36 幻獣の釜茹で承ります?
酷いタイトルになった。
「なるほどねぇ」
ナディアは嫣然と微笑んだ。
「あんた、だいぶシオリに染まってきたね」
「染まっ……」
妙な物言いになんとも言えない気持ちになってナディアを見上げるが、彼女は楽しそうに笑うばかりだ。
「魔法そのものでは倒せんかもしれんが、間接的にならやり方があるということはこいつから学んだからな」
相談する間に持ち直したのか、雪男がこちらに向き直った。ゆらゆらと身体を揺らしているのは出血のせいか、それとも暑さゆえか。
「そういうことなら、雪海月はあたしに任せておくれ。シオリ、あんたはあっちを頼むよ!」
「了解!」
空調魔法を解除すると魔力の流失が止まり、体力まで抜け落ちていくような感覚が消えた。同時に頭上に火力を上げた渦巻く火炎が放たれる。
ルリィが身体を伸ばしてアンネリエ達の頭上にかざした。どうやらぼとぼとと炭化しながら落下する雪海月に当たらないようにしてくれているようだ。
「シオリ!」
「陥穽!」
アレクの合図で地面に大穴を開けた。両腕を広げても届かないほどの幅の穴に、一歩踏み出した幻獣が吸い込まれていく。直後に鈍い衝撃音と野太い悲鳴が上がった。
駆け寄って中を確めると、穴の底の幻獣は低い唸り声を上げながら身体を起こすところだった。ゆらりと頭をもたげ、頭上から見下ろす人間達を睨め付ける。黒目がちの瞳が確かにシオリを捉え、そこに静謐な狂気が浮かんでいるのを見て思わず後退った。その肩をアレクが勇気付けるように抱く。
「あれだけ攻撃してもびくともしなかっただけのことはあるな。あの巨体でこの高さから落ちても大したダメージはないらしい」
「分厚い皮下脂肪がクッションになっているのかもしれんな」
穴の底までおよそ十メテルほど。先ほどの落下音からすれば身体にもかなりの衝撃があっただろうに。
と、のそりと身体を揺らしながら壁際に移動した雪男が壁面に手を掛けた。押し固めた土壁に、器用に指をかけて力を込めたのが分かった。
「……まさか、片腕で登るつもりか!?」
そのまさかなのだろう。残った片方の腕と両足の指を土壁にめり込ませたのが見えて、シオリはぞっと身体を竦めた。
恐るべき握力。あの手に万が一にも掴まれたらどんなことになるか――。
「水流!」
慌てて水魔法を展開した。幸い水魔法と親和性の高い雪が大量にある。雪の水分を吸収して巨大な水の塊が生まれ、次の瞬間には滝のような勢いで穴に落下して周囲に水飛沫が上がった。
間髪入れずに火魔法で干渉して水温を上昇させる。辺りには湯気が立ち上った。湯温はやや熱めの風呂といったところだろうか。
(アレクは茹でると言ったけれど……)
大きかった魔力反応が、見る間に弱くなっていく。
穴の縁から見下ろすと、数メテル下の人工温泉に浮いた幻獣の姿が見えた。
(茹でるほどの温度でなくても良さそうかも)
氷点下前後の気温に生きる雪の幻獣にとって、四十度を少し上回る程度の温度でも致命的だったようだ。冬の寒さでも体温を保ち熱を逃がさない作りの身体では、体内に熱が籠る一方だ。熱中症のようになっているのかもしれない。雪男は仰向けに浮いたままぐったりと動かない。
シオリが火魔法での干渉を止めてからややあって、魔力反応が完全に消失した。後に残るのは、湯に浮いた躯のみ。
念のためもうしばらく待ってみたけれど、再び動き出す気配はなかった。
「……手こずったが……攻略法さえ分かれば呆気ないものだな」
クレメンスがぽつりと呟く。
一人で雪海月に対応していたナディアの方も片が付いたようだ。
見ればルリィの警戒色も消えていた。あるのは穏やかな瑠璃色だ。
「お疲れさん。幻獣なんか出てきたときにはどうなることかと思ったけど、大事にならなくて良かったよ」
「うん。姐さんもお疲れ様」
アレクの指示で排水を終え、大穴の底を隆起させて元の高さに戻しておく。
「よくやったな。ほら、これを飲んでおけ」
「うん、ありがとう」
手渡された魔力回復薬を呷る横でアレク達が依頼人と病人の安否を確認し、それから傷の応急手当をする。幻獣と思しき魔獣に遭遇して前衛二人の頬の傷だけで済んだのは不幸中の幸いだった。
手当を終えると次は雪男の躯の検分を始めた。濡れた体毛の縁から徐々に凍り始めているその死骸は、それでもまだ目を開けて動き出しそうなほどの生々しさが残っている。
