20 黄昏の意匠
ルリィ「ウフフ」
腕の中に囲ったまま、幼子を宥めるように背をさすり続けた。
遠慮がちに伸びた細い指先が、胸元に縋りついてくる。何度か深呼吸をしてから、シオリはそっと身体を離した。少し困ったようにその眉尻が下がる。また迷惑をかけたとでも思っているのだろう。
「……ありがとう。もう大丈夫」
「……ああ」
顔色は戻りきってはいなかったが、震えは確かにもう止まったようだった。
ちらりとこちらを見たクレメンスと目が合った。頷いて見せると、了解した、という返事が目線だけで返ってくる。適当に会話を振ってアンネリエ達の注意を反らしていた彼は、さり気ない動作で彼女達を戸口まで誘導した。三人は何の疑問も持たずに素直にそれに従った。
「彼らは大人しく帰ってくれるかしら」
「帰ってくれることを祈ります」
歩きながら会話を続ける彼らの後ろにナディアが続き、一瞬だけこちらに視線を向けてから、定位置の先頭に戻って行った。
「――行くか」
「……うん」
まだ眉尻を下げたままのシオリに苦笑いして見せてから、アレクは元気づけるようにその肩を叩いて促した。ルリィが後ろを守るようにぽよぽよと付いて来る。
「辛い時はいつでもそばにいるから大丈夫だ」
今までに何度も、言い含めるように彼女に告げた言葉。
歩きながら囁けば、ほんの一瞬その顔が泣き笑いのように歪められた。他に誰もいなければ本当に泣いていたのかもしれないが、それも束の間、いつもの微笑を浮かべたシオリに戻る。
「……ありがと、アレク……『大好き』」
「う、ん?」
台詞の最後に付け加えられた言葉はよく聞き取れなかった――というよりは耳慣れない響きの異国語だったような気がして訊き返したが、シオリは「どうしたの?」とでも言いたげに首を傾げて見せるだけだった。
なんとなくはぐらかされたような気もしたが、その頬に多少の赤みが戻っているのを見とめて、追及するのはやめておいた。少しでも調子が戻ったのなら、今はそれで良い。
クレメンスが様子を確かめるためか後ろをちらりと振り返るのが見えて、アレクはシオリを促すと、歩く速度を速めた。
二階の残りの道程は、今までと変わり映えのしないものだった。事切れて凍り付いた魔獣の死骸以外に目立って変わった物は無く、小部屋もやはり何かが朽ちた残骸が散乱するのみ。アンネリエもさすがに飽きが来たのか、「上に行きましょうか」と苦笑気味に提案してくる始末だった。
注意しながら三階に踏み込む。他の階層とは造りが異なる場所だ。一直線に伸びた廊下沿いに左右二つずつの部屋が配置されているのが分かる。奥の方に大広間らしき場所が見えた。
「おや」
「……ふむ」
「あら……」
今まで感じていた閉鎖空間特有の淀んだ空気が軽減されたことに気付いたのか、クレメンスやナディアだけでなくアンネリエまでが小さな声を上げた。多少の黴臭さ、生臭さのようなものは感じられるが、それは放棄された古い建造物だからかもしれない。
「なんだか空気が変わったわね」
「詳しいことは分からないが、この階層全体に魔獣除けの結界が施されているらしい」
「それはまた贅沢な話だなぁ」
本来結界の技術は、神殿などの宗教施設に使われている。建材に聖魔素を含ませた魔法石の粉末を練り込んだり、施設の土台に結界陣を敷いたりなどして施す大掛かりな技術。
それを貴族とは言え、一個人で私的利用のための施設に設置した当時の領主の財力と権力は相当なものだ。それだけ、その当時の帝国が絶大な権勢を誇っていたとも言える。
「多分、儀式中の休憩所とか避難所代わりに使ってたんだろうねぇ」
塔内の迷宮の中間地点に当たるこの場所。部屋と廊下を仕切る扉は、下層の小部屋と違って金属などで補強した立派なものになっている。長年放置された今でも、劣化は見られるものの破損らしい破損はしていなかった。
十分な休息を取り、恙無く儀式を終えるために設置したのだろうというのが組合の公式見解だ。
しかし、大掛かりな結界が施されているとは言え、やはり強い種類の魔獣までは防ぎきれるものではない。事実、大広間の方向に、何かの――魔力の塊のような気配が複数感じられた。魔法攻撃を主体とした魔獣がいるのかもしれない。
仲間達と視線を交わし合い、警戒を強めた。
「それはそうと……」
廊下の向かって右側、手前の部屋。
「――魔獣の気配ではないな、やはり」
