54 幕間十 宝物(シオリ、リヌス、エレン)
組合に日々持ち込まれる様々な依頼が貼り出される掲示板。日帰りで終わる手頃な依頼がないかと物色していたシオリの背後から声が掛かる。
「今日はアレクの旦那がいないから寂しいんじゃないー?」
独特の間延びした話し方に振り返ると、すぐ後ろの卓で弓の手入れをしていたリヌスがひらりと手を振った。
今日はアレクとは別行動だ。日帰りだが難易度の高い依頼で、クレメンスと共に出掛けていった。何もなければ夜までには戻れるらしいが、それでも久しぶりに彼と離れての仕事はなんとなく右隣の風通しが良すぎる気がして寂しい。
「そうですね。ちょっと寂しいです」
正直に伝えるとリヌスは切れ長の目を見開き、足元で棚の裏側をごそごそしていたルリィがぷるんと震えた。何か微妙な反応をされて、シオリは眉尻を下げる。
「……なんですか」
「……はぐらかされると思ってたからねー。正直に言われてびっくりしたよ」
彼はぽりぽりと雀斑の浮いた頬を掻いた。
「今までのシオリなら『そんなことない』ってはぐらかすようなところがあったからさ。なんというか、ちょっと変わったよねー」
気持ちを素直に伝えるようになった、と。そう言ってリヌスは朗らかに笑った。
「そうですか? そうだったかな……」
そういうつもりもなかったのだけれど、もしかしたら無意識に自分を偽っていたのかもしれない。
「そうだったよ。それだけ今までは気を張ってたってことなんだろうねー。でも良かったよ。自然体でいられるようになったみたいでさ」
指先で弓の弦の様子を確かめて満足げに頷きながら言うリヌスに、シオリは淡く微笑んだ。
自分の存在を肯定してくれる人達がいて、そしてそばに寄り添い大切に愛しんでくれる人がいる。彼らがいてくれたからこそ、いてくれたのだと気付いたからこそ、こうして自らを偽らずにいられるのだろうから。
「……そうですね。なんだか色々と楽になりました。そう思えるようになったのも、今ここに私がこうして在るのも皆さんのお陰です」
素直に――今の自分の想いを伝えたのだけれど、今度は何故だか少し複雑な顔をされてしまった。どこか気まずそうに眉尻を下げた顔を、へにゃりと崩して彼は笑う。
「いやぁ……そう言ってもらえるほどのことはしてないよ。ただ俺達は――」
そこまで言うと、彼は口を噤んでしまった。
「……? なんですか?」
「……いや。いいんだ。シオリがシオリらしくいられるんならさ、良かったなーって」
それこそなにかはぐらかされた気もするのだけれど。
それでも彼の邪気のない笑顔からリヌスが心底そう思ってくれているのだということが窺い知れて、シオリは頷き微笑んだ。
と。
「――シオリ! 悪ぃがちょっと頼まれてくれねぇか。単発で急ぎの依頼が入ってんだ」
カウンター越しにザックから呼び出され、「行ってらっしゃーい」とリヌスに促されて軽く目礼してからその場を後にした。
リヌスは手入れを終えた弓を収めると、真剣な表情で話し込む二人に視線を向けた。依頼票を覗き込みながら、シオリは手帳に必要事項を書き込んでいく。
と、ザックが何か冗談でも言ったのか、シオリが楽しげに笑った。負の感情が混じることのない純粋な笑顔に、リヌスは口元を緩める。
「あら、どうしたの? 嬉しそう……というのとも少し違うみたいだけど」
「あ……エレン先生ー」
さらりと艶やかな金髪を揺らしてリヌスの顔を覗き込んだエレンはちらりと視線を流し、それからやはり同じような微笑を浮かべる。嬉しそうで、それでいて微かな痛みを含んだ笑み。
「……本当に、ちゃんと笑うようになったわよね」
「うん……そうだねー」
視線の先の、シオリの笑顔。
――財産と呼べるものは何一つ持たず、この国の言葉すら話すことができなかった彼女は、本当に身一つから始めてここでの生活、ここでの立場を築き上げた。
確かに、気の良い男に拾われ、そして親切な人々に世話してもらったから為し得たというのもあるだろう。だが、それでも彼女自身が努力しなければ得られるものは少なかったはずだ。その立場も、友人も、仲間達も、そして最愛の人も――そのどれもがシオリが必死で努力しなければ得られなかったものばかりだ。
多くの移民が暮らし、多種多様な文化を受け入れる気風のこの街にあるトリス支部は、冒険者組合でも特に気の良い者が多く働きやすい職場環境だと言われているが、それでも無条件に全ての者を受け入れるほどに甘くはない。
彼女が努力せずぬるま湯に浸かる気でいたなら、諦めて楽な道を選んでしまったなら、出した結果に驕って堕落していたなら――きっと、彼女を気に掛ける者は今ほどには多くなかっただろう。
