13 動機
冬の空のように色の悪い蒼褪めた肌に、血の色が抜けて紫に染まった唇。顔色はまるで死人のようだと言うのにその瞳だけがぎらぎらと異様な光を宿して輝き、そのアンバランスさが余計に彼女の動揺を際立たせて見せていた。
カリーナはおどおどと視線を彷徨わせ、それから口を僅かに開いた。が、何か言葉を発しようとして上手くいかず、釣り上げられた魚のようにはくはくと唇を動かしたのみ。その喉から震えを帯びた吐息が漏れる。
「シオリ」
カリーナから視線を外さないまま自分を呼ぶアレクに咄嗟に返事ができず、シオリは目だけで彼に答えた。
「中身は飲んではいないな?」
「……うん、大丈夫。だってそうなる前にアレクが止めてくれたでしょう」
彼のことだから、ぎりぎりのところでタイミングを計っていたはずだ。
そう言うと、アレクはほんの少し表情を緩めて頷いてみせた。しかしそれも束の間、彼の瞳に険しさが戻る。
「この女から薬瓶を」
「……うん。分かった」
短い指示に頷き、薬瓶を傾けたまま硬直している彼女の手からそれをそっと取り出した。そのとき触れた手が冷たくじっとりと汗ばんでいて、シオリは居た堪れなくなって目を伏せる。
近寄ってきたニクラス達に彼女を預けたアレクは剣を収め、取り上げた薬瓶を受け取った。
エナメルボトルほどの大きさだろうか。先端が尖った特徴的な形の瓶は、多分内容物を少量ずつ垂らして使うためのものだろう。指先でつまむようにして持ったそれのラベルを確かめて暫し考え込んだアレクは、瓶の口を手で煽るようにして匂いを嗅いだ。それからニクラスに薬瓶を預ける。
「……睡眠薬だな。常夜草の花の」
同じようにしてそれを確めたニクラスは言った。
「不眠を訴えれば誰でも簡単に手に入る」
その言葉に勢いづいたのか、僅かに平静を取り戻していたカリーナは取り繕うように言った。
「……ええ、そうです。時々眠れないときに使っておりますの。シオリさんには明日活躍して頂かなくてはなりませんから、よく眠れるようにと――」
「わざわざフェリシア殿や見張りを魔法で眠らせて鍵を奪ってまでか? 苦しい言い訳だな」
それは自分でも承知の上だったのだろう。それでも一縷の望みを掛けて口にした苦し紛れの言葉はやはり、言い訳にすらならなかったようだ。彼女はぐっと唇を噛んで目を伏せる。しかしそれも束の間、観念したのか再び目を上げたカリーナは口を開いた。
「――計画を成功させるためにはどうしてもシオリさんが邪魔だった。目障りだったのよ。だから全て終わるまで眠っていてもらうつもりだった」
「全て終わるまで、か」
アレクは嘲るように言った。その視線は恐ろしく冷たく、内心の押し殺した怒りと嫌悪感を如実に表している。
「この薬は薄めて飲むものだ。コップ一杯の水に二、三滴も入れれば十分に効果が出る。それをお前は原液で飲ませようとしたな」
「だって……規定の量では朝には目が覚めてしまうわ。丸一日は眠っていてもらわなければ」
アレクの言葉の真意が掴めずにカリーナは戸惑いを見せたけれど、シオリは薄ぼんやりとした恐怖を感じてふるりと身体を震わせた。
数滴を水に混ぜるだけで十分なはずの薬を原液で。それの意味するところは。
身震いしたシオリの肩を抱き寄せたアレクは、低い声で問うた。
「参考までに訊いておこう。カリーナ殿、シオリにこれをどれくらい飲ませるつもりだった」
アレクの質問の真意が掴めずにカリーナは戸惑いを見せたが、正直に答える。
「半分ほど……」
おお、という呆れとも怒りともつかない声混じりの吐息がニクラスから漏れた。
無言で彼女を見つめていたアレクの紫紺の瞳が、さらに鋭く細められる。魔獣に対峙するときよりも遥かに険しい視線。
良家の子女らしい彼女なら恐らく生まれてから一度も向けられたことがなかっただろうその剥き出しの負の感情に、カリーナの青い顔色が紙のように白くなった。恐怖にぐらりと傾いたその身体を騎士が支える。
「俺達が気付いて良かったな。でなければお前は今頃殺人者だ」
「さ……殺人ですって!?」
アレクの言葉にカリーナは目を剥いた。身体を支えていた騎士の手をもがくように振り払い、踏鞴を踏むようにして前にまろび出る。
「殺人なんて大袈裟だわ! たかが睡眠薬なのよ! 長くたってせいぜい二、三日で目を覚ますはずだわ!」
「やはり素人か。その程度の知識しか持たない人間が、安易に薬を使った犯罪に手を出すものではない」
アレクは嗤った。
「原液でも一、二滴程度なら確かに二、三日もあれば目を覚ますだろう。だが、それを半分も飲めば二度と目覚めない。昏睡状態に陥りそのまま衰弱してあの世行きだ」
薬物の過剰摂取による中毒死。どんな薬であろうと、量を過ぎれば体に悪影響を及ぼすことなど、薬品に詳しくない自分でも分かることだ。けれどもいかに豊かで先進的であろうと、日本ほどには教育を受ける機会にも必要な情報を自ら調べて得る手段にも恵まれていないこの国では、それを常識として知らない人間は多いに違いない。
「――そんな」
カリーナは喘いだ。
「私……私、そんなつもりは……」
「つもりはなかったとしても、実際に手を下して結果が出てしまえばそれはもう全てお前の責任だ」
