表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
家政魔導士の異世界生活~冒険中の家政婦業承ります!~  作者: 文庫 妖
第4章 聖夜の歌姫

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

145/333

04 王都の歌姫

切りどころが難しくて長くなりました(;´Д`)

「陰謀……って」

「どういうことでしょう。僕は聞いていませんが」

 感染騒動が人為的なものかもしれないと聞いて、優しげなコニーの表情が硬いものになる。聖職者としても音楽祭の担当者としても聞き捨てならないのだろう。

 歩きながら話しましょう、そう促されて歌姫が滞在する部屋に向かいながら、声を潜めて会話を続けた。

「挨拶がてらお話し相手でもと思ってお部屋に伺ったのですが、少し様子がおかしいように思いましてね。それとなく訊き出してみたらそういうお話だったのですよ」

 子供達の世話をしているので悩み事を訊き出すのは得意なのですよ、そう言ってイェンスは小さく笑う。

「ライバル歌手の仕業ではないかとそう仰るのです。トップスターの地位を巡って争っている方で何度か嫌がらせをされたこともあったそうで……今回も音楽会のトリに抜擢されたことで色々言われたようですね」

 トリスの生誕祭の催し物でトリを務めるとなれば、それだけでもかなりの箔が付くという。トップの座を争う者からしてみれば面白くはないだろう。大きく差が付けられてしまう。

「何人かの歌手が候補に挙げられていたのは事実です。ですが最終的にフェリシア嬢が選ばれたのは生誕祭の音楽会に最も相応しいと思われたからなのですよ。若者が好む流行歌から古典派音楽、宗教歌まで幅広くカバーできるのは彼女だけでした。ライバルと仰る方がどなたかは存じ上げませんが、選ばれなかったというのであれば、それは……そういうことなのだとご理解頂きたいものですね」

 コニーが不快そうに顔を歪め、自分の聖職者らしからぬ態度に気付いて「すみません、お見苦しいところを」と慌てて謝罪の言葉を口にした。

「しかし、陰謀というのは確かなのか? 人為的に感染症を流布させたというなら騎士隊案件になるぞ」

 アレクの問いにイェンスは眉尻を下げ、困ったように首を振る。

「……確証はないようです。しかしタイミングが良過ぎるのではないかと酷く不安そうでした。事実なら大問題ですが、著名で高ランクのお二人がそばにいれば、安心なさるのではないかと思いますよ」

 著名で高ランク。突然飛び出た過剰な誉め言葉についびくりと反応してしまい、アレクが苦笑いしながら背を撫でた。

 イェンスはこちらの様子に気付いて目を細め、口元を優しい笑みの形に引き上げた。

「アレクさんはS級のザックさんに並ぶほど秀でた方だと聞いております。シオリさんも最近ではよくお名前を耳にするようになりました。きめ細やかな気配りでどのような些細な仕事でも大変丁寧になさる方だとね。言葉も分からないところから大変な努力をして、たった四年で今の地位を築き上げた――そのことに感銘を受けたと言う者も少なくありません。もっと胸を張って良いのですよ」

 イェンスの温かい言葉。意外なところでも見てくれていた人がいるのだと気付いて、じんわりと胸が温かくなる。

 彼の言葉を素直に受け止めて小さく頭を下げると、背を撫でていたアレクの手がそっと肩に回された。優しく何度かさすり、そうして離れていく。

「――あちらの部屋です。まずはお話を聞いてさしあげてください」

 二階の廊下の突き当りの部屋。その扉の両脇を聖堂騎士が護っている。ただ形式的に護っているのではないということが彼らの表情から窺えて、シオリは気を引き締めた。本当に、警戒しているのだ。

 コニーが聖堂騎士と一言二言言葉を交わし、それからこちらに振り返った。

「参りましょう」

 彼の手で重厚な木製の扉が開かれ、「コニーです。お連れしました」という言葉の一拍後に、「どうぞお入りになって」というたおやかな女性の声が聞こえた。振り向いて頷いたコニーに導かれて室内に入る。

 足を踏み入れた室内。柔らかな線を描く蔦模様と月の周りを舞い飛ぶ小鳥を浮き彫りにした重厚な柱が真っ先に目に飛び込むが、重々しくはない。優しい象牙色の壁紙が全体の印象を優しいものに和らげている。

