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家政魔導士の異世界生活~冒険中の家政婦業承ります!~  作者: 文庫 妖
第3章 シルヴェリアの塔

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29 朽ちた部屋

 水が引いた後の水気を残した床は、寒さで既に薄く凍り始めていた。ブーツに一応滑り止めは付いてはいるけれど、それでもこのまま歩くと滑って危険だ。シオリは少し熱めの温風を起こし、回廊までの床面を乾燥させて二人と一匹が歩けるだけの通路を作った。

「ありがとう。助かる」

「うん。どういたしまして」

 乾いた通路を歩いて大広間を横切り回廊の入り口に立つと、生臭いような妙な臭いが鼻を掠めた。水が腐ったような臭いだ。

「長期間溜まったままだっただろうしな。今が夏でなくて良かった」

 暑い季節だったら臭気はこんなものではなかっただろう。

 言いながらもアレクの視線は回廊のある一点を捉えていた。シオリもまた何とも言えない表情を作る。

 十数メテルほど先、回廊の中ほどの床に何か大きな黒いものが落ちているのが見える。通路の半分を塞ぐようなそれは、昨日にはなかったはずだ。

「……なんだろうね」

「……なんだろうな」

 帝国人が倒した魔獣だろうかとも思ったけれど、昨日のあの様子ではあれだけの大きさの魔獣とやり合うような余力はなかっただろうと思い直した。だとすれば、それより以前の――。

「とりあえず、また溶かしておくね」

「ああ、頼む」

 薄氷の張った床を温風魔法で溶かし、それから覚悟を決めて足を踏み出す。

「……これは……」

 近付いた二人はそれの正体を知ってほっと短く息を吐き、それから互いに顔を見合わせて苦笑した。

「……家具の残骸か」

「魔獣の死体かと思った……」

「まったくだ。驚かしてくれる」

 元は棚かテーブルか何かだったのだろうか。大物家具だったらしいそれは、長期間水に浸かったせいか黒く変色してしまっている。朽ちたり壊されたりしてばらばらになったものが、纏めてこの場所に押し流されてきたのだろう。

「あの開かずの間から流れてきたんだね」

「だろうな。ああ、これは……なるほど、これとやり合って相討ちになったんだな」

 残骸に引っかかっていた半透明の物をアレクが指差す。水でぶよぶよとすっかり膨らんでしまってはいるが、傘状の頭部とそこから伸びた複数の触手には見覚えがあった。

雪海月(スネ・マニエテル)……」

 火の属性を持つ偽鬼火(ファルスク・ウィスプ)とは逆の属性。何らかの理由で室内に入り込んだこの二種類の魔獣が、戦いの末に相討ちになったのだろう。そうして偽鬼火は魔法石を残して消滅し、雪海月は水中に落ちてそのままになった。

 よく見ると、残骸に絡むようにしていくつかの死骸が見える。

 ルリィが死骸をつんつんとつついた。さすがにこの状態になった死骸を食べる気にはなれなかったのか、つつくだけで取り込む様子はない。

 シオリは何気なく残骸の後ろに回り込み――その下敷きになっているものを見つけて短く息を呑んだ。口元を押さえて立ち竦む。

「どうした――うっ」

 駆け寄ったアレクもまたそれに気付いて呻いた。その胸元に抱き寄せられる。

「これは……あの魔導士……だな」

 アレクの胸元から恐る恐る顔を上げ、もう一度足元をそっと見る。

 ――そこには昨日見た金髪の帝国人の男が、残骸に半身を挟まれて仰向けに倒れていた。蒼褪めた肌、見開いたままの瞳、木偶人形のように床に投げ出された両腕。じっとりと水気を含んだ金髪の下からは、僅かに赤い液体が滲みだしているのが見えた。