クレメンスが苦笑と言うには苦々しさが目立つ微妙な笑みを浮かべた。
「え、なあに?」
「さっきの人達だと思います。すぐそこの部屋」
首を傾げるアンネリエに、シオリが件の部屋を指差す。室内に魔獣が放つ独特な気配とは異なる存在が、三つ感じられた。人間のものだ。
「ああ……そうなのね」
「食事してるんですかねぇ。ちゃんと三人で分けていると良いんですが」
「何でもいいが、本当にすぐ帰ってくれるんだろうな」
「しばらく様子を見ましょう。大分疲れているみたいだったし……。でもあまり長居するようなら、後でもう一度釘を刺せば良いわ」
あれからまだ一時間は経っていない。もう少し休ませてからでも良いと判断したのか、アンネリエは寛大な様子を見せた。思うところが無いわけではないらしいが、ひとまずは探索を続けることにしたようだ。面倒な人間の相手をして、これ以上貴重な時間を潰したくはないと彼女は言った。
帝国の冒険者がいるらしい部屋の向かい側の扉の前に立ち、注意深く様子を確かめた。こういった方面は専門ではないが、罠の有無などの違和感をある程度は察することができる程度には知識はあるつもりだ。
「……大丈夫そうだな」
不穏な様子は無い。鍵も掛かってはいないようだ。
儀式中の休憩所代わりに使われていたのなら罠などないかもしれないが、訪れた質の悪い悪戯好きな者が、独自に罠を設置していく可能性も無いわけではないから、用心するに越したことはない。念の為に、利き手とは逆の手で用心深く扉を押し開けた。
先に室内に入り促すと、クレメンスを先頭に他の者達も注意深く中に入って来た。
「まぁ……ここだけは、掃除して家具でも持ち込めばそのまま使えそうね」
「そうですね。いっそ今夜はここで泊まるのも良いかもしれません。より安全に過ごせそうだ」
冗談とも本気とも付かないが、アンネリエ達が検討し始めるくらいには状態の良い部屋だ。余分な調度類は一切無く、そのせいか荒らされた様子も無い。窓の鎧戸は頑丈な材質なのか破損は無く、閉じられたままその役割を維持していた。ガラスも無事のようだ。下の階層のように外気に晒され土埃にまみれることを防いでいた。窓は他の階層の小部屋より多く設けられ、鎧戸を開け放てば日中は十分な光が取り込めそうだ。降り積もった埃さえ取り除いてしまえば確かに使えないこともない。
とはいえ、比較的状態の良い部屋という点を除けば特筆すべきところはなく、アンネリエは室内をしばらく観察してから、次に行きましょう、と言った。
廊下に戻る。
帝国の冒険者らは、いまだに向かいの部屋にいるらしい。
「それにしても……貴方達と同じA級ということだけれど、あの魔導士さんはあんまり強そうな感じではなかったわね」
「ああ……まぁ、それは……」
素人でもさすがに分かったらしい。アレクは仲間達と顔を見合わせて苦笑した。
「ランク付けに一応基準はあるんだが、ある程度各支部の裁量に任されていてな。国内ではそれでもさして問題は無いんだが……」
「帝国は身分によってランク付けの基準が変わるらしい。身分が高いほどランクは上がりやすく、逆に低ければ上がりにくい。それどころかB級以上は貴族階級のみで、平民はC級が上限らしいという噂だ」
つまり、実力に見合わないランクが与えられているということだ。
「うわぁ……貴族主義にもほどがあるなぁ」
こちらの説明にアンネリエ達はなんとも言えない表情になった。バルトなどは遠慮なく呆れたような声を上げて苦笑いしている。
「じゃあ、実際にはもっとランクは低いかもしれないってことなのね」
「そうなるねぇ。あくまであたしの見立てだけど、あれは良くてC級だね。魔力は結構高そうだったけど、自分の力を全く使いこなせてない感じだよ。魔法の発動も下手だったねぇ」
「治療術師らしい女はどうだかわからんが、少なくとも剣士の方は逆にもっと使えそうな様子ではあったな。死骸の切り口から判断すれば、なかなかの使い手のようだ。正しい訓練を受けさせればもっと上のランクを与えられるのではないかと思う」
帝国の冒険者事情を説明しながら歩くうちに、大広間に近い大部屋の前に着いた。手前の部屋と扉の造りは同じ。地図にもある通り、恐らく中の様子も前の部屋とそれほど違いは無いだろう。
実際開けてみれば、やはり埃が降り積もっている以外に荒らされた様子は特になく、掃除しさえすれば寝泊まりできそうにも見えた。
「しかし……」
