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12 邪妖精捕獲作戦

 夜の大聖堂構内。日中は多くの関係者や来賓で賑わっていたけれど、午後八時を過ぎる頃には人気もほとんどなく、時折遠くで扉が開閉する音や歩哨の足音が聞こえる以外には音らしい音はしなくなっていた。

「いつもはもっと静かなのですよ。祭の時期は皆遅くまで起きていますから、つい気持ちが浮付いてしまいますね」

 修行が足りませんね、そう付け加えてコニーは笑った。

「消灯時間が普段より一時間遅いのです。準備や接客などでどうしても時間が掛かってしまいますから」

「まぁ。ではもうお疲れなのではなくて?」

 時刻は既に九時半を回っていた。普段の消灯時間を過ぎている。フェリシアは眉尻を下げ、最終の打ち合わせのために部屋を訪れていたコニーを気遣った。

「ええまぁ、多少は」

 彼は正直に言いながらへにゃりと表情を崩して笑う。打ち解けるにつれてこんな笑い方をすることが増えてきたけれど、もしかしたらこれは彼の癖なのかもしれない。

「最終調整も済みましたし、いい頃合いです。そろそろお暇しますよ。僕は館内にはおりますので、何かありましたら騎士に言伝をお願いします。僕達が出たら必ず施錠してくださいね」

 コニーの言葉に頷いたカリーナは少し考え、それからおずおずと疑問を口にした。

「あの……皆様の能力を疑うわけではないのですけれど、もし窓から侵入された場合はどうしたら」

「それは問題ありません。万一に備えて見張りの騎士は合鍵を持つようにしておりますから」

「まぁ、そうでしたか。それなら安心ですわね」

 彼女は微笑み、フェリシアと共に安堵の息を吐く。

 ――鍵の在り処を確かめたのだろうか。

 もっとも確かめたところで、恐らくそれ自体が既に罠なのだろうけれど。

「では僕はこれで失礼します。おやすみなさい。良い夜を」

 コニーに続いてアレクも言った。

「俺はこのまま部屋の前で見張りを続けるが、もし仮眠中に何か気になることが起きたら、構わず直接部屋に来てくれ」

「ええ、分かりましたわ。お隣のお部屋ですわね」

 辞去を告げて立ち上がるシオリ達にカリーナは頷いた。

「……何も起こらないことを祈っておりますわ」

 不安げにしてみせる彼女に白々しさを感じてしまい、シオリは内心苦笑した。怪しいというだけでまだ彼女が犯人だと決まったわけではないのだ。

 練習後から夕食、そして部屋に戻るまでの間、カリーナには監視が付けられていたようだった。しかし彼女やほかの団員も含めて、善からぬ話し合いをしたり抜け出して何か企む様子は見受けられなかった。

 ――何も起こらないならそれに越したことはない。

 しかしそれと同時に早く解決してほしいという気持ちもあって、なんとも言えない思いを抱えながら、シオリはアレク達と共に就寝の挨拶をして部屋を後にした。

 突き当たりの部屋から真っすぐ伸びる廊下には、巡回の騎士のほかに人影はない。皆部屋に辞したようだ。既に床に入ったか、就寝前の静かなひとときを楽しむかをしているのだろう。

 コニーが扉を完全に締め切る。扉から幾分離れて気配を探り、近くで聞き耳を立てる者がいないことを確かめてから、その場にいる者全てが目配せをして頷き合う。

「――全員定位置に付きました」

 騎士が低く告げる。

 緊迫した空気にシオリはごくりと唾を飲み込んだ。まさか騎士隊に協力して捕り物に参加することになるなんて思いもしなかった。どこか現実味がない気がして足元がふわふわする。この世界に来て以来、幾度となく感じた非現実感。

 ――あの世界にいた頃の自分と、今この世界にいる自分との剥離。自らが体験している出来事に、心が追い付かないこの感覚。

 ああ、でも。

(――これが、現実なんだよなぁ……)

