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家政魔導士の異世界生活~冒険中の家政婦業承ります!~  作者: 文庫 妖
第4章 聖夜の歌姫

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15 事件の終わり

 ――およそ一時間ほど前。

 迎賓院での作戦をニクラスに任せ、聖堂騎士団本部で部下の報告を受けていたヨアンは、慌ただしい足音に気付いてそちらに視線を向けた。開け放したままの戸口から一人の聖堂騎士が飛び込んでくる。裏門の警備を任せていた騎士だ。略式の敬礼をした彼は言った。

「ヒルデガルド嬢のマネージャーを名乗る男が裏門に来ています」

「何? こんな時間にか」

 生誕祭の期間中は、深夜でも飲食店の営業を認められている。そのためこの時刻に市内を出歩いていても見咎められることはない。しかし既に閉門した大聖堂にやってくる者はまずいない。

 ヨアンは瞳を眇めた。傍らの聖堂騎士に扮したノア――ニクラスの隊では彼に次ぐ立場だという――に視線を流すと、彼もまた灰色の目を鋭くする。

 大聖堂の警備が主な職務の聖堂騎士団とは違い、王立騎士団に属する北方騎士隊の役割は地域保全のほか犯罪の取り締まりや捜査だ。この道のプロ。音楽祭に便乗にして何らかの犯罪が行われようとしている今、ここから先は彼らが頼りだ。

「ご婦人を探し回ってこの時間になったということです。対応の指示をお願いしたく」

「なるほど。分かった、私が行こう」

 ノアに目配せして頷いたヨアンは、報告途中で待機していた騎士に持ち場に戻るよう伝えてから、ノアと共に本部からほど近い裏門脇の詰め所へと向かった。

 旧式の魔道具でほどほどの室温に保たれたその場所の扉を開けると、二人の騎士に付き添われて簡素な椅子に腰掛けていた男が立ち上がった。男の後ろに撫で付けた癖のある亜麻色の髪が揺れ、ふわりと花のような香りが漂う。洗髪料の香りだ。

「夜分遅くに申し訳ありません。エルヴェスタム・ホールのランナル・オルステットと申します」

 その優男は生白い顔に笑みを浮かべ、優雅な動作で名刺を差し出した。歌の女神を模った紋章を型押した象牙色の厚紙には、王都でも屈指の歌劇場の名と共にランナルの名と連絡先が印字されている。

 その紋章にはヨアンにも見覚えがあった。音楽祭の開催を告知するポスターにもそれが使われていたからだ。音楽祭で一番の呼び物になる歌姫の所属先の紋章。

「担当している歌手がこちらにご厄介になっているのではないかと思いまして」

 ランナルはそう言いながら僅かに困惑の表情を作った。

「友人に会いに行くと言って許可もなく出て来てしまいましてね。書き置きを見て慌てて追いかけてきたのですが……いや、参りました。日没ぎりぎりでどうにか市内に飛び込んだはいいのですが、いると思ったホテルにも見当たらず……こんな時間まで探し回るはめになってしまいましたよ」

 問わず語りに言い訳がましく語り始めた彼が着込んでいる外套。襟が特徴的な洒落た型に仕立てられたそれは、恐らく流行のものだ。生地も仕立ても一級品。王都からの賓客がよく身に付けていたように思う。

 領民と共に畑を耕すような下流貴族の出の己でも分かる。これは国内の紳士憧れの有名ブランド、リリェホルムの仕立てだ。雇われ人の給料で簡単に買えるような代物ではない。

(さすがに有名ホールの二番手ともなると、そのマネージャーの稼ぎも良いのだな)

 そんなふうに思いながら彼の全身にさり気なく視線を走らせたヨアンは、その足元を見て「おや」と瞳を眇めた。

 やはり流行りのものらしい編み上げブーツは、多少雪で濡れた形跡があるものの艶がある。磨いたばかりだということが窺えた。

(妙だな)

