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05 蠢動

ルリィ「黒いアイツ掃討作戦のクエスト実行中」

「……シェーナ風邪が関係者の仕業かもしれない?」

 運び込んだ布張りの椅子に腰を下ろして手ずから淹れた紅茶を一緒に啜っていたコニーは、内部犯行の可能性を示唆されて目を丸くした。さすがに歌姫本人も容疑者に含まれるとまでは言わなかったけれど、それでも言わんとすることは理解したようだった。

「それは……いや、しかし確かに言われてみれば不自然ですね」

「ええ。考え過ぎならそれに越したことはないんですけれど、でも」

 コニーは顎先に指を押し当ててしばらく思案するようだった。考えながら、ちらりとフェリシア達に視線を流す。

「昨日彼らを受け入れてすぐに市の防疫課には通報しましたが、大聖堂からも確認と注意喚起のために街道沿いの小教区に伝書鳥を飛ばしましてね。しかし今朝までに届いた返事では、集団感染は今のところどこの町でも出ていないということでした」

 極めて感染力の強いシェーナ風邪の発症者が、一つの楽団の男性団員のみというごく狭い範囲にしか出ていない。最初に発症者を出したその宿ですら誰一人として感染していないのだ。その不自然さがコニーも気になり始めたらしい。

「……発症したのは馬車に乗ってからだったか」

「ええ。出発から三時間ほど経ったあたりから次々にということでした。潜伏期間が数時間から半日程度ということを考えれば、まぁ妥当でしょうね。トリスまで来れば医療施設が充実しているから、なんとか耐えて目的地まで行ってしまおうと励まし合ってここまで来たそうです。あまり大事にはしたくないからという気持ちもあったようですね。発症者が出てからは休憩予定だった町には立ち寄らず、用足しは全て途中の雪の中で済ませたそうですし」

「うわぁ……それはまた……」

 シオリは彼らに心から同情してしまった。

 それにしても。問題の宿からトリスまでは馬車でおよそ五時間。最初の発症者が出るまでの三時間の間には途中の町や村で休憩したという。感染防止のために可能な限り人との接触を避けていた――ということだったが、果たして未発症の状態で十数人の楽団員全てがそこまでの気配りを徹底できたかどうかといえば少々怪しいところではある。

「――昨日彼女達が到着して以降は、ずっと各所への対応でばたばたしていて深く考える余裕はありませんでしたが……なるほど、考えれば考えるほどおかしな点がありますね。感染範囲を考えるとそもそもあれが本当にシェーナ風邪なのかどうかも疑わしくなってきます」

「だな。とすれば……」

「……毒、ですか」

 毒を盛られた可能性に思い至り、三人は険しい表情で顔を見合わせた。摂取すれば似たような症状を呈する毒草はいくらでもあるという。そのうちの何種類かは国内全域に生育し、簡単に採集できるようなものらしい。その気になれば素人でも簡単に入手できる。

「……大丈夫なんですか? 命の危険は――」

 訊くと、コニーが答えてくれた。

「毒にしろ感染症にしろ、既に回復傾向にありますから大丈夫でしょう。しかしもし毒であるなら話は簡単です。魔法で解毒できれば毒物であることは確定ですからね。早速手配しましょう」

 一息に言ってから残りの紅茶を飲み干し、そして眉根を寄せた。

「毒にしろシェーナ風邪にしろ、これがもし本当に陰謀だとしたら……到底許されることではありません。私欲のために他者を害するなど決してあってはならないことです」

 民の健やかで平穏な暮らしを日々祈る聖職者らしい言葉。言いながら彼は懐から取り出した手帳にペンを走らせ始めた。指示内容を書き記しているのだろう。

 シオリは目を伏せ、無意識に二の腕をさすった。それに気付いたアレクがそっと背を撫でてくれた。しばらく撫でていた大きな掌が、元気付けるように何度か優しく叩いてから離れていく。