 異世界に渡り、冒険者となり、魔導士になって、あの世界にいた頃からは考えられない体験をいくつもした。命を脅かされたことだって、一度や二度ではない。

 何度も挫けそうになったけれど、生きるために戦い続けたこと、それは全て現実のものだ。決して夢、幻などではない確かな現実なのだ。

 自分は今この世界(ここ)に生きている。

 シオリはアレクを見上げた。彼は力強く頷く。

「――二人で最終の打ち合わせをしたい。五分程度で戻る」

 アレクは言い、立哨の騎士達は頷いた。片方の騎士が片手を高く掲げ、特徴的な形に振ってみせる。すると廊下の奥を巡回中だった騎士も同じように片手を上げた。何がしかの――恐らくは作戦行動開始の合図なのだろう。

「僕は隣の部屋に待機します」

「ああ。ではまた後で(・・)

 コニーは静かにもう一つ向こうの部屋に下がり、シオリはアレクに促されて宛がわれた部屋に入る。

 フェリシアの部屋ほどではないにせよ、そこそこの広さがある上品に纏められた室内は居心地がよく、何もなければ本当に気持ちよく休むことができただろう設えだ。部屋の中央には長椅子と小ぶりの卓、窓の前には書き物机、そして壁際には衣装戸棚と衝立が置かれていた。そのそばにある寝心地の良さそうな寝台はクイーンサイズほどの大きさがありそうだ。多分それなりの身分の人間が泊まることを想定した部屋なのだろう。

 アレクは詳しい説明をしてくれた。

「この後、十一時前後にトラブル発生という理由で騎士が一部引き上げる。俺も表面的にはそう見せかけて部屋に戻る。引っかかってくれれば、それほど時間を置かずに行動を起こすだろう」

「うん」

「だが、隣室を含めたいくつかの部屋には既に別の騎士が待機している。俺もそこの衝立の影に隠れるからお前は寝台で寝ているふりをしていてくれ」

「……うん、分かった」

「相手は魔法を使うかもしれんが、部屋の前の見張りも待機中の騎士も全て魔法兵だそうだ。俺は言わずもがな――だから、安心していい」

 もし魔法を使うとしたら精神系のものかもしれない。あのとき彼女から感じた魔力から察するに、それほど高威力のものは使えないだろう。だとすれば、意識を集中していれば十分に防げるはずだ。大丈夫。

 そう強く自分に言い聞かせながら頷いてみせると、彼の逞しい腕に引き寄せられた。そのまま抱き締められ、そっと唇を塞がれる。何度か軽く啄むように口付けられた後、静かに唇が離れていった。

「……予定の時間までまだ間がある。少し休んでおけ。時間になったら起こす」

「いいの? ……と言っても、緊張して眠れない気もするけど」

 そう言うと彼は小さく笑った。

「まぁ、そうかもしれんな。だが横になるだけでも違う。いいからしばらく休んでおけ」

「うん、分かった……って、あ、そういえば」

 シオリはふと思い出した疑問を口にした。

「さっき講堂で会った騎士さん、どこかで会ったことあるかな。見たことある気がするんだけど」

 それも、ごく最近。

「ああ、ニクラスか」

「ニクラス……って、ああ、ブロヴィートのときの」

 トリス行きの観光客一行を護衛していた騎士の一人だ。隊長格らしい同年代の騎士。確か水虫患者だった――などとどうでもいい情報まで思い出してしまい、彼の名誉のためにそのことを意識の外に追い出そうと努める。そうでないと次に会ったときに、うっかり彼の足元を見てしまいそうだ。

「……お前、今水虫のことを思い出したんだろう」

 図星を指されてシオリは、う、と首を竦めた。

「まぁ、俺もだ。つい、な。今度ニルスの店でも紹介するか」

「そうだね……」

 そう言って彼と二人で苦笑いする。

「……さて、俺はそろそろ定位置に付く。お前も休め」

「うん」

 帽子を取られ、そのまま寝台に押しやられた。ケープとブーツを脱いで髪を解き、そして横になる。見上げた先の紫紺の瞳と視線が絡まった。その瞳が、優しく細められる。

「時間になったら起こしてやる。それまでおやすみ、シオリ」

 ――再び下りてくる唇。次の口付けは短いけれど、深いものだった。


 緊張と戦いの予感に眠れずまんじりともしない時間を過ごし、それでもほんの少しうとうとしかけた頃。

 慌ただしい複数の足音と人の声を聞いて、シオリは意識を浮上させた。その足音はやがて部屋のそばで止まり、「何事だ」と問う声が扉越しに聞こえた。

「ヒルデガルド嬢が逃走した。現在捜索中だが、敷地内を既に出た可能性がある」

「なんだと?」

「人手が足りんのだ。すまないが」

「しかし――いや、分かった。少し待て」

 早口で交わされる言葉。

(……そっか)

