10 迷子の捜索承ります(4)
今回は二話同時投稿です。
やはり疲れていたのだろう。戻る道の途中でシオリはうとうとと微睡み始めた。己の肩口に顔を寄せて眠る彼女を見ながら、少しは気を許してくれているのだろうかと思う。
捜索隊の張った天幕に到着すると、エリアスとマルティンが駆け寄ってくるのが見えた。足手纏いになると、早々に騎士隊に引き摺り戻されたらしかった。
「クラース様!」
エリアスが金髪の少年――クラースの前に膝を付く。
「よくぞ……よくぞご無事で」
彼の強張っていた相好がくしゃりと歪んだ。
「……すまない。お前には……いや、皆には大変な迷惑を掛けてしまった」
年上の従者の様子と、そして多くの騎士達を見て、彼は自分の仕出かした事の重大さを思い知ったようだった。
「――フランにも怪我をさせてしまった」
フランの名が出た瞬間、再びエリアスの顔が険しくなった。視線を巡らし、すぐ傍らの騎士に抱かれてぐったりとしているフランに掴みかかろうとして周囲に慌てて押し止められる。
「やめろエリアス! フランは悪く無い」
「しかし、主に使える身で御守りするどころか危険に晒すなど!」
「無理に誘ったのは僕だ!」
「だとしたらフランは諫めるべきでした! 主を諫めるのも従者の務めです!」
「……ならお前は! 見習いの時分に同じように出来たか! 配属されて日も浅い状況で主人に意見することが出来たのか!」
幼い主人の正論に、若い従者は押し黙った。
周囲の人間は、俄かに始まってしまった主従の口論に口を挟んで良いものかと顔を見合わせて困惑するばかりだ。
「……今回の事は僕が全面的に悪い。フランには何度も止められたんだ。でも、どうしてもフランと……子供らしい遊びがしてみたかったんだ」
「……」
ごく近くの者にしか聞き取れなかったであろう呟きに、エリアスはとうとう言葉を無くした。頃合いか。アレクは助け舟を出す事にした。このままでは何時まで経っても街に帰還出来ない。
「そのくらいにしておけ。若君も十分反省しておられるのだろう。これ以上の言い合いは、お前の主に更に恥をかかせることになるぞ」
言われてエリアスは我に返り、ぐるりと辺りを見回した。捜索隊の騎士らに取り囲まれ、注目されている事に気付いて顔を赤くする。クラースは前に進み出ると、背筋を伸ばして大人達を見据えた。
「……貴方がたには多大な御迷惑をお掛けした。僕一人の我儘で此処までの騒ぎになる事に思い至らなかった。自分の軽率な行動がどれだけの影響を及ぼす事になるのかを思い知った。本当に申し訳無い」
潔い謝罪。深く腰を折り頭を下げる少年貴族に、冒険者らや騎士隊の面々は視線を交わして微笑んだ。エリアスが遠慮がちにクラースの肩を抱き、その後ろにマルティンが控える。他の従者が駆け寄り、未だ朦朧としているフランを抱き抱える。騎士らは後始末の為にそれぞれの持ち場に散って行った。
「――貴殿らにも迷惑を掛けたな」
マルティンが声を掛けて来る。
「いや。気にするな。大事無くて何よりだった」
「そう言って貰えると有難い。しかし、シオリ殿は大丈夫なのか」
やや顔色は戻ったものの、未だに青白さの残る顔でか細い寝息を立てるシオリをマルティンは気遣わしく見やった。
「単なる魔力切れだ。休めば治る。まぁ、大分無理はしたようだがな」
「――無理に連れ出して申し訳ない。よくよく考えれば、三人に声を掛けたのだから、一緒にお連れするべきだった。いくら焦っていたとは言え、初対面の御婦人を拉致同然に連れ去るなど、幾ら何でも冷静さを欠いていた」
マルティンは自嘲気味に笑った。
「……今回の件も、元を正せば我々にも責任があるのだろうな」
その視線がクラースとフランに向けられる。
「あの方が爵位を継がれたのはまだ八つの時だ。先代が若くして亡くなられてな。クラース様は幼いながらも必死に当主としての務めを果たそうとしておられた。だから我々もあの方の意に沿うよう、誠心誠意お仕えしてきたつもりだったが……ずっとお側に居たのだから気付くべきだった。あの御歳でも立派に務めを果たされているからつい失念していたが、本当はまだ――遊びたい盛りの年頃なんだ。その事にもっと気を配るべきだった」
当主の座について以来、親しく付き合っていた同じ年頃の子供達は遠ざけられ、代わりに倍以上も歳の離れた大人に取り囲まれて執務をこなすようになった少年。歳の近い従者を宛がわれ、気晴らしにと出掛けた野遊びで、その子供らしい要求を押し止める事が出来なくなったのだろうと彼は言った。
『どうしても、子供らしい遊びをしてみたかった』
あれは、あの気高い少年の内面の吐露だ。