「……警備はどうなっている?」

 アレクが訊いた。

「この部屋と病室に四人ずつ交代で見張りを立てています」

「巡回と会場の警備は?」

「生誕祭関連で部外者の出入りも増えていますから、普段よりも巡回の回数は増やしてあります。が、迎賓院と施療院周辺は重点的に巡回させましょう。念のため会場の警備も増員します。毒物だった場合は騎士隊へも通報しなければ」

「ああ。それから、彼女達と施療院にいる連中の出入りも制限した方がいいだろうな。誰と誰がどうかかわっているかも分からん。外部との接触もありうる」

「そうですね……思い過ごしであることを願いますよ」

 熱心にペンを走らせていたコニーはやがて短く息を吐くと、書き付けを手帳から切り離して丁寧に折りたたんだ。

 彼が席を立ち扉に向かって歩いていくのを、何人かがふと顔を上げて視線で追う。コニーは扉の外を護る騎士に書き付けを預けて何事か指示を出した。真剣な面持ちで言葉を交わす二人の様子は扉の陰になって、フェリシア達からは見えないだろう。彼女達はすぐ興味をなくしたように、話の輪の中へと戻っていった。

 敬礼した聖堂騎士が立ち去るのを見送り、コニーは席に戻ってくる。

 ミルクを垂らした紅茶を啜りながら何とはなしに彼を眺めていたシオリは、ふと窓の外に視線を向けた。庭園に面した窓の向こう側は木陰でほんの少し薄暗く、明かりを灯した室内の様子が窓ガラスに映って見えた。

 何気なく眺めた窓に映る室内。楽譜を繰りながら話し合いを続けるフェリシアの横に立つカリーナがこちらを見ていることに気付いたシオリは、はっと息を呑む。振り返って確かめたくなるのをぐっと堪えて、映ったガラス越しに彼女の様子を窺った。向こうはこちらが見つめ返していることには気付いていないようだった。気付かない程度にはガラスに投影された室内の様子は鮮明ではなく、彼女の表情までは分からない。ただこちらを向いているということが分かる程度だ。

 と、フェリシアが顔を上げてカリーナに話しかけ、彼女の視線が外された。フェリシアの言葉に何度か頷いた彼女は、やがてこちらに向き直る。

「お待たせいたしました。どうぞこちらへ」

 話が纏まったらしい。アレクとコニーに視線を流すと、彼らは頷いた。

「……シオリ」

「何?」

 表面上は何食わぬ様子を装いながら、真剣な声色で低くアレクは言った。

「俺達も気を付けよう。もしこれが本当に陰謀で歌姫の評判を下げることが目的だとしたら、俺達も狙われる可能性があるからな。なるべく別行動は避けるんだ。飲食物も注意しろよ」

