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家政魔導士の異世界生活~冒険中の家政婦業承ります!~  作者: 文庫 妖
第3章 シルヴェリアの塔

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22 うつりゆく無垢の風景(1)

ま……まだフライングはしていないぞ!!

 屋上にうず高く降り積もった雪がシオリの優しく温かな魔法で溶かされ、濡れた石畳も乾かされていく。そうして歩きやすいように整えられた屋上。魔法の仄かな温かさが残る中、「どうぞ」と促されてアンネリエは屋上へと一歩踏み出した。踏み下ろした足の下で、ブーツの踵がかつりと軽快な音を立てる。そのまま立ち止まってしまったアンネリエに、デニスが訝しげな視線を向けた。

「……どうなさいました?」

 小首を傾げて見せた彼の、夕焼け空のような赤毛がさらりと揺れた。

 こちらを見る勿忘草色の瞳。慣れない人はその鋭い切れ長の目が怖いというけれど、アンネリエは十五年以上もずっと自分を見守ってくれていた、優しく柔らかな色合いの勿忘草色の瞳が好きだった。

 ――勿論、その瞳の持ち主のことも。

「……なんでもないわ。少し緊張していただけ」

「もう何年も前からご覧になりたがっていた景色ですからね」

 彼はそう言って微かに笑ったけれども、本当はそれだけが目的なわけではなかった。ただ景色を見るだけならこれほどまでに緊張したりはしない。

 これは自分にとって、この想い――デニスへ抱く想いに決着をつけるための――儀式なのだ。

 この塔に来ることで区切りを付けようと決意してから五年。

 成功か、失敗か。どちらの結果に終わるのかはわからなかった。だから正直なところ、安全確保の手段が見つかるまでは許可できないと先延ばしにされてきたことをありがたくも思っていた。

 もしかしたら失敗に終わるかもしれないこの試練を始めない限りは現状維持のまま――彼はずっとそばにいてくれるだろうから、と。

 でも、とうとう――このときを迎えてしまった。

 数週間前、興奮気味に『ようやく塔までの安全確保ができる冒険者が見つかった』と、そう伝えに来たデニス。その言葉を聞いたとき、嬉しくもあり、複雑でもあった。とうとう区切りを付けなければならない時がきたのだと。本音を言えば、もう少しこのままでいたかったとも思わないでもなかったのだ。

 けれども、この場所に至るまでのたった二日で、いくつもの得難い体験をした。

 冒険者の世界の過酷さ、その中を生き延びるための知識や経験、熟練の冒険者の手腕と流儀を間近で見ることができた。

 遭遇すれば命に関わるほどの怖ろしい魔獣や、思いがけず貴重な――朽ちてしまってはいたけれども名匠ルキヤン・サラエフの絵画や、バザロヴァ王朝時代の彫刻を見ることもできた。

 それに何と言っても――シオリ・イズミという東方人の女性に出会えたのは大きかった。

 過去の忌まわしい経験から移民嫌いを拗らせてしまったデニスの心の壁を、ほんの少しでも壊すことができたのだから。あの「悪癖」が治るまでには時間は掛かるだろうけれど、それでも苦手な黒髪の移民女性に対する嫌悪感を和らげる切っ掛けになったのは、本当に良かったと心から思う。

(デニスが一歩前に進むことができたのだから、私も覚悟を決めないといけないわね)

 ――互いに想い合っていることを知っていながら、その血筋に劣等感を持つがゆえに踏み込んできてはくれなかった彼にもう一度想いを告げて――そして、添い遂げてくれるか否かを確かめる、覚悟を。

 意を決して前へと歩を進めた。狭間のある胸壁に近付くにつれて、その向こう側の景色が徐々に視界に入ってくる。

「うわぁ……」

 誰かが歓声を上げた。

 ――眼前に広がる、混じりけ一つない白一色の世界。

「……これが、アンネリエ様のご覧になりたかった景色、ですか」

「……ええ、そうよ」

 周囲に広がる森も、その遥か彼方に小さく見えるはずの街並みも、空ですら雪に塗り込められて覆い隠され、音と熱さえも奪い尽くされてしまった純白の――。

「純粋無垢の世界」

「純粋、無垢……」

 何か思うところでもあるのか、デニスの眉間に微かな皺が寄った。

「この景色を、貴方に見せたかったの」

「……俺に?」

「ええ。見せたかったというか……一緒に見たかった、と言うべきかしら。代々――と言ってもここ百数十年ほどのものだけれど、ロヴネル家に伝わる『儀式』のようなものよ」

 ちらりとバルトに目配せすると、込み入った話になるらしいと察した従者は頷いて見せた。

「しばらくの間、離れて頂いても?」

 バルトが冒険者達に声を掛けると、彼らは承知してくれたようだった。アレクが少し思案してから提案してくる。

「離れ過ぎて何かあってもいけないからな。話が聞こえないぎりぎりの場所に立つことだけは許してくれ。あとは、もし今夜ここに泊まるつもりなら、もう野営地の設営を始めても構わないか?」

「ええ、構わないわ。お願いね」

 バルトとともに彼らが離れていく。それぞれの役割を果たすために屋上の各所に散った彼らを確かめてから、アンネリエは怪訝そうな表情を作ったままのデニスに向き直った。

「……アンネリエ様」

 どういうことだ、と促すように名を呼ばれた。

「今は、アニーと。そう呼んでちょうだい。誰も聞いていないわ」

「……個人的な話なのか、アニー」

 それぞれの仕事をしているバルトや冒険者達にちらりと視線をやってから、仕方がないとでもいうふうにデニスは肩を竦めた。

「個人的な話でもあるし、そうではないとも言えるわね」

「なんだそれは」

「貴方と私の今後について話したいの。私ももう二十五だし、当主としての務めだけではなく、跡継ぎを生まなければならないことを考えれば、もういい加減に覚悟を決めないと、と思って」

