11 ある騎士との再会
教会としての役割を終えてなお清廉な空気の漂う講堂内。アーチ形の天井に反響するように管弦楽の重厚な音が響き、それに重なるように透きとおったよくとおる歌声が歌を紡いでいく。管弦の音に負けぬ声量の歌声が、移ろいゆく風景の美しさと生きる喜びを朗々と歌い上げる。
その舞台脇で一心に幻影を繰り出しているシオリの背後に控えていたアレクは、講堂の空気の流れが変わったことに気付いてふとそちらに視線を走らせた。
入り口の両脇を護る聖堂騎士のうちの一人が、扉を薄く開けて顔を覗かせた同僚らしき二人の騎士と何やら話し込んでいる。彼は何度か頷き、その場に彼らを待たせたままコニーに走り寄った。耳元で何か囁き、コニーを伴って入口に引き返す。
二言三言聖堂騎士達と言葉を交わした彼は、こちらを見ると手招きした。どうやら来いということらしい。シオリとすぐそばに佇んでいるカリーナに視線を向けて逡巡したが、さすがにこの場で手出しはしないだろうと思い、アレクはそっと彼女達のそばを離れた。
「……お仕事中にすみません」
コニーは二人の聖堂騎士に手のひらを向けた。
「アレクさん、こちらは警備を担当する部隊の責任者です」
「お初にお目にかかります。聖堂騎士団第三小隊隊長ヨアン・パトリクソンです」
「同じく副隊長ニクラス・ノイマンです」
「冒険者組合トリス支部のアレク・ディアだ。歌姫の護衛を引き受けている」
言いながらもアレクは、敬礼と共に名乗った副隊長という男の名に覚えがある気がして目を細めた。相手の男も同様らしく、怪訝そうな顔をしていたがやがて、ああ、と呟きながらにやりと笑った。
「久しぶりだな――と言っても先月ぶりだが」
そう言われてようやく彼の正体に思い至って瞠目し、そして破顔する。
「ニクラス殿か。騎士隊の」
ニクラス・ノイマン。ブロヴィート村の事件の際、トリス行き観光客一行の護衛隊長を務めた男だ。確か水虫持ちだった――などと余計なことまで思い出してしまい、アレクは素知らぬ顔で彼に笑ってみせた。間違ってもその足元を見ないように多少努力しながら手を差し出す。
「妙なところで会うものだな」
「まったくだ」
固い握手を交わし、再会を喜び合った。
「お知り合いでしたか」
目を丸くして事態を見守っていたコニーが口を挟んだ。
「以前仕事で少しな」
「ああ。しかしアレク殿と……シオリ殿もいるのか。二人が付いているのなら安心ですな、コニー殿。彼らは先月の雪狼襲撃事件で活躍した冒険者の一人ですよ」
「……そうでしたか。それはそれは……」
感心しきりといった様子だったコニーは何度か深く頷くと、やがて人の良さそうな顔をへにゃりと崩した。
「いえ、聖堂騎士団とはいってもやはりその……警護や警備が主な仕事ですのでね」
「悔しいですが犯罪の捕物のような荒事ははっきり言って素人同然でありますので、ニクラス殿やアレク殿のような経験者がいてくださると心強い」
悔しいとは言いながらも、ヨアンもまた笑ってみせた。
「なるほど、ではニクラス殿の部隊が今回の捕物に参加するということか」
「そういうことだ」
ニクラスは頷いた。
「まぁ、市内の巡回もあるから連れてきたのは半数なんだが……第三小隊に私の部下を混ぜてある。大聖堂周辺の警備も同様だ。祭の主会場で絶対に間違いは起こさせんよ」
「楽団員はまだ休養中の方を除き、全て迎賓院に宿泊させます。容疑者は同じ場所に纏める方向で決定しました。空き部屋には来賓に扮した隊員を既に配置済みです」
「なるほど。承知した」
アレクはにやりと笑った。
「しかしコニー殿は随分と思い切りがいいな。仕事も早い。コニー殿のような人間と一緒に仕事ができるのは光栄だ」
上層部との迅速なやり取りや騎士隊との折衝など、普通ならば尻込みしそうな事柄でも躊躇わずに手を回すのだ。今朝初めて会ったばかりの男だったが、彼の度胸と手腕に素直な称賛の言葉が出た。
「司祭殿は全ての責任はご自分が取ると仰いました。ですから我々も安心して職務を遂行することができるのです」
ヨアンも言い添えて、コニーは照れ臭そうに笑った。
「いやぁ……少々奇矯に過ぎるのではないかと批判も多いんですけどね。しかしこうした大役を任せて頂けたということは、認めてもらえたということなのでしょう。喜ばしいことです」