 シオリは温かい肌掛けの下でひっそりと苦笑した。

(あの人が逃げたって聞いたら、よけいにチャンスだって思うよね)

 カリーナの口ぶりから察するに、元々この件はヒルデガルドに罪をなすり付けるつもりだったのだろうから、それが逃げたとすればまさにお誂え向きの状況だ。

 効果的ではあるが、なかなかに悪辣ともいえる罠だ。自分でも分かる。素人ならこの好機を絶対に無駄にしてはならないと是が非でも思うだろう。

 やがて扉を鋭く叩く音と部屋の主人を呼ぶ声が聞こえ、ややあってから鍵の開く音が鳴り響く。

「――どうなさったのです」

 扉の向こうから聞こえた声はカリーナのものだ。

「ヒルデガルド嬢が逃走した。敷地内から出た可能性が高い」

「なんですって!?」

 間髪入れずに上げられる声には戸惑いと怒りが滲んでいる。

「一体どういうことなのです? 厳重に監視されていたのではないのですか?」

「申し訳ない。お偉方にどうしても彼女を話し相手にと請われて断り切れず……隙をついて逃げられた。上まで事情が伝わっていなかった。丸め込まれて手引きをしたらしい」

「こんな時間だが祭中で市内にはまだ人が多い。観光客に紛れてしまっては探すにも人手がいる。申し訳ないがこちらの騎士を一部捜索に当てることになった」

「まぁ……では警備は」

「必要最低限は残していく。見張りの騎士も一人残す。だが、施錠して絶対に部屋から出ないようにしてくれ」

「……ええ。ええ、分かりました。致し方ありません」

 戸惑いながらもカリーナの了承する言葉が聞こえた。

「それからアレク殿」

「なんだ?」

 会話を終えた騎士が次は彼に話し掛けた。演技は続く。

組合(ギルド)から使いが来ている」

「こんなときにか?」

「よくは分からんが急ぎらしい。とにかく話だけでもと食い下がられてな。裏門の詰め所で待たせてある」

 くそ、という悪態と共に舌打ちの音。

「……分かった。カリーナ殿。なるべくすぐ戻る」

「……仕方ありませんわね」

 渋々ながら落とされた彼女の言葉には明らかな不快感が滲んでいた。だが、それは本心からか、それとも――演技か。

 ぼそぼそと短いやりとりが交わされ、そして再び施錠する音が響いた。一瞬の間の後に複数の足音が駆け去っていき、同時に静かにこの部屋の扉が開く。仄明るい光を背景にして立つ背の高い人影は、室内にそっと滑り込むと音もなく扉を閉め、そして鍵を掛けた。

「――アレク」

「起きていたか」

 そっと身体を起こして彼を迎える。急ぎ足で、しかし音らしい音も立てずに近寄ってきた彼は、寝台の傍らに膝を付いた。

「始まるぞ。食らい付いた。やはり隙を窺っていたようだ」

 彼は断言した。起きたばかりを装ってはいたが、寝ていた形跡はなかったという。呼び掛けてから扉が開けられるまでに掛かった時間も短く、ほかにもいくつか兆候があったようだ。

「俺はそこに隠れている。お前も手筈どおり」

「……了解」

 頷き、再び肌掛けの中に滑り込んだ。その頬に口付けが落とされる。彼は立ち上がると、素早く衝立の影に潜んだ。


 ――どれだけ時間が経っただろうか。数分か。それとも数十分か。

 無意識に息を潜めてそのときを待っていたシオリは、微かな魔力の揺らぎを感じて小さく息を呑んだ。

(誰か魔法を使った)

