42 十年前の真実(1)
なげーので分けました_:(´ཀ`」 ∠):
――屋敷の前に横付けされた馬車の扉が開かれ、一人の男が姿を現す。帯剣したその姿から、冒険者だろうことが知れた。男は車内に手を差し伸べ、続いて姿を見せた女の手を取る。その女の遠目にも分かる浅黒い肌と緩く波打った黒髪が、雪に覆われた白の庭園によく映えた。
馬車を降りた二人は、ロヴネル家が誇るベーヴェルシュタム様式の屋敷を見上げた。
ゆっくりと視線を巡らせていた女の目が、執務室の窓から覗いていたアンネリエを――否、後ろに控えていたデニスを捉える。正面から見た女の顔に、デニスはひゅ、と息を呑んだ。
物憂げにこちらを見つめていた女はやがて、使用人に促されて玄関の重厚な扉の内に姿を消した。
「……なぜ……」
デニスは喘いだ。
「なぜ、あの女が生きて……」
デニスの生家に時折訪れていたあの女。
死んだはずではなかったのか。十年前、父とともに楽土に旅立ちその愛を永遠に自らのものにしたはずの――否、違う。彼と共に死んだのは男だった。
ではあの女は一体誰だ。父と一緒に死んだと思っていた、あの女は。
しばらくしてバルトが執務室に顔を出し、客の来訪を告げた。
「……行きましょう」
「……はい」
アンネリエがその場に混乱して立ち尽くしたままのデニスに声を掛ける。彼はぎこちなく頷いた。
バルトは一瞬気遣わしげにちらりとデニスに視線を向けてから、先頭に立って歩き出した。来客――南国系の女が待つ、応接間へと。
――アンネリエのもとにシルヴェリアの旅で護衛を務めたシオリ・イズミとアレク・ディアの連名で手紙が届いたのは、屋敷に戻ってから二週間ほど経ったときのことだった。
わざわざ速達で届けられた早速の手紙にアンネリエは飛び上がるほどに喜んだが、それを読み進めた彼女は蒼褪め、そして表情をひどく険しいものにした。
シオリの手紙は時候の挨拶とアンネリエ達の体調を気遣う言葉から始まり、そして近況報告に続いて『大事な話があるから、アレクの手紙にも目を通してほしい』と締め括られていた。このアレクの手紙の方が本題だった。
『アンネリエ殿に聞いた話と、当時ロヴネル支部に所属していた同僚の話に齟齬がある。勝手かとは思ったが、こちらで少し調べさせてもらった。報告書にある事実以外のことはこちらでは分からない。至急事実確認することをお勧めする』
同封されていたのは、十年前に冒険者組合ロヴネル支部管轄内で発生した、とある冒険者の転落事故についての報告書。
『貴方も読んでちょうだい。これは――恐ろしいことだわ』
読むようにと手渡されたそれに目を通したデニスは驚愕した。
死亡したとされる二人の冒険者の名。そこに記されていたのはイェルハルド・ロヴネル――デニスの父親と、その相棒だったマリオ・デ・ペドロという男の名だ。
父と共に死んだのは男だった。そして心中ではなく、事故――。
女は長椅子に腰掛けて、紅茶を注ぐ家令をじっと見つめていた。帯剣している男は腰掛けずに後ろを護るように控えているが、家令の仕事が物珍しいのか、やはり女と同じように彼を眺めている。
応接間に入ったデニス達を見て二人は立ち上がり、ぎこちなく頭を下げる。二人の様子から上流階級の習慣にはあまり慣れていないということが窺い知れた。
デニスは緊張で少し早くなった呼吸をどうにか抑えながら、女を観察した。
女の緩く波打つ前髪の下から覗く瞳は南国の海を思わせるような碧に輝き、細い眉は意思の強さを表すかのようにきりりと釣り気味。すっと通った鼻梁の下のやや薄い唇は凛々しく引き締められている。全体の造形は美しいと言って良いほどに整っていたが、南国系には珍しく胸や腰の線はなだらかで、中性的な容貌と相俟って男装でもさせればその手の嗜好の男達が放ってはおかないだろう危うげな細腰の美男子にも見紛う容姿だ。浅黒い肌は薄く皺が刻まれてはいたものの艶めいて張りがあり、三十代半ば頃かと予想を付けたが、訊けば四十五を過ぎたところだという。
男の方は見た目どおり、三十をいくらか過ぎたあたりらしい。
女の向かいに腰掛けたアンネリエの背後に控えようとしていたデニスは、彼女に手を引かれて些か強引に隣に座らされた。