 微かな疑念を抱いて再び彼の全身を確かめる。

 長旅を終えてそのままこの時間まで駆けずり回っていたにしては身綺麗過ぎた。草臥れた様子がほとんど見えない。目ぼしい宿を全て馬車で回ったとすればあり得なくもないが、人探しをするには些か現実的ではない移動手段だ。それに膝下まで隠す長さの外套の裾も、雪道を歩き回ったというわりにはあまり濡れてはいないようだ。よほど条件の良い道ばかりを歩いたのか、例のブーツには僅かな汚れすら付いてはいない。

(そういえば)

 ヨアンはランナルの頭髪を見る。先ほど感じた濃く香る洗髪料の匂いは、風呂上がりの同僚から感じるものと同質のように思われた。そう、入浴して間もない香りだ。

 妙に小奇麗な姿と風呂上がりと思しき匂い。先ほど彼が口にした「日没ギリギリで飛び込んでそれからずっと市内を駆けずり回っていた」という言葉との間に齟齬がある。

 隣のノアを見れば、彼もまた何がしかの違和感を抱いたらしい。己の観察眼も捨てたものではないのだなと自画自賛するが、すぐに気を引き締める。

「……あの?」

 不安げなランナルに問いかけられて、無言のまま彼を見つめて考え込んでいたヨアンは我に返る。

「――ああいや、失礼。確かに歌手だという女性を一人、騎士団で保護しておりますが」

「騎士団で? なんと!」

 彼は顔を驚愕に染めて苦渋の表情を作る。

 若い娘好みの甘い顔立ちの芝居めいた劇的な変化に、ヨアンは違和感を抱いた。騎士団で保護したと聞いただけでする態度にしては妙に思えた。それに歌手の女性とだけ伝えたのみでその名までは口にしていない。だがランナルは、その歌手が己が探している人物だと疑いもしないようだ。そのことに引っかかりを覚える。

(……いや、いかんな。先入観で判断するものではない)

 歌姫絡みの事件。それに関連して何がしかの下心を持つ者の侵入、もしくは接触があるかもしれないとは聞かされていたからつい疑ってかかってしまった。しかし聖堂騎士とは、慈愛と癒しの聖女を奉る教団の信徒にして信仰の護り手。みだりに人を疑うのは好ましくない。

 目下の問題として挙げられるのは、このランナルという男の言う身分が事実であるか否かだ。

「失礼だがランナル殿。名刺以外に貴殿の身元を証明するものを何かお持ちだろうか」

「……えっ?」

 ノアの問いに予想外の質問といった態で狼狽えるランナルに、ヨアンは言い添える。

「生誕祭の期間中は多くの貴人や有力者が宿泊されます。おいそれと中に入れる訳にはいかないのですよ」

「……ああなるほど、それで。とは言いましても……っと、ああ、そうだ! 彼女の書き置きがありますよ。これが証明になれば良いのですが」

 思い出したというように懐を弄った彼は、手帳の間に挟んでいた便箋を取り出した。家紋が透かし彫りにされた便箋に、若い娘らしい丸みを帯びた女文字が躍る。

「『ランナルさんへ。友達に会いに行ってきます。次の仕事までには必ず戻りますのでご心配なく。ヒルデガルド』」

 ごく短い文章の手紙。ノアと共に眺めたそれは、目を凝らしてみても何の変哲もないただの手紙のように思えた。

 ――アレクというあの冒険者の男はたった一枚の手紙から偽造を見破り、何がしかの陰謀が企てられている可能性を示唆したという。位の高い貴族家の嫡流や要職に就くような身分ともなると、偽造文書を見抜く手法を学ぶ機会もあるというが、あの男もどこかの貴族家の出身なのだろうか。

「……なるほど」

 しばらくの沈黙の後にノアは頷く。

「確かにこちらでお預かりしているのはヒルデガルド嬢だ。どうぞ中へ」

「お手数をお掛けします。当ホールの歌手がとんだご迷惑を。早急に王都に戻り、上役と話し合わなければ」

 促されて腰を上げたランナルは女好きのする顔を苦悩に歪めてみせた。苦渋の表情に対してその瞳は興奮に爛々と輝き、その対比と今の台詞がこの男に感じた違和感をより一層深いものにする。

