09 迷子の捜索承ります(3)
小径を逸れ茂みを分け入り、シオリが指し示した方角に向かって走る。森の中は陽光が届く程度には明るかったが、それでも聳え立つ木々と生い茂った下草とで足場は悪く、決して走り易いとは言い難い。とはいえA級、B級の冒険者にとっては珍しくも無い、慣れた環境だ。シオリの手を引きながら、彼女の歩幅に合わせて走る速度を調整する。シオリは探索魔法を展開して、要救助対象を見失わないように努めているようだった。先程よりも範囲は狭めているとは言え、走りながらも魔法を維持するその集中力は見上げたものだ。
「反応が移動してる! 何かに追い掛けられているようです! 先程の方角と位置がずれました!」
シオリが叫ぶ。後続のエリアスとマルティンが焦りを見せたが、野戦経験の無い二人は徐々に遅れ出している。アレクは二人を捨て置く事に決めた。護身程度は嗜んでいるようだが、その程度だ。連れて行っても役には立つまい。
「シオリ、担ぐぞ!」
「えっ……はい!」
シオリは一瞬戸惑いを見せるも直ぐに理解を示して頷いた。理解、判断の速さはやはり中堅冒険者のそれだ。その場の最善策は全てアレクに委ねる事に決めたのだろう。
アレクはシオリの背中と膝裏に手を添え抱え上げると、再び走り出した。走りながら筋力増強の魔法を発動する。いくら小柄なシオリとは言え、抱えながら走る為には必要だった。
「騎士隊が向かう方向からずれて来てる!」
「要救助者はどっちだ」
「向こうです」
最初の方角よりややずれた、十一時の方向をシオリは指差す。そちらに軌道修正しながらなおも走り続けると、視界の端に先行していた騎士隊の姿が見えた。
「おい、子供は向こうだ! 対象が移動を始めた!」
クレメンスが騎士隊に向かって叫ぶと、それに気付いた彼らはシオリが指差す方角に向きを変えた。と、その時。悲鳴が聞こえた。事情を知らなければ女かと思うような甲高さのそれは、要救助対象の少年のものだろうと知れた。先程シオリが示した方角。彼女の探索能力に間違いは無かったということだ。声の発生源は騎士隊よりもこちら寄り、遥かに近い。足を速め、悲鳴のした方角へと急ぐ。真横で金属の擦れる音がした。クレメンスが双剣を鞘から引き抜いた音だ。
「先に行く」
姿勢を更に低くして加速し、クレメンスが追い抜いて行った。
「降りますか?」
速度が上がらない事を気にしてか、シオリが言った。
「もうじきだ。降ろす手間を考えたらこのままの方が速い」
前方に複数の気配を感じる。斬撃音と共に軋むような断末魔。クレメンスが既に交戦しているようだ。木々の合間に見え隠れする銀髪と、そして黒く蠢く大量の――
「大蜘蛛か!」
黒と黄色の毒々しい縞模様の、一抱え程もある大蜘蛛の群れ。地面を埋め尽くさんがばかりに蠢いている。その向こう、巨木の根元に、白い糸のような物に足を取られて座り込んでいる少年と、彼を後ろ手に庇うようにして短剣を構える身形の良い少年。と、その頭上に枝葉の隙間から数匹の大蜘蛛が飛び掛かる。
「――木の葉隠れ!」
耳慣れぬ言葉で紡がれる呪文と共に、少年達を護るようにして枯れ葉が舞い狂う。枯れ葉混じりの強風は得物に飛び掛からんとしていた大蜘蛛達を弾き飛ばし、そのうちの数匹は激しく木に叩き付けられて地面に落下した。
「やるな。風の障壁で防御しつつ攻撃するか」
シオリが腕の中から飛び降り、身軽になったアレクは魔法剣を構えた。クレメンスの横に並ぶ。背後でも複数の男達の声と共に斬撃の音が聞こえ始めた。騎士隊が追い付いたらしい。
「数が多いな。繁殖していたのか」
「の、ようだな」
領都に程近い森は定期的に騎士隊の調査と魔獣の駆除が為されているはずだったが、漏れでもあったのかもしれない。虫系の魔獣は繁殖が早く、数匹討ち漏らしただけでも簡単に群れを成す。少年達は運悪く群れの縄張りに踏み込んでしまったのだろう。