「……今、こんな場所で、そんな話をするのか」

 大好きな彼の、勿忘草色の瞳が険しさを帯びた。

 この景色を見ながらそんな話をするために、わざわざ身を危険に晒してまでこんな場所に来たのか、と。敬愛する女主人の新しい絵のためだからと、安全確保のために何年もかけて情報を集めて、今ようやくこの場所に辿り着いたというのに――本当の理由は自分と「話し合い」をするためだったのかと。

 主人の言いなりになるばかりではない、必要とあれば言葉を厳しくして諫めることのできる彼が、「たったそれだけのこと」のためにこの場所に来たのだということを容認できるわけがない。

「言ったでしょう。これはロヴネル家に伝わる儀式のようなものだって。いいえ、試練とも呼ぶべきかしら……私にとっても家にとっても、とても大切なことなのよ。だからここに来たかったの」

「ロヴネル家の儀式? 聞いたこともないが……」

「それはそうよ」

 アンネリエはくすりと笑った。

「儀式とか試練と言っても便宜上そう呼んでいるだけだし、この百数十年で二回しか行われていないもの。前回行われたのは曾祖母の代で、お爺様やお父様のときにはしていないから知らないのも無理はないわね」

 曾祖母の代。アンネリエと同じように、女の身で家督を継いだ四代前の当主だ。

 ロヴネル家は代々、性別にかかわらず長子が家を継ぐ慣わし。アンネリエが生まれるよりも前に亡くなった曾祖母と、そして――最初に儀式を行った当主もまた、女性であったという。

「……つまり、当主が女性であったときに執り行われる儀式であると?」

「今のところはそういうことになるわね」

「やはりこのシルヴェリアの塔で、冬の雪が積もる時期に行われたのか」

「ええ、そうらしいわ。一番最初に儀式をした当時の女伯――リースベットという方なのだけれど、とても豪胆な女性だったらしくて……ここには冬に二度、夏はよほどこの景色がお好きだったのか毎年のように訪れていたらしいわ」

 たまたま冬に来る機会を得て、そうして目にしたこの白一色のこの世界。この景色を見て、「儀式」を思い付いたのだという。

 自らが選んだ者に偽らざる想いを告げ、説得し、そして伴侶として迎えるための、儀式。これを乗り越えられなければ、自らが心の底から愛し、そして伴侶として相応しいと選んだ者と添い遂げることはできない。

 これはいわば、女性当主に対する試練のようなものだった。

「――アニー……お前……」

 伴侶。その言葉一つでデニスはひどく動揺し、視線を泳がせた。

「……女性当主でも儀式をしなかった人もいたわ。そのときはそうする必要がない条件が揃っていたからよ。自分と相手の身分が釣り合っていたから、だからほとんど問題もなく一緒になれた。曾祖母やリースベットは……身分が釣り合わなかったの。身分が低い相手だったのよ。だからどんなに互いに想い合っていたのだとしても、むしろ相手の方が承知してはくれなかった」

 他国に抜きん出て女性の社会進出が進んでいるストリィディアではあったが、それでも未だに男尊女卑の風潮は根強く残っている。身分の高い者であればなおさらだった。

 爵位の一つくらいの差ならばそれほど問題にはならないけれど、婚姻を結ぶ女の方の身分が高いのは基本的にあまりよく思われない。女は男に従うべきものなのだから、と。

 貴族家の跡継ぎがか弱い女では、舐めてかかられる。だから、相応の身分の者を伴侶に迎えて実務は婿に任せるべきではないのかと。

 もう数百年もの間、性別に関わらず長子が家督を継ぐという仕来たりを守り続けてきたロヴネル家でさえも内外からそう言われ続けているのだから、婿にと求められる男の方が尻込みするのはわからないでもない。仮に一緒になったとしても、むしろ身分の低い婿を迎えた女伯爵の側が批判されることになると思えば――愛した女を傷付けたくはないと、自ら身を引こうとも思うだろう。

 デニスが、そうであるように。

 それでも今までずっとそばにいてくれたのは、アンネリエが強くそれを望んだからだ。ただ愛しているからというだけではなく、従者、秘書官として秀でている上に、代々の当主が守り続けてきたロヴネル家のあるべき姿を十分に理解し、余計な野心がない人材が、バルトを除けば彼しかいないというのもある。

 でも、もう潮時だった。跡継ぎに性別は問わないという気楽さはあるとはいえ、自分はもう二十五。貴族家の婦人として子を何人か産み育てることも義務の一つと考えるならば、ここで決断せねば体力的にも厳しくなってくるだろう。

 それに、デニスをいつまでも独身のままの状態で縛り付けておく気はなかった。自分が引き留めさえしなければ、もしかしたらもう可愛い伴侶を得て、子の一人や二人がいたかもしれない年齢なのだ。

 だから、もう終わりにしよう。

 ――たとえ、想いを受け入れてもらえなかったとしても。

 無言のまま自分を見下ろしているデニスを、正面から見据えた。

 彼の背後に広がる白一色の――純粋無垢な純白と見事なコントラストを成している夕焼けのような美しい赤毛の、愛しい彼を。







ルリィ「一方その頃、同じ屋上で一角兎を捌いている者がいる」



難産でしたー。

いや、話の方がですよ(;´Д`)

ちょっと長くなるので、二つに分けます。

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[一言] ルリィの後書きが大好き
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