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28 魔法石

 依頼人をクレメンス達に任せて三階へと向かう。下層階へと続く階段を見下ろすと、大広間が水没していた。水深はそれほど深くはないようだ。

 眺めているうちに微かな違和感を感じてシオリは首を傾げた。

「……あ。塔が傾いてる?」

「そうだな」

 床に対して水平な線を描いていた壁面の彫刻の一端は水面下に沈んでいるが、もう一端は水面より上に位置している。階段のあるこちら側が深く、回廊側は浅い。

「それで水がこっちに流れてきたんだね」

「ああ。今まで気付かなかったが、こうして見ると結構傾いてるな」

 階層の反対側にいたらあんな寒い思いをせずに済んだだろうかと埒もないことを考えながら、アレクに手を取られて水面近くまで階段を下りる。後ろからぽよぽよ付いてきたルリィが水面を触手でつついた。

「まさかこれを全部飲むなんて言わないだろうな」

 冗談めかしてアレクが言うと、いくらなんでもそんなことできるかとでも言いたげに、触手で彼の足元をぺしりと叩く。

 その漫才めいたやり取りを見て笑い、それから水面に視線を戻した。水を抜くにはどこかに穴を開けなければならないが、その前に念のため探索魔法で三階の気配を探った。魔獣の気配は無さそうだ。その代わりに火の力を帯びた複数の魔力反応と、そして――。

「……いるのか」

「……うん。二人だね」

 水底に散らばる魔力反応はナディアの言っていた通りに火の魔法石だろう。そして、水が溢れだした回廊の奥の方には二つの気配が感じられた。そう、二つだけだ。

「二人分しか感じ取れないということは……」

「もう一人は……ということだろうな」

 アレクは敢えて口にはしなかったが、気配が消失したということはそういうことなのだろう。そうなってしまえば探索魔法で探すことはできない。

「どうする。水を抜けばもしかしたら底から出てくるかもしれんが……やめておくか」

「……ううん、抜くだけ抜いてみよう。向こうの二人も気になるから」

 大広間に溜まった水を抜いたあとに、あの三人の帝国人のうちの一人が出てくるかもしれない。どういう状態でいるのかはあまり考えたくはないことだが。

「……そうか。わかった。じゃあ頼む」

「うん。でも結局水抜きすることになっちゃったね」

「――そうだな」

 遠征中はよほどのことがない限り、よく分からないものには手を出さない方がよい。命あっての物種だ。だからこそ昨日はあの部屋を素通りしてきたのだったが。

 水が溜まった大広間をぐるりと見回し、適当な場所を見定める。

「できそうか?」

「うん。でも時間かかるかも。怖いからあんまり大きな穴開けたくないし」

 素人判断だから思い切ったやり方はしない方が賢明だ。下手な穴を開けて塔の均衡が崩れ、崩落でもしたら目も当てられない。

「あの辺かなぁ」

 一番水深が深いだろう場所の壁面に魔力の網を張り巡らして穿孔位置を指定し、土魔法を展開して数センチメテル四方の穴をいくつか開けた。澱んでいた水が動き、少しずつ水位が下がっていく。どうやら上手くいったようだ。

 それでも予想通り、しばらく時間がかかりそうだ。どちらからともなく階段に腰を下ろし、ゆっくりと排水口に向かって動く水面を眺めて過ごす。ルリィは水面をぴしぴし叩いて遊び始めた。

 外に流れ出た水はこの量ならちょっとした池のようになるかもしれない。夏だったら他の冒険者の迷惑にもなるだろうが、今は滅多には人が来ない冬だ。このまま凍り付き、そして春になればいずれ溶けて消えるだろう。