互いに簡単な自己紹介を済ませる。女はイサベルといい、男はウルリクと名乗った。
全ての者に紅茶を配り終えた家令は一礼して壁際まで下がる。会談の内容が聞こえないぎりぎりの位置だ。長年ロヴネル家に仕えている信頼できる男。込み入った話をするためにデニスとバルトに代わってこの場の給仕を任せた男だ。彼は壁際に立つと、女主人の会談を邪魔せぬよう室内の空気に溶け込むかのようにその気配を絶った。
それを見送り、そして少し躊躇った後にイサベルは口を開いた。
「冒険者組合からこちらに当時のことをお話しするようにと言われて参りました。ウルリクはその……護衛を兼ねております」
ウルリクは招かれた場で武装を解かずにいることを詫びた。そしてこのまま帯剣する許可を求めるとも。
それはこの会談で彼女の身に何らかの危険が生じる可能性を示唆していた。無論デニスにも、そして主で婚約者たるアンネリエにもそのつもりはないが、イサベル達が少なからず警戒感を抱いているのだろうことが知れた。これから語る話はそれだけの内容を孕んでいるということなのだ。
――シオリとアレクの手紙を受け取ってすぐに、アンネリエはロヴネル支部に使いを飛ばした。
かつての上得意からのおよそ十年ぶりの使者に組合マスターは驚いたらしいが、事前に同件でトリス支部からの問い合わせがあったことから、訪問を予測してある程度の用意をしていたということだった。
早速当時の事情に最も詳しいと思われる女性に連絡を入れ、そしてこの対談の場が設けられた。そうしてロヴネル家に訪れたのが、このイサベルという女だった。
元々ロヴネル支部の冒険者だったというその女は、多少南国の訛りが残る言葉で言った。
「イェルハルドさんと一緒に亡くなったのは私の兄です」
「お兄さん? ……お姉さんでは、ないのね?」
「はい、兄です。二人の遺体は私も確認しましたから、一緒に亡くなったのは兄で間違いありません」
「現場には俺も立ち会いました。あれは確かにイェルハルドさんとマリオさんでした。二人の遺髪を取ったのは俺です」
デニスは曖昧に頷き、小さく遺髪の礼を呟いた。
――父と一緒に死んだのは、女ではなく男だったというのは確かなのだ。
「マリオは気が合うとかで、イェルハルドさんとよく一緒に仕事をしていました。十年前も彼からの依頼で採集依頼に同行したんです。結婚記念日に奥さんに贈る花を採集するとかで、アベニウス山脈に向かいました。一人で行くには少し危険な場所でしたから」
「――それで、事故に遭ったと?」
「……はい」
イサベルは目を伏せた。
「目的の花は岩棚の、手を伸ばせばぎりぎり届くかどうかという場所に生えていました。何本か生えていたうちの一本が摘み取られていて、それをイェルハルドさんが握り締めていたので間違いはないと思います。採集のとき万一に備えて命綱を付けたのでしょう。でも、ロープ止めの金具を打ち込んだ岩盤が思っていたより脆かったのです。重みに耐えきれず、金具を打った場所が抉れるように砕けていました」
当時を思い出したのか、イサベルの言葉の端が震えた。自らを落ち着かせるように紅茶を一口啜って深呼吸すると再び話し出した。
「……マリオは命綱を付けていませんでしたが、咄嗟に手を差し伸べてしまったのでしょう。命綱がないままイェルハルドさんの手を掴んで、そのまま……一緒に落ちたようです」
デニスは無言だった。息を詰めて、ただ食い入るようにしてイサベルを見つめている。膝の上に置いた両手の関節が、あまりに強く握り締めて真っ白になっていた。
その手にアンネリエがそっと触れた。肩にはバルトが手を置く。
――大丈夫。自分達が付いているから。
二人はそう目で語った。
デニスはぎこちなく頷き、それから何度か深呼吸した。そして、口を開く。
「……話は分かった。だが、俺は――俺と母は、父は南国系の女と心中したと聞かされていた。貴女は何度か俺の家に来ていただろう。だから、てっきり俺は父の相棒は貴女で、それで貴女が父を誑かしたのだと」
「……それは」
イサベルは言いあぐねる様子だったが、それでも意を決して言葉を続けた。
