39 疑念
雑談回です。
安全な場所で何の心配もなく眠って気持ちよく目覚めたシオリは、隙間から光が差し込むカーテンの外を覗いた。
この季節には珍しく綺麗に晴れ渡り、新雪が陽光を反射してきらきらと輝いていた。雲一つない透明な青空の下、子供達が歓声を上げて駆けまわっている。
「ゆっくり寝ちゃったなぁ」
この国の冬の日の出は九時前後とかなり遅い。夜が明けて子供が外に出て遊びだすような時間まで寝てしまった。でもこうなることは織り込み済みだ。朝食の時刻もそれを見越して大分遅い時間を指定してある。
シオリに遅れてナディアが寝台から身体を起こし、床の上のルリィがうねうねと動き出した。隣室からも物音が聞こえ始める。どうやら皆目を覚ましたようだ。
同室の二人と挨拶を交わし、身支度を整えて部屋を出ると、ちょうどアレク達も出てきたところだった。
「おはようございます」
「ああ、おはよう」
クレメンスはまだ少し疲れの残る表情ではあったけれど、それが滴るような美貌と相俟って気怠げな危うい色気を漂わせている。
(……美形って得だなぁ)
疲れすらもその美しさをいや増す要素になるだなんて。
アレクは幸いあれから眠れたようだった。薄っすらと浮いていた隈が消えて顔色は良い。彼は目を細めて柔らかく微笑んで見せた。
「さて、じゃあ伯爵様のところに行こうかねぇ」
この日の朝食はアンネリエに招待されていた。仕事ぶりを気に入ってくれたらしい彼女が、お礼も兼ねて御馳走したいと言ってきかなかったのだ。デニスが苦笑しつつも止めなかったあたり、ほぼ決定事項だったのだろう。
「さすがにお腹が空いちまったよ」
「昨日はパンとスープだけだったからな」
「疲れて選ぶのも面倒だったしね……」
最後に食事をしてから既に十数時間。早く休みたいからと軽食で済ませてしまったから、今にも腹の虫が騒ぎ出しそうだ。
とはいえ。
(……テーブルマナーにはあんまり自信がないな……)
昨日受付でバルトが手配していたのを見た限りでは、献立はちょっとした食事会のような内容だったはずだ。それなりの形式で食事をするのなら、相応の作法は必要なのではないだろうか。冒険中はほとんど気にならなかったけれど、さすがに畏まった形式で貴族と一緒に食事というのは緊張する。
(兄さんと姐さんにマナーは一通り教えてもらってはいるけど……)
自分の俄か仕込みのマナーなど、覚えたての子供より多少はましといった水準だ。
貴族相手の仕事が多いザック達は、テーブルマナーどころか貴族と比べても遜色のない立ち居振る舞いを身に付けている。何度か貴族の招待を受けて正装した彼らを見たことがあるけれど、そこらの貴族よりもよほど貴族らしくて驚いたものだ。
元は貴族だというアレクもきっと問題なく振舞えるはずだ。
(私だけ浮いて見えそう……)
文化の違う東方人ということで多少は多めに見てもらえるかもしれないけれど。
シオリの気持ちを知ってか知らでか、足元のルリィはそれなりに楽しみなようで、先ほどからぷるんぷるんと陽気に震えていた。
アンネリエの部屋を訪ねると、きっちりと服を着込んだデニスが顔を出し、部屋の中に迎え入れられた。初めて会ったときには不機嫌そうな表情が目立った彼も、今は微かな笑みを浮かべている。共に旅をしたこの数日ですっかり険が取れたことがなんだか嬉しい。
「おはようございます」
「おはよう、皆さん。いい朝ね」
長椅子にゆったりと腰掛けていたアンネリエは、手にしたスケッチブックと鉛筆を纏めて脇に寄せて立ち上がった。
「お待たせしてすみません」
「いいえ、私達もさっき起きたばかりだから」
言いながら彼女はシオリの手を取ると、にっこりと笑った。そのまま手を引いて続き部屋の食堂まで自ら案内し、円形の食卓の椅子を引いてシオリを些か強引に座らせた。それから自身もデニスのエスコートでシオリの隣に腰掛ける。