今のあの立場があり、そして慕う者が多いのは、彼女自身の強さと努力があってこそだ。
「……気持ちが楽になったのも、彼女がああしていられるのも――俺達のお陰、だってさ。俺達はただ見守ってただけなのにね。それどころか――」
リヌスの言葉に、エレンの綺麗な弧を描く眉が悲しげに下げられる。
「……何かおかしいって気付いていたのに、誰も助けてあげられなかったわね」
――今となっては言い訳にしかならないが、本当に一つ一つは些細なことだった。
……あんなに頑張っているのに査定結果が悪い。パーティの仲間からの当たりが厳しくなった。装備が一人だけ貧弱。打ち上げに一人だけ参加していない。笑顔が少なくなった。あまりギルドに来なくなった。
誰もが違和感を感じていたというのに、それぞれが見た「異変」は些細で、そしてよくあることだった。努力しても結果が伴わずに稼ぎが減ることは珍しくはない。その結果仲間との関係が悪くなり、本人が気まずくなって組合から足が遠のいたりすることも。特にランクが低いうちはよくあること――。
それに、あのパーティのメンバーも元々は気の良い者達だった。「気さくでいい奴らだよ」と、そう言ってメンバー入りを悩む彼女の後押しをしてしまった同僚もいたくらいには。
だから、見逃してしまった。努力家の彼女に限ってそんなことがあるだろうか、あれだけ必死に頑張ってきた彼女に限って――そんなふうに、誰もが心の片隅で微かな疑念を抱いていたというのに。
誰もが異変に気付いていながら、あんなことになる前に止めることができなかった。だからこそあの事件は皆の心に影を落とした。被害者たるシオリだけではない、あの事件の「現場」に居合わせた者全てにだ。
あの事件以来、皆それとなく内部の人間関係に気を配るようになった。とくに固定パーティは外からは人間関係が分かりにくい「密室」だ。遠征に出てしまえばなおのこと。だから、何か歪みが生じていないか、不自然な様子はないかと気を配るようになった。組合側でも不正を行えないように冒険者の評価システムを一部変更したほか、定期的に職員や冒険者の面談を行うようにもなった。
冒険者組合創設から数十年。登録冒険者数が増加して人間関係が複雑化した今、創設当初の仕組みでは対応しきれない部分が増えたのだ。今まではなあなあにして先延ばしにしてきた問題点が、あの事件を機に少しずつではあるが改善されつつある。
シオリにしてみれば不本意であろうが、彼女の事件を切っ掛けにして改善した仕組みで未然に防げたトラブルも既にいくつか出ている。
――そしてその当のシオリ自身は。
「……強いなぁ……シオリは」
彼女は誰も責めなかった。そして心の傷に苦しみもがきながらも、この場所に戻ってきた。
「そうね。でも……その分ひどく脆い部分が必ずあるわ。あのままじゃいずれは折れてしまっていたと思うの。だから、それを支えてくれる心強い人ができて本当に良かった……」
負い目からどこか腫れ物を扱うようにしか接することができなくなった自分達と、それに気付いて心配を掛けまいと本音を言わなくなってしまった彼女。あの事件で彼女との間にできてしまった、薄いが壊すことのできない強固な壁は――今、ようやく取り払われようとしているのだ。
「……幸せになるといいねー」
打ち合わせを終え、こちらに軽く会釈して出ていったシオリに手を振り返しながら、リヌスはぽつりと言った。それに微笑みながらエレンが返す。
「幸せにならなきゃおかしいわ。彼女の努力は報われるのよ」
ぽよんぽよんと陽気に弾みながら歩くルリィを見てくすりと笑ったシオリは、気さくに手を振って寄越す顔見知りの人々に挨拶を返し、そして空を見上げた。冬特有の淡い水色の空は抜けるように高く、柔らかな陽光が降り注いでいる。
「……宝物、増えたなぁ」
陽気で可愛らしい友人、強く頼もしい兄、優しく見守ってくれる仲間、気の良い同僚達、愉快で豪胆な新しい友人達、そして――。
綺麗に折り畳んで挟んだ画用紙を手帳から取り出して開く。アンネリエからもらった姿絵だ。
――魔法剣を構えて眼光鋭く前を見据えるアレクの凛々しい姿。
「……ふふ」
口元が緩む。
「格好良いなぁ……」
愛しい人。
「……大好きだよ」
かけがえのない、大切な人。この世界で得た、大切な宝物だ。
――くすくすと幸せそうに笑うシオリの左腕。手首を飾る華奢な腕輪の、その紫色の石が陽光を受けてきらりと輝いた。
アレク「む。なぜか今胸がほわっとした」
クレメンス「……私はなぜか今イラっとした」
ルリィ「二巻表紙の一人だけ真顔で背中向けている某美形をお楽しみください」
私信1:いつもメッセージありがとうございます!(´∀`*)
私信2:結局いい醤油買ってしまいましたヨー。美味いよー。