 位の高い来賓用らしいその部屋中央の長椅子には緩く波打つ金茶色の髪を結い上げた、優しげな顔の女性が腰を下ろしていた。その隣には鳶色の髪を背中で束ねた女教師のような身形の女性、そして周囲を数人の女性が囲むように座っている。恐らく中央の女性が歌姫フェリシアだろう。とすれば周囲の女性は感染を免れた楽団員だろうか。

 鳶色の髪の女性の瞳に一瞬だけ鋭い敵意のようなものが見えたような気がして、シオリは目を細めた。けれどもそれも束の間、彼女は取り澄ました表情に戻る。

(……気のせいだったかな)

 珍しい東方人の女に警戒心でも抱いたのかもしれない。いつものことだと気にしないように努める。

「――よくおいでくださいました。どうぞこちらへ」

 立ち上がって優雅に一礼したフェリシアは、片手を差し伸べてふわりと微笑む。ふわふわとした砂糖菓子のように甘い容姿ながらも、どこか一本通った芯の強さを感じさせる確かな光を湛えた瞳。

(……聖女様がいるとしたら、こんな感じなのかな)

 そんな感想を抱きながら彼女に招かれるままに歩みを進めたそのとき、ふと理知的だったその瞳がとろりと熱を帯びたような気がしてどきりとする。気のせいだろうか――否、気のせいではない。こちらを見ている視線――正確には自分の隣を見ているその瞳に浮かぶのは仄かな熱だ。

 その視線が意味するところを痛いほどに察したこの胸がちくりと痛む。

(……何か、少し嫌だな……)

 不快感を覚えたけれど、仕事だからと表情には出さなかった。僅かに不安を覚えてちらりと隣を見たシオリは、はっと息を呑む。

 微かに女の情欲を浮かべているフェリシアとは対照的に、アレクの端正な顔にあるのはシオリが覚えたものと同じ類いのものだ。寄せられた眉根、鋭く細められた瞳、歪に引き結んだ口元。努めて抑えているようではあったけれど、隠しきれない威圧感がそこにはあった。

「……アレク」

 さすがにシオリもつい窘めるように囁くと、はっとアレクは我に返ったようだった。次の瞬間には何の感情もない表情を取り繕い、彼は何食わぬ顔で依頼者を見る。

 フェリシアが座る長椅子のそばに歩み寄ると、相変わらず熱を宿した瞳のままの彼女は隣のアレクに視線を注ぎ、艶やかに微笑む。

 まるで興味がないといった体でアレクはフェリシアを見据えた。

 何とはなしに漂う緊張感に、イェンスとコニーが目配せし合う。

 と。

 くすりと誰かが忍び笑いする声が響いた。その微かな忍び笑いは徐々に伝播し、やがてさざめくような笑い声になる。楽団の女性達は楽しげに、あるいは苦笑しながらフェリシアを見る。

「……相変わらず悪趣味ね、フェリシア」

 鳶色の髪の女性が窘めるように声を掛けると、彼女の碧眼からすっと熱が消え、代わりに悪戯っぽい笑みが浮かぶ。

「ごめんなさいね。申し訳ないとは思ったのですけれど、少し試させて頂きましたの」

「え」

 フェリシアは先ほどまでとはうって変わって親しげな笑みを浮かべ、綺麗に淑女の礼を取った。

「改めまして。わたくしはフェリシア・アムレアン。王都ストリィドで歌手をしておりますわ」

「……シオリ・イズミです。冒険者組合(ギルド)トリス支部所属B級、家政魔導士です」

「アレク・ディア。同じくA級、魔法剣士。シオリのパートナーだ。先ほどのは一体どういうことかご説明頂きたい」

 戸惑いとほんの少しの呆れが滲むアレクの問いに、フェリシアはどうぞお掛けになってと勧めながら種明かしをした。

「……殿方がいらした場合は雇うに値する方か否かを確めさせて頂いているの。今までにも何度か護衛を雇ったことがあるのですけれど、時々お仕事以上のお付き合いを望む方がいらして……」

 綺麗な弧を描く眉が困ったように下げられる。

「……それで、ああいった形で試しているということですか?」

 気があるような、好意を抱いたかのような態度で。

「ええ」

「だが、あれだけで分かるものなのか?」

 「試験」はパスしたとしても、長く接するうちに気が変わることもあるだろうに。

「分かりますわ。これでも人を見る目はあるつもりですの。大抵の方はあれだけでその気になってしまうか、変に無関心を装うかのどちらかですわね。こうなってしまうと、打ち合わせ中もどこか気がそぞろでお話になりませんの」