 命まで狙われる危険性があるのかどうかまでは分からないけれども、シオリはごくりと唾を飲み込んだ。

「う……分かった。気を付ける」

「ああ」

 フェリシア達は手元に楽譜を広げて待ち構えていた。皆頬が上気して、かなり熱心に話し込んでいたのが分かる。

「決まりましたわ。全部で七曲。童謡と歌謡曲が二曲ずつ、あとは声楽曲を続けて三曲。譜面がないものもございますから、なるべく短い曲を選びましたの」

 言ってからフェリシアはふふ、と小さく笑った。

「それに曲数が多ければ沢山『映像』を見られるでしょう?」

 これには苦笑するしかなく、シオリは眉尻を下げて微妙な半笑いになった。それを見てアレクも笑う。

「良かったじゃないか。今を時めく歌姫殿に認められたということだからな」

「……なんだか妙に引っかかる物言いですわね……」

 じろ、と半眼になったフェリシアからアレクはふいっと目を逸らした。否定はしないらしい。

「まぁ、いいですわ」

 ぷく、と片頬を膨らませてから溜息を吐くと、彼女は楽団員に目配せしながら立ち上がった。

「ではこれから演奏いたしますから、聞いてくださいませね」

「はい。お願いします」

 女性団員が備品の椅子を半円に並べて楽器を手に座り、その中央前にフェリシアが立つ。ダブルリードの音に合わせて横笛と弦楽器の音合わせが始まった。

「……木管と弦楽器かぁ……確かに、少し迫力に欠けるかもなぁ……」

 大聖堂前の広場に面した講堂を開放しての音楽会。近隣でも名の知れた楽団が参加するらしいから、そのトリにこの小編成では不安視されるのも分かる。

「詳しいのか? いや、しかし素人同然と言ってたか……」

 ぽつりと落とした呟きに、アレクが首を傾げた。

「何回かコンサートに行ったことがあるくらいだよ。あとは学校祭の音楽会で見た程度かなぁ」

 何気ない言葉だったのだけれど、それを聞いた彼は目を丸くした。

「コンサート……というかお前、楽団を所有する学園に通っていたのか? 結構な上流階級じゃないか」

「えっ? ……あー……うーんと」

 またやってしまった。経済や教育水準の違いによる常識のずれは、時折こうして聞いた人々を驚かせてしまう。今でこそあまり踏み込んでは訊かれなくなったけれど、初めの頃はザック達に随分と不思議がられたものだった。

「私の国では学校の課外活動に楽団があるのはわりと普通だったから。あんまり……その、特別なことではなかったかも。自前の楽器を持ち込んでる人もいたもの。国そのものがね、結構豊かだったの。それで」

 ぽかん、とアレクは口を開け、それから何か言いかけて黙り込む。

「ご……ごめんね」

 まだ――あまり色々話せなくて。そう言うと、アレクはほんの少しだけ眉尻を下げ、それから苦笑いした。

「……いや。だがいつかは話してくれるんだろう。俺だってまだ言えないことは沢山あるからな」

 おあいこだ。そう言って彼は笑ってくれた。

「さあ、始まるぞ」

 音合わせを終えて静まり返った室内。一拍置いてから、演奏が始まった。

 豊かな四季の美しさや幼い日の想い出を歌う童謡、甘く切ない恋歌や王都で人気を博した若者向け舞台の主題歌などの流行歌、そして王国を代表する著名な作曲家の子守唄やアリア、讃美歌――。

 木管と弦楽の調べに合わせて優しく朗らかに、ときには甘く、切なく、そして伸びやかに朗々と歌い上げられる歌を、緊急時だということも忘れて聞き入った。

 歌姫の透きとおるような素晴らしいソプラノはやがて、演奏の終わりとともに静かな余韻を残して消えていった。

 一瞬の間。

 小首を傾げたフェリシアに悪戯っぽく微笑まれて、シオリも含めた三人ははっと我に返った。割れんばかりの拍手を彼女達に送る。

「……凄い! 凄いです、フェリシアさん! いや、これはお呼びした甲斐があったというものです!」

「見事なものだな。人は見かけによらんとはよく言ったものだ」

「アレク……」

 惜しみない心からの称賛に、彼女達ははにかみながら微笑み合った。

「これ……幻影魔法いらないんじゃないかなって思うくらいなんですけど……」

 それほどまでに素晴らしい歌だった。大編成のオーケストラも幻影魔法による演出なども、かえって邪魔になるのではないかと思うほどに。

「まぁ! 嬉しいですけれど、そんなこと仰らないでくださいまし! わたくし、どんな素敵な映像を付けて頂けるのかとっても楽しみにしておりますのよ!」

 そう言いながら興奮気味に詰め寄った彼女に両手を握り締められたシオリは、その熱意に当てられそうになりながらも微笑んだ。

「……では、合いそうな幻影を出してみましょう。皆さんも遠慮なくご意見をくださいね」

「ええ!」


 「――……」

 和気あいあいと賑やかに打ち合わせを始めた恋人と歌姫達から視線を外さないまま、アレクは彼女達からそっと距離を取った。

 コニーも無言で追従したが、扉を叩く音に気付いて目礼すると、静かに戸口に近付いていく。開いた扉の向こうには先ほど見送った聖堂騎士の姿。背を向けているコニーの顔は見えなかったが、向かい合っている聖堂騎士の険しい表情から、残念ながら事態が予想通りによくないものであったことを察した。