アレクはクレメンスらと目配せして難しい顔をした。
シオリとルリィも、足元と向かいの部屋の扉をしきりに気にしている。
「……なんとなく生臭い気がするが……気のせいか?」
デニスもまた何かに気付いたらしい。お得意の渋面で考え込んでいた彼は、鼻をひくつかせた。
「気のせいではないと思う。見てくれ」
廊下側の床を指差すと、アンネリエ達の視線が下に向けられた。
「濡れているわね。それがどうかしたの? 確かに生臭いけれど、これのせいかしら」
「だろうな。問題は――濡れたまま凍らずにいる、ということだ」
三階に入った時から何とはなしに感じていた生臭さ。初めは古い建造物ゆえかとも思ったが、ここまで来てその臭いの正体が知れた。
廊下が、濡れていた。魔除けの結界が施されているというだけで、内部の気温までが快適に保たれているわけではない。つまり、外気温よりは多少高いくらいで氷点下に達する低温であることに変わりはなく、だとすれば当然濡れた箇所は凍結してしかるべきだ。にもかかわらず、凍らずに濡れたままというのは……。
「どういうこと?」
「正直言えばよくわからん。が、こちらの部屋から水漏れしているのは間違いないようだ」
問題の部屋――この階層に踏み込んだ時から感じていた、あの強い魔力の気配が複数停滞している部屋の扉の下から、僅かではあるが水が浸み出しているようだった。よく見れば、扉そのものも湿っているように見える。
「……気味が悪いねぇ」
ナディアが柳眉を聳やかして呟いた。
「窓か壁でも壊れて、雨水でも溜まってたんですかね」
「だとしてもこの気温だ。凍っていなければおかしい」
扉の正面に立たないように仲間達を脇に避けさせてから、そっと触ってみる。やはり湿っていた。内開きの扉は軽く押してみた限りでは開く様子はなかったが、溜まった水が扉を圧迫して開くことを阻止しているだろうことを考えれば、無理に押し開けて中を確かめる気には到底なれなかった。相変わらず室内の気配に動きは無い。
「火の魔法石かもしれないねぇ」
「ああ」
感じられるのは火の力を帯びた魔力だ。命が尽きてしまえば魔力は感じられなくなるはずだ。気配が全く動かないということは、魔獣ではなく魔法石の可能性が高い。なんらかの事情で室内にある複数の火の魔法石が、室内に溜まった水の凍結を防いでいるのかもしれない。
「報告書を見る限り、少なくとも今年の夏までは特に異変は無かったようだが」
トリス支部の冒険者が最後に塔に訪れたのが、今年の八月。全ての階層を探索したようだが、提出された報告書にもこの部屋に関する情報は記載されていなかった。それ以降に何らかの異常が起きたということなのだろうか。
「どうする?」
クレメンスの問いにアレクは首を竦めた。
「もし本当に魔法石なら拾っておきたいところではあるが、今危険を冒すべきではないだろうな……」
扉の湿り具合からして、室内がそれなりに高い場所まで水没している可能性は否めなかった。少なくとも一メテル前後の水深はありそうだ。自分達だけならともかく、素人を三人連れている以上、どういう事態になるかわからない危険は冒したくはない。
アンネリエも多少の未練はありそうだったが、理解したらしい。
「魔法石が沢山あるかもっていう状況には物凄く興味はあるけれど、やめておく。今回の目的さえ果たせればそれでいいわ。それになんだか水が腐ってそうだし、腐敗した死骸があっても……さすがに怖いもの」
「わかった。じゃあ、大広間まで行ってみるか」
理解のある依頼人で何よりだった。
もしかしたら、シオリの知恵と精密な魔法でどうにかして水を抜くなりなんなりできたかもしれないが、彼女は何も言わずに時々する困ったような微苦笑をして見せただけだった。やはり不必要な危険を冒すべきではないと判断したのかもしれない。
大広間に向かって歩きながら、シオリは小さな声で言った。
「――水抜きの方法も考えてみたけど、よっぽどの緊急時でもなければ、あんまり思い切ったことはしたくないもの。中の様子もよくわからないから、下手なことして塔が崩落しても嫌だし、水量も結構多そうな感じだし……」
「そうだな。仮にやるとしたら、依頼人の用事を済ませた後で塔の外からやった方が良いだろう」
「魔法石の回収のために観光資源を壊しちゃっても申し訳ないしね」
「そうだな……」