慢心せずこれからも励まねばとそう言って彼は頬を掻き、それから表情を引き締めた。
「さて。本題に戻りますが……」
「ああ。最も疑わしいというのがあの女人ですかな。舞台の脇にいる鳶色の髪の」
顔を動かさずに目だけを動かしてカリーナを見たニクラスに頷いてみせる。
皆で注目して疑念を抱かれるような事態は避けるために、互いに気を使いながら会話を続けた。
「しかし、確かなのか?」
「残念ながら、あくまで俺の心証だ。証拠はない」
疑問を呈するニクラスに正直に答えた。彼は眉根を寄せて考え込む。
「聖職者という立場で証拠もなく人を疑うのは心苦しいのですが……僕もアレクさんと同意見です。少なくとも何か知っているのではないかと思いますよ。普通の様子では……ありませんでしたから」
しばらく考え込んでいたニクラスは、質問を重ねた。
「共犯者は?」
「それも分からん。共犯者ではないかと疑っていた男もいたが、それは先ほど本人が否定した。あの中ほどに座っている金髪の、フルートの男だ。名はヘルゲ」
「なるほど」
彼は頷いた。
「――心証は?」
アレクは今度も正直に答えた。
「白」
そうか、そう呟くように言って彼はしばし考え、それから頷いた。
「申し訳ないが全面的に信じることはできん。が、注視はしておこう。外部の共犯者がいる可能性も考えられるが、大聖堂周りは特に警備を増強しているから安心してくれ」
「ええ、分かりました。お願いしますよ」
「こちらも承知した」
「では最終確認だ。疑わしきはカリーナ嬢、それから一応ヘルゲ氏。そのいずれか、あるいは別の何者かが今夜中に行動に出る可能性が高いということだな」
「そうみている。もし彼女が下手人だった場合、危害を加えられる可能性が高いのはシオリだ」
「シオリ殿か。歌姫ではなく」
最終目的がヒルデガルドが持っていた手紙のとおり、大舞台でフェリシアに大恥をかかせることだとすれば、恐らくは。そう伝えると、ニクラスは瞠目した。
「あまり好意的ではない目で見ていたのを何度か目撃した。一度なんぞは殺気を向けていたんだ。何がしかの他意はあると見ている」
「殺気か。なるほど、それは穏やかではないな」
彼は顎先に手を当てたまま唸り声を上げた。
「それに陰謀を企てるにはずぶの素人――か。それで今夜仕掛けるというわけだな。分かった。表向きには警備を手薄にして、悪戯好きの妖精が華麗に舞えるよう舞台を整えて差し上げればよいわけだ」
詩的な表現で物騒な企てを口にしたニクラスに、コニーとヨアンは苦笑するしかなかったようだ。なんとも言えない表情で顔を見合わせている。
「いずれにせよ、何者かが祭に便乗して毒物を用い、無関係の人間を苦しめたことは間違いない。生誕祭は多くの人々が安寧と幸福を祈り、そしてそれを享受する日だ。トリス市民の誇り、私怨で汚すわけにはいかん」
領都トリスの出身だというニクラスは語気を強めて言った。
「この練習が終わり次第、彼らには訳あって予定より警備が多少薄くなると伝えよう。その上でさらに消灯から一時間経過後、トラブルが起きたという理由で騎士を一部引き上げさせる」
二重に条件を緩めて機会は今しかないと相手に強く思わせる。こうすればよほど慎重で手慣れた人間でない限りは、かなりの確率で行動を起こすだろう。
「それから宿泊するお部屋ですが」
コニーが言う。
「休養中の方々は引き続き施療院で、それ以外の方は迎賓院に移動していただきます。アレクさんとシオリさんのお二人には、フェリシアさんの隣りの部屋をご用意しました。カリーナさんはフェリシアさんと同室、ほかの楽団員さんは同じフロアにそれぞれ三人ずつです」
「なるほど、初心者にも優しい配置だな」
アレクのこの場にはいない人物への嫌味にニクラスは噴き出し、聖職者組はやはり困ったように笑った。こういった皮肉たっぷりなやり取りには慣れていないのだろうか。
二人を見てやはりそこは聖職者なのだなと思いつつ、アレクはシオリに視線を向けた。その横顔にどことなく疲れが滲んでいるような気がして、一刻も早く彼女のそばに戻りたいという衝動に駆られたのをぐっと堪えた。
「あの女、もしかしたら魔法を使うかもしれん。低級魔導士にも手が届くかどうかといったところの魔力だが、念のため心に留めておいてくれ」
「承知した。それでは人員の配置もそのようにしよう」
一通りの打ち合わせが終わり、互いに目配せをして頷き合う。
