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23 うつりゆく無垢の風景(2)

 ありのままの心を見せてくれる彼。

 ありのままの自分を見てくれる彼。

 いつしかそんな彼のことを愛するようになっていた。

 そして彼もまた――『気取らない、飾り立てない自然体のお前は綺麗だ』とそう言ってくれた。多分相思相愛なのだと思った。

 だから彼が一足先に成人して、自身もまたデビュタントの歳を迎えたら、そのときにはこの想いを打ち明けようと、そう思っていた。

 ――けれども。

『……俺は純粋なストリィディア人ではないから。無垢ではない汚れた血が流れているから、だから好きな女とは一緒になれないんだ』

 想いを告げる前にそんなふうに拒絶されてしまったあの日。

 伯爵位を継いでいたとはいえ、まだ年若い娘だった自分にはひどく傷付いた彼にどう言葉を掛けるべきか分からなかった。

 ――失恋したあの日の苦い想い出。



 ありのままの姿を、ありのままに。自らが感じ取ったそのままの姿を描き出す。

 それを創作の信条としてきたアンネリエにとって、それを捻じ曲げようとする者は敵にも等しかった。

 そして「次期当主の遊び相手」として選ばれておきながらその役目を果たせず、従順なふりをして媚びへつらうだけの主体性のない者や、物事を自分に都合の良い方向に捻じ曲げ誘導しようとする権力志向の強い者も大嫌いだった。

 七歳を迎えた頃から「遊び相手」と称して父が連れてきた子供のほとんどは、そんな大嫌いな者ばかりだった。

 きっと彼らは親に言い含められてきたのだろう。次期当主のご機嫌取りをして手懐けろ、幼いうちに手懐けて傀儡に、と。

 だがアンネリエは子供とはいえ幼少期より当主としての教育を施されてきた身。「遊び相手」が与えられることの意味を正確に理解していた。これはロヴネル家次期当主に対する儀式のようなもの。当主として必要な、人物の鑑識眼があるか否を見極めるための試験と側近候補の選抜を兼ねている。

 それを理解しているからこそ、あからさまに取り入る子供に対して嫌悪感を抱いたし、もっと子供らしい意見を言うならば、言いなりになるか言うことを聞かせようとする「お友達」など、一緒に遊んでいて面白いわけがなかったのだ。

 それに気付かずに親の言い付け通りにご機嫌取りをする子供や、アンネリエより年上の、将来に対する野心を持つようになる年頃の子供達の年長者面にはほとほとうんざりさせられていた。

 遊び相手が連れてこられるようになってからおよそ二年、彼女のお眼鏡にかなう相手には出会えていなかった。

 もとよりアンネリエは、父や祖父には『あの子の遊び相手選びは難航するかもしれない』と前々から危惧されていたらしかった。

 ロヴネル家は代々、性別にかかわらず長子が当主を継ぐ慣わし。男性当主が二代続いた後に、長子として誕生したのがアンネリエだった。数十年ぶりの女性当主とあって、関わりの深い貴族家の面々は色めき立ったという。次代の当主が女とあれば、その側近選びは今までとは様子が異なってくる。ただの側近ではなく、気に入られればそのまま花婿として家に迎えられる可能性もあるのだから。

 男性当主が花嫁を迎えるのとはわけが違う。

 いかに才媛、既に女傑の片鱗を見せつつあるアンネリエとはいえ、所詮はか弱き女の身。男と身体のつくりが違う以上どうしても精力的に動くことが難しくなる時期も多い上、跡継ぎを生むために当主としての務めを果たせなくなる期間も出てくるだろう。

 ――系譜を遡れば王国創建期の頃まで辿れる旧家にして芸術の名門たるロヴネル家は名声も高く、そしてなにより財産が潤沢である。その名声と資金目当てに、女性ゆえの「欠点」を補うという名目で婿入りしてロヴネル家の実権を握ろうと目論む家が後を絶たなかった。

 それゆえに「遊び相手」として差し出される子供のほとんどが「密命」を帯びた男児だった。当然アンネリエが気に入るわけもなく、父や祖父が予想した通りになった。

 ――そんな中で連れてこられたのが、デニスとバルト。一つ年上の、末端に近い傍系の家の少年達だった。

(どうせ今までと同じ結果になるに違いないわ)

 半ば諦め気味にそう思っていたアンネリエの予想を裏切り、彼らは理想的な遊び相手だった。なにしろ簡単な自己紹介を終えた後に彼らが発した第一声が『それじゃあ何して遊ぶ?』である。次いで、『ここの庭は広くて楽しいって本当?』に『危ないことをしなければ、何して遊んでもいいって言われた』と言われたのには心底驚かされたものだった。本当に遊びに来ただけらしいと分かったからだ。

