51 幕間七 トリスヴァル領シルヴェリア地域の未確認魔獣に関する報告書(クリストフェル)
雪男「私の出番ですかっ!?」
トリスヴァル領シルヴェリア地域において発見された魔獣について、簡易分析結果を下記のとおり報告する。
■鑑定責任者
王立生物工学研究所 第三分析室 室長ブロル・テグネール
■発見日時
王国歴977年12月1日
■発見者
冒険者組合トリス支部
アレク・ディア、クレメンス・セーデン、ナディア・フェリーチェ、シオリ・イズミ
(同行者:アンネリエ・ロヴネル、デニス・ロヴネル、バルト・ロヴネル)
■採集地
トリスヴァル領シルヴェリア地域シルヴェリア林道中間部
■採集日
王国歴977年12月5日
■採集者
北方騎士団シルヴェリア駐屯地第二小隊
ベルント・リリェバリ、ヤンネ・モランデル、ペール・フルトクヴィスト、ヨアキム・ウッデンバリ
■体長
約三.二メテル
■体重
約七五二シログラム
■所見
今回採取された魔獣の簡易分析の結果、骨格はトロールもしくはオーガとの若干の類似点が認められるが、体組織や両手足の指の本数及び「吐息」の排出口等、既存の魔獣との相違点(別添資料参照)が多く、未知の魔獣である可能性は否定できない。断定に至るまでにはさらなる分析が必要である。
なお、十一月中旬にヴィオレッテ地域アシェル村で発見された遺留物と体組織構成及び足型が一致。十月下旬~十一月下旬まで当該地域に出没した魔獣と同一個体であると断定。
また、過去二十年以内に同領フィブリア地域及びエステルヴァル領トルンロース地域において発見された足跡や体毛が今回採取された魔獣との類似点が極めて多く、当該地域においてこの魔獣もしくは近似種が繁殖していると推測される。
■備考
笑顔と思しき感情表出行動を見せたとの報告あり。発見者の冒険者パーティは調査の結果いずれも高ランク保持者で信用に足る人物であるほか、同行者三名(ロヴネル伯爵家当主以下二名)の証言もあることから、目撃情報の信憑性は高いものと思われる。人類に近い高い感性を持つ可能性――
「……いかがなさいましょう、閣下」
険しい表情で報告書に目を通していたトリスヴァル辺境伯クリストフェル・オスブリングは、秘書官の声に眉間を揉みながら顔を上げた。
「報告書が事実ならば至急対策を練らねばならんな。幻獣が実在した……か」
疑いようもない事実だからこそ検体が生物工学研究所に送られたのだ。報告書はエステルヴァル辺境伯や王立騎士団本部、そして王にも送付されたらしい。
――目撃証言や噂話などで存在が主張されてはいるものの、実在は確認されていない生物と定義されている魔獣の総称、幻獣。
その中の一つである雪男。
――分厚い木製の扉を一撃で粉砕した。頑強な農耕馬を難なく抱え上げ、背骨を圧し折った。雪熊の巨体を手刀で貫通させた――等々、数々の恐るべき目撃証言や伝説を残すこの幻獣の実在が示唆されたのだ。
今まで単なる誤認や与太話として片付けられていたのは、その生きた姿や遺骸が確認できなかったからなのだが、それは――これと至近距離で遭遇して生還した者がいなかったからかもしれない。事実、近年雪男の目撃情報が相次いだ地域では数名の行方不明者が出ている。その一部は、消息を絶ったと思われる場所に大型魔獣に襲われたと思しき痕跡があった。当該地域内は国内でも特に雪熊の生息数が多いために、これに襲われたかと思われていたのだが――。
(もし本当に高い知能を有しているとするならば……遺体を隠蔽するくらいはやってのけるかもしれんな)
不明者の全てがこの幻獣に襲われたとは思わないが、その可能性は考えられなくもない。
「幻獣のこれまでの目撃情報は」
「は。こちらに」
指示するまでもなく有能な秘書官によって書類が纏められていたらしい。手早く執務机の上に書類と領内の地図が広げられていく。地図上には数十カ所に及ぶ印が付けられ、それらは幻獣の種類ごとに色分けされていた。
「記録にある幻獣の目撃情報は全て転記しております。このうち雪男と思われるものは青で記しました」
「……なるほどな」
秘書官の示した青で記されている印の九割以上が、報告書に記載されていたシルヴェリア、ヴィオレッテ、フィブリア地域に集中している。それらは全てシルヴェリアの森と、タウベ丘陵を挟んで森に向かい合うフィブリア原生林周辺の地域だ。
「つまりこの雪男と思しき魔獣は、領内では少なくともこのタウベ丘陵周辺に複数体棲息している可能性があるということか」