ほぼ無管理とはいえ、この地域の観光資源とも言える塔だ。盗賊のような無法者ではないのだから、個人的な利益のために強硬手段に訴えるような真似はしたくない。
「おお……これはちょっとしたパーティが開けそうですねぇ。広いし、上品な趣がある」
バルトが呟くように感嘆の言葉を発した。
大広間に足を踏み入れた一行は、塔の中にしてはそこそこの広さを誇るその場所をぐるりと見回す。
奥には舞台のような一段高い場所があり、片隅には螺旋階段がある。
よく見れば、舞台や螺旋階段、壁面には彫刻が施されていた。蔦の葉や花を模ったものだろうか――経年劣化などで彫刻の一部は欠けたり削れたりして元の装飾が分からなくなっていはいるが、白く光る石材の美しさと相俟って、そのことがかえって幽玄の美のようなものを醸し出していた。
かつては贅を尽くし、栄華を誇った帝国の滅びゆく様を感じさせて、ある種の寂寥の念を覚えさえする。
皆も同じであったらしい。仲間達は警戒を緩めないままではあったが興味深く辺りを眺め、アンネリエ達は神妙な顔で舞台や螺旋階段、彫刻をつぶさに見て回っていた。
「……放棄された場所ならではの独特な趣を感じるわね……」
少しだけ時間をちょうだい、そう言って彼女はスケッチブックを取り出した。室内の様子を大まかに何枚かスケッチし、それから壁面に施された彫刻を描き写す。
「多分バザロヴァ王朝時代の意匠だわ。帝国が最も輝いていた時代ね。ただ豪華なだけじゃない、帝国でも繊細さとか自然の優美さとかそういったものが愛されていて、それを愛でる余裕があった最後の時代の……」
その後、謀殺や流行病などで嫡流が断絶してロマキナ王朝が成立して以降、帝国は滅びの道を歩み始めることになるのだ。強力な軍国主義者であった歴代の皇帝の施策は領土拡大や維持のための軍事費で次第に国庫を圧迫し始め、不足分を賄う為に無理な税の取り立てや徴兵を繰り返し続けたことで民も土地も疲弊しきってしまった。占領した領土は周辺諸国に奪還され、寒さの厳しい過酷な環境の辺境に押し込められた帝国は今や虫の息。連合国の工作で大規模な反乱が起きた今――現皇帝アウヴィネンが最後の皇帝となるだろう。
――帝国滅亡の日は間近だ。
小一時間は経っただろうか。気が済んだらしいアンネリエはスケッチブックを大事そうにしまい込んで振り返った。
「待たせてごめんなさいね。終わったわ」
「次に行くか?」
「ええ」
今はもう滅びを待つだけの、遥か昔に過ぎ去った華やかな日々を思わせるこの大広間の意匠に中てられたのか、過去に想いを馳せるような、ぼうっとした表情のままで彼女は頷いた。
「思いがけずに良いものが見られたわ……。本当に来れて良かった」
「――目的はまだ果たしてはいませんよ」
満足げに溜息を吐くアンネリエにデニスが苦笑する。
「ええ、わかっているわよ。でも、そうね……四階と五階は少しだけ見て、下の階層とあまり変わらないようだったら素通りでいいわ。真っすぐ屋上まで連れて行ってちょうだい」
「ああ、わかった」
再び隊列を組み、螺旋階段を上り始める。
階段に足を掛ける前に、ちらりと後ろを振り返った。廊下の向こう――帝国の冒険者達に動きはない。アンネリエは既に彼らに対する興味は無くしているようだった。
憔悴してやつれた顔、薄汚れて綻び、傷みの目立つ装備。
『金の持ち合わせはほとんど無い。交換できるような物も無い』
あの剣士の言葉は真実だろう。既に装備を買い替える余裕も無く、もしかしたら準備不足の理由も、食料を十分に買い込むだけの余地が無かったのかもしれなかった。
彼らの姿は、ただ滅びを待つだけの――今の帝国そのものを象徴するかのようだ。
帝国で見た、滅亡の時が近いことを薄々感じていながらもそれに目を背けて栄華の残滓を貪る帝国貴族と、疲れ切ってただ流されるままの暮らしを細々と続ける帝国民の姿が脳裏を過ぎった。
それを打ち消すようにして頭を振ると、数段上から見下ろして来るシオリとルリィに苦笑いして見せながら、階段を上り始めた。
ルリィ「はぐらかされて誠に残念ですニヤニヤ」
今後の更新予定についてお知らせです。
活動報告にも書きますが、6/20前後に新居引っ越し、7/5~12まで出産のためにドロンしますので、その期間は更新や返信が出来ません。
もしそれ以外で2週間以上更新が途絶えるようなら、「フライングして出て来た奴がいるなw」と思ってください(;´Д`)




