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家政魔導士の異世界生活~冒険中の家政婦業承ります!~  作者: 文庫 妖
第3章 シルヴェリアの塔

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27 小さな望み

 ふわふわと不規則に世界が揺れる。上も下もわからない真っ青な世界の中、水に揺蕩うような、微睡みにも似た不思議な感覚に身を委ねているうちに、いつの間にか意識が飛んでいたらしい。

「――オリ、シオリ! シオリ!!」

 身体を強く揺す振られて意識が浮上する。ゆるりと瞼を開くと、心配そうに見下ろしているアレクの表情が安堵で緩んだ。その栗毛からぽたぽたと水滴が落ちてシオリの頬を濡らし、曖昧だった意識がその冷たさに一気に覚醒する。

 アレクに抱き抱えられたままの身体も冷たい。びしょ濡れと言うほどでもなかったけれど、濡れた服が体温を奪っていく。

 確か回廊から溢れてきた水流を防ぎきれずに押し流されたはずだ。それから――。

「ルリィが助けてくれた。俺達を身体の中に包んで運んでくれたんだ」

「ルリィが!?」

 限界まで身体を引き伸ばして七人もの人間を包み、大量の水から護ってくれたらしい。そのまま水の来ない上層階まで運び上げてくれたのだ。すぐそばに階段が見える。

「ありがとうルリィ。大変だったでしょう」

 床一面にだらりと広がったままの身体を擦って労うと、気にするなとでもいうように触手を伸ばして左右に振って見せた。けれどもさすがに疲れたらしく、饅頭型に戻らず弛緩したままだ。

「う……」

「うぁー……なんなんだ一体」

 しばらく床に転がって放心していたアンネリエ達が身体を起こす。

「大丈夫ですか? お怪我は」

「大丈夫よ。怪我もないけれど……これはちょっと厳しいわね」

 完全に水没する前にルリィの体内に取り込まれたおかげで全身ずぶ濡れという事態は避けられたが、身体の前面が濡れて髪からは水が滴り落ちるという有様だ。

「申し訳ない。護り切れず危険に晒した」

「いえ、いいのよ。まさか真冬の塔の中で洪水に遭うなんて普通思わないもの。気にしな――っくしゅっ」

 頭を下げるアレクに、気にしないでと言いかけたアンネリエが盛大なくしゃみをする。その身体を支えるデニスとバルトもふるりと身震いした。

「ともかく身体を温めよう。これ以上冷やすのはまずい」

「うん、お風呂、すぐ支度するね!」

 手近な小部屋に駆け込むと、急いで土魔法を展開した。床の石材を成形して浴槽を二つと目隠しの衝立を作り、熱湯消毒を施してから湯で満たす。その間にアレクとクレメンスが結界杭で魔除けを施してくれた。空調魔法で室内を温める。

 背嚢から入浴道具一式を取り出すが、幸い中身は濡れていないようだ。水中に沈んだとなればさすがに浸水は防げなかっただろうが、水を被ったのが前面からというのが幸いしたのだろう。

「どうぞ。濡れた服は置いておいてください。すぐ洗濯しますから」

 いつから澱んでいたかわからない、清潔ではない水が染みた衣類を早く洗濯してしまいたかった。妙な生臭さも気になる。皆が風呂で温まっている間にせめて外套だけでも洗って乾かしておきたい。

 先に入るように勧めると、アンネリエがシオリの腕を掴んだ。

「シオリさんとナディアさんも一緒に入って。身体を冷やしたらよくないわ。洗濯は後よ」

「え……でも」

 躊躇っていると、デニスからも声が掛かる。

「ここで貴女がたが体調を崩したらそれこそ問題だろう。誰が街まで安全で快適に連れていってくれるというんだ。いいから入ってくれ」

「デニス殿の言う通りだ。甘えさせてもらえ。俺とクレメンスは後で入る」

 デニスに続いてアレクからも促されるが、躊躇する。

 洗濯を先にと言ったのは半分は口実だった。

 ――あの傷を見られたくない。

 けれども空調の効いた室内でさえ身体が冷えていくのが分かる。早く温まらないと本当に身体に障りそうだ。それにあまり渋っていると、後で入るというアレク達まで冷え切ってしまう。

「……うん、わかった」

 覚悟を決めて頷くと、アンネリエがほっと息を吐いた。傷痕を気にしているということを承知の上で誘ったのだ。気を、使わせてしまった。

「先に入っていてください。アレク達の服を乾かしたらすぐ行きますから」

「ええ、分かったわ」

 アンネリエ達が衝立の向こうに消えると、急いでアレクとクレメンスの服を乾燥させる。待っている間に彼らの身体が冷えきってしまうのではと心配だった。魔法で強めの温風を起こして急速乾燥すると、やはり寒かったのだろう、二人の強張った表情が緩んでいく。