 その日はロヴネル家自慢の庭園で思い切り鬼ごっこやかくれんぼを楽しみ、遊び疲れた後の八つ時には甘いミルクティーと料理長自慢の焼き菓子を食べながら、互いの好きなことや好きなもの、好きな遊びについて熱く語り合った。

 そして日の暮れる頃、今度はそれぞれのお気に入りの絵本を持ってくるという次の約束まで取り付けてからお別れをした。

 ――直系と傍系、性別の差など関係なく、本当に心の底から楽しんだ。そんな満ち足りた気分で眠りについた、あの日のことは今でもよく覚えている。

 それが、デニスとバルトとの出会い。

 彼らとの交流を続けるうちに、遊び相手――将来の側近はこの二人しかいないと思うようになっていた。何度か彼らの両親とも会ってみたが野心らしきものは感じられないうえ、二人も理想的な人材だったからだ。

 基本的にはアンネリエの希望に沿うが、それが危険なこと、相応しくないことだと判断すれば諫めてもくれた。それも年長者面するでもなく、あくまで対等な友人としてだ。

 そして彼ら自身にも何か希望があれば、それを率直に言ってくれたりもした。

 親しい友人として接してくれるデニスとバルト。

 それでいて、子供ながらも自らの立場を弁えてもいた。茶会やパーティなど、衆目を集めるような公的な場ではアンネリエに対して格下の人間として振舞うことを徹底していた。

 物事を正しく理解し、状況に応じて動くことができる器量。足りないところも多くあるが、十歳を越えるかどうかという年頃の子供にしては十分過ぎると言えた。

 そうして彼らと初めて会ってから一年が過ぎた頃――デニスとバルトを正式に従者見習いとして迎えることになった。

 ただ、妙な野心を持たない理想的な人材を得ることはできたものの――遊び相手から主人と従者という関係に変わったことで、私的な関わりを持つ時間はほとんどなくなってしまった。そのことで寂しさのあまりに真っ先に潰れそうになっていたアンネリエの心情を察してくれたのはデニスだった。

『……お前さぁ、何か無理してないか』

 あれは、二人の従者教育が始まって二ヶ月ほどした頃だっただろうか。一日の業務を終えて、主人(アンネリエ)に報告を済ませたデニスがこっそりと言葉を掛けてくれた。

 久しぶりに主従としてではない、くだけた口調で話し掛けられたことが嬉しくて、でも主人として本音を曝け出すところも弱音を吐くところも見せたくないと意地を張って、無理なんかしていないと強気に振舞ってしまった自分に彼は言ったのだ。

『貴族の子だからって気取ったりしないのがお前のいいところなのに、最近のお前は変に取り繕ってるだろ。気になるじゃないか』

 明け透けな物言い。初めて会ったときからそうだった。主家の娘だからといって遠慮しないその態度も、言葉遣いも自然体のままでいた彼。その彼が、ありのままの自分を見てくれていたことに気付いた。貴族の娘としてではなく、ありのままの「アンネリエ」を見てくれていた、彼。

『さ、寂しかったの』

『うん』

『私は主人だからしっかりしなきゃって思ってたけど、デニスもバルトも、なんだか友達じゃなくなっちゃったみたいでっ、本当は寂しかったのっ』

『……うん。そっか。じゃあ――俺達と同じだな』

『そうなの?』

『うん、そうだよ。だって、せっかく友達と毎日一緒にいられるようになったのに、なんだか急によそよそしくなったから、俺達も寂しかった。そっか、おんなじかぁ……勇気出して訊いてみて良かった』

 彼らも同じ気持ちだったと言ってくれた。

 涙でぐしゃぐしゃになってしまった自分の顔を、ハンカチで少し乱暴に拭ってもくれた。

 関係が変わってしまったと思っていたけれど、本当は何も変わっていなかったのだと彼は教えてくれた。

 信頼できる従者としてではなく――友達として。

 そのことにひどく安堵して、そうして初めて彼らと会った日と同じように、その日の晩はひどく充足した気持ちで床に就いた。心に灯った、温かい想いを噛み締めながら。


(――今思えば、多分このときに私はデニスに恋をしたのだわ)

「……そんなこともあったな。そういえば」

 アンネリエの想い出話に耳を傾けながら、懐かしそうに目を細めてデニスは笑った。

 置かれた立場ゆえか、長ずるにつれて増えた彼の鋭い表情も自分を護ってくれる騎士のようで凛々しくて好きだったけれど、こうして笑っている方がずっと良い。

 スケッチブックを見せたシオリにはきっと気付かれただろう――デニスを愛しているということに。モデルとして描いた枚数は、他の者達と比べると彼だけが格段に多かったから。それを、会って日の浅い彼女に知られることに関して恥じらう気持ちがなかったわけではない。