「でも未遂よ! シオリさんだって無事だわ!」
厳しいアレクの言葉に彼女はきっと顔を上げて言い放った。無事だと言いながらもそのぎらついた視線ははっきりとシオリを捉え、明らかな殺意に身の毛がよだつ。
「――だからと言って貴女の罪がなかったことになるわけではない、レディ」
静かな、だが切って捨てるようなニクラスの言葉にとうとうカリーナはその場に膝をつき、両手で顔を覆った。室内に狂おしい女の啜り泣きが響き渡る。
シオリは恋人に肩を抱かれたまま、その姿を見下ろして言葉もなく立ち尽くした。最初に受けた知的で冷静な女性だという印象は、こうなってしまった今でも変わってはいない。トップスターのマネージャーを務めているというのであれば、非常に優秀な女性であったはずだ。そんな彼女が罪を暴かれ懊悩する姿を眺めるのは気持ちのよいものではなかった。
「――なぜこんなことをしたのです」
騎士の後ろから姿を現したコニーが静かに問う。
「計画の邪魔になるからというのは分かりました。ではその計画とは? フェリシアさんを陥れることですか?」
ただただ穏やかに問う彼に、顔を覆ったままの彼女はこくりと頷いた。
「なぜですか。お二人が信頼し合っているのは誰の目にも明らかでした。貴女が彼女を大切にしているのも見ていてよく分かりましたよ。それなのに、なぜこのようなことを?」
顔を覆っていた手が静かに離れ、そっと膝の上に置かれた。ただ、その顔は俯いたままで表情までは窺えない。
「……羨ましかった。私がどれだけ努力しても手が届かなかった輝かしいあの場所に、フェリスはたった数年で上り詰めてしまったわ。歌を一から教えてあげたのは私なのに、あの子ったらみるみるうちに上達して――あっという間に私を追い越してしまった。それなのに私は……」
きゅ、と噛み締めた口元だけが見える。
「私は、せいぜいが前座止まり。どうしても結果が出せずにいるうちに、どんどん後続の子達に追い抜かれて、そのうちにお払い箱になったわ。だからもうこの世界は諦めて、家庭教師として生きていくつもりだったのに」
それなのに出会ってしまった。フェリシアという娘に引き合わされ、その家庭教師として接するうちに彼女の才能に気付いてしまった。一度は諦めたはずの世界にマネージャーとして舞い戻り、彼女が花形歌手として頭角を現してきたのを見るにつけて抱いてしまった嫉妬心。
有能なマネージャーとしての評価を高める一方で、表舞台で活躍する彼女の姿にまだ輝いていた頃の自身を重ね合わせ――そして今まさに輝いている彼女と夢を諦めざるを得なかった惨めな自身の姿との乖離にひどく打ちのめされるようになった。
ヒルデガルドの存在もまた、カリーナにとっては容認しがたいものだった。自身が数年かけて友情を育んだフェリシアとの間に割り込み、彼女はごく短期間で親友とも呼べる立場になってしまった。自身がどれだけ手を伸ばしても手に入れることができなかった花形歌手としての居場所を、彼女はフェリシアと同じように掴んでしまった。
歌手同士のお喋りや悩みの相談事をする二人を見るにつけて、疎外感を感じる日々だった。マネージャーとしての立場では到底入り込むことができない自分が、夢を叶えられずに裏方に徹する自分が、貴族に名を連ねる身分でありながら元旅芸人という素性も知れない娘と下町育ちの娘にも劣る自分があまりにも惨めだった。
友情と嫉妬と職務の間で揺れ動き、人知れず懊悩する日々。
「そのうちによく眠れない日が増えてきたわ。だからお医者様に言われたのよ。仕事から離れて静かな場所でしばらく静養した方がいいって。私には今のままの状態で克服するよりも、そういう世界から離れて暮らした方がずっといいって」
「――睡眠薬は、その医者に?」
ニクラスの問いにカリーナは俯いたまま頷く。しばらくの沈黙の後、再び口を開いた。
「私ももう休みたいと思ったわ。婚約者にも言われたの。いい機会だからこのまま籍を入れて、領地に移ろうって。だから近いうちに職を辞して静養地に移るつもりだった。けれど――」
膝の上に置かれたままの細い手が、ぐっと握り込まれる。
「悔しかった。私は夢も諦め仕事も辞めて田舎に引き籠らなければならないのに、フェリシアは王都の歌姫として華々しく活躍しているなんて、そんなの――」
「だから、陥れて舞台で恥をかかせて評判を落とそうと?」
静かに問うコニーに、小さく頷く。
「羨ましかったのよ。私が欲しいものを全部持ってるあの子が羨ましかった。華やかな容姿も、トップスターの座も、同じ立場で語り合うお友達も、私が欲しくても手に入れられなかったものを何もかも持っているあの子が羨ましかった!」
「――ならオレの居場所をくれてやるから、オマエの居場所をオレにくれよ」
思いの丈を吐露したカリーナに、この場にそぐわない蓮っ葉な女の言葉が掛かる。
――驚いて振り向いたその先にあったのは、ふらつく身体をヘルゲに支えられて立つフェリシアの姿だ。
泊まり込み雪男「( ゜Д゜)」
下水道のマダム「女は女優なのよ」
王妃「そうそう」
ペルゥ「わーっ!?」
ゲストキャラで一番の猫かぶり(誉め言葉
まだ動機の半分くらいです。