「子供のおいたで片付けられるうちに気付けて良かったじゃないか。彼も、お前達も、今回の件で十分に学んだだろう」
「そうだな」
マルティンは笑った。
「良き臣となる為には、主君の内面にも寄り添わねばな――さて」
一人の騎士が駆け寄って来るのを見とめて、マルティンは話題を切り上げた。
「冒険者殿。聴取をしたいのですがよろしいですか。その――彼女に」
若い騎士は遠慮がちに言った。シオリはまだ眠ったままだ。もう少し休ませてやりたかったが、仕方がない。クレメンスと頷き合い、騎士の案内で衛生隊の天幕へと向かった。
天幕ではフランが改めて治療を施され、クラースもまた念の為の診察を受けていた。その脇に空いていた野営用の簡易寝台にそっとシオリを降ろす。体勢が変ったことで覚醒したのか、シオリがふと目を開けた。
「あれ、私……」
「聴取したいそうだ。悪いが、起きてくれ」
ぼんやりと辺りを見回していたシオリは、次の瞬間に顔を赤くして飛び起きた。
「すみません、私途中で寝てしまって」
アレクは笑った。
「気にするな。今回はお前の活躍で片が付いたようなものだからな。このくらいは大した問題じゃない」
恥じ入って小さくなったシオリの膝の上にルリィが這い上る。一瞬ぎょっとした騎士の様子にクレメンスと二人で思わず吹き出しながら、それぞれ簡易寝台の両端に腰を降ろした。
「では聴取を始めさせて頂きます。とは言っても、簡単に現場の様子等をお聞きするくらいですけれどね。我々が主にお聞きしたいのは、大蜘蛛を一掃したあの魔法についてです」
そうだ。あの魔法だ。大蜘蛛の大群をたった二発放っただけで片付けてしまった。低級魔導士の身で行使するには過ぎた魔法だ。
「あの大蜘蛛の死に様を見る限り、その、何か危険な魔術でも行使したのではないかと……」
騎士の言葉にシオリは目を丸くした。
「あれはただの石鹸水ですよ」
「「「は?」」」
アレクとクレメンス、そして騎士の間抜けた声が見事に重なった。確かにあの時石鹸を取り出していたが、まさか、そんな。
「……石鹸水?」
「そうです、石鹸水」
その場に居る者同士で顔を見合わせる。禁術どころか、ただの石鹸水とは。
「虫は石鹸水で窒息します。虫の呼吸器官は油脂や微細な体毛で覆われていて、水を被っても弾いて窒息しないような構造になっています。でも、石鹸水は油脂に馴染むので、弾かずに呼吸器官に入り込んで窒息させるんです。だから、石鹸を魔法で砕いて水魔法に混ぜてみました。大型の虫なので流石に効くかどうか疑問でしたが、効果があったようで良かったです」
「……」
「でも、石鹸はいずれ分解されて自然に還りますから危険ではないですけど、他の無害な虫も巻き込んでしまいますし、量も過ぎればやはり環境に害になるかもしれません。ですから多用はしない方がいいとは思いますが、やむを得ない場合は有効な手段かと。魔法を使えば細かく刻んで水に混ぜ込むのもすぐですし」
「……」
「……そ、そうか……」
「……さ、参考になります」
予想の遥か斜め上の事実に脱力した。つまり、あの場を洗濯したということか。家政魔導士の面目躍如と言ったところだ。
聴取の騎士は困惑しながらも、興味深い様子で手元の帳面に聞き取った内容を書き記していく。虫系魔獣の駆除に役立てるつもりなのかもしれない。
シオリの行使した魔法の正体が知れた後は、騎士が最初に言った通りに簡単な聴取のみで聞き取りは終了した。ほう、と三人で息を吐いたところで、衛生兵が声を掛けて来る。
「治療が必要な方はこちらの御婦人ですか」
「え」
衛生兵と共に軍医が現れ、シオリは驚いた表情を作った。
「私はどこも問題ありませんが」
「おや。しかし、エンクヴィスト伯が必ず診て差し上げろと。顔色が悪いので、負傷したのではないかと仰られて」
軍医が向けた視線の先にはクラースとエリアスが佇んでいる。エンクヴィスト伯というのはどうやらクラースのことらしかった。アレクらと目が合うと、エンクヴィスト家の若き主従――特に従者の方が気まずい顔をした。
「……強引にお連れした挙句に、危うく後衛職の方を護衛も付けずに魔獣の中に放り込むところだった。なにぶん、戦闘に関する知識に疎く、その……」
「言い訳はいい、潔く謝罪しろ!」
エリアスがしどろもどろに何か言い募るのを、クラースが叱責する。
「重ね重ね申し訳無かった。僕の為に消耗の激しい魔法を何度も使わせたと聞く。あまつさえ拉致同然に連れ去って来たなどと……」
己の所為で大騒ぎにしたばかりか、冒険者とは言え御婦人を危険な目に合わせるところだったと、少年貴族は謝罪した。
「……気になさらないでください。ご協力出来ると申し上げたのは私ですから、この件に関しては私にも責任あります。これは魔力切れの症状ですから、休んでいればじきに良くなります」
