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家政魔導士の異世界生活~冒険中の家政婦業承ります!~  作者: 文庫 妖
第3章 シルヴェリアの塔

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30 生き残り

(――幽鬼のような……ってこういうのを言うのかな)

 生きて動いているのが不思議なくらいに蒼白で虚ろなその顔を見た瞬間、ついそんなことを考えてしまった。

 生気というものがまるで感じられないその男は、腕に女を抱えたままゆっくりと視線を巡らした。二人して身構えたが、砂色の髪のその男はこちらの姿を捉えた瞬間、気力が尽きたかのようにふらりと身体を揺らし、そのままその場に崩れ落ちた。それでも女をしっかりと抱き抱えたままなのは、よほど彼女が大切だからなのだろうか。

「――おい! 大丈夫か」

 警戒は緩めないまま、しかし彼らに戦意はないと見て取ったアレクが駆け寄る。シオリとルリィも慌てて後を追った。

「……俺、は、大丈夫……ユーリャ、を」

 男は酷く震えて歯の根が噛み合わず、どうにかそれだけ言葉を絞り出した。濡れた床に彼女を落とすまいと必死に腕を伸ばす彼から、アレクはユーリャと呼ばれた女を受け取った。

 寒さに震えながらもどうにか意識を保っている様子の彼女は粗末な毛布でしっかり巻かれているけれど、恐らくその下は裸かそれに近い姿なのだろうということが察せられた。毛布の合わせ目から覗けた首筋や鎖骨が剥き出しになっている。濡れた衣服は脱がされたのだろう。

 それに対して男の方は、濡れたままの装備をそのまま着込んでいる。砂色の髪に至っては、先が凍ってしまっていた。あれから大分時間が経っているというのに、この状態でよく生きていられたものだ。

「大丈夫なものか。震えてるじゃないか。顔色だってまるで死人だぞ」

「……アレク。乾かすよ。このままじゃ本当に――」

 目の前の二人の気配は微弱だった。本当にこのままでは命が尽きかねない。

「ああ、そうだな。頼む。そうしてやってくれ」

「うん」

 温風魔法を展開し、男の濡れそぼった服に触れて一気に乾燥させた。それから凍った頭髪も温めて乾かす。

 虚ろだった男の顔に、僅かながらも生気が戻った。彼は驚いたようだったが、それには構わずに次はユーリャに触れた。毛布に頭から丁寧に巻かれていて頭髪が凍るようなことにはなっていなかったけれど、それでも身体が冷えていることに変わりはない。同じように温風魔法を展開すると、毛布の中に温かい空気を満たしてやった。