 こちらはヒルデガルドを保護したと伝えただけ。それに対してランナルは彼女が罪人として拘束されているものと思い込んでいるようだった。双方のやり取りが微妙に噛み合っていないことに、この男は気付いていないのだろうか。

 彼の後ろに控えた二人の騎士もまた同様の心証を抱いたようだ。ノアはさり気なく二人に目配せをした。片方は北方騎士隊の騎士だ。彼は目だけで頷くと、持ち場に戻ると言って詰め所を出ていった。胡散臭いこの男を包囲する手筈を整えるためだ。

 ヨアンの先導でヒルデガルドがいる騎士団本部へと向かう。

 そこへと向かう僅かな距離の間、ランナルは訊きもしないことをぺらぺらと捲し立てた。曰く、ヒルデガルドはフェリシアを妬んでいた、そのうちに嫌がらせまで始め、最近では少々度が過ぎるようになった、と。

 嫌がらせの件は本人が否定していた。その証言を鵜呑みにはできないが、仮に嫌がらせが事実だったとして、まるきり他人事のように悪し様に言うだけのこの男の有様はどうだろうか。仕事のパートナーとも言うべき彼女のことを庇いだてするどころかせっせと悪評を振りまいて、その罪を確かなものとして印象付けようとしているように思える。

 抱いた不快感を押し殺しながら歩くヨアンは、やがてある部屋の前に立つ。ヒルデガルドに宛がわれている仮眠所の一つだ。扉の両脇を護る騎士が敬礼する。その扉の取っ手に手を掛けたところで、ランナルの背後を護っていたノアが静かに言葉を発した。

「――ところでランナル殿。ヒルデガルド嬢の書き置きを見てこちらに来たということだが、彼女は行き先についてほかに何か残したりなどは?」

 ランナルは、きょとんと背後のノアを振り返った。

「え? ほかに……ですか」

 彼はほとんど悩みもせずに答える。

「いいえ。先ほどお見せした書き置きだけですよ」

「そうか」

 さして意味はないように思える問答。

 だがヨアンは察した。

 ――王手詰めだ、と。

 果たして、ノアの手がランナルの腕に掛かる。

「失礼だがランナル殿。貴殿の言動に疑わしい点が認められる。少しお話を伺いたい」

「は?」

 ぎょっとしたランナルは、訳が分からないと言ったようにぎこちない笑みを浮かべた。

「疑わしい点? どういうことです?」

「――あの書き置きには『友達に会いに行く』とだけ記されていた。だが貴殿は当然のようにトリスに来た。行き先は記されていなかったにもかからわずだ」

 その指摘に彼は目に見えて青くなった。まるで、ざぁ、という音が聞こえるようだとヨアンは思った。

「え、いや……しかし、友達に会いに行くとありましたから、フェリシアのもとへ向かったのかと……」

「それだ」

 その答えの矛盾をノアは鋭く突く。

「先ほど貴殿は、ヒルデガルド嬢はフェリシア嬢を妬み嫌がらせをしていると言った。到底友人関係にあるとは思えない」

「え、あ……その、一時期親しくしていたときもありましたので……」

「だとしてもフェリシア嬢のところに向かったとなぜ言い切れる? ましてや今は嫉妬で嫌がらせをする相手だ。『友達に会いに行く』という言葉一つで真っ先に思い浮かぶ相手とも思えないが」

「それは……」

 畳みかけるようなノアの言葉に、ランナルはとうとう押し黙った。ただ呻いて視線を彷徨わせるのみ。

「それ以外にもまだまだあるぞ。騎士団に保護したと言っただけでまるで罪人と決まったような物言いをしたことも気になるが、ずっと駆けずり回っていたにしては乱れのほとんどない姿も怪しい。それどころか」

 勢いよく伸ばされたノアの手がランナルの外套の襟を掴み、乱暴な仕草でその胸元を曝け出す。糊が利いて皺一つ見えない有名ブランドのドレスシャツがはだけた外套の襟元から見えた。ふわりと石鹸の香りが漂う。