 けれども、シオリもまた「誰か」に恋しているということに気付いて――この恋情を彼女と共有したいという想いを抱いてしまった。誰に対しても程良い距離感を保ちながらも、歩み寄る者を穏やかに受け入れる懐の深さを見せる、そんな彼女と色々と語り合ってみたい、と。

(――でも、何か怖ろしく深い闇のようなものを感じさせるのよね。遥か東方からの移民……ということを考えれば、無理もないのかもしれないのだけれど)

 純粋なストリィディアの民ではない、シオリ。

 厳密に言えばデニスもまた同じだ。ほんのごく僅かではあるけれども、彼の身体に流れている帝国の血。彼の母親から遡って、もう何代も前に混じった異国の血は既に薄まって無いようなものだった。けれど、血統を重んじる貴族は多く、そのことでアンネリエの側近を務めるデニスを悪し様に言う者も少なくはなかった。

 ――継ぐべき爵位もなく生家の男爵家から市井に下った男と、帝国の血を引く女との間にできた、純粋なストリィディア人ではない平民の子。そんな生い立ちの青年が名門ロヴネル家の主の側近を務め、あまつさえその主が心を許しているなどと到底認められないと思う者は多く、それゆえに彼をどうにかしてアンネリエから遠ざけようとする者もいないでもなかったのだ。

 だからこそ――デニスが従者となって五年目の春、彼の父親が移民の女と心中したという事件は、彼をロヴネル家から追い出すための絶好の機会とされた。

 ――やはり帝国の血を引く女を娶るような男だ、よもや移民と心中するなどとはお里が知れるというもの。そんな男の血を分けた息子の血を嫡流に混ぜるとはいかがなものか――と。

 彼自身もひどく心を痛め、アンネリエのそばを離れてロヴネル家からも距離を置いていた時期があったほどだった。

 その時すでに先代当主であった父は亡く、成人前に伯爵位を継いでいたアンネリエの従者兼第二秘書官候補だったバルトだけではデニスの抜けた穴は埋めきれず、相当な無理を言ってデニスを呼び戻したのは、事件から数か月後のことだ。

 第一秘書官候補としての能力は衰えてはいなかったものの、その頃にはすっかりと移民嫌いを拗らせてしまっていた。険しい表情が以前より増えた。移民を目にしただけで、もともと感受性が強く顔に出やすい彼の表情が露骨に変わった。それが――彼と母親から父親を奪って逃げた女のようなブルネット――黒に見紛う色の濃い髪色や瞳の持ち主とくれば顕著だった。不快感や嫌悪感を隠そうともしなかった。それも、人種や国籍に関わりなくだ。

 おかげで外交や商談、領地の視察などの、公的な外での仕事で連れ歩くことは難しくなった。そのことで再度内外から横槍が入り、デニス自身も側近の座を辞退する意思を見せたことは一度や二度ではなかったけれど、それでも――どうしても手放すことはできなかった。

 好きだった。偽りのない感情を見せてくれる彼のことが好きだった。ありのままの自分を見てくれる彼が好きだった。『アニーの絵は自然体でいいな』と、そう言ってくれた彼のことが大好きだった。

 けれどもそれゆえに手放すことができなかっただけではない。もしこの手を放してしまえば、どこか手の届かない遠くに行ってしまうのではないかというくらいに、彼の心は危うい状態にあったからだ。

 そして、以前は帝国の血、移民の血が流れていることをさほど気に留めていなかった彼が、ことさらにそのことを気に掛けるようになった。

 あの事件から十年と少しが経った今でこそ、黒髪の女を除けば移民というだけで露骨な敵愾心を見せることはほとんどなくなりはしたけれど、未だにあの事件を持ち出して彼を批判する者は相変わらず多い。ロヴネル家に純粋無垢ではない移民の末裔は相応しくないと。

 だから、彼はそばにいてくれはしても、想いを受け取ることだけはどうしてもしてくれなかった。そばにいてくれるのは、名声や財産、利権に群がる者達からアンネリエを護るため、ただそれだけのためだ。実際、彼は「外敵」から自分をよく護ってくれた。文官としての能力だけでそれを為しえるほどに有能な男だった。

「……でも、もう決着を付けなければならないわね。私のためにも、貴方のためにも」

 二人の蓄積した想いを――「純粋無垢」の呪い、束縛から解放しよう。

 この、「うつりゆく無垢の風景」の前で。







ルリィ「捌いて取り出したモツは頂こうか」

ペルゥ「城内は餌がいっぱいいて天国だよ」 ←?



入院までに! 終わらせられませんでしたァ!

今回のお話が読める頃には、私は病院で寝こけてると思います。

返信などにつきましては、退院後にできればな……と思っております。


ええと……。

とりあえず、7月4日付けの活動報告で書籍化のお知らせがございますので、よろしければどうぞ。

美麗な表紙絵が見られますヨ。

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