目の前の群れの一部は標的を騎士隊に変えたようだったが、残りは目の前の少年達と、三人の冒険者との間合いをじりじりと詰め始める。
火魔法で一網打尽にしたいところだが森の中では流石に憚られる。日陰で湿っているとは言え、これだけの大蜘蛛の大群を燃やし尽くす為の火魔法を使えば、間違いなく引火する。かと言って下手に突っ込めば、粘着質の糸に絡めとられて厄介な事になるのは目に見えていた。単体ならば初級冒険者でも比較的楽に倒せる大蜘蛛も、周囲を埋め尽くすほどの大群となると難易度は高まる。虫系魔獣の厄介なところは、この群れを為しての攻撃にあった。手持ちに広範囲の攻撃技でも無ければ殲滅は難しくなる。しかも強力な麻痺毒を持つときている。噛まれて毒を流し込まれ、自由を奪われればもうなす術も無い。低級魔獣と油断して命を落とす冒険者は意外に多い。
ともかく、まずは少年達を保護せねばなるまい。彼らと自分らの距離は凡そ十メテル。大した距離ではないが、大蜘蛛の群れに阻まれて容易には近付けない。
アレクは魔法剣に火魔法を纏わせた。大蜘蛛にも蜘蛛の糸にも火魔法は有効だ。周辺に引火せぬよう注意を払いつつ、目の前の大蜘蛛に切り付けた。大振りにして数匹を巻き込み斬り捨てる。対してクレメンスは両手の双剣を器用に操り、群れの合間を縫い進みながら迫り来る両側の大蜘蛛を屠って行く。シオリは邪魔にならぬよう絶妙な距離を取りながらも、アレクの後ろを着いて来た。時折首筋に風が吹き付けるのは、彼女が風を起こしているからのようだった。大蜘蛛が吹き付けて来る糸を強風で払い除けて行く。
少年達の元に辿り着くと、彼らを背中に庇い大蜘蛛と対峙した。
「出来る限り木の側まで下がれ。怖ろしいかもしれんが、動かずにじっとしてるんだ。いいな?」
大蜘蛛から視線を放さずに少年達に言うと、わかった、と小さな声が聞こえた。それから身動ぎするような物音。聞き分けの良い子供で良かった。特に貴族に多いのだが、こういった場合でも変にごねたり命令したりとやり辛い保護対象も居るのだ。
シオリが後退した彼らを守るように、前を陣取る。マンティコア討伐の際にも思った事だが、後衛職としての動きは申し分無い。仲間の足手纏いになることなく自分の身を護り、状況に応じて的確に前衛の補助をする。指示すれば即座に理解し行動した。低魔力ながらも工夫して魔法を駆使し、戦闘でも野営でも見事に仲間を支援するその手腕。僅か三年でB級にまで来ただけの事はある。
気を利かせたのか、ルリィが素早く少年達の背後に回った。背中を守ってくれるらしい。後ろから回り込む大蜘蛛を捕食し溶解していく。スライムの本領発揮と言ったところだ。敢えて背後に回ったのは「食事風景」を子供に見せない為の配慮かもしれない。
ちらりと向こう側に視線を向けた。騎士隊が奮闘し、群れの数は徐々に減らしてはいるようだったが、それでも数の多さに苦戦しているのが見て取れた。麻痺毒や糸にやられて地面に倒れている者も居る。
「さて、どう減らすか」
これほど繁殖していながら今まで被害者が出なかったのは、恐らく孵化して間もないからなのだろう。大蜘蛛とは言え、どの個体も自分の知るそれと比較すると小さい。しかし、だからこそ――外界に出て初めての食事に躍起になっているに違い無かった。
「いっそ、思い切って火魔法で焼き払ってから水魔法をぶちまけてみるか」
「冗談でもやめてくれ。引火して大蜘蛛と心中はご免被りたい」
物騒な呟きにクレメンスの突っ込みが入る。
「私に考えがあります。上手く行くかどうかわかりませんが、少しだけ時間稼ぎをお願い出来ますか」
後ろからシオリの声が掛かった。
「何をする気だ」