 ごく微弱な魔力の流れ。大きな魔法ではない。それも、かなり近くだ。

 シオリは静かに探索魔法を展開した。細く細く、千切れそうなほどに細長い魔力の網を徐々に広げていく。広げるごとに網に掛かるいくつもの気配は、既に待機している騎士のものだろう。

 十数メテルほど広げたあたりで異様な気配が一つ引っかかる。距離的にみてこれは隣室、フェリシアの部屋だ。微かだがしかし、確かな悪意と殺意を秘めた気配。

 その気配は一度立ち止まると、再び何か魔法を使ったようだった。続いて、どさりと何かが倒れる音。

(……眠りの魔法)

 けれどもアレクは館内に待機している騎士は全て魔法兵だと言っていた。だからきっと、今感じている程度の弱い魔力なら簡単に往なせるだろう。眠ったふりをしているはずだ。

 それでもシオリは緊張のあまり、小さく息を吐いた。聞こえるはずのない吐息がやけに大きく響いたような気がして、くっと唇を引き締める。

 微かに鍵の開く音が聞こえ、その気配は僅かに移動した。そのまましばらくその場に留まっているのは、倒れた騎士の身体を漁って鍵を探しているからなのだろうか。はたして、それほど時を置かずにその気配は再び移動し、この部屋の前に立ったようだった。

 シオリはそっと探索魔法を解除して目を閉じる。一目見て眠っていると分かるように、寝息を立てて――しかし意識だけは研ぎ澄ますようにしながらそのときを待った。

 微かな金属音が鳴り、そして一瞬の間の後に扉が静かに開かれる。小さな衣擦れの音、絨毯を踏む柔らかな――そして忍ぶような足音の後に扉は再び閉じられた。

 じっとりと纏わりつくような悪意を纏った気配の持ち主はやがて、寝台のそばに立ったようだった。肌がちりちりと焼け付くような感覚。

(――くる)

 小さな呟きと共に開放された魔力。次いで、ぐらりと意識が揺らいだような感覚が過ぎった。やはり催眠魔法だ。しかし威力は強くない。一瞬だけ覚えた眠気はしかし、時を置かずに霧散していく。

 けれども魔法を放った当の本人はそうは思わなかったようだった。目を覚ます様子もなく、ただただ寝息を立てて深く眠ったままの相手を侮ってか、嘲るような声混じりの吐息が漏れた。

「……間抜けだこと。高ランクが聞いて呆れるわね」

 呟くように落とされた侮蔑の声はやはりカリーナのものだ。

 間抜けはどちらか。アレクの声が聞こえたような気がした。勿論それは気のせいなのだけれども、皮肉屋の彼ならそう言うのではないだろうかと頭の片隅でふと思った。

 衣擦れの音が静かな室内に響く。何かを取り出したようだと思った瞬間、きゅぽ、という栓を抜いたような音がした。そして気配がさらに近付き、何か冷たく硬い物が唇にそっと押し当てられた。

(まさか……毒!?)

 それが傾けられようとした――そのとき。

 金属が擦れる音と共に小さな悲鳴が上がり、唇に押し当てられていた何かがぱっと離れた。

「――そこまでだ」

 酷く低く硬い声が響き渡る。

 恋人の常にないほどの冷たい声に内心ぞっとしながらも、それを合図にシオリは目を開けた。

 勢いよく部屋の扉が開いて幾人もの騎士が雪崩れ込み、魔法灯が灯される。夜の闇に沈んだ室内が瞬時に明るくなり、その眩さに闇に慣れた目が反射的に細まるが、それでもシオリは傍らに佇んだままの人物を見上げた。

 ――そこには、首筋に魔法剣の切っ先を突き付けられたまま立ち尽くす、幽鬼のように蒼褪めたカリーナの姿があった。


カリーナ「ま、まだよ、まだ慌てるような時間じゃないわ」

ルリィ「諦めようよ、もう試合終了だよ」

残業中雪男「引き際が肝心ですよー」

ペルゥ「……全ストリィディアお前が言うな大賞受賞」


ですよねー。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 楽しく読ませて頂いています! [気になる点] 気になった点はシオリの心情で剥離とありますが、乖離なのかなと。 書籍化で変更などあるとは思われますが報告させていただきます。 [一言] これか…
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