「――風呂上がりと思しき匂いに着替えたばかりと見えるシャツ。書き置きを見てすぐ後を追い、数日掛けた長旅の末にそのまま何時間も人探しのために駆け回っていたというわりには、どこかで風呂に入る余裕はあったわけだ。替えのシャツまで用意しているという準備の良さ。どうにも不自然だとは思わないか?」

「あの、着替えは……その、途中泊った街で買いましたので」

「完全オーダーメイドのリリェホルムのシャツを途中の街でか」

「は――」

 ノアの容赦ない追及にランナルは奇妙な声混じりの吐息を漏らした。

 血の気が引いて蒼白な顔、この季節には相応しくないほどに汗ばんだ肌、小刻みに震える唇。

(……なるほど、これが罪人というものか)

 大聖堂に懺悔に訪れる咎人とは訳が違う、正真正銘の罪人。

 そのあまりにも無様で見苦しい有様に、ヨアンは職務を忘れて視線を反らしそうになった。癒しと慈愛の聖女を奉り、そして人々の安寧と罪科の許しを乞うて祈りを捧げる、そんな神聖な場所で日々を過ごす己にとってこの毒はあまりにも強過ぎる。

 だが、どうにか堪えて目の前の男を見据えた、そのとき。

「……あれ、ランナルさん?」

 背後の扉が開き、中からやや髪の乱れたヒルデガルドが目をこすりながら顔を覗かせる。外の騒ぎに起きてしまったらしい。

「どうしてここ――」

 寝起きで舌足らずになった口調で問うたヒルデガルドは、髪を振り乱して己を見たランナルの血走った目にひゅっと息を呑む。

「こいつもだ! この女もぐるだ! この女があの小娘を追い落とそうと仕組んだんだ! 俺はこいつに協力しただけだ!」

 口汚く罵りながら両脇を抑える騎士を振り払い、立ち竦む娘に掴みかかろうとする男の目前に深紅の影が過った。次の瞬間には真っ赤な粘着質の物体に取り付かれ、ランナルは身体をよろめかせてその場に膝を付く。

 咄嗟にヒルデガルドを後ろ手に庇っていたヨアンは、嫌悪感も露わに足元をのたうつ男を見下ろした。

「ルリィ君! こいつを殺すなよ!」

 アレクという男が連れていた魔導士の使い魔だというスライムは、男を拘束したまま触手をしゅるんと伸ばして丸を形作ってみせた。了解した、という意味なのだろう。

 いつの間にか包囲していた騎士に取り押さえられ、その身に縄が掛けられてとうとう観念したのか、ランナルはがくりと項垂れた。

 男が拘束されるまで取り付いたままだったルリィが瑠璃色に戻る。臨戦態勢に入ると赤色に変化するらしい。

 するりと彼から離れたルリィは、ヨアンの後ろで震えたまま立ち尽くしていたヒルデガルドに近寄り、触手を伸ばしてその腕をぺたぺたと叩く。宥めるような仕草に、彼女は怯えた顔をくしゃりと歪めてしゃくり上げた。力が抜けて崩れ落ちそうになる身体をルリィと共に慌てて支え、部屋の奥の寝台まで導いてそっと座らせてやった。

「――ヒルデガルド嬢。あの男の言葉を信じたわけではないが、貴女の容疑がまだ晴れていないことは確かだ。だからもうしばらくここにいてもらうことになる」

 静かに降ってくるノアの声に、ヒルデガルドはこくりと頷いた。

 しかし彼女の容疑は近いうちに晴らされるだろう。

 己の指示で運ばせた温かい薬草茶を、涙が乾き切らない顔で口に含む彼女を見つめながら、ヨアンはそんな予感を抱いた。そしてその予感は外れることはなく、数日後、王都に護送された彼女の身の潔白は証明されることになるのだ。

 