「窒息させます。ただ巨大なだけで身体の構造が普通の虫と同じなら、もしかしたら」
クレメンスと横目で視線を交わした。
「どう思う」
「考えたことも無かったが、確かに巨大なだけで普通の蜘蛛と……変わらないと思う」
どのみち、引火し易い場所である以上、火魔法は厳禁だ。せいぜい火の粉が飛ばぬよう火の力を纏わせた魔法剣で物理的に潰していくしかない。風魔法で切り裂いても良いが、火魔法と比較すれば確実性に欠けた。
アレクは心を決めた。
「わかった。やってみろ」
「はい」
シオリは肩掛け鞄から何か白い塊を取り出した。
「……石鹸?」
「はい。さっき街で買い足ししたところでしたが、丁度良かった」
彼女の為す事の奇抜さは先日の依頼で理解したつもりではいたが、一体何をするつもりなのか見当もつかない。
と、蜘蛛糸が飛んでくる。同時に襲い来る大蜘蛛の群れ。それを魔法剣で薙ぎ払いつつ、アレクは叫んだ。
「なんでもいい、任せた!」
「はい!」
クレメンスと二人で剣を振う背後で魔法の力が満ちるのを感じる。ふわりと鼻腔を擽る石鹸の香。そして――
「――泡沫水流!」
呪文と共に出現した水流が大蜘蛛の群れを浸していく。立ち上る石鹸の香り、そして弾け飛ぶ泡沫。群れを押し流す程ではない緩やかな水流は、だがしかし、大蜘蛛達に激甚な被害を齎した。あれほど絶え間なく蠢いていた大蜘蛛達がぴたりと止まる。と、次々と腹を見せて地面に倒れ伏し、僅かな痙攣の後に完全に活動を停止した。
「な……」
何が起きたのか理解出来ず、絶句する。クレメンスも同様のようだ。目を見開き、口を半開きにして固まっていた。手前で動かなくなった大蜘蛛の一匹を剣の先で突く。間違いなく絶命している。
「……これは一体……」
視線を巡らせば、騎士隊の面々も剣を構えたまま硬直していた。が、その向こうから群れの残りが押し寄せるのに気付き、皆体勢を整える。
「泡沫水流!」
しかし、剣を打ち振う間も無く再び奇妙な泡の水流が大地を満たしていく。次々と倒れ伏し、痙攣して絶命していく大蜘蛛達。撃ち漏らした数匹は、我に返った騎士が倒していく。
「――掃討、完了」
呆然とした声で、隊長らしき騎士が戦いの終わりを告げた。他の騎士達も戸惑うように互いに顔を見合わせ、そして足元の死骸になった大蜘蛛達を眺める。
「……良かった、成功しました」
シオリの声に我に返り、振り向いた。やり遂げたような表情。確かに見事な成果だった。だが、恐るべき威力の魔法。あれほどの大群を、たった二発で片付けてしまった。あれは一体。説明を求めようと口を開きかけた時、背後で呻き声が聞こえた。
「フラン! しっかりしろ!」
金髪の少年が必死に呼び掛けるが、糸に絡まり倒れたままの赤毛の少年は苦し気に眉を顰めて呻くばかりだ。指先が硬直している。
「麻痺毒にやられたか」
「衛生兵!」
こちらに気付いた騎士が衛生兵を呼ぶ。
「どいていろ」
声を掛けると、金髪の少年は縋るような目で大人達を見た。大人しくフランと呼ばれた少年から離れ、両手を握り締める。まだ十を少し過ぎたかどうかの子供だったが、貴族としての矜持もあるのだろう。必死に平静を保とうと努力している様子が見て取れた。シオリがその隣にそっと膝を付く。
「……大丈夫です。解毒できますよ。貴方にお怪我は?」
「僕は平気だ。でも、」
何か言いかけてシオリを振り仰いだ少年は、ふと口を噤んだ。
「――貴女こそ大丈夫なのか。真っ青だ」
少年の言葉にアレクは顔を上げた。日陰で判り辛いが、確かに血の気が失せている。フランに解毒剤で応急処置を施してから、駆け付けた騎士隊の衛生兵に彼を預けてシオリに歩み寄る。蒼褪めた顔、浅い呼吸。また魔力切れの症状だ。それほど多くの魔法を行使したわけではないにも関わらず、直ぐに底を突く魔力。