 ユーリャの唇が微かに動いたが、掠れて声は出なかった。もしかしたら礼を言ったのかもしれない。

 けれどもこれだけではまだ不十分だ。とりあえず表面を乾かしただけだ。

「アレク……」

 相手は依頼主や自分達に危害を加えようとした男の仲間だ。でも。

 アレクは頷いた。察してくれた――というよりは、同じ気持ちでいるようだった。

「要救助対象だ。とりあえず野営地に連れていこう。アンネリエ殿なら多分反対はしないだろうが、何かあれば後の責任は俺が持つ」

「――それなら私も同じように責任を負うよ」

 シオリはアレクを見据えた。彼とはランクも力量も違うのだから、何かあった場合に同じだけの責めを引き受け償うことはできないかもしれない。でも、それでも。

「二人で一緒に仕事をするんだから、同じだけの責任を私にも負わせて」

 共に歩むと決めたからには、全てを分かち合いたい。都合が良いときだけの「仲間」ではいたくないのだ。

「シオリ、お前……」

 アレクはひどく驚いたようだった。

「……俺はお前を見くびっていたのかもしれないな。お前は本当に――」

 その先の言葉はなかった。けれども次の瞬間には力強い笑みを見せてくれた。

「分かった。なら、野営地へ急ごう」

 シオリもまた笑みを返した。

「うん」

 足元のルリィがぷるんと震えた。触手を伸ばして、アレクの腕の中の女をちょいちょいとつつく。

「どうした、ルリィ」

 ルリィは二本伸ばした触手で女を抱え上げる仕草をした。

「え、まさか……運んでくれるの?」

 問えば、ルリィはその通りだとでも言うようにぷるんと震えた。

「運べるのか――というのは愚問か」

 そうだ。短時間とはいえ一度に七人もの人間を階上に運び上げたのだ。それにルリィは既に過去に一度、一人の人間を長距離運んだ実績がある。

 ――死にかけていたシオリを。

「……そうだね。ルリィも同じパーティの仲間だもの。ありがとう、ルリィ。お願い」

 任せろと言わんばかりにルリィは大きくぷるるんと震えた。それから床に大きく広がる。その上にアレクがそっと女を下ろすと、落ちないようにくるんと巻き込んだ。

 二人で床に座り込んだままの男の腕を取って肩に担ぎ、ゆっくりと立ち上がる。

「――少しだけ歩きます。辛いでしょうが、頑張ってください」

 男の頭が小さく揺らめく。頷いたようだった。

「よし。行くぞ」

 野営地まではそれほど遠くはない距離だけれど、凍えて動くのもやっとの男には辛い距離だろう。でも、彼は生きようとしている。今ここで終わるつもりはないのだ。一歩一歩を踏み締めるように、それでも彼は歩いている。

 そんな彼を放っておくことなどどうしてもできなかった。否、自己責任だと言われても、捨て置けと言われても、まだ生きている者を見捨てることができる人間は実際どれだけいるのだろうか。

 それに、余力があるのにこの二人を見捨てたとしたら――記憶の奥底に居付いたままの、あの日の自分が救われない。あの昏い迷宮で倒れて動けないままでいるあの日の自分が、救われない。

 ――今でも時折夢に見るあの日の記憶。夢の中の自分はいつだってそのまま力尽きて終わる。そんな悪夢を見て目覚めたとき、今こうして生きて過ごしている日々は、本当はあの場所に倒れたままの自分が――死にゆく自分が見ている最期の夢なのではないかと錯覚してしまうのだ。

(でも私は生きてここにいる)

 手を引いて抱き締めて、これは夢ではないと教えてくれる人がいる。ここにいるのは夢ではないと、確かに生きているのだと、温もりを与えて教えてくれる人がそばにいる。

(だから私は――あの日の自分を、助けたい)

 あの悪夢はもう――終わったのだ。

 受け入れて、前を向いて歩きたい。

「――もう少しだ。あの階段を上ればすぐだ。頑張れ」

 一歩ずつ踏みしめるように歩く男を支え、ゆっくりと階段を上る。

 四階に入ってすぐの小部屋に戻ると、見張りをしていたクレメンスとナディアは男を見て驚いたようだった。それからルリィが抱えている毛布の包みの正体が人間だということにも気付いて瞠目する。

「要救助対象を保護した。かなり身体を冷やしている。早く温めてやりたい」

「――ああ、分かった。……二人だけか?」

 男を支えるのを手伝いながら、クレメンスが目配せをする。その意味するところを察して、シオリとアレクは小さく首を振った。それで彼は理解したようだった。

「……ともかく温めてやらないとね。シオリ、温かい飲み物を用意しておくれ。甘いのがいいね」

「うん、わかった」

 寒冷地育ちの彼らはこういった場合の処置を熟知しているようだった。ナディアが携帯燃料に火を付けて焚火を作る。そのそばにクレメンスとアレクが敷布代わりの毛皮を広げ、男を毛布で包んで寝かせた。

 濡れた衣服を捨てて下着だけになっていたユーリャは、シオリとナディアの予備の服に着替えさせた。それから清潔な毛布に包み、焚火のそばに寝かせてやる。

「シオリ。さっきの魔法石を出してくれるか。あれも使おう」

「あ、なるほど。ちょっと待って」

 小さな火の魔法石を沢山詰め込んだ小袋を取り出して手渡すと、アレクは男の首筋や足元にそれを宛がった。ユーリャの毛布にはナディアが同じようにして小袋を入れてやる。

「……うーん、温かくて甘い飲み物というと……やっぱり生姜湯かな」

 生姜の砂糖漬けの瓶を取り出して、カップの中にシロップを注ぐ。それを沸かした湯で割って即席の生姜湯を作った。

「飲めそうかい? 起きられるなら少しでも飲んでおきな」

 ナディアが促すと、少し落ち着いたらしい二人は小さく頷いた。クレメンスとナディアの手を借りて身体を起こした二人にカップを手渡すと、目礼してから静かにそれを啜り始める。

「……水に浸かってから大分時間が経っていたはずだが、よく持ちこたえたな」

 二人の様子を眺めていたアレクが疑問を口にした。

 保護したとき、男の方は既に髪が凍り始めていた。あの様子では大分長いことずぶ濡れのままでいたはずだ。普通なら動くどころか意識を保っていることすら危ういほどに凍えていただろうに。