「え、あれ、あの……」
戸惑っているうちに、隣にアレクとクレメンスが、アンネリエを挟んで反対側にはナディアが座らされた。全員が着席してからデニスとバルトが腰を下ろす。ちょうど正面に座る形になった二人が、困惑したような表情のシオリを見て苦笑した。
「すまないが、アニーの我が儘にもう少しだけ付き合ってくれ」
「両脇に美人を侍らせて食事したいんだそうですよ」
「美人って……」
妖艶なナディアならともかく、自分はどうだろうか。
気恥ずかしくなって俯くと、隣のアレクが小さく笑いながら食卓の下でシオリの手を撫でていった。なんとも言えない気持ちでいるうちに、デニスが呼び鈴を鳴らした。
食事の世話は宿の者に任せてあるらしく、呼び鈴の合図で別室で控えていた給仕が配膳を始めた。貴族相手の接客も手馴れたものなのだろう、無駄のない洗練された動きで食卓を整えていく。
幸いなことに、出されたのは様々な料理を少量ずつ一皿に盛り付けたプレートランチだった。もっとも気楽な形式とはいえそこは貴族向けとあって、一品一品は厳選された素材で手間暇かけて作られたもののようだけれど、カトラリーの使い方一つに神経を使うような堅苦しい料理ではないことにシオリは内心ほっとした。
「こういう形のお料理も今ではすっかり一般的になったわね」
真っ白な大皿の上に、美しい絵画のように彩りよく盛り付けされた料理を楽しそうに眺めながら、アンネリエが言う。
「前は違ったんですか?」
「ええ、そうね。私が子供の頃はまだなかったと思うわ」
「元々は余り物を雑多に盛っただけの、労働者向けの料理だったんだけどねぇ」
到底貴族の食卓に出せるようなものではなかったらしいが、ここ十数年で名立たる料理人達の手によって洗練されたものになったようだ。最近では上流階級向けのレストランで提供されることもあるらしい。
「なんでも陛下の発案らしいですよ。お忍びで民間の工場を視察されたときにお気に召されたらしくて」
見た目はともかく、様々な料理を一皿で手軽に楽しめるというのが気に入ったらしい。
「忙しいお城勤めの方達のためにお城の食堂に導入したのが始まりなのよね、確か。他国の要人を迎えたときにも会議の合間に気軽に食べられるって評判がいいらしいわ」
「配膳も片付けも楽になったとかで、給仕やメイドからも喜ばれているみたいですよ」
「へええ……医療馬車といい、下の人達のことをよく考えてくださってるんですね。本当にいい王様なんだなあ……」
こうして時折人々の口に上ることがある、この国の王。先代が早くに亡くなり、十代のうちに即位したというその王は随分と民に好かれているようだ。先進的に過ぎるという批判もあるけれど、ほとんどはこうして好意的なものだ。
アンネリエに勧められて、雑談をしながら食事を始める。
ビーツの鮮やかな赤いスープに、旬の温野菜サラダ、トリスサーモンのマリネ、一口サイズに切り分けた子羊のソテー、焼きたてのパンケーキ。
「美味しい……」
どの料理も素朴ながらも仕込みが丁寧で素材の味が生きた味付けだった。食材一つ一つを大事にしているということがよくわかる。
「そういえば、陛下ってよくお忍びで出掛けられるんですか? 先日はお忍び先でスライムと契約したっていうお話も聞きましたけど」
誰に言うでもなく話を振ると、アンネリエは首を傾げてみせた。
「そうねぇ……気が付くといなくなってるっていう話はよく聞くわね。それで側近の方達も頭を悩ませているらしいけど、そのあたりは陛下もきちんと計算済みで公務に差し支えない範囲でお出掛けになるみたいで、あまり強くは言えないらしいわ」
脱走癖のある王様。茶目っ気のある人柄を想像してシオリはつい笑ってしまった。