「――では、終わり次第」
「ああ、分かった」
「承知した」
音楽祭の演出と歌姫の護衛に続く緊急依頼。
神聖な祭の最中に人々を不幸に導こうとする邪妖精の「捕獲作戦」だ。
歌姫と楽団が紡ぐ調べはやがてクライマックスを迎え、管弦とハープの音とともに歌姫の素晴らしいビブラートが空気に溶けるように余韻を残して消えていった。ふ、と誰かが長い吐息を漏らし、互いに微笑み頷き合う。確かな手応えを感じているのだろう。
歌に合わせてストリィディアの美しい原風景を投影していたシオリは、そっと幻影魔法を解除する。
「……やっぱりプロは凄いね。曲を変えても問題なくできるんだ」
一度そばを離れ、そしていつの間にか戻ってきていたアレクは頷いた。
当たり前のように腰の薬品ポーチから取り出した魔力回復薬を手渡されて、シオリは少しこそばゆいような気分になった。本当に自分専用に用意されているものらしい。それを受け取って飲み干すと、彼は満足そうに微笑みながら空き瓶を回収する。
「そうだな。何人か抜けているとは言っていたが、俺のような素人には十分立派な演奏に聞こえたぞ」
「うん。けど、耳が肥えてる貴族の人達には分かるのかな」
欠員は八人。いずれも脱水症状や精神的疲労が酷く、明日までに回復したとしても当日ぎりぎりでの参加はむしろ迷惑になるだろうと辞退した者もいるらしい。金管や打楽器のほとんどが欠員という状況では当初演奏予定だったという曲はどれも難しく、結局最初の打ち合わせで決まった曲を演奏することになったのだ。
こちら方面の知識に疎い自分にとって、変更がないのはありがたかった。
「……貴族と言ってもピンキリだからな。俺も一応教養とやらで一通りは教えられたが、残念ながらどれも使い物にはならなかった。音楽鑑賞は嫌いではないんだが、好みではない曲を長々と聞かされるのはどうにも苦痛でな……」
アレクは頭を掻きながら笑った。
「一度なんぞはあんまり退屈過ぎて観賞中にうっかり居眠りして、父と弟に苦笑いされたんだ。あのときのバッシングは酷かったな。あれ以来絶対隙を見せるものかと心に誓ったんだ」
もう笑い話にしてしまえるくらいに遠い過去の出来事になっているのなら良いのだけれど、言葉の端々に微かな痛みのようなものを感じて、彼と同じように笑ってよいものかどうか悩んだシオリは微妙な愛想笑いになった。
そんなふうに思っていると、満足そうに――表面的には満足そうに微笑みながら団員達に声を掛けていたカリーナが、こちらに歩み寄ってくるのが見えた。
つい身を硬くしてしまったが、こういう化かし合いには慣れているらしいアレクは涼しい顔だ。大丈夫だというように背に添えられた手が、ゆっくりと上下して撫でていく。
「シオリさん」
二人の目の前に立ったカリーナはにこやかな笑みを浮かべた。
「大変素晴らしい演出でした。幻影魔法は使いどころが難しいので敬遠されていると伺っておりましたが、考え方を改めさせられました。皆、貴女の技量には感服しておりますわ。この調子で明日もよろしくお願いします」
「――ありがとうございます。頑張りますので、こちらこそよろしくお願いいたします」
どうにか微笑んでみせたけれど、そう言葉を返した瞬間に彼女の瞳にどろりとした感情が浮かんだような気がしてぞっとする。でもきっと彼女に対する警戒心がそう見せたのだと思うことにした。
――けれども胸がざわめく。これから何か起きそうな予感。
気持ちを落ち着かせようとふと逸らした視線の先に、フェリシアが微笑みながら頷いているのが見えた。周囲の団員達もどこか興味深そうにしながらも浮かべた表情はどれも柔らかだ。
その様子に自身の「活弁映画」が本当に満足してもらえたのだということを感じ取ったシオリは、肩の力を抜いてほっと息を吐いた。
すると、団員の中に混じっていたヘルゲが軟派な顔に笑みを浮かべて片目を瞑って寄越す。
「……あの野郎」
なにか彼に敵意を抱いてしまったらしいアレクがぼそりと呟き、シオリはとうとう噴き出してしまった。
「……こんなときに困った人。後でよく言っておきますわ。彼は女性とみるとすぐああして色目を使うのです。楽団の品位を損ねますわ。彼は社交辞令のつもりらしいのですが、あの顔立ちでしょう、相手の女性を勘違いさせてしまうことも多くて……ですからシオリさん、どうか気を悪くなさらないでくださいましね」
