03 陰謀騒動?
圧雪された雪道を滑るように雪馬車が走る。時折見かける大聖堂の馬車にあるような紋章が車体にはなく、一見すると普通の箱馬車のようにも思えた。
「内向きの用事の場合はこの馬車を使うのですよ。敢えて大聖堂関係者だと喧伝する必要はありませんからね。今回は公にしたくなかったものですから。もっとも、当日には勘づかれるとは思いますが」
そう言ってからコニーは苦笑する。歌姫と楽団は王都ではかなり有名らしく、舞台にそのメンバーのほとんどがいないとなれば、何かトラブルがあったと当然思うだろう。
「それでも音楽会を成功させてしまえば、多少騒がれたとしてもそれほど問題にはなりません。ただ、開催前に外部に漏れて質の悪い新聞社にうろつかれたり、ゴシップ目当ての連中に会場に来てもらっては困りますからね。なるべく参加者が集中して演奏できる環境にしなくては」
どこの世界にも質の悪いマスコミや野次馬はいるものらしい。シオリは苦笑してしまった。
話しているうちに雪馬車は宗教地区に入り、やがて裏門らしき場所に停車する。聖堂騎士が詰める検問所で簡単な受け答えがあり、またすぐに雪馬車は走り出した。構内は広く、白装束の人々が前夜祭や生誕祭の準備で忙しなく行き交う中を数分かけてゆっくりと進んでいく。途中、白壁の建物の前を通り過ぎた。見るからに医療施設といった造りの建物。
「あれは大聖堂の施療院です。あそこで楽団員は治療を受けています」
「そうなんですね……」
王都から数日掛けてやってきたというのにとんだ災難に遭ったものだ。感染症はどんなに注意していても感染るときには感染るものだ。
「重いのか?」
通り過ぎた施療院を窓越しに振り返って見ていたアレクが訊いた。
「重症というほどではありません。もう快方に向かっている方も多いのですが、吐き気や下痢がまだ……なので落ち着いて演奏できる様子ではないですね、残念ながら。あと数日は療養して頂かないと」
コニーはなんとも言えない微妙な苦笑いを浮かべて続けた。
「一昨日に泊まった宿で嘔吐した宿泊客を介抱して差し上げた楽団員さんがいたようでしてね。感染源はそこでしょう。そのお客さんね……シェーナ貝を召し上がったらしくて」
「ああ、なるほど」
アレクもまたコニーのように微妙な半笑いになった。
「シェーナ風邪か。貝の美味い季節だからな」
「ええ、恐らくそうでしょう。その楽団員さん、酔っ払いだと思って介抱したのがどうやらシェーナ風邪らしいと翌日知らされて青くなったそうですよ」
「シェーナ風邪?」
スペイン風邪のような何か難しい病なのだろうかとも思ったけれど、それにしては二人とも深刻な様子はない。聞き慣れない病名に首を傾げると、アレクが説明してくれた。
「シェーナ貝が原因で罹る胃腸炎のことだ。シェーナ貝は王都が面しているシェーナ湖で採れる二枚貝でな。生で食べると美味いんだが、鮮度が悪いと食あたりを起こすんだ。これがまた厄介な毒で、患者の吐瀉物や排泄物から症状が感染ることもある。その因果関係が分からなかった時代にはシェーナ湖周辺でのみ流行る風土病として扱われていて、シェーナ風邪と呼ばれていた。今でも当時の呼び名をそのまま使っているんだ」
「ははぁ……なるほど。ノロみたいなものなんだね。それは大変」
それなら確かに無理に外には出さずに、症状が落ち着くまで療養してもらった方がいいだろう。こんな人が多く集まる祭りの最中では、感染者をいたずらに増やすだけだ。
「ノロ?」
「ああ、うん。私の故郷にあった二枚貝につくウィルス……毒みたいなものの名前なんだけど、似たような症状が出るの。感染しやすいから食品関係の職場は規則で二枚貝の生食を禁止してるところもあるみたい。家族に感染者が出た場合は本人が平気でも出社停止になったり……」
「ほう。王国ではそこまではしていないが、確かにそうするべきなのかもしれんな。毎年冬になると患者が出て大変なんだ」
「ですねぇ」
コニーが深々と頷く。