「……押し流されたときに頭を打ったんだろうな」

 ――あの水流が押し寄せる直前、魔力の揺らぎを感じるとともに衝撃音を聞いた。開かずの間を魔法で強引に破り、水塊をまともに食らったのだろうか。

 アレクが優しくシオリの背を叩いてから、身体を離して男の傍らに屈み込む。手を男の口元にかざし、それからその首筋に触れた。

「……間違いないな。もう息はない。事切れてる」

「そっか……」

 ――沈黙が下りた。

 しばらくの間黙って躯を見下ろしていたが、やがてアレクは小さく吐息を漏らすと、男の瞼をそっと下ろしてやった。それから傍らで黙って見守っていたルリィの身体を撫でる。

「悪いが手伝ってくれないか。こいつをここから出してやろう」

 ルリィはぷるんと震えてから粘液状に広がって躯の下に潜り込んだ。アレクが残骸に手を掛け、力を込めて持ち上げる。ほんの僅かに持ち上がった隙に、ルリィは躯を身体に乗せたまましゅるりと移動した。

「ありがとう、ルリィ」

 水球を出して労うと、それをつるりと飲み込んでから嬉しそうにぷるぷると震える。

 アレクが男の両腕を胸の上で組んでやった。そして「クレメンスならもっといい酒を持ってるんだがな」と呟きながら、腰元のポーチから取り出した気付けの酒を男の口に宛がい、軽く酒を含ませた。死に水のようなものなのだろうか。

 不愉快な男ではあったけれど、これは隠り世に旅立つ者に対する最低限の礼儀だ。短い黙祷を捧げる。

 ――旅先で命尽きた者への、弔いの儀式。

「……無謀な旅の末に異郷の地で果てるか。自業自得とはいえ、哀れなものだ」

「……うん。そうだね」

 生き延びるためなら人を犠牲にすることすら厭わない、傲慢で不愉快な男だった。それでもどこか必死な様子だったのは分かる。彼なりに何か目指すものがあったのだ。その旅の果てに故国を再び目にすることなく、異国の地で命を落とす――それは、とても哀しいことだ。

 ――日本から遠く世界を隔てた場所、その光すら届かない暗い場所で、まさに命が尽きかけていた――あの日の記憶が頭の片隅を過ぎって消えた。

「シオリ」

 愛しい人の気遣う声が耳を擽る。大丈夫、そう返しながら彼の手を取った。

「……手、清めよう」

「ああ」

 水魔法を唱えて清めの水を出す。その水で軽く手を洗い、温風を出して乾かしてから、ルリィにもぬるま湯を軽くかけて清めてやった。

「行くか」

「うん」

 ちらりと一度、床に横たわる男に視線をやってから、回廊の先に向かった。

 いくらも歩かないうちに、扉が弾け飛んだ部屋の前に出る。開かずの間だった場所だ。

「うわぁ……随分派手にやったんだね」

「力任せにやったようだな、これは」

 ひしゃげている両側の蝶番にはかつて扉だった木片が申し訳程度にぶら下がり、その端が酷く焼け焦げていた。壊れた扉は先ほどの残骸の一部になったか、あるいは押し流されてあの大広間に転がっているかのどちらかだ。

「なんの準備もなしに壊せば中の水が一気に溢れ出ることくらい分からないわけでもなかったろうにな」

「……食事も休息も長いことまともに取れてなかったみたいから……もうまともな思考はできなくなってたんじゃないかな」

 それでも供の二人はもう少し冷静だったようにも思うけれど、それは必死さの違いなのかもしれないとも思った。

「……なるほどな」

 アレクは何とも言えない表情を作りながらも慎重に室内に足を踏み入れた。

 中はほかの部屋と造りはほぼ変わらなかったが、長期間水に浸かった影響で部屋の下部が黒ずんでいた。床には朽ちた木片や建材の瓦礫が散乱している。そして窓があったのだろうと思しき場所には大穴があった。長年手入れもされずに放置された影響だろうか、石壁が崩落している。

 崩れ落ちた石壁の断面を見る限りでは、崩れてからそれほど時間は経っていないように思われた。ギルドに提出されていた遠征の報告書には特に記載されていなかったから、最後にトリス支部の冒険者が訪れた後に崩落したのだろう。