 フェリシアは小首を傾げてにっこりと微笑んだ。

「でも、貴方は文句なしの合格ですわ。わたくしに見つめられてあんなお顔なさる方なんて、初めて」

 くすくすと笑いさざめく王都の女性達。

 何とも言えない気分になってアレクと顔を見合わせる。彼は微かに眉を顰め、それから溜息を吐いて肩を竦めてみせた。足元のルリィが何か呆れを含んだような気配を出しながらぷるんと震える。

(……それにしても)

 シオリはフェリシア達をさり気なく観察した。

(確かに心なしか……空元気、みたいな感じがするなぁ)

 一見すると若い女性同士で戯れて楽しんでいるようにも見える。しかし少し不自然なほどに気分が高揚しているあたり、何か精神的な不安を押し殺しているようにも思えた。

「……フェリシアさん。そろそろ本題に」

 居心地が悪そうにコニーが促すと、笑い声がぴたりと止んだ。途端に張り詰めたような空気が辺りに満ちる。やはり不測の事態に緊張していたのだ。

「ここからは私が説明させていただきます」

 鳶色の髪の女性が場を取り仕切るように言った。先ほど一瞬だけ感じたように思えた敵意はどこにもなく、彼女はシオリににこりと微笑んだ。

「私はカリーナ・スヴァンホルムと申します。フェリシアのマネージャーを務めております。いらっしゃるのはシオリさんだけとお聞きしておりましたが、お二人でいらしたということは、もう話はお聞きに?」

「いいえ。先ほど少し伺っただけです」

「俺とシオリはパートナーだ。よほど差し迫った事情がない限りは一緒に行動しているんでな」

「……そうですか。ですがアレクさんもいらしてくださって本当にようございました。今回依頼したいお仕事は二つ。演奏の補助と――それから護衛をお願いしたいのです」

 話の最中、フェリシアは背筋をまっすぐに伸ばして毅然としていた。けれども膝の上に揃えた細い指先が微かに震えているのが見えて、そのことが内心の不安を如実に表していた。

 カリーナは気遣わしげにフェリシアに視線を流し、そっとその肩に手を触れる。

「まずは……そうですね、護衛の依頼についてお話ししてしまいましょう。その方が皆安心するでしょうから」

 不安げに見上げた彼女にカリーナは落ち着かせるように頷いてみせてから、話を再開した。

「フェリシアにはトップスターの座を巡って対立している相手がおります。ヒルデガルド・リンディというのがその歌手の名です。歌唱力や表現力は拮抗しておりますが、幅広いジャンルを歌えるという点でフェリシアの方が一歩抜きん出ているのです。ですがそれが気に入らないのでしょう、ヒルデガルドは事あるごとに難癖を付けてくるのです。それだけではありません」

 そこまで一息に言うと、一度言葉を切ってからカリーナは続けた。

「中傷を繰り返してもトップの座が覆らないことに業を煮やしたのでしょう、卑劣にも彼女はフェリシアに嫌がらせをするようになりました。最初は私物を隠すといったごく些細なものでした。しかし――最近はエスカレートしてきて命の危険を感じるほどのものになってきたのです」

「……命の? 穏やかじゃないな」

「ええ。舞台用の靴に細工がされていて階段を下りている最中にヒールが折れて転落しかけたり、衣装に針が仕込まれていたり――一度などはリハーサル中に舞台上の照明が落ちてきたこともありましたわ」

 フェリシアの声が震えた。そのときのことを思い出したのだろう、血の気が引いて薄く頬紅を差しているはずの顔が色味をなくした。

 シオリとアレクは眉を顰めた。嫌がらせというレベルを超えてそれはもはや犯罪だ。

「騎士隊には届け出なかったのか。そこまでいくと殺人未遂だぞ、それは」

「――本当は通報したかったのです。けれども、どれも幸い怪我もなく大事には至りませんでしたし、ホール内での事故(・・)はスキャンダルになると言って支配人に強く止められたものですから」

 スキャンダル。王都で一、二を争う歌手が大衆の好奇の目の晒される心配をしてくれているようにも聞こえるが、恐らくはホールそのものの評判が落ちることを危惧してのことだろう。シオリは小さく溜息を吐いた。