「……いくつか魔法石を拾った。それデ、どうにか……」

 微かな訛りが残る言葉で、ぼそりと男が呟くように言った。

 水に浸かった荷物はすっかり駄目になり、流された先で見つけた火の魔法石と、野営地代わりにしていた室内に残されていた古い毛布で僅かな暖を取っていたらしい。それでも濡れたままの服を乾かすまでには至らず、このままでは死を待つだけだと、どうにか気力を振り絞って助けを求めにきたということだった。

 そこまで話したところで、外の様子に気付いたのか、アンネリエ達が天幕から顔を覗かせた。毛布に包まる二人の帝国人を見て目を丸くする。

「申し訳ない。勝手かとは思ったが連れてきた」

 アレクの言葉にアンネリエは苦笑いした。

「いいえ。いいのよ。救助が必要だったのでしょう。どのみち状況によっては連れていくつもりだったのだし――敵意もなさそうだものね」

 彼女がこの場の最上位者だと感じ取ったのだろうか。二人が居住まいを正す素振りを見せた。けれどもアンネリエはそれを制止し、楽にするようにと柔らかく言った。

「お二人の名前は?」

「フロル・ラフマニン。彼女はユーリャ・ラフマニンです」

「あら、ご兄妹なの?」

「いえ……俺達は従兄妹同士です。セルゲイ様も含めて……」

 そこまで言ってフロルと名乗った男は一度言葉を切った。

「……セルゲイ様を見かけなかっただろうか」

 遠慮がちにフロルは訊いた。こちらに乱暴を働こうとした男の名を出すことに躊躇いがあったのかもしれない。けれどもその表情には諦念のようなものが浮かんでいた。彼は気付いているのだろう。セルゲイと呼ばれた――あの魔導士の男が、既にこの世の者ではないことに。

 果たして、アレクがその死を伝えると、彼は一瞬沈黙したが大きな動揺は見せなかった。

「――頭を打ったようでな。俺達が見つけたときには既に息はなかった。さっき通ってきた回廊の途中に大きな残骸があっただろう。陰になっていて見えなかったと思うが、あそこに寝かせてある」

 簡素ではあるが弔いを済ませたことを伝えると、二人は目を閉じて頭を下げる。

「落ち着いているのね」

「……国を出た時点でいずれこうなることは覚悟しておりましタ。むしろここまで辿り付けたことが奇跡だった」

 魔力量は多かったが、セルゲイの力量がランクに相応しいものではないことは知っていた。だから恐らく本来の力量では勝っているだろう自分がどうにか守ってきたのだと彼は言った。

 セルゲイは伯爵家の次男。フロルとユーリャはその分家の出だという。帝国の冒険者組合の規定では、分家の者が本家の者のランクを上回ってはならないと定められているらしい。家格や身分が重要視される帝国では、その社会的な特権を維持するために取られている措置だということだった。

 この話を聞いてアンネリエは肩を竦め、アレク達は盛大に眉を顰めて見せた。デニスに至っては苦虫を噛み潰したような表情になっている。

「――でも、どうしてあの部屋を無理に開けたの? 無理に開けたらどうなるか分からなかったわけではないのでしょう?」

「それは……あの部屋にラフマニン家の祖先の財宝が隠されているからです。この塔は元々ラフマニン家の所有物。伯爵家の財政を立て直すため、その財宝を持ち帰ることが我々の使命です。そのためには何としてもあの部屋を開ける必要があっタ」

「隠された財宝……」

 なんとも言えない気持ちになってシオリはアレクを見上げた。彼もまた、眉尻を微かに下げて二人を見下ろしている。

「――隠し部屋の宝箱のことを言っているのなら……全て空になっていたぞ」

 アレクの言葉に二人は押し黙った。けれどもそれも束の間、フロルは笑った。眉尻を下げ口元を歪めて笑うその顔がまるで泣き笑いのようだとシオリは思った。

「やはり――ええ、多分そうなのではないかと思っていました。ラフマニン家がこの塔を放棄してから一五〇年以上経っている。街からも近いこの場所がその間手付かずな訳はありません。この塔に入った瞬間に悟りましタよ」

 ――燭台の灯りに使う魔法石ですら余すことなく取り尽くされていたのだから。

「俺は何度も進言しました。だが、あの部屋が固く閉ざされたままだと知ったとき、セルゲイ様はここは手付かずかもしれない、開けてみるだけの価値はあると食い下がって――」