「そうなりますね。遺留物が見つかったのもこの地域内のみです」
「……帝国のことがなければ大規模な調査隊でも派遣したいところだが……それに充てる人員が足りんとあっては、現状は駆除方法を報せて警戒を強化するしかないな。状況を見て精鋭部隊を編成し、現地を調査させよう。しかし……」
ちらりと手元の資料に視線を落とし、次いで秘書官と顔を見合わせるとどちらからともなく苦笑した。
「この……湯に沈めるというのは本当に有効なのか? 記述どおりなら風呂程度の温度で事足りるということだが」
「はぁ、まぁそれは……報告書を信じるしか」
別添資料によると、特殊な毛皮とぶ厚い皮下脂肪で保温性及び魔法耐性が極めて高く、低温下でも機敏に行動できるとある。その反面高温には著しく弱く、推定では十五度を超えた辺りから生命維持機能が低下し、三十度以上で心停止に至るのではないかということだった。回収された遺骸の内臓や脳の一部が、熱によって変質していたという記述もある。
とすれば魔法は効かないかもしれないが、周囲の温度を上げさえすれば簡単に殺傷できるということになる。
件の冒険者は戦闘中にその弱点に気付き、湯を満たした落とし穴に落下させ、熱中症様の症状を誘発させて仕留めたらしい。実例が一件のみとあっては検証のしようもないが、現状はこのとおりの対応をするよりほかはあるまい。
「……トリス支部の冒険者と言えば……」
秘書官がぼそりと言った。
「先々月も騎士隊経由でおかしな報告がありましたね。大蜘蛛の大群を石鹸水に沈めて一掃したとかどうとか」
こちらは間違いなく有効な手段だということを騎士隊から報告されていた。試しに数ヶ所の大蜘蛛駆除にこの手段を用いたところ、絶大な効果を発揮したということだ。
「ああ……あったな、そう言えば」
クリストフェルは思わず微妙な作り笑いをした。
今回も、その大蜘蛛の件でも、その報告書にはどちらにも見覚えのある名前があった。
アレク・ディア。シオリ・イズミ。
(――殿下に天女か……)
一時期は監視を付けていた「天女」。豊富な知識と発想力で何度か組合に貢献したというが、まさかそこに王兄の名も加わるようになるとは思いもしなかった。
ブレイザックの話では王兄は天女と想いを交わし合い、心の古傷を徐々に癒しつつあるということだった。纏う気配が柔らかくなった、と。最後に会ったときに旧友は嬉しそうにそう言っていた。
(色々あったが……拠り所を見つけて穏やかに過ごしているということか)
脳裏に酷く傷付いたあの十八年前の少年の――そしてふとした瞬間にどこか硬く険しい表情を垣間見せていた男の姿が浮かんで消えた。
「……冒険者組合への連絡はどうなさいますか。エステルヴァル領では被害拡大を防ぐために、限定的に情報共有を決定したそうですが」
秘書官の言葉に意識を浮上させたクリストフェルは、再び机上の地図に視線を落とした。
ヴィオレッテ地域からシルヴェリア地域にかけて活動していた幻獣は討伐された。だが、フィブリア地域では過去五年以内の目撃情報が集中している地点がある。こちらは誤認か、それとも。
「……同様の対応でいく。領内のB級以上の冒険者に限り情報を開示せよ。各支部に連絡を頼む。ああ、地図は置いていってくれ」
「承知しました」
机上の書類を手早く纏めると、秘書官は一礼して下がる。
長い溜息を落として椅子の背に身体を預けたクリストフェルは、手元の書類をぺらりと捲った。それから机上の地図を見る。定期的に目撃情報が寄せられるいくつかの地点。
「……ノルスケン山のフェンリルに――ディンマ氷湖の氷蛇竜……か」
少なくとも関連機関では、雪男の存在はほぼ確定と認識されている。
とすれば、ほかの幻獣もまた誤認ではなく実在するものなのではないか――。
「……まさか――な」
ぽつりと落とした呟き。
捲ったままの書類のその頁には――不気味な笑みを浮かべて佇む幻獣の姿が描かれている。
???「雪男がやられたようだな……」
???「フ……奴は幻獣の中でも最弱……」
???「人間如きにやられるとは幻獣の面汚しよ……」
雪男「添え物どころか踏み台!!!!」
ルリィ「どうせまたナントカ水とかに沈められて終わるんじゃ」
ペルゥ「ありそうで怖い」
いや……それはないんじゃないかな……多分。多分……。
一瞬醤油に沈めようかと血迷ったのは内緒です。