「ともかく、シェーナ風邪の患者らしいと聞いて慌てて歌姫と接触しないようにするなどの対策はしたようですが、一晩明かしてしまったので同室者の感染は防げなかったようですね。トリスへの移動中に次々と発症して、昨日到着した頃には大変だったのですよ。本来ならば感染者と接触したと分かった時点でその場に留まるべきだったのでしょうが……状況が状況だけに、なかなか難しい判断だったのでしょう」
国内外に有名な祭の催事でトリを務めるとなれば、未発症の状態で欠場するという決断は確かにし難かったかもしれない。
「気持ちは分からんでもないが……」
「ええまぁ……しかし対策が功を奏したのか歌姫や残りの女性団員への感染は防げましたし、彼らも万一に備えて可能な限り他人との接触は避けていたようですから、幸い市内や近隣の町村での感染は確認されませんでした……っと、着きましたよ」
雪馬車が速度を落とし、優美な意匠の建物の屋根付きのエントランスに滑り込んだ。入り口の両脇に立つ聖堂騎士が敬礼する。その片方は何度か孤児院の守衛室で見た顔だった。彼は敬礼しながらにこやかに笑い、それにシオリも微笑んで返す。
「こちらは迎賓院です。彼女達にはこちらに滞在して頂いています」
「ほかの出演者の方々もこちらに?」
「いいえ。本来なら彼女達も市内のホテルに宿泊する予定だったのですが、こういう状況ですから」
来賓もこの迎賓院に宿泊しているらしいが、出払っているのか人気はほとんどなかった。
上品な設えのエントランスに入ると、見覚えのある男が出迎えた。孤児院の院長を務めるイェンス・フロイセン。足元でしゅるりと触手を伸ばして挨拶したルリィに手を振りながら、彼は柔らかく微笑んだ。
「ああ良かった。来てくださったということは、引き受けてくださるのですね」
「はい。イェンスさんはどうしてこちらに?」
「貴女を紹介しておいて丸投げにするわけにはいきませんからね。それに音楽祭には子供達も招待されておりますから、気になってしまいまして。ところで……」
言いかけて、ちらりとアレクに視線を流す。
「アレクさんでしたね。先日はありがとうございました。素晴らしい演武は子供達も大喜びでしたよ」
「そう……なのか?」
「ええ。あれを見て剣士になりたいという子が増えましてね。よろしければ今度お話を聞かせてやってはくれませんか。子供達も喜びます」
アレクは目を丸くし、それから照れ臭そうに微かに笑った。
「……ああ。機会があったらまた伺おう」
「ええ、是非。シオリさんも」
「はい」
「それにしても……」
再会の挨拶と次の慰問の約束をし終わったところで、イェンスはもっともな疑問を口にした。
「アレクさんはどうしてこちらへ? シオリさんのお手伝いでしょうか」
「まぁそのようなものだ。最近一緒に仕事をするようになってな」
つい一瞬躊躇って口ごもると、アレクはシオリを見下ろして苦笑しながら代わりに説明してくれた。これからはその都度彼をパートナーだと説明しなければならないが、まだ少し気恥ずかしさが勝る。いずれは慣れるのだろうけれど。
「……そうでしたか。なるほど、そういうことなら……いえ、むしろアレクさんにも来て頂いて良かったと言うべきでしょうか」
彼らしからぬ何か含みのある物言いに、シオリはアレクと顔を見合わせた。
「どういうことですか?」
「……フェリシア嬢――ああ、歌姫のお名前です――が、酷く不安がっているのですよ。今回の騒ぎは陰謀なのではないかと仰って」
イェンスの口から飛び出た物騒な言葉に、皆――コニーも含めて息を呑んだ。
ルリィ「広大な狩場の予感」
雪男「……何のですか」
胃腸炎の説明回になってしまった感が否めない。
シェーナ貝は牡蠣の仲間みたいなもんだと思ってください。生牡蠣美味しいですよね。お取り寄せもできるけど、怖いのでお店でしか食べませんが(;´з`)
書籍化記念SSの方に、2巻発売記念の短編を2本突っ込んでありますのでよろしければどうぞ。
それから活動報告にてコミカライズのお知らせしております。詳細はこれからなので本当にお知らせだけなんですけれども。