アンネリエやそれを護るようにしているデニスとバルトが、恐々と雪男に近寄った。
「……改めて見ると凄いわね。本当に幻獣なの?」
「それは専門機関で調べてみないことには分からないな。何かの変異種の可能性も捨てきれん」
「新種の可能性もあるのか?」
デニスの問いに頷く。
「なんにせよ騎士隊に届け出て調べてもらった方がいいだろうな。新種ならどこかで繁殖している可能性だってある。これほど街に近い場所であんなものが巣食っていたら厄介だ。アンネリエ殿、少しだけ時間をもらってもいいか?」
「ええ、構わないわ」
病人がいるからあまり長い時間を掛けてはいられないけれど、この魔獣の死骸の保存と、万一死骸を回収できなかったときのために検体の採集をしなければならない。
さすがに雪男の身体を丸ごと運ぶわけにはいかないから、戦いの最中で切り落とした腕を検体として持ち帰ることになった。そこそこの大きさのその腕は、肘で折り曲げて縄で縛り、保存袋にどうにか詰めて背嚢の上に括りつける。
死骸はシオリの土魔法とナディアの氷魔法で適当な檻を作って収め、他の魔獣による食害や持ち去りがないように簡単な細工をしておく。雪の中でも見つけられるように、すぐそばに大きな氷の柱を設置して目印にした。
その横でアンネリエはせっせとスケッチブックに鉛筆を走らせている。この珍しい魔獣を可能な限り描き留めておきたいのだろう。
「これって食えるかな? 見た目の悪い生き物ほど美味いって聞いたことあるけど」
「……あれを食肉だと思えるお前の神経を疑うぞ、俺は」
バルトとデニスの会話に噴き出しつつも、フロルとユーリャの容体を確かめた。フロルは相変わらず辛そうではあったが、幸いなことにこの騒ぎの中でも悪化している様子はなかった。しかしこちらもなるべく早く運んでやらなければならない。
「一息つきたいところだが、勢いがあるうちに次の休憩地点まで行ってしまおう」
アレクはそう言った。雪男の死骸のそばにあまり長居したくなかったというのもある。いくらなんでもないだろうが、もし死骸が動き出しでもしたらというありもしない想像をして恐怖感を抱いてしまうほどの薄気味悪さがあの幻獣にはあった。
再び歩き出した一行は、ちらりちらりと背後を振り返りながらその場を後にした。
その後も何度か休憩を挟み、大休止では地面に座り込んだまま疲労で立ち上がれなくなるという事態を防ぐために、往路と同じように雪の長椅子を作って温かい食事をしながら身体を休めた。
強行軍の中でも皆の意気が高く保たれていたのは、病人を助けなければという使命感と腕の確かな冒険者への信頼感、そして多少無理をしてでも頑張れば今夜は安全な街の温かい寝床で休めるという安心感のようなものがあったからだろう。
途中で何度か魔獣と遭遇したが、お馴染みの雪海月のほかは通常種の一角兎や氷蜥蜴といった討伐難易度の低めなものばかりで、いずれもアレク達の敵ではなかった。
「……それにしても、アレク一人で先に行かなくて本当に良かった」
ぽつりと呟くと、ユーリャを背負っているアレクが、そうだなと頷いた。
「さすがの俺でも一人であんな不気味な奴に遭遇していたらと思うとぞっとする」
単独で討伐依頼を請け負うこともある彼。そんな彼でも雪の中で攻略法も分からない幻獣を相手取って勝てるかどうかはかなり微妙なところだと言った。
「……今まで目撃証言だけしかなかったのは、戦って負けたからなのかもしれないな」
「そうだね……」
相対したときの様子からして、どことなく知性があるようにも感じられた。
――どこか小馬鹿にするような、笑ったような顔。
見たと証言した者達は、気紛れに見逃されたのかもしれない。
雪の降る中、時折会話を挟みながら街を目指しているうちに、徐々に辺りが薄暗くなっていく。日が落ち始めて雪景色が青に染まりきる頃――宵闇の向こうに微かな灯りが見え始めた。
「……街だ」
誰かが言い、安堵で弛緩した空気が漂う。
互いに労う言葉を掛け合う中、シオリとアレクは視線を交わして小さく微笑み合った。
フロルを抱えるルリィが、足元でぷるんと震えた。
雪男「地獄谷温泉はこちらでございます!( ゜∀ ゜)」
ルリィ「……瞳孔開いてない?」