「――そう」

 事のあらましを聞いたカリーナは口の端に苦笑を浮かべた。

「馬鹿ね。大人しく王都で待っていれば良かったのに、あの人……結果を自分の目で確かめずにはいられなくて、直接来てしまったのね」

 彼、結構小心者なのよ。そう言って彼女は溜息交じりに笑った。

 王都からヒルデガルドを尾行していたというランナル。彼女が大聖堂に入るところまで確かめてから宿に戻り、その日はそのままそこで一晩明かすつもりでいたらしい。しかし、翌日まで待つことができずに再び大聖堂に出向いたのが運の尽きだったと言えよう。彼女が騎士団に保護されていると聞いて、早くも取り押さえられたかと早合点した結果があの醜態だった。

「――最後にあと二つだけ訊かせてくれ」

 アレクが口を開く。

「王都のホールでの嫌がらせは、お前の仕業か?」

「……ええ。舞台照明が落ちてきたこと以外は……全部私よ」

 仕込んでおき、そして自らがそれを防いだかのように見せかけたと彼女は認めた。

「そうか。ではもう一つ。シオリを狙ったのは、シナリオにはない登場人物だからというだけはないな?」

 何度も向けていた煮え滾るような悪意。あれの意味は。

 顔を上げたカリーナはアレクをじっと見つめ、それからシオリに視線を移す。

「……貴方達、ただ仕事上のパートナーというだけではないのでしょう。二人を見ていればそれは分かるわ」

 冷静さを取り戻していたその瞳が揺らめく。

「特にアレクさんがシオリさんを見るときの目。あれほどの熱量を帯びた目で――私も見てもらいたかった」

 外した視線の先にいるのはヘルゲだ。フェリシアのそばに佇んでいた彼は、はっと目を見開く。そして次の瞬間酷く顔を歪めてぽつりと言った。

「……俺のせいかよ」

「いいえ」

 カリーナはかぶりを振る。

「勘違いした私が悪いのよ」

 家同士の取り決めで定められていた婚約者に親愛の情はあれど、男女が抱くそれには程遠く――ただ、初めて身を焦がすような恋情を抱いたのが彼だった。華やかな歌い手や舞台女優が多く集う歌劇場では明らかに地味な部類に入っていた自分に、気さくに声を掛けてくれた彼。淑女のように扱ってくれる彼に好意を抱くのにそれほど時間は掛からなかった。

 しかしその彼が見ていたのは自分ではなく、その隣にいた友人(フェリシア)――。

「私が欲しかったものを、本当に何もかもフェリスが持っていってしまった。そのフェリスを今度はヒルデガルドが奪おうとしている」

 そして、シオリに向けた視線を悔しげに、そして羨ましげに細めて彼女は笑った。

「この国に来てそう何年も経っていないと聞いていた辺境民族の貴女が、高い評価を得て確固たる立場を築いて、その上――素敵な殿方までものにした貴女が……心底羨まし(にくらし)かった」

 自身が手に入らなかったものを手にした女達への、卑しく狂おしいほどの羨望と嫉妬。その浅ましい思いが彼女を大胆な犯罪に駆り立てた。

 しかし、彼女は気付いているのだろうか。その根底にあるものが、己よりも劣ると侮っていた者達に追い抜かれたことで覆された優越感であるということを。

 ――欲していながら得られなかったその空虚感を、優越感で埋めてはいなかっただろうか。

 カリーナはシオリから目を逸らすと、傍らのニクラスに視線を向けて小さく頭を下げる。頷いた彼は聖堂騎士団のマントを外し、そっと彼女の頭から被せてやる。これ以上の恥を晒さないようにというささやかな気遣い。その背に腕を回し、彼女を促して静かに歩き出した。

「――なぁ、カリーナ」

 カリーナとすれ違いざま、フェリシアが声を掛ける。

「オレを歌姫の座に押し上げてくれたのはオマエだ。この場所に連れてきてくれたのはオマエなんだ。物知らずなオレ一人じゃ絶対にここまで来れなかった。感謝してんだ。それを……忘れねーでくれよ」

 深々と掛けられたマントに隠された彼女の表情は見えない。ただその震える唇が微かな笑みの形を刻み、そして何事かを小さく呟いた。ぽたぽたと落ちた数滴の雫が床に染みを作る。