「――あの帝国人……なんでここに来たのかな」

 ふと疑問に思ったことを口にすると、ルリィを見て苦笑いしていたアレクは顔を上げた。

「うん?」

「あの帝国の三人組。装備も食糧も十分じゃなかったみたいなのに、無理にこんなところまで来て……なんでなのかなって」

 使い古して傷みの目立った装備。少ない荷物を魔獣との戦いで更に減らされて、それでもなお街には戻らず先に進んだ彼ら。

「ああ……」

 彼の視線が大広間の向こう側、回廊の奥に向けられた。

「帝国が内乱中なのは知っているだろう」

「うん」

 新聞の報道では、中央の圧政に堪えかねた辺境の下級貴族が結託し、民衆を束ねて蜂起したとあった。内乱勃発直後には「傀儡皇帝手も足も出ず」とか「帝国滅亡間近」とかやたらとセンセーショナルな見出しの新聞が目立ったものだ。

「元々は大陸の何割かを占める巨大な国だったが、強引な国土拡大で軍事費が嵩んでな。不足分を補うために無理な税の取り立てを続けた結果、反乱が相次いですっかり国力は減退してしまった。ここ十数年は強引な徴兵で農地を耕す者が減ったせいで更に税収は少なくなったようでな。なのに豊かだった時代の暮らしが忘れられないのか、贅沢を止められずにどこの貴族家の家計も火の車だ」

 だから、かつて帝国の領土だった場所に残された先祖の遺物を掻き集めて、少しでも足しにしようしているのだろうと彼は言った。

 きっとあの三人もそういう貴族出身の冒険者なのだろう。

 この塔もかつては帝国貴族のものだった。塔に収められていた宝物を探しに来たのだろうか。

「取る物は取り尽されて、何も残されていないというのにな。それに仮にあったとしても、もう帝国には戻れない」

 内乱直後から帝国からの人の出入りは制限されているはずだ。今国内で活動しているのは内乱前に入国した帝国人らしい。

 戻れるときがくるとしたら、それは内乱終結時。内乱は反乱軍の勝利に終わるだろうと言われている今、彼らが祖国に戻る頃にはもう――家は、ないだろう。

 哀れなものだ、そう言ってアレクは話を締めくくった。

「そっか……」

 きっと彼らは前に進むしかなかったのだ。たとえそれが空しいことだと分かっていたのだとしても。

「……でも、同情はできないなぁ」

 因果応報。今までしてきたことの付けを支払うときがきただけのことだ。

「……そうだな」

 アレクが言い、足元のルリィは同意するようにぷるんと震えた。

「――そろそろよさそうだな」

 それからしばらくして、アレクが立ち上がった。壁際にはまだ水が残されているけれど、床面はほとんど見えていて歩くには問題なさそうだ。

 差し伸べられた手に腕を引かれて立ち上がると、シオリは大広間をぐるりと見渡した。見たところ不審なものはない。予想したような帝国人の姿も。もしかしたら生き残った二人が既に回収しているのかもしれない。

 内心安堵してほっと息を吐く。

「上手い具合に水抜きできたな」

「うん」

 濡れた床を慎重に歩き、流しきれずに壁際に残された水溜りを二人で覗き込む。強い魔力を感じるほんの少し濁った水の中。そこには赤く煌めく小さな石が沢山沈んでいるのが見えた。火の魔法石だ。

「お。これは……思った以上に量があるな」

「うん。凄いねぇ」

 水と一緒に外に流れていってしまったものもあるだろうが、目の前にある分だけでも結構な量だ。二人で両手いっぱいに持てるほどの数。

「わぁ……コケモモみたい」

「っふ、はは、そうだな。確かにコケモモのようだ」

 水中に沢山沈んでいる一センチメテルほどの大きさの真紅の魔法石はまるでコケモモのようだ。全部拾って瓶詰にでもしたら、一見しただけでは魔法石とは分からないほどによく似ている。