「次は通報することをお勧めします。何かあってからでは遅いですから」

「……ええ、そうですね。次は必ずそのようにいたしましょう」

 カリーナは頷いた。

「ともかく、そういったことが続いた末にこのタイミングでの騒ぎですから――何かかかわりがあるのではないかと。そういう訳ですのでお二人には演奏の補助だけではなく、フェリシアの護衛をお願いしたいのです」

 ちらりとアレクに目配せすると、彼は小さく頷いた。

「分かりました。お引き受けします」

「……ありがとうございます」

 フェリシアが肩の力を抜いた。楽団員の間にも安堵の空気が広がる。

「では次に、演奏の補助について説明させていただきます」

 ここから先はアレクと共同ではなく、自分一人が請け負う領域だ。シオリは居住まいを正した。

「その前に、私からいくつかよろしいでしょうか」

「なんでしょう?」

「お仕事は受けさせて頂きます。ですが対応できない部分もありますので、予め説明させて頂ければと」

「……と申しますと?」

 彼女達は不安げに顔を見合わせるが、ここははっきり説明しておいた方がいいだろう。

「まず一つ、私は音楽についてははっきり申し上げて素人です。音楽鑑賞や歌を多少嗜む程度ですので、実際に何度か見聞きしたことがあるものでなければ幻影魔法で再現することはできません。本番までに一日しかない状況では、プロの楽団の音楽を補強することは現状不可能と思ってください」

「……それでは!」

 さっと蒼褪めて腰を浮かし掛けたフェリシアを、説明途中だとカリーナが窘める。

「その代わり、皆様の音楽に合う映像を舞台に投影します」

「映像……? それは……?」

 聞き慣れない単語に彼女達は怪訝な表情になる。

「一枚絵や、動く絵を舞台に展開します」

「絵が……動くんですの!?」

 驚いたフェリシアは作法も忘れて大声で言い、カリーナは口をまぁ、という形に開く。

「はい。これは実際にお見せした方が分かりやすいかと思います。ええと……」

 少し考えてから、シオリはその場に紙芝居ほどの大きさの幻影を出現させた。女性が好みそうなお伽噺のワンシーン。

 みすぼらしい身形の娘が優しい魔女によって美しいドレス姿に変えられて、お城の舞踏会に参加する。そこで見目麗しい王子とダンスを楽しんだ娘は、時間切れを表す時計の鐘の音と共に慌てて階段を駆け下り――そして取り残された王子は片方だけ残されたガラスの靴を拾い上げて切なげに瞳を揺らすのだ。

 音楽も台詞もないサイレント映画のようなそれ。けれども瞬きすら忘れて食い入るように動画を見つめていたフェリシア達は、幻影が解かれた後もしばらく夢見心地でぼうっとしていた。そして数秒の間を置いて我に返り、次の瞬間わっと歓声を上げた。

「……凄いわ! わたくし、こんな凄いものを見たのは初めてよ!」

「なんて素敵なの! まるで物語の世界に入り込んだ気分だわ」

 ある程度見慣れているイェンスは愉快そうに頷いているが、初見のコニーは目を丸くしたまま固まっている。相当に驚いたらしい。

 興奮気味に口々に感想を言い合い、カリーナに宥められて彼女達はようやく落ち着きを取り戻した。

「これを……わたくしの歌に合わせて出してくださると仰るのですね。ええ……ええ、これなら小編成でもきっとお客様にご満足頂けるわ」

 興奮冷めやらぬといった様子で頬を紅潮させてフェリシアは言った。

「はい。物語だけではなく風景や、こういった幻影も出すことができます」

 再び幻影魔法を展開する。テレビの歌番組でよく見るような演出。スモークを焚いて霧の中から現れたように見せたり、沢山のしゃぼん玉を飛ばしてみたり、鳥になって空を飛んでいるように錯覚させたり、煌めく星々の海に揺蕩う月の船を浮かべてみたり――。

「まぁ……こんなに素敵な幻影が出せるのね。これなら」

 フェリシアは楽団員達と顔を見合わせて頷き合う。

「すぐにも曲の選定に入りますわ。シオリさんに聞いて頂いて、その曲に相応しい映像を付けて頂きましょう。映像はこちらの希望したものを出して頂くこともできますの?」

「ええ、可能な限り対応いたします」

 不安しかなかった明日の舞台にようやく希望が見えたのだろう。真剣な表情で早速相談を始めようとしたフェリシア達を、苦笑気味にカリーナが再び窘める。

「説明途中よ。まだ注意事項があるのでしょう?」

(なんだか皆のお姉さんみたいな人だな)