 数人の騎士に取り囲まれて連行されていくカリーナを、いつの間にか成り行きを見守っていた彼女の同僚達が無言で見送る。切なげに眉尻を下げる者、涙ぐんで俯く者、険しい顔で睨み付ける者、複雑な表情に顔を歪める者――それぞれが様々な想いを胸に、かつての仲間を見送った。

 階下へ降りる階段へと通じる廊下の角にその姿が消えてしばらく後。

「――ごめんなさいじゃ、ねーだろうがっ……」

 フェリシアはぎりりと噛み締めた口の端から小さな慟哭を漏らし、金茶色の髪を掻き毟る。その肩を遠慮がちにヘルゲが抱き寄せた。

 その場に残った数人の騎士が気遣わしげに彼らに視線を向けながらも、それぞれの仕事のために動き出す。

「……ね、アレク」

「……なんだ?」

 自分を抱き寄せたままカリーナが消えた戸口を眺めていたアレクを見上げる。

「あの人、どうなるかな」

 どのような罪に問われるのだろうか。死人はなく、用いられた毒物も死に至らしめるようなものではなかった。けれども悪質であったことに変わりはない。

「どうだろうな」

 念のためだと取り出した解毒薬をシオリに押し付けながら、アレクは眉間に皺を寄せた。

「お前に致死量に達する睡眠薬を飲ませようとしたこと、それから王都での嫌がらせがどう扱われるかで大分変わるだろうな」

 殺意の有無。特に舞台照明のことは彼女自身は否定したけれど、それが真実か否かによって結果が変わるだろう。直撃していれば間違いなく大惨事だったはずだ。衣装に仕込まれていた針も、ヒールが折れるように細工されていた靴も、どちらも一歩間違えば命を落としかねない。

「アレク殿、シオリ殿。少しお話を」

 現場検証を始めていた騎士が二人に声を掛ける。二人は視線を交わし合い、それから頷いた。

 ――生誕祭前夜の事件はこうして幕を下ろした。そしてこの事実は、翌日の生誕祭が無事成功のうちに終了するまで外部には伏せられることとなる。


 この後、北方騎士隊で取り調べを受けた後、カリーナ・スヴァンホルム及びランナル・オルステットは王都に護送され、正式に王都騎士隊へと引き渡された。

 厳しい取り調べの結果、ランナルは自らが主犯であることを認め、カリーナは彼に唆された末に犯行に及んだこと、そしてヒルデガルドは無実であることが証明された。

 ――ランナルは経費の一部を横領していた。王都一の歌劇場とも呼ばれているエルヴェスタム・ホールでも五本の指に入るほどの歌い手ともなれば、その宣伝や舞台演出に掛かる費用は莫大なものだ。一部とはいえ着服していた金はかなりの額になる。上流階級の紳士に相応しい一級品ばかりを身に着けることができたのはそのためだった。

 その事実を三番手の歌手に見抜かれたランナルは、それをネタに脅迫された。この事実を公表されたくなければフェリシアとヒルデガルドをどうにかして歌姫の座から引きずりおろせと迫られた彼は、身の破滅を恐れて頷くしかなかった。成功したら新たな歌姫となるだろう自分の付き人として雇うと約束されたというのも理由の一つだ。

 ヒルデガルドを通してフェリシアやカリーナと一時期交流を持っていた彼は、カリーナの劣等感に薄々気付いていた。彼はその劣等感を巧みに煽り、彼女を仲間に引き入れることに成功した。

 二人はそれとなく手を回してフェリシアとヒルデガルドを引き離し、ヒルデガルドが嫉妬の末に嫌がらせをしているかのように巧妙に噂話を流した。そして二人の対立が周囲に知れ渡った頃、フェリシアに音楽会の参加依頼が舞い込んだ。これを好機とみたランナルは、音楽会を利用して二人を社会的に抹殺しようと一計を案じたのだ。