「……色んな意味で優秀な方なんですね」
「ふふ、そうね。でもスライムを連れ帰ったのにはさすがに何か言われたのではないかしら」
「……そうですね。私もルリィを使い魔にすると言ったときには、本当にするのかって皆に何度も念押しされましたから」
スライムは皆が思う以上に強く賢くそして可愛らしいと思うのだけれども、いまいち賛同は得られていない。ただ、ルリィのどこかとぼけた愛らしさは最近認められつつあるようで、そのことが嬉しい。
「でも、そんなにしょっちゅうお忍びに出ておいでなら、どこかでお会いしてるかもしれませんねぇ」
子羊のソテーの柔らかさに目を細めていたバルトが、肉を飲み下してから言った。
それだけ脱走癖のある人ならどこかですれ違っているかもしれない。お忍びの王族と街で偶然出会い、そこから物語が始まる――絵本や小説でよく見るような展開だ。
「どんな方なんですか?」
「とてもお綺麗な方よ。整ったお顔立ちで、白磁のような肌にふわふわとした金髪で透明感のある切れ長の紫紺色の瞳の、まさに理想の王子様を絵に描いたようなお姿よ」
「わぁ……」
「『苛烈なる王』なんて呼ばれるくらいだから、デビュタントの舞踏会で初めてお会いしたときにはどんなに厳しい方かと緊張したものだけれど、実際はとても気さくで人間味のある方だったわ」
アンネリエは昔を思い出すように少し遠い目をした。
「あのときはデビュタントの令嬢がとても多くて……十三人目だった私の番が回ってきたときにはもうすっかりお疲れのご様子で」
この国では成人を迎える貴族の子女は、社交界デビューする初めての舞踏会で王族と踊る風習があるらしい。子息は王妃や姫君、令嬢は陛下や王子と踊るのだそうだ。
でも、そのとき王族の男性で令嬢のお相手を務められるのは国王一人だけだった。息子である王子達はまだ幼く、舞踏会に出られるような歳ではなかったようだ。
「陛下は踊りながら溜息を吐いてしまわれたの。あまりにもお疲れのようだったから『大丈夫ですか?』ってお訊ねしたら、『礼儀を欠いてすまない。こんなときに兄上がいてくれたら手分けできるんだがとつい思ってしまった』って寂しそうに仰って……とても苛烈でお強い方だと聞いていたけれど、そんな方でも弱音を吐くこともあるのだわと思ったら、なんだかとても親しみを覚えてしまって」
「……兄? 陛下にはお兄さんがいらっしゃるんですか」
普通は生まれた順番の早い方が王位を継ぐものだと思っていたけれど、この国では違うのだろうか。それとも何か事情があるのだろうか。
アンネリエはほんの少し眉尻を下げて微笑んだ。
「陛下にはお兄様が三人いらしたのだけれど、上のお二人は事故で亡くなられたの。三番目の王子殿下は陛下が即位される直前に失踪されて……上のお二人のときは私は生まれたばかりでよくは分からないのだけれど、三番目の殿下が失踪されたときの騒ぎは私もよく覚えているわ。お父様とおじいさまが連日のように難しい顔で話し込んでたもの」
「ああ……継承権争いの末の暗殺か追放かって大騒ぎだったものなぁ、あのときは。あれからもう二十年近く経つのか……」
バルトがしみじみと言う。
「今のところ失踪説が有力らしいがな。陛下と王子……いや、王兄殿下か――は随分と親密だったらしいからな。陛下が穏便に即位するために王兄殿下が身を引いたのだとか、殿下の身を案じて陛下が安全な場所へ逃したのだとか、そういう噂だ。元々王兄殿下は庶子でお立場は良くなかったというしな」
もっともあくまで噂だがと、デニスはそう言った。
「あの頃の王家は不幸続きで宮中も随分混乱していたらしいの。二人の王子殿下に続いて王妃陛下も亡くなられて、その後何年もしないうちに先帝陛下までご病気で床に臥せるようになって。混乱に便乗して宮廷内での立場を高めようとした人達が、それぞれに残された王子を擁立して争い始めたのよ。噂通り本当に親しくしておいでだったのなら、対立するような立場に置かれてお二人ともさぞお辛かったでしょうね」