 フェリシアと同年代のようにも思えるけれど、冷静で落ち着いた立ち居振る舞いのせいか、いくらか年上のようにも見えた。

 シオリは微笑しながら頷き、説明を続けた。

「もう一つは時間についてです。お恥ずかしい話ですが私はあまり魔力量は多くありませんので、一曲につき――そうですね、最長で五分前後を目安にして頂ければ助かります」

 本当は音楽付きでももっと長く展開できるのだけれど、万が一ということもある。念のため少なめに見積もっておいた方がいいだろう。

 隣のアレクがふっと笑った気がして視線をそちらに向けると、彼は目を細めて柔らかく笑んでいた。

(……大丈夫。無理はしないから)

 目配せで会話すると、彼は察したようだった。小さく頷いてくれた。

「ええ、分かりましたわ」

「では早速曲選びに入りましょう」

 本来なら音楽祭のために用意した曲が既にあったのだろうに、それでもすぐに別の曲に切り替えられる辺り、さすがはプロといったところか。

 曲選びはフェリシア達に任せ、カリーナがこちらに向き直る。

「選定には少しお時間を頂きます。一時間ほどもあれば十分かと思いますが、その間お二人はどうなさいますか?」

「護衛もありますので、できればこの部屋で待たせて頂ければと」

「承知いたしました」

「では――そうですね、窓際に席とお茶を用意させましょう。少々お待ちください」

 そう言い置いてコニーが慌ただしく部屋を出ていき、その場に残されたシオリ達は歌姫を邪魔しないようそっと窓際に移動した。

「さて……方針が決まったようですので、私はここで失礼しましょう。ルリィ君はどうします? 一緒に少しお散歩でもしますか?」

 手持無沙汰になると気遣ってくれたのだろう、イェンスが提案してくれた。

「うーん、どうする? アレクもいるからお散歩してきてもいいよ?」

 訊くとルリィは少し思案するようだった。しばらくじっと考えてから、しゅるりと触手を伸ばして棚の隙間を指し示した。

「うん? ……ああ、害虫駆除してくれるの?」

 その通りと言うようにルリィはぷるんと震え、まさかの答えにイェンスが噴き出す。

「なるほど、そうきましたか。ええ、お願いできるのでしたら是非。厨房や食料庫を見てくれますか?」

 どう清潔に保とうが、餌の匂いを嗅ぎ付けてどこからともなくやってくる害虫。輸入船に紛れていた何匹かのうち寒冷地に適応したものが繁殖したそれは、餌の少なくなるこの季節にはしつこいほどに食料のある場所を狙って湧いて出るのだ。大聖堂専属の料理人達も困っているという。

「行ってらっしゃい。お仕事が終わったら一人で戻ってこれる?」

 勿論だと言わんばかりにルリィはぷるんと震えた。

 仕事のし甲斐がありそうだと勇ましくぷるんぷるんと震えるスライムを伴って部屋を出ていくイェンスを見送り、どちらからともなく歌姫に視線を戻した。

 真剣な眼差しの彼女の横顔。

「――ねぇ。本当にライバルの仕業だと思う?」

 このシェーナ風邪騒動が。

「なんとも言えんが……話ができ過ぎだとは思ったな」

 アレクはフェリシアから視線を外さないまま答えた。

「でき過ぎ?」

「……ああ」

 とすれば、アレクも同じ疑念を抱いたのだろう。

「――感染範囲が凄く限定的だよね。最初に感染した楽団員さんが機転を利かせたとは言ってたけど、それにしても手際が良過ぎる感じがするなぁ」

「ああ。感染者が見事に同室者だけに限られている。感染の可能性に気付いたのが翌朝だということだから、楽団員以外にそれ以降の感染者が出ていないというのはまぁ分からないでもないが……」

 嘔吐した客を介抱したという話だったが、この時期の王都からトリスに通じる街道沿いの宿はどこも人で溢れているはずだ。介抱してすぐ医者に運んだとしても、その間誰とも接触しなかったとは考え辛い。