 やがて会話を終えたコニーは扉を閉じて静かにこちらに戻ってくる。状況にそぐわないその微笑みは、室内の女性達に勘付かれないように意識して作ったものだろう。聖職者のわりには表情のよく動く男だと思っていたが、いざとなればこのくらいはやってのけるらしい。

 アレクのそばまで来た彼は、笑みを崩さないまま横に並んだ。アレクもまた笑みを浮かべる。傍目には談笑しているように見えるだろう。

「――予想通りでした。全員解毒できたそうです。あれはシェーナ風邪ではありません」

「……やられたな。シェーナ貝に当たったらしい患者と接触したと言われれば――」

「ええ。当然シェーナ風邪だと信じてしまいましたよ。こうなると、本当に宿での最初の患者も疑わしくなってきますね」

「……だな。それで、どうなった?」

「患者達はかなり動揺しているようです。施療院の関係者には緘口令を敷き、厳重な警備で固めることになりました。上の指示を待って騎士隊に通報する予定です。患者の出した汚物も提出します」

 簡潔に結果だけを述べてから、コニーは笑みをやや引き攣らせて溜息を吐いた。

「事件です。大事件ですよ。神聖なる生誕祭の音楽会に便乗して犯罪を目論む者がいるなど……恐ろしいことです」

「……まったくだ」

「……彼女達の警備も強化します。色々不審な点がある以上、残念ながら楽団関係者は全員容疑者になりますから実質監視ということになりますけれどね」

 単純に歌姫への妨害なのか、それともそれ以外の目的があるのかは分からない。だが、これ以上の被害を出すわけにはいかないのだ。

「音楽祭へは参加させるのか? 騎士隊に通報すれば全員事情聴取されるぞ」

 訊けば、コニーは前髪でほんの少し隠れた眉を下げてみせた。崩れそうになる笑みをどうにか取り繕っている。

「そこは上層部に交渉してもらうことになるでしょう。事情が事情なので難しいかもしれませんが……王都に出向かなければ聞くことができない歌姫の歌を聞けるとあって、楽しみにされている方も多いのです。我々としては出来うる限り参加して頂く方向で考えておりますよ」

「……そうか。分かった、なら俺達もそのつもりでいよう」

「ええ。お願いします。彼女達にはこの打ち合わせが終わり次第伝えます。動揺して演奏に差し支えるかもしれませんが……仕方がありません。自衛のためにも知っておいて頂いた方がいいでしょうからね」

「ああ。そうだな」

 するべき会話を終えてしまうと、後には沈黙が残された。どちらからともなく溜息を吐く。

(……陰謀、か)

 まさに(はかりごと)で以って一国を滅びに導く手引きをした己が言うことではないかもしれないが。

(罪深く欲深い生き物だな、人間は)

 己が欲、利益のために他者を傷付けることを厭わない人間が少なからずいる。聖なる日を目前に控えた今このときでさえ。

 アレクはシオリに視線を向けた。フェリシアが何か言い、それに応じて彼女が幻影を出してみせる。舞台のワンシーンを切り出したものらしいその幻は、黒髪の乙女を腕に抱く凛々しい騎士の姿を映し出している。

 アレクはほんの僅か、目を眇めた。

 ――真剣な面持ちで魔法を繰る恋人を、カリーナが無表情にじっと見下ろしていた。

ペルゥ「あれ、雪男は?」

雪熊「最近暑いって、向こうで氷柱抱いて転がってる」



感染症なら犯人は黒くてつやつやしてるアイツだったかもしれない(真顔

あ、2巻の電子版配信開始したみたいです。立ち読みできるところもありますので、麗しいピンナップだけでもご覧いただければと。冬装備の主人公組のほか、陛下とピンクとパン屋と唐揚げと女医が見られます。

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