「私がイェルハルドさんの家を訪ねたのは一度だけです。急にドレスを着る用事ができて、すぐに用意できなかった私に奥様が――デニスさんのお母様が着なくなったからと一着譲ってくださいました。そのときに一度訪ねたきりです。それ以外にデニスさんが見たというのは、全て兄でしょう」
「えっ……いや、しかし……同じ人間だったように思うが……」
デニスは動揺して視線を彷徨わせた。
「私達兄妹は容姿がとてもよく似ているのです。顔立ちは近くで見れば明らかに違いますが、全体の印象はよく似ていました。歳は一つしか違いませんし、髪型も同じで背丈もほとんど同じでした。しかも私はこのとおり――起伏の少ない体型なものですから、遠目で見たときにはマリオか私かは分からないとはよく言われました」
イサベルは微かに苦笑いを浮かべた。
「……イェルハルドさんはいつか私達を息子さんに紹介したいと言っていました。ですが息子さんは本家に奉公に上がっていて滅多に帰らず、たまに帰ってきても用事だけ済ませてすぐに戻ってしまうから中々機会がないって……」
それで遠目に姿を見かける程度だったデニスには、イサベルとマリオの区別が付かなかった。母のドレスを着ていた姿を見たことで女だという印象が決定付けられ、結果として父の相棒は女だと誤解したのだ。
――思えば、父は仕事の話を家庭ですることはほとんどなかった。打ち合わせで同僚や顧客を招くことはあったものの、その内容を口にすることは滅多になく、あったとしても同僚の話をする程度だったように思う。
記憶にはないだけで、もしかしたらマリオやイサベルの名を聞いたことはあったのかもしれない。
誤解の一端は自分の思い込みが原因だったのか。
――血の気が、引いていく。
「だが、それでは」
デニスは掠れた声で言った。
「……父が女と心中したというのは……」
「――それは」
イサベルは背後のウルリクを振り返った。彼は頷き、そして少しばかり気後れする様子で口を開いた。
「なぜロヴネル家や周辺の貴族家の方々がそのような誤解をしたのかは分かりません。でも……心当たりはないこともないんです」
弾かれたようにデニスは顔を上げた。
あくまで、もしかしたら――という話ですからと前置きしてウルリクは言った。
「事故の後、詳しい話を聞きに来たロヴネル家の方とお話しているときに、俺も同席していました」
――あの事件――否、事故の後、イェルハルドの生家である男爵家からは調査のための使いが出されていた。イェルハルドの父、そしてデニスとバルトの祖父にあたる男爵は息子の死に心を痛め、そして息子の妻であるディアナを保護していた。
あれは前伯爵が病で亡くなり、執務を引き継いでまだ半年という時期だった。アンネリエやその周囲は多忙を極め、デニスも父が出先から戻らないという連絡を受けてはいたものの実家に帰ることもままならなかった。
アンネリエには帰宅を勧められてはいたが、母を祖父に任せて若き女伯爵のそばにいることを選んだ。自分がいるよりは、親しくしている祖父や伯父夫妻がいる男爵家の方が母も落ち着くのではないかと思ったからだ。
「――俺、そのときに言ったんです。二人とも手を繋いだままで、イェルハルドさんは花を握っていて、まるで心中でもしたみたいだったって……」
「……その言い方は――少し不謹慎だったのではないかしら」
アンネリエが微かに柳眉を顰め、気まずい顔でウルリクは視線を俯ける。
「……ええ、それは分かっています。でも、二人の手は本当に固く繋がれていました。マリオさんの片手には酷い傷が沢山付いていて、多分どこかに掴まって二人分の体重を支えてたんだと思います。きっと、イェルハルドさんを死なせたくなかったんです。イェルハルドさんだって奥さんを置いて死にたくはなかったはずだ。だから落とさないように、落ちないように互いに強く手を握り合って――でも、マリオさんが力尽きてしまった……」
ウルリクは顔を覆った。
「あの二人は気さくで、頼りがいがあって、慕っている奴は多かった。まだ新入りだった頃の俺達にも彼らはとてもよくしてくれて、心構えや効率のいい仕事の仕方、剣術の手解きや遊び方なんかまで……色々教えてくれました。それなのに……」
彼は震える言葉の端をぐ、と呑み込む。