 カリーナはランナルの指示通りにフェリシアの手紙を偽造し、金茶色の鬘を被りフェリシアの名を騙って郵便配達人にそれを手渡した。

 金さえ積めばどんな仕事でも引き受けるという些か性質の悪い冒険者を雇い、シェーナ風邪に感染したかのように振舞わせてヘルゲと接触するよう依頼したのはランナルだ。ヘルゲが選ばれたのはカリーナの腹いせの意味もあったようだ。

 そしてトリスまであと数時間という場所での休憩中、カリーナは男性団員が乗り込む馬車の飲み水に密かに毒を混ぜた。敢えてトリス到着目前で仕掛けたのは、症状が進んで途中の街で足止めされ、音楽会への参加そのものが不可能になることを防ぐためだ。

 それから後は筋書きどおりに事は進んだ。二人にとって誤算だったのは、主催者が補助要員として冒険者を雇ったこと、歌姫自身も強くそれを望んだこと、そして――雇った冒険者が様々な知識と経験を持ち合わせた手練れだったことだろう。彼らが訪れてからごく数時間のうちに毒を用いた事件であること、そしてヒルデガルドが受け取った手紙が偽造であることを見抜いてしまった。

 かくしてカリーナはシナリオを外れて動き出す物語を修正しようと躍起になって怪しまれ、ランナルは自らが手掛けたシナリオの出来栄えを、己自身の目で確かめようと要らぬことを考えて馬脚を現した。犯罪という手段を用いて己の矜持を保ち、欲を満たして罪を隠滅しようとした末の結末。

「博打を打つには選んだ舞台が大き過ぎたな。せめて王都のホールだけで完結させておけばあるいは上手くいったかもしれんが」

 二人を捕縛した騎士ニクラスは後にそう述懐したという。

 ランナル・オルステットとカリーナ・スヴァンホルムはその後公判に付され、それぞれが罪を認めて懲役刑が確定した。ランナルを脅迫した歌手もまたホールの舞台照明に細工したことを認め、これも数年間の懲役刑に処されている。


 なお、この話には後日談がある。

 模範囚として期日よりも早く出所したカリーナ・スヴァンホルムは実家に立ち寄った後、その足でトリス大聖堂併設の尼僧院を訪ねている。出家し、祈りと労働の日々を数年送った後には巡回修道女として各地を巡るようになったという。

 後年、その濃紺の修道女姿から「宵闇の歌姫」と呼ばれて慕われる一人の巡回修道女の話題が人々の噂に上るようになる。各地の刑務所や医療施設、孤児院などを巡り、歌や幻影魔法を用いた「活弁映画」なる小芝居で人々を慰めたカリーナという名の女性が、このカリーナ・スヴァンホルムであったかどうかは定かではない。

 ただ、かつて王都の歌姫として君臨した大女優フェリシアと著名なフルート奏者ヘルゲ・ルンディーン夫妻や、大司教コニー・エンヴァリ、そしてトリス魔法工科大学の前身である冒険者養成校の創設者アレクセイ・フレンヴァリ公爵夫妻などの著名な人物と交流があったということが伝えられるのみである。



カリーナ「オレの歌を聞けーーーっ!」

ペルゥ「うわぁはっちゃけたぁ!!」

ルリィ「何か混じってない!?」


混じってる。

このタイミングでアラサーカップルの結末の一部を入れるかどうか悩んだけど、結局出しました。しれっとゴールインしてるカップルもいます。

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― 新着の感想 ―
ヒルデガルドさんはどうなったのかな… 歌はともかく、ぽやぽやしたお人柄っぽいし、出世コースから外れてそこそこの人生だったって事かしら。
[気になる点] もうひとつ、カリーナの話がなぜ癒やす活劇になるのか、ここまでの時点では全くわからないです。この後にいい話でまとまるのでしょうか?どんなお話なのでしょう?
[良い点] 楽しく読ませてもらっています。 フェリシアはヘルゲと結婚したとは、予想外でした。それらしきフェリシアの感情は出てなかったからかな?それともヘルゲ・ルンディーン夫妻とは、ヘルゲの奥さんは別に…
感想一覧
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