「あとは適当に火を熾して当たっているから、お前は早く入ってこい」

「うん、ありがとう。先に頂くね」

 背嚢から固形燃料を漁るアレク達に強く促されて風呂に急ぐ。

 一瞬躊躇ったが、覚悟を決めて濡れた衣類を手早く脱ぎ、既に湯船に浸かっていた二人の横に身を沈めた。冷えた末端からじわじわと熱が浸透していく。

 湯の温かさにほっと息を吐きつつ、シオリは湯気越しにちらりとアンネリエを見た。温まって赤みが戻った顔の、その表情に変化はない。どうやら傷痕で不快な思いをさせずに済んだようだ。湯気で程よく視界が遮られて見えなかったのかもしれない。

 ナディアが少しだけ眉尻を下げて微笑むのが見えた。それに薄く笑って返す。

 しばらくは無言で湯に浸かった。浴槽の縁で湯が撥ねて立てる水音だけが室内に響く。

 大分温まった頃、アンネリエが口を開いた。

「……本当にシオリさんがいてくれて良かったわ」

 そうでなければ危うく凍死するところだったわよ、と彼女は笑った。

「……恐縮です」

 賛辞に面映ゆくなるが、魔法による風呂の設置や空調魔法を研究しておいてよかったと自分でも思う。単純に野営地を快適にするだけではない、こうして緊急時にも役立たせることができたのだから。

 ――遠征中はいつどんな理由で行動不能になるか分からない。手練れの冒険者でも、ほんの些細な理由で命を落とした者は少なくない。

 雪山で戦闘中に背嚢を破かれ燃料を駄目にし、凍ってしまった食料を止むを得ず口にした結果、腹を壊してそのまま衰弱死した弓使い。裁縫道具を忘れて破けた服をそのままにし、ほつれたところを魔獣の角に引っ掛け体勢を崩して呆気なくやられた剣士。平原の探索中に予想を上回る大雨と強風に遭い、どうにか見つけた岩場で天幕を張って凌ぐも体温の低下は防げず、夏でありながらメンバーの半数が凍死に至ったパーティもあった。

『もしあのときシオリがいてくれたら……あいつは死なずにすんだかもしれないな』

 せめて魔導士が一人でもいてくれたら少しは違ったのかもしれないが。そう言って友人の遺品だという腕輪を撫でた、同僚の治療術師のやるせない表情を思い出す。彼はそのパーティの生き残りだったそうだ。

 自分の持つ技術は地味で細やかなものだ。けれどもこうして生死を分ける局面でも役立つと知った。

 努力は、無駄ではなかった。

 ――十分に温まり、湯から上がる。既に身体の冷えはない。

 手早く身体を拭いて予備の服を着込むと、急いでアレク達と交代した。皆の濡れ髪を乾かしてから、見張りはナディアとルリィに任せて洗濯に専念する。

 冒険者用の衣類はどれも丈夫で水洗いしても問題ない素材ばかりなのがありがたい。外套だけは念のため手洗いにして、残りの衣類はいつもの洗濯魔法で手早く洗って水を切る。あとは温風魔法で一気に乾かすと、生臭さは綺麗になくなった。

 予備の服に着替えて洗い立ての外套を着こむと、皆もようやく落ち着いたようだ。ルリィも浴槽の湯を飲み干して、つやつやの饅頭型に戻っている。

「それにしても……やってくれたものだな、あの連中は」

 クレメンスが水が入ってしまった腰のポーチを拭き取りながら、顰め面で忌々しげに吐き捨てる。

「あの開かずの間を壊したってことだよね?」

「そうだろうな」

 地上三階という場所であれだけの水が流れてきた理由には心当たりがあった。

 あの三階の回廊に一つだけあった手付かずの部屋。扉の隙間から水漏れしていた開かずの間だ。同じ三階にあったほかの部屋の様子から見ても、あの部屋はそれなりの広さがあると推察できた。大広間ほどではないにせよ、それでも大人数を招いてのパーティが開けそうな広さだ。その室内に水深一メテル以上の水が溜まっていたとなればかなりの水量になるはずだ。

 ――よく観察していれば、あの部屋に入らずとも中の様子がある程度は予測できる。無理に開ければどういうことになるのかも。

 だというのにあの帝国人達は、何の対策も講じずに恐らく扉を魔法で破壊したのだろう。その結果がこれだ。

 彼らは無事なのだろうか。あの瞬間聞こえた悲鳴から察するに――水流をまともに食らったのは間違いないと思うのだが。

「……これからどうする。脱出口を作ってさっさと外に出てしまうか? それとも、あんなことがあった後だ、大事を取ってここで一晩ゆっくり身体を休めておくか」

 身体を温めたとはいえ、一時的にかなり身体を冷やしたことで大分体力を消耗したはずだ。食料と日程に余裕があるのなら、今日はこのままここでしっかり休息を取った方がいいだろう。