「……そんなことがあったんですね」
とても平和で穏やかだと思っていたこの国にも、そんな事件があっただなんて。
「……多分あのとき『兄上がいてくれたら』と仰った、そのお兄様って――失踪した王兄殿下のことだと思うわ。お互いに支え合う理想的な兄弟、主従だって……評判だったそうですもの」
最後にアンネリエがぽつりと呟く。
場に沈黙が下りた。
アレクは難しい顔で黙りこくったまま食事を続けているし、ナディアとクレメンスも眉尻を下げて、どこか切なさを感じさせる微かな笑みを浮かべている。
二十年近く前のその事件は、まだこの国の民の心に薄っすらと影を落としているのかもしれない。
漂い始めた重い空気を変えようと思考を巡らせたシオリは、ふと先月のことを思い出してそのことを口にした。
「……そういえば、ふわふわの金髪で紫紺色の目の綺麗な人なら、私も一度会ったことがありますよ。私と同じくらいか、少し上の年頃の方だったんですけど」
金髪も紫紺色の瞳もこの国ではそれほど珍しい色ではないらしいから、別人だとは思うけれど。そう言うと、アレクがふと顔を上げた。
「……どこで?」
「うーんと……先月トリスで。道に迷ったみたいで、ホテルまで案内したんだけど」
「道に迷った?」
「うん。前に、買い物に行こうと思ったら何回も旅行者に道案内を頼まれて、結局行けなかったって話したことあったでしょう。病気のお兄さんのお見舞いに来て、市内を歩き回ってるうちに迷ったって言ってた。見た目だけじゃなくて立ち居振る舞いも凄く綺麗な人だったなぁ」
別れる間際に戯れに抱き締められて驚きはしたけれど、それは口にしないでおいた。
「病気の兄の見舞い……?」
どことなく疑わしそうにしているアレクに苦笑いした。
「でも、スライムは連れてなかったから陛下ではないと思うよ?」
「判断基準はスライム連れかどうかか」
難しい表情だった彼は、一転して今度は笑いだした。
「そうさねぇ、そんなに噂になってるんなら、桃色スライム連れの金髪男は陛下だって簡単にばれちまうね」
「確かに」
「お気に入りということだから、隠して連れて歩いているのではないかしら。きっと背嚢の中にでも隠していらっしゃるのよ」
背嚢に桃色のスライムを隠し持って歩く金髪の美男子。
その様子を想像して、シオリはとうとう堪えきれずに笑ってしまった。皆もつられて笑いだす。足元で食事中だったルリィも、楽しげにぷるんと震える。
(それにしても……)
――二十年近く前。病で倒れた王。庶子の兄王子。継承権争い。兄王子の失踪――。
これと似たような話をごく最近聞いたことがなかったか。
シオリはちらりと隣のアレクを見た。クレメンスと何事か言葉を交わし、そして軽い笑い声を立てていたアレクはシオリの視線に気づくと、「どうした?」と訊いた。それに対して「ううん、ちょっと見てただけ」と返して食事を再開する。
『もう二十年近く経つのに』
『父が病に倒れ、庶子の俺と嫡子の弟のどちらが家督を継ぐかで周りが揉めて収拾がつかなくなって、それで俺が家を出て――』
――奇妙に一致する二つの事柄。これは偶然だろうか。
(まさか……ね)
抱いた疑念は得体の知れない不安となってじわりと胸を浸蝕する。
もし、アレクが本当は貴族ではなく王族だったなら、自分は――。
(……いくらなんでも飛躍し過ぎかな)
そんなふうに思い、シオリはその疑念を打ち消す。
――遅い朝食会はその後は和やかに進み、正午を告げる鐘の音とともにお開きになった。
ルリィ「陛下はスライムを装備した!」
雪男「二人羽織的な」
ペルゥ「……こいつ常駐する気だ」