シオリの言葉にエリアスは小さく、申し訳ない、と呟いた。
「しかし、冒険者と言っても、後衛職の中には薬師や治療術師、学者のような非戦闘員も居る。勿論ソロでの戦闘行為は不可能だから、前衛職と同じように考えてもらっては困るんだ。その点を理解して貰えると有難い」
クレメンスの苦言にエリアスとマルティンは恐縮しきりだ。
「そうですねぇ……我々なんかもそういう苦労はありますね」
側に控えていた衛生兵が苦笑する。
「護身術を習っているとは言え、所詮は医療部隊ですからね。戦闘部隊のようには戦えないのですが、その違いがいまいちよく分かっておられない方も多いのです。一応騎士服で見分けは付くようにしているのですが、民間人にとっては衛生兵だろうが戦闘員だろうが騎士は騎士だろうという認識のようですから」
「街を歩いている時に荒事の仲裁に呼び立てられて、正直困惑する事は確かにあるな」
軍医も同調する。すっかり恐縮して小さくなってしまった従者の青年達を見て、皆で顔を見合わせて苦笑いした。
「まあ、そういうことだ。今後も冒険者を利用するつもりがあるならば、その点を心に留め置いてくれ」
アレクが話題を締めくくり、ここに至ってこの迷子騒動は一応の終結を見せた。
どうしても乗って行けと強く勧められて断り切れず、エンクヴィスト家の馬車に乗せられて街に帰還したアレクら三人は、組合のある通りの入り口で解放された。
「――今回は本当に世話になった。後日必ず礼状と依頼料を届けさせる」
馬車から降りる際、クラースは順繰りに三人と固い握手をして謝意を述べた。馬上のエリアスらが目礼をすると同時に馬車は滑るように走り出す。夜の帳が下りた今、今日中に屋敷へ戻る事は諦めたという事だった。一等街区の宿泊施設にでも向かったのだろう。
「……シオリ。お前はもう家に戻って休むといい。組合への報告は俺達でやっておく」
シオリは何か言いたげに口を開きかけたが結局言葉には出さず、ただ眉尻を下げて笑った。大人しく従う事にしたようだった。
「すみません、お先に失礼します。今日はお疲れ様でした」
頭を下げてルリィと共に帰路につくシオリの背中を見送りながら、クレメンスがぼそりと言った。
「いいのか。送ってやりたかったんだろう」
「組合に報告せねばならんしな。大分疲れているようだから、待たせておくのも酷だろう」
返事を返してからアレクは苦笑して見せた。
「気付いてたのか」
「まあ、今日の様子を見ていれば、な。お前もシオリに気があるとは驚きだが」
「……悪いか」
「悪くは無いが、意外だとは思ったな。女に言い寄られても素気無く袖にしていたお前があれだけ熱心に構うんだ。驚きもする」
「わざわざ言い寄って来るような女には興味も無いな。だが、シオリは良い女だ。側に居て癒されるし、癒してやりたいと思う。そういう女だ」
「――そうだな。その通りだ」
クレメンスは笑って同意し、それから双剣の柄を撫でながら、足元に視線を落として言った。
「――シオリがああも頑なに不調を隠し通そうとするのは、多分私達の所為もある」
ぽつりと落とされた呟きは、自嘲の色が滲んでいる。アレクは無言で続きを促した。
「あの事件以来、皆で彼女を腫れ物に触るような扱いをしてしまった。彼女の事だからそれに気付いていたのだろうな。自分の所為で気を遣わせていると。そんな風に思って、それであれほど頑なに、自分は大丈夫だと差し伸べた手を拒んで」
クレメンスの視線が、シオリが消えた街角に向けられる。
「足手纏いだと言って捨てられて、帰ってみれば今度は腫れ物扱いだ。彼女の性格なら気にしない訳がない。だから、本当は多少強引にでも距離を詰めてやるべきだったのだろうな。今日のお前と彼女の様子を見ていて、そう思ったよ」
彼の無骨な手が、己の肩を叩いた。
「渋々ながらでも彼女はお前の手を取った。先程もお前の言う事に大人しく従った。お前がきちんと彼女に向き合ったからだ」
碧の双眸が細められる。口の端に浮かぶのは、僅かに悔いの滲んだ笑みだ。
「――残念ながら、私は出遅れたようだな」
通りを温かい橙色の魔法灯が照らす中、そう言い置いてクレメンスは先に歩き出した。
「……クレメンス」
アレクは何か言おうとし、結局一つも言葉が思い浮かばずに口を噤んで短く息を吐くと、彼の背中を追って歩き出した。
・クラース:11歳。伯爵家当主。
・フラン:13歳。従者見習い。
・エリアス:25歳。執事。
・マルティン:29歳。秘書官。
殺虫剤よりは石鹸水の方が遥かに効くけど、後始末が面倒なので室内での使用は積極的にはお勧めいたしかねます。