「これだけの大穴なら雨も雪も吹き込み放題だね」

「外壁を伝った雨水が流れ込んだ形跡もあるな。染みが残っている」

 夏以降、何度か大雨の日もあったはずだ。冬になれば毎日のように雪も降る。そして傾いた塔。この大穴は傾きの上側に位置する。内開きの扉は下側だ。水が溜まる条件は揃っていたわけだ。

 あの男が壊さなくても、負荷が掛かった扉はいずれ決壊していただろう。

「いずれにしても、崩落していることは組合(ギルド)と……あとは騎士隊にも伝えておいたほうがいいだろうな。観光客が出入りすることはないとは思うが」

「そうだね。夏だったら来ようと思えば誰でも来られる場所だもの」

 一部で崩落が始まっているとすれば、今後傷んで崩れる場所はほかにも出てくるかもしれない。民間人だけではなく冒険者にも注意喚起は必要だ。

「……あ」

 大穴から視線を外し、何気なく部屋の片隅に目をやったシオリは小さく声を上げた。足元のルリィがぷるんと震える。

「あれは……」

 アレクも気付いたらしい。

 部屋の隅の壁が一部、やはり崩れ落ちている。それほど大きくはないけれど、どうにか人一人が通れるだけの幅はある。そこに何かが挟まっていた。

 近付いてみると、蓋付きの木箱のようだった。いくつかが折り重なるようにして穴を塞いでいる。穴の幅よりも大きいその木箱は、引っかかったまま水に流されずにここに残ったのだろう。

 アレクが剣の鞘でつつくと、がたん、と重い音を立てて木箱が崩れ落ちた。シオリは興味深くそれを眺める。

「なんだか宝箱みたい」

 上部が丸みを帯びている蓋が、長方形の箱に蝶番で留められている。冒険物語にでも出てきそうな意匠の木箱だ。

「実際そうだったんだろうな。箱自体にも元々価値はあったんじゃないか。見てみろ」

 アレクに指摘されてよく見ると、水に浸かって変色した木箱の表面には、削って装飾を無理に剥がしたと思しき跡がいくつも残されていた。

「中身も……当然なくなってるね。それとも最初から空っぽだったかな」

「どうだろうな。見たところこれは隠し部屋だ。空箱を入れておいたりはしないと思うが」

 ルリィがしゅるりと中に入った。それからぷるんと震える。問題ないと言いたいらしい。

 二人して崩れた場所から中を覗き込んだ。二メテル四方ほどの小さな部屋だ。蓋の開いた木箱が散乱している以外に特に変わったところはない。

「……どの箱も空っぽだね」

「ああ。装飾も全部剥ぎ取られてる。宝石か何かを台座ごと持っていったんだろうな」

 アレクは苦笑気味だ。

「本当に目ぼしいものは何から何まで持ち出されてるんだね」

「街から近くて来やすい上に、元々が帝国貴族のものだった塔だからな。領土奪還作戦の直後に王国軍か――さもなくば民衆にあらかた持ち出されていたんじゃないか。この隠し部屋はいつ頃見つかったのかは分からんが……放置されてから一五〇年は経つんだ。比喩でもなんでもなく隅から隅まで探索され尽くしているんだろうな」

 だからこそ、実地訓練や腕試しとして来るのでもなければ、敢えて探索しようと訪れる冒険者はいないのだ。アンネリエはこの塔そのものに別の価値を見出していたようではあるけれど、それは特殊な例だろう。

 こんな何もかも取り尽くされたような場所に、あの帝国人達は命の危険を冒してまで来たのだ。

 他人事ながら虚しさを感じて俯いた、そのときだった。

 アレクがぴくりと反応し、剣の柄に手を掛けた。ルリィもまたしゅるりとシオリの前に移動する。警戒色にはなっていないが、それでも緊張感が漂う。

 ――足音。

 ゆっくりと踏み締めるようなその音は、徐々にこちらに近付いてくる。

 探索魔法を掛けると、二人分の微弱な反応があった。

「……帝国人」

「……ああ」

 ――生き残った二人の帝国人。

 アレクが一歩前に出て身構える。

 程なくして――あの帝国の剣士が入口に姿を現した。

ルリィ「さすがに腐ったのはちょっと……」

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