「イェルハルドさんからはしょっちゅう奥さんの惚気話を聞かされてました。あの日も出掛ける直前まで愛してるとか待っててくれとか、誰も聞いてないのにずっと奥さんへの愛を口にしてた。採りにいく花も永遠の愛という意味があるんだと嬉しそうに言ってて……それで皆、はいはいって少しうんざりしながら送り出しました。まさかそれきり帰ってこないなんて思ってもみなかった」
彼の傍らのイサベルが目を手布でそっと抑えた。その手が小さく震えている。
「――遺体を見つけたときは結婚記念日なんかとっくに過ぎちまってた。なのにあの人は贈り物の花だけはしっかりと握ってたんです。何日も経ってすっかり萎れちまってて……茎が折れ曲がって花びらなんかほとんど飛んじまってたのに、あんな大事そうに……あんなに大事にしてた奥さんが家で待ってるってのに、なんで……」
沈黙が部屋を支配した。ただ彼の嗚咽する声だけが響く。
しばらくしてから乱暴に目元を拳で拭うと、ウルリクは顔を上げた。
「皆さんが心中事件だったと誤解した理由は、そのくらいしか思いつきません。当時を知ってる同僚にも確かめましたが、ほかには何も」
デニスは女主人の前だということにも構わず長椅子の背に身体を預けた。そうでもしなければ身体を支えていられる気がしなかった。片手で顔を覆う。
大丈夫か、とバルトが両肩を抑える。アンネリエの手が膝を優しく擦った。
――父は母を愛していた。父は母を裏切ってはいなかったのだ。ただただ母への愛を貫いて、その愛を示すために花を採集しに行った。その結果が――。
「……なら、俺は」
どうしようもなく声が震えた。
「俺は恨む必要のない人間を、ずっと恨み続けていたのか。この十年間、ずっと――」
震えるデニスを淡い薄荷の香りがふわりと包んだ。空いたもう片方の隣にも誰かが座り、それから爽やかな柑橘系の香りが鼻を掠める。
――両脇が、温かい。
愛しい幼馴染達が、己を抱き締めてくれているのだ。
再び降りた沈黙を、デニスを抱き締めたままのアンネリエが破る。
「――でも、だとしても、それだけで心中事件だなんて勘違いするかしら。男爵家の使者よ? たったそれだけで情報を取り違えるだなんて思えないわ」
そのとおりだった。あの祖父なら信頼できる者を遣わしたはずだ。酒場や井戸端で噂話を聞き違えるのとはわけが違う。
「そのあたりの事情は我々には分かりません」
ウルリクは言い、イサベルもまた頷いた。
「でも尊敬するイェルハルドさん達が、よりにもよってロヴネル家の方々に十年間も誤解されて名誉を汚され続けてるだなんて聞いて、いてもたってもいられずこうして伺った次第です」
「それに」
イサベルはウルリクの言葉を継いで言った。
「今回のことで、マリオから聞いていたことを少し思い出して……」
何か――秘め事を打ち明けるかのように、その声が低められる。
どうやら本題は、これから語られる内容の方らしい。
「マリオからイェルハルドさんの息子さんことを何度か聞かされたことがあるんです。その息子さんは本家に奉公に上がっていて、そこのお嬢さんに気に入られて側仕えをしているんだと聞きました。お嬢さんはゆくゆくは爵位を継ぐから、息子さんもそのまま側近になるだろうと。でも、それをよく思わない人達が多くて、イェルハルドさんはそのことが少し心配だと言っていたそうです。息子さんを排除するために暗殺なんて露骨な手段を取ればきっとお嬢さんは許さないだろうから殺されはしないだろうけど、その代わりにどんな些細な欠点でも見逃さずにそこを攻撃してくるだろうと」
――そして、そのとおりになった。父親が女に誑かされて妻子を捨て心中したという、些細どころか重大な欠点が――。
「……二人が亡くなったのは、幸いなことに――と言っていいか分かりませんが、暗殺などではありません。不審な点はなく、状況からしてまず間違いなくあれは事故です」
ウルリクは言った。
「しかし、聞けば息子さんは誤解された父親の死に方を理由に糾弾されているというじゃありませんか。だから思ったんです。誰かが意図的に話を歪めて伝えたんじゃないかって」
デニスは両脇を支えられたままイサベルとウルリクを見つめ、浅い呼吸を繰り返した。