既成の枠に捕らわれない、独創的な、しかし確実な成果を齎す魔法を駆使するというのに、その魔力量の低さは致命的な弱点だ。勿体無い。魔力が人並みでさえあれば、幾らでも前線で活躍出来たかもしれないというのに。それどころか、大魔導士にすら――。そこまで考えて、それ以上の思考を強制的に遮断した。そのような事は、きっと彼女自身が痛感してきた事だろう。今ここで自分が悩んだとて、詮無い事だ。
「ただの魔力切れです。問題ありません」
言いながらも立ち上がる彼女の足元は、確かに危なげもなく、しっかりと大地を踏みしめている。身のこなしにも隙を見せない。
だが。
『【暁】の一件で、シオリは限界まで無理をして、その無理を隠す事を覚えてしまった。表情にはほとんど出さない。不調を見抜くには顔色で判断するしかない』
クレメンスの言葉が脳裏を掠めた。顔色に出てしまっている以上、本当はかなり辛いはずだ。表に出さないだけだ。
「冒険者殿。負傷者の処置は済ませた。一旦衛生隊の天幕へ連れて行くが、貴殿らはどうする。問題が無ければ、街に戻る前に聴取を済ませてしまいたいが」
脱力して立てないフランを抱き上げた騎士が声を掛けて来る。上への報告書に必要なのだと言うことだった。
視線を巡らすと、騎士の背後に立つクレメンスと目が合った。彼の視線が一瞬シオリに向かう。その様子から、彼もまた自分と同じ事を考えているらしい事を察した。
「……差支え無ければ天幕で少し休ませて貰いたい。聴取はそこで受けよう」
「承知した。ご協力感謝する」
既に日暮れを迎える時刻。現場の検分は明日早朝からの開始になったようだ。騎士隊が撤退を始める。騎士の一人が金髪の少年を抱き上げようとしたが、彼に固辞されたようだった。彼は背筋を伸ばすと、フランを抱える騎士の隣を歩き出した。金髪の彼が件の若様だという。子供ながらも立派に貴族らしく振る舞う彼の、従者を案ずる様は見る者の心を打った。良い主だ。従者を見捨てず、それどころか魔獣から庇うようにして立った、あの時の彼の姿は気高かった。
騎士らに続こうとシオリを振り返る。少年らの姿を眺めるその瞳は、どこか虚ろだ。「あの日」の事を思い出しているのだという事に、直ぐに思い至った。「あの日」の自分の姿に重ね合わせているのではないか。
――子供ですら、傷付いた仲間を庇い、身を張ったというのに。彼女は、仲間だった者達にいとも簡単に捨てられたのだ。
「シオリ。俺達も行くぞ」
身動ぎせずに少年達を見つめる彼女を抱き上げた。
「うわっ、なんですか!」
驚いて声を上げるシオリの瞳に色が戻る。いつものシオリだ。内心安堵する。
「歩けます!」
「そんな酷い顔色した女を歩かせられるか。大人しくしていろ」
「でも」
「――シオリ。俺達はお前を置いて行ったりはしない」
シオリが息を飲んだ。
やはり、傷になっているのだ。「あの日」の経験が、少しでも足手纏いになれば捨てられるのではないかという恐怖感を彼女に植え付けたのかもしれない。だから、無理をして、無理を隠す。
「無理をせず、必要な時は頼れ。それが仲間だ」
あの日、彼女を置いて行った彼らは、仲間では無かった。そういう事だ。
こんな言葉一つで、心の柔らかい部分に付けられた傷が癒えたりはしないだろう。シオリは黙り込んだまま、それでも力を抜いて身体を預けてくる。不満げではあったが、このまま大人しく運ばれてくれるようだった。
「ルリィも行くぞ」
絶命した大蜘蛛を物色していたルリィが、するりと離れてこちらに寄って来るのを確かめてから、騎士隊の後を歩き出す。
木々の隙間から見える空は、既に茜に色付いていた。森の向こうに幾つかの光が揺らめく。森の外で待機している騎士隊が魔法灯を灯したのだろう。
もうじきに、夜の帳が降りる。
ルリィ「害虫駆除承ります!」
迷子話はもうちょっと続きます。