて……幸せになっていいんだぜ」
それはザックの本心だ。
だが、この男はそれを良しとはしないだろう。ただ忘れて幸せになるなど、きっと彼自身が許せないのだろう。それだけ生真面目な男なのだ。
だから自分がすべきことは、彼を見守り、ときには後押しして、そして見届けることだ。
「……幸せになれよ。シオリと一緒に、な」
――その脳裏に、跪き懺悔する王子に手を差し伸べる女神の幻が浮かんで消えた。
ルリィ「お兄ちゃんは心配性」
幼児の相手がなかなかにアレで寝落ち必至なヨレヨレエブリディなので、更新は本当に不定期になりそうです。連載再開と言っておきながら申し訳ない感じです。
これだけでは何ですので、お知らせを。
活動報告で既にお知らせ済みですが、8月末発売の月刊コミックゼロサム10月号よりコミカライズ版の連載を開始しております。機会がありましたらどうぞお手にとって見てくださいね。丁寧に描き込まれた家政魔導士の世界とヒーローの全裸(※風呂)から始まるラブファンタジーは必見です。
あともう一つ、10月2日に書籍版の3巻が発売予定です。皆様のお陰でシルヴェリア編まで持ってくることができました。ありがとうございますロヴネル家の主従とかペルゥのアレとか見られて本当に嬉しいです(*´Д`)=3
詳細は後日お知らせしますね。