――まさに、そのとおりだった。一度などは確かにアンネリエから離れたのだ。離れて、母が療養していた男爵家に身を寄せていた。
あのとき伯父夫妻は深く沈んでいた。まさか弟が、あの気の良い弟が妻子を捨てて異国の女と心中するなどとは思わなかったと、ひどく悲しんでいた。
祖父だってそうだ。深く嘆き悲しみ、そして怒っていた。
しかし、その歪められた情報は男爵家の使いが持ち帰っていた。一体どこで歪められた。その使いか。それとも持ち帰られ、そして祖父と伯父夫妻の元に届けられるまでの短い間に誰かの手が加えられたか。
――紅茶は既に冷めていた。静かに家令が動き、冷めた茶器を下げ、改めて温かい紅茶を淹れていく。
その手元に視線を向けながら、次はウルリクが言った。
「……それに、あの後もう一度、今度は別の使いの方がいらっしゃいました。その使いの方は伯爵様の手紙を持っていました。その手紙には、部下が今回のことでとても心を痛めているから、しばらくはロヴネル支部への依頼を控えると書かれていました」
アンネリエは柳眉を顰め、そして考え込むように虚空に視線を流す。
「確かに私はあのとき、そういう内容の手紙を出したわ。でも使いの者に托したりはしなかった。配達人に運ばせるように……お願いしたはずなのだけれど」
ウルリクとイサベルは怪訝な顔をした。デニスもまた、険しい顔でバルトと視線を交わす。
怪訝な表情を崩さぬままウルリクは話を続けた。
「伯爵様の手紙を持って来た使いの方は、こう言ったんです。イェルハルドさんのご実家や本家の方々は今回の事故のことでとても心を痛めておられるから、どうかしばらくは連絡を取らずにそっとしておいてはもらえないかと。我々は了承しました。とても悲しい事故でしたから」
そして支部とロヴネル家との交流は途絶え――十年が経ってしまった。
元々冒険者組合の規定には守秘義務というものがある。中でもロヴネル支部は特にこの規定が徹底されていた。
ロヴネル支部が置かれているこの土地は、治めているロヴネル家の特質上、各地から多くの芸術家が集まる場所だ。そのためロヴネル支部には創作活動に必要な素材やモチーフの採集、捕獲の依頼が多い。
作品の発表前に詳細が漏れることを防ぐために、支部の冒険者には守秘義務が特に徹底されていた。このことからこの支部に所属する冒険者はほかの支部と比較すると突出して口が堅い者が多く、結果として――この使者からの要請は固く守られ、彼らからロヴネル家に接触することはなかったのだ。
そしてイェルハルドの事故は心中事件と誤解されたまま訂正されることはなく――十年という歳月が過ぎてしまった。
「そう……ね」
溜息と共にアンネリエが言葉を落とす。
「デニスの心の傷があまりにも深くて、結局……あれ以来ロヴネル支部を使うことはなくなってしまったわ」
父を愛していた。尊敬していた。そして、両親の仲睦まじい姿を見るのが好きだった。だからこそ、その愛情の裏返しで父を深く激しく憎んだ。その父に関連するものを目にしただけで、デニスの心は拒否反応を示した。
女と心中した父が、そしてその父を誑かした女が所属していたロヴネル支部など、その名を目にするだけで吐き気を覚えるほどだった。
それだけ深く彼の心は傷付いたのだ。
「でも、さっきも言ったけれど、私は手紙を使者に托してもいないし、そちらから接触するななんて言伝を頼んでもいないわ。その使者って一体何者なのかしら。普通に考えて――この屋敷にいる人間よね」
アンネリエは低い声で呟く。
「それは」
イサベルとウルリクは顔を見合わせ、そして――ある一点に視線を向けた。
「うあっちぃっ!」
がちゃん、という音とともにバルトの悲鳴が上がった。
手が滑ったのか、家令が茶器を取り落としたのだ。飛び散った紅茶がバルトの膝を濡らしている。
家令は蒼褪め、そして手元をひどく震わせていた。
イサベルは言った。
「記憶に間違いなければ――この方です」
その視線の先にいるのは――茶器を手にしたまま震える家令の男だ。
雪男「私は温泉責めでしたがバルトさんは紅茶責めなんですね」
ルリィ「なんか……言い方……」
ペルゥ「卑猥だよね……」
気のせいです。