「それで、無理に魔法で壊した、と?」

「……はい」

「水が溜まっていることには?」

「……気付いていました。少なくとも俺はそう判断して止めようとした。だが、どうしても聞き入れてはくださらなかっタ。セルゲイ様は必死だったのだと思います。財宝を持ち帰れば家を立て直せるどころか、もしかしたら跡継ぎに指名されるかもしれないと……」

 ――潤っているのは皇族と皇都住まいの特権階級のみ。

 土地が痩せ農奴が減り、税収が激減して冷や飯食いを置いておく余裕すらなく、跡継ぎになれなければ平民落ちするしかない貴族家ばかりだ。帝国貴族にとって平民落ちは奴隷落ちにも等しい。国そのものに余力がない今、商才でもない限りは平民落ちすれば土地を耕す農奴になるか、兵役に付くか、さもなくば冒険者となって遺物探しや魔獣狩りをしてしのぐかのいずれかしかない。

「……だが、内乱が起き国境が封鎖された今――仮に財宝があったとしても、今更どうにもならない」

 もしかしたらあれは、セルゲイの――祖先が遺した塔と末裔である自分とユーリャを道連れにした、壮大な心中だったのかもしれない――そんなふうに絞り出すようにして言葉を落とし、それきりフロルは俯いて押し黙った。

 重苦しい沈黙が場を支配した。

 その沈黙を破ったのはアンネリエだ。

「……いずれにしても、貴方たちは連れていくわ。街に戻ったら騎士隊に預けることになるけれど、それでいいわね」

 フロルとユーリャは頷いた。

 大人しくしている二人をしばらく無言で見下ろし、そしてすぐ隣で険しい顔で何事か考え込んでいるデニスの背中を軽く叩くと、アンネリエは腹を擦りながらにこりと笑った。

「さすがにお腹すいちゃったわ。お願いできるかしら」

 突然話を振られてシオリは目を丸くした。重くなった空気を振り払うためのアンネリエなりの気遣いでもあったかもしれないが、確かに昼の時間は大分過ぎている。今から支度しても、夕方近くになるかもしれない。

「それでは早めの夕ご飯にしましょうか。昨日の一角兎もありますし、今日はがっつりメニューにしましょう」

 この台詞にそれまで静観していたバルトが真っ先に歓声を上げた。デニスがそれに呆れたような視線を向け、それを見て皆がまた笑う。

 いつもの空気が戻ってほっと息を吐くと、シオリは支度を始めるために背嚢を開けた。



「……寛大な依頼人で良かったな。あれを置いていけと言われたら、さすがに心が痛む」

「そうだね……」

 死人を悪く言いたくはないけれど、公共物を破壊し、こちらに殺意を向けた挙句に一歩間違えば死に至っていたかもしれない「水難事故」にまで巻き込んでくれた帝国人の仲間だった二人だ。あの二人の意思ではなかったにせよ、多大な迷惑を掛けられたことには違いない。そんなものは置いていけと言われても仕方のない状況ではあった。

(――それにしても……)

 シチューのための肉を切り分けながら、シオリは思った。

(落とされたのがこの国で良かった)

 帝国の噂を聞くたびに、迷宮で自分を捨てていくことに積極的に賛同していたあの帝国人を思い出すたびに、何度も思ったことだった。そして今回セルゲイという男に会い、フロルから帝国の内情を直に聞いて、心底思った。

 トリスヴァル地方は帝国と隣接している地域だ。もし落とされた場所が僅かにでもずれていたら。国境の向こう側であったなら。

 ただでさえ珍しい東方系だ。奴隷どころか、もっと恐ろしい目に遭っていたかもしれない。

 ――想像するだけでぞっとする。

「……私を拾ってくれたのが兄さんで良かった。落ちてきたのがこの国で良かった。もし落ちたのが帝国だったら、私は今頃死んでたか――そうでなければ奴隷にされてたと思うもの」

 シオリは正直な思いを口にした。

 ――何の気なしに。

 そしてそのまま作業に集中する。

 だから、気付かなかった。

 隣で作業を手伝ってくれていたアレクの手が止まったことに。

 帝国人や室外の様子を警戒しつつも武器の手入れをしていたクレメンスもまた手を止めて顔を上げ、そしてナディアが意味深長に二人に目配せしたことに。

 アレクが、ぽつりと呟く。

「……落ちてきた(・・・・・)?」



ルリィ「出番がッ! 少ないッ!」

ペルゥ「……贅沢な悩みだと思う」

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