「これ、触ったら熱い?」

 あれだけの水量の凍結を防いでいたのだから熱いのかもしれないと思ったけれど、アレクは首を横に振った。

「熱くはないな。温かく感じる程度だ」

 手袋を外したアレクは水中に手を入れると、いくつか魔法石を拾い上げた。そのうちの一つをシオリの手のひらに載せる。ほんのりとした熱が手袋越しに伝わってくる。

「本当だ。あったかい……」

「一つ一つの力は微々たるものだが、互いに干渉し合って火の力を増幅していたんだろうな。だから凍るはずの水が凍らなかった」

「なるほど……そういうこともあるんだね。でも」

 シオリは首を傾げた。真似をしたつもりなのか、ルリィの身体も同じ方向に傾ぐ。

「こんなに沢山、どうしたのかな。もしかしてこれが帝国人の探してた宝物?」

「……いや、これだけのものが今まで手付かずで残されているはずがない。この大きさと量からすると……多分偽鬼火(ファルスク・ウィスプ)が残したものだろう」

「偽鬼火? へえぇぇ」

 偽鬼火。深い森の沼地などに群れを作って棲息する小さな火の玉のような魔獣だ。実体を持たず、倒せばすぐに消滅するためにあまり生態の研究は進んでいないらしいが、一般的には知能を持たない精霊くずれのようなものと考えられているようだ。実体がないために魔法攻撃でなければ倒せないこの魔獣は、魔素を強く帯びた体内に魔法石を含んでいることが多いらしい。

 水に流されるという大変な目には合ったが、その代わりに手間を掛けずにその魔獣の落とし物を手に入れることができたのは運がよかった。

「塔に棲み付いたものが何らかの理由で死んでこうなった……ということか」

「他の魔獣と戦って死んだとか?」

「それはどうだろうな。あの部屋を調べてみないことにはわからん」

「うん」

 ともかく、これだけの量の魔法石をこのままにしておくのは惜しい。一つ一つは小さなものだが、全て売り払えばかなりの金額になるはずだ。拾えるだけ拾っていきたい。

 アレクと二人で水中の魔法石を拾っていく。水に入れた手は冷たかったが、拾い上げた魔法石を握っていれば体温が戻ってくる。

 この程度の水量なら、魔法石を沈めたまましばらく置いておけばよい湯加減になるのではないかと言ってアレクは笑った。

「袋に詰めたら温石代わりになりそうだね」

「ああ。人数分作って配るか。街に戻ったら適当に分配しよう。アンネリエ殿も欲しいだろうしな」

 いくつかを纏めて小さな保存袋に詰め、懐炉のようにする。一つを取って懐に入れると、ほんのりと温かくなった。残りの懐炉はとりあえず腰のポーチに入れておく。

 ルリィは拾った魔法石を触手の先でつついたり撫でまわしたりして遊んでいた。どうやら気に入ったらしい。

「ほしいのか?」

 アレクが訊くと、ぷるんと震える。

「大活躍だったからな。一つくらい褒美に与えたところで誰も文句は言わんだろう」

 拾った魔法石の中から特に粒が大きい物を選び、伸ばされた触手の先に置いてやった。ルリィは嬉しそうにぷるぷると震えると、ひとしきり撫でまわして楽しんでから、それを大事そうに体内に取り込んだ。瑠璃色の身体の中に、小さな粒が浮かんでいる。時々取り出して遊ぶつもりなのかもしれない。

 いい物をもらって嬉しそうにぽよぽよ歩き回るルリィを見て二人で笑い合ってから、回廊に視線を向けた。

「さて……俺はこの先を確めてくるつもりだが、お前はどうする? 戻って休んでいても構わないぞ。もしかしたら、あまり愉快ではないものを見ることになるかもしれないからな」

 ――気配が消えた帝国人の。

 アレクは気遣ってくれたのだろう。でも。

「……足手纏いでなければ一緒に行くよ。二人で組んで仕事するって決めたんだもの」

 そう言ってやれば、彼は少しだけ目を見開いてから、すぐに小さな笑い声を立てた。

「……そうか。そうだな。お前の言う通りだ。じゃあ一緒に行こう」

「うん」

 壁に開けた穴を塞いでから立ち上がる。

 どちらからともなく向けた視線の先。来るときにはどうとも思わなかった一本道の長い回廊の入り口が、今はどことなく仄暗く見えた。


ルリィ「本当はイクラのように見えたらしい」



書籍版、重版して頂けるそうです。

皆様のおかげです。ありがとうございます。

間違いを一箇所訂正してあります……(;´Д`)

何回も確認したのですが、見落としておりました。ぐぬぅ、悔しい。

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