主に気を悪くしたのはアレクの方なのだが、苦笑いとともにカリーナに謝罪されてしまい、シオリとしては頷くしかない。彼女にここまで言われているあたり、言う以上に女絡みのトラブルが多かったのではないだろうか。
「それにしても本当に見事なものです。シオリさんの『活弁映画』、いずれは孤児院にお邪魔して僕も拝見したいものです――さて」
催事の責任者として演奏を見守っていたコニーがそう前置きし、そばに控えていた二人の聖堂騎士を前に引き出す。
「……こちらの方々は?」
怪訝そうなカリーナに対し、コニーは人の良さそうな笑みを浮かべた。
「今回皆さんの警護と周辺の警備を担当する部隊の責任者です。隊長のヨアン・パトリクソンと副隊長のニクラス・ノイマン。彼らの率いる部隊が皆さんをお護りします」
あれ、とシオリは目を瞠った。聞き覚えのある名前に見たことがある顔の騎士。彼はどことなく意味深長な笑みを浮かべて敬礼した。
と、背に添えられていたアレクの手に、とんとんと叩かれる。ちらりと見上げた彼は、素知らぬ顔をしていろと目で語った。既に何かの作戦が始まっているのだ。シオリは瞬きで返事してみせる。
「今夜は回復された皆様も迎賓院に泊まって頂くことになりました。既に使用中のお部屋もありますので飛び飛びのお部屋になりますが、細かい打ち合わせなどもあるかと思いますので館内に限りある程度の出入りは自由です。しかし午後十時の消灯後は警備上の理由で出入りは控えて頂ければと」
楽器を抱えたままの彼らは、神妙な顔で頷いた。
「――その警備だけど、どういう感じになるんだい? 各部屋に騎士さんがついてくれるのかな」
おずおずと手を上げて訊ねたのはヘルゲだ。
「そのことですが」
そこまで言って一旦言葉を切ったコニーは、隣りのヨアンに視線を流した。説明を受け継いだ彼が説明を続ける。
「当初はその予定でおりましたが、残念ながら祭の期間中ということもあり、あまり多くの人手は割けませんでした。しかしフェリシアさんのお部屋には入り口に二人、それとは別に各フロアに二人配置して巡回させます」
「うーん……そうか……」
ヘルゲは眉尻を下げて困ったように笑った。
「いや、まだ俺を疑ってる奴もいるだろうからさ。がっちり警備してくれてれば、もし何かあっても疑われることはないと思ったんだ」
「それでしたら」
ヨアンは言った。
「各フロアの廊下は一直線で不審な出入りはすぐ分かる構造です。また、迎賓院周辺も巡回の騎士を複数置きますのでどうかご安心を」
「うーん……それならまぁ……」
どことなく不満げな様子ではあったものの、力強く言い切ったヨアンの言葉にヘルゲも納得するしかないようだった。
しかしこれは、自分は潔白だという彼なりのアピールなのかもしれない。アレクはどう感じたのだろうかと思ったけれど、何度も彼を見て確かめるのは不自然かと思い、シオリはそれをぐっと我慢した。
「アレクさんはわたくしの護衛はどのようになさるのかしら」
今度はフェリシアが問い、それにはアレクが答えた。
「消灯時間までは室内、その後は入り口の立哨に混じる。室内で一晩明かすのが一番いいんだが、さすがにそれは抵抗があるだろうからな」
「ええ、そうですわね。そうして頂けると助かりますわ」
「ただ、朝までに一度仮眠は取らせてもらうつもりだ」
「それもそちらにお任せいたします」
カリーナは特に意見するでもなく大人しく従う。楽団側に纏め役はいないのだろうかと思ったが、どうやらその役目の団員は施療院で休養中のメンバーに含まれているらしい。代わりに彼女が請け負ったというが、やはり信頼されている立場なのだろう。
その彼女が自分に敵意を向ける理由は、今夜分かるのだろうか。
自身に対する悪意交じりの眼差しと気配、不自然な態度は気にならない訳ではない。でも、できることなら何事もなく――あるいは彼女は無関係であってほしいとも思うのだ。
(……ただ私が気に入らないだけならいいんだけど)
この場にいる多くの善良であろう人々が、仲間と信じた人間に裏切られるところを見たくはない。
――もっとも、この細やかな願いは結局叶うことはなかったのだけれど。
ルリィ「Zzzzzz」
ヒルデ「ZzzzzZzzzzz」
ペルゥ「……涎垂らして寝てる」
こっちは平和。