 それにその楽団員がいくら親切だったとしても、汚物の始末まではさすがに自分でしたりはせずに宿の人間を呼んだはずだ。単なる酔客の粗相だと思っていたのなら、後始末にはそれほど気を使わなかっただろう。にもかかわらず、掃除しただろう宿の人間にもほかの宿泊客にもまったく感染していないのは不自然だ。

「……そうだね。でももしその楽団員が、自分が介抱した宿泊客が初めからシェーナ風邪だと知っていたなら――」

 意図的に感染範囲を限定することが、ある程度は可能なのではないだろうか。

「もっとも仮にわざとだとして、どうしてそんなややこしいことする必要があるのかは分からないけれど。単純に邪魔したいだけなら、歌姫に感染(うつ)した方が手っ取り早いし」

 騎士隊案件レベルの嫌がらせをするような相手だとしたら、感染者を増やしてでも真っ先に歌姫を狙うはずだ。

 これではまるで騒ぎを大きくしたくないようにも思える。

「……ないとは思いたいが」

 アレクはぽつりと言った。

「歌姫の自作自演の可能性も考えられなくない」

「……え」

 そんなことがあるだろうか。伴奏の楽団に被害が出れば困るのは自分なのだ。

「ライバルを蹴落とすためにな、そういう姑息な手段もあるということだ。見ただろう、俺に対する演技を。あれは大した役者だぞ。周りには自分が被害者だと思わせることくらいは容易いだろうさ」

 彼は眉間に皺を寄せたまま、苦々しく言った。

「自分が危害を加えられたように見せかけて、ライバルに疑いが掛かるように仕向けるのさ。例えば……そうだな、人気のない階段にライバルを呼び出して、自分から悲鳴を上げながら転がり落ちてみせるとかな。多少は痛い思いをするかもしれんが、これで相手が自分を突き落としたと周囲に思わせることができる。そうすれば自分は悲劇のヒロインとして同情を集め、ライバルはめでたく犯罪者として表舞台から消えてくれるという寸法だ」

「うっわぁ……」

 まるきり昔の少女漫画かなにかのような古典的なやり方にシオリは苦笑した。

 ただ、絶対にあり得ない話ではない。儚げで清純な女性そのものに見えるフェリシアではあるけれど、意外に強かな一面もあることは先ほどの出来事でよく分かった。そもそも、激戦区だろう王都でライバル競争に勝ち抜いて歌姫の座に付いた女性だ。ただのか弱いだけの女性が為し得られるとは思えない。

「――ライバルの陰謀によって苦境に立たされた歌姫が、それにも屈さずに見事舞台を成功させることができたなら。卑怯なライバルの評判は地に落ち、そして自らは陰謀に打ち勝ったヒロインとして確固たる地位を築けるという寸法だ」

「ちょっと意地悪く考え過ぎじゃないかなぁ……」

「……第一印象が良くなかったからな。つい」

 苦笑しながら言うと、少しばかりばつが悪そうな顔で彼は視線を反らす。ああいう計算高い女は苦手なんだ、そんなふうにぶつぶつと呟いた。

(……そういえば、実家にいたときに女性関係で嫌な思いをしたって言ってたっけ)

 手酷いやり方で彼を振ったかつての恋人もしかり、彼の立場目当てに手のひらを返したように群がったという女性達もしかり。きっと今の彼の話のように、姑息な策略でもってライバルを蹴落とそうとした女性もいたのだろう。

 妙に具体的だった彼の説明をぼんやりと思い出しながら、ちらりとアレクの横顔を見る。眉根を寄せてどこか遠い目をしていた彼は、何かの記憶を断ち切るかのようにふっと強い溜息を吐いた。

「――まぁ現状推測の域を出ないが、場合によってはその宿泊客や実際に嘔吐したという現場を確かめさせた方がいいかもしれん。もし本当に陰謀だとすれば、そいつも仲間の可能性があるからな」

「うん。そうだね」

 考え過ぎであれば良いのだけれど。なにやら推理小説じみてきた展開に、シオリは苦笑した。

 二人が見つめる視線の先。

 ――そこには瞳に強い光を宿して真剣な面持ちで話し合いを続けるフェリシアと、それを静かに見守るカリーナの姿があった。

ルリィ「家政魔導士は見た」

ペルゥ「陛下(オっちゃん)の名にかけて」

雪男「私にだって……分からないことくらい……ある」


一人だけ既に諦めている者がいる。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