「そうね……じゃあ今日はもうここで切り上げましょう。正直、さすがにちょっと疲れたわ」

 溌剌としていたはずのアンネリエの声に張りがなく、表情が冴えない。興味深そうにあちこちによく動いていた視線は俯きがちに伏せられて、どこか気怠げだ。本当に疲れたのだろう。

「昼食は先に済ませてもらって構わないから、仮眠を取らせてくれ。アニーを少し休ませたい」

 デニスが恋人を気遣ってその肩を抱きながら言った。

「この旅ではしゃぎ過ぎた上にこの騒ぎだ。さすがのアニーも疲れたんだろう」

「はしゃぎ過ぎてって、人を子供みたいに……」

 冗談めかして言うデニスに、アンネリエがむくれて見せる。その様子が微笑ましくて皆で軽く笑い合った。

「承知した。じゃあゆっくり休んでくれ。俺は少し下の様子を見てくる。クレメンスとナディアは見張りを頼む。シオリは俺と一緒に来てくれ。水を抜いてほしい。頼めるか」

「うん、勿論」

 室内ではあったがゆっくり休めるように天幕を張り、個室を作って依頼人の寝所にした。三人が天幕に入るのを見届けてから、魔力回復薬を飲んで残り僅かだった魔力を回復する。それからクレメンスとナディアに留守を頼み、アレクとともに階下に向かった。



「――アニー。どうした。何かあったのか」

 自分達のために用意された天幕の中。

 床に敷き詰められた温かい毛皮の上にアンネリエを座らせると、その肩をそっと抱き込んで囁く。

 ――アンネリエの様子がおかしい。

 アレク達は疲労のせいだと思ったようだが、長い付き合いのデニスにはすぐわかった。冴えない表情、少ない口数、伏せがちな目――これは疲れているというよりはむしろ、何か思い悩むことがあるときによく見せる特徴のようなものだった。

「……アニー」

 促すと、アンネリエの両手が自分自身を抱き込むように二の腕をさすった。

「――見てしまったの。シオリさんの傷」

「傷?」

 確か、身体に傷痕があると言っていた。裸婦像のモデルにと目論んだアンネリエが彼女を風呂に誘おうとして断られた理由だ。

「冒険で付いた傷だと思ってたの。でもあの傷――そんなものじゃなかった。あんなの、あんなに綺麗な身体なのに、両の腕と足にばっかり、不自然に沢山付いてて……」

 あれじゃまるで拷問の痕だわ。

 そう言ってアンネリエは顔を覆ってしまった。

 拷問の、痕。何か恐ろしいことがあった痕跡。ああ、だからこそ彼女の仲間達は過剰とも言えるほどにあの女を案じていたのか。

「あんな不自然な傷、お嬢様育ちの私にだって普通に付いたものではないことくらい分かるわよ。だからこそ彼女は私に見せたがらなかったのだわ。何かきっと――とんでもなく恐ろしい目に遭ったのよ。なのに彼女、いつもあんなふうに穏やかに笑って――」

 抱き寄せた肩を宥めるように撫で擦ると、彼女は顔を上げて目元を拭った。

「私、やっぱり彼女を描きたい。あんな酷い傷を抱えていても、しなやかで強い彼女を描いてみたいの。真っすぐに強く立っている彼女はとても美しいわ。あの美しさを私の腕で描き切れるかどうかはわからないけれど、でも」

「……そうか、なら――」

 もっと、彼女のことを知らないとな。

 そう言ってやると、アンネリエは目を見開き――そして微笑んだ。

「ええ、そうね。もっと色々知るためにも私……あの人とお友達になりたいわ」

 あれほどに博識で高い技術を持ちながら、過去を証明するものを何一つ持たないという不思議な女。シオリ・イズミ。汚名を残して死んだ父と向き合おうと思う切っ掛けの一つをくれた彼女。

 この先もかかわり続けることで、手酷い無礼を働いてしまった彼女への償いを、いつか何かの形で果たすことができるかもしれない。それに、純粋に彼女に対する興味もあった。

 だから、自分もまた――。

「そうだな。俺も――彼女と友人になりたい」

 そう言って、デニスは笑った。






ルリィ「……ところでこの物語、一番最初に入浴シーンを披露したのはヒロインではない」

ペルゥ「それどころか初めてドレスアップしたのもヒロインではない」


以上、書籍化作業中に気付いた衝撃の事実でしたヽ(゜∀。)ノ

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