18 エンカウント
ルリィ「100話になったヨ」
方形に積み重ねられた石の土台の上に立つ塔。窓の並びから判断すると、五階建てだろうか。支部に提出されていた報告書通りだ。最上部には狭間の付いた胸壁が設けられているのが見える。展望台のような場所で、シルヴェリア地方を一望できるということだった。アンネリエの目的地はこの最上部らしい。
「綺麗な石ね」
触っても大丈夫なものかと一応の許可を求めてから、アンネリエがそっと壁面に触れた。曇天の下でも輝いて見える白い石。霜でも降りているのではないかと思ったけれど、よく見るとどうやら石材に光を反射するような成分が含まれているようだ。
ひとしきり眺めてから、アンネリエは「いいわ」と頷いて見せた。
皆で入り口の前に立つ。元々は木の扉が付いていたのだろうその場所は今は朽ちてぼろぼろに崩れ落ち、木片のようなものが散らばっていた。管理する者がいなくなってから随分経つのだ。現在の領主も、観光地とは言え遠くから眺めるだけのこの建造物を手間をかけてまで管理しようとは思わなかったのかもしれない。
「……結界杭が打ってあるな。報告書通りだ」
扉があったと思しき場所が数カ所抉られ、魔獣除けの結界杭が打ち込まれている。薄汚れてはいるものの、それでも比較的新しいもののようだ。時折訪れる冒険者で気の利いた者が交換していくらしい。
「それでも中に魔獣がいるということは……」
「結界が効かない程度には強い魔獣が入り込んでいるのだろうな」
ガラスが嵌っている様子の無い窓も同じように結界が施されているらしいが、壁を這い上ったり飛んだりできる魔獣なら容易に入り込めるだろう。
気配を探った限りでは、大型で危険な魔獣はいない様子なのが幸いだ。
アレクが用心深く中に入り、魔法で明かりを灯した。通路の奥をしばらく探り、それから問題無いと合図を寄越す。クレメンスとナディアが次に入り、それからアンネリエ達を促した。恐る恐る中に踏み込む三人に続き、シオリとルリィも中に入る。
「うわぁ……中まで光っているのね」
アンネリエは感嘆の声を上げた。小さな窓から差し込む光と魔法の光を反射させて、石壁が仄かに輝いている。それほど光量があるわけではないのに、奥の方まで薄明るく見えた。
「さて、では地図に従って行くが……よく見ておきたいところがあったらその都度言ってくれ。時間を取る」
「ええ」
三人並んでも十分な幅のある通路を、一行は歩き出した。今まで通り、伯爵家の三人を前後から守るように挟むような形で、先頭はクレメンスとナディア、殿はアレクとシオリ、そしてルリィの順番で歩く。
地図によると、一階と二階は多少入り組んだ造りの通路と幾つかの小部屋、三階は一本道の廊下沿いに四つの大部屋が配置され、奥には大広間があるらしい。その先の階段を昇れば、再び迷路状の通路と小部屋の連なる造りになっていた。
「地図で見た限りはそれほど複雑な迷路ではないようだったが」
「あくまで貴族の成人儀式用らしいからな。大怪我を負ったりだとか命の危険があるような造りにはしていないらしい。中に放たれていた魔獣も然程強いものはいなかったようだ」
デニスの問いにアレクが答える。もっとも、最後に使われたのは王国による領土奪還直前の百五十年ほど前らしく、それ以来放置されて壊れた扉や窓から入り込んだ魔獣の棲み処となっている。
「ん……」
「おや……」
しばらく歩くと、先頭のクレメンスとナディアが微かな声を上げた。
「どうした?」
「魔獣の死骸だ」
アンネリエ達を庇いながら、皆でそれを覗き込む。群れから逸れて入り込んだらしい雪海月が数匹と、大型の一角兎が二体。全てが刃物で斬られたかのように切断されていた。塔の内部とは言えやはり低温とあって、死骸は既に凍結していた。それでも比較的新しいものだということは分かる。
「……例の三人か」
「だろうな」
凍結しているとは言え真っ二つに切断された一角兎の死骸はさすがに生々しく、デニスとバルトがアンネリエの視界を塞ごうとしたが、興味津々の彼女に遮られている。
「切り口は綺麗だな。それなりの使い手ではあるようだが」
「――勿体無いねぇ」
見事に両断された死骸を見てナディアがぼそりと呟く。
「ここに辿り着くくらいの腕があるんなら、一角兎くらいもっと上手に仕留められただろうに」
「食料になったのにね。内臓潰しちゃってる」
冬期間は閉鎖されて目ぼしい物は無い展望台の売店や食堂を荒らすほどに食料事情が厳しいことになっているらしい先行パーティは、せっかくの獲物を台無しにしたようだ。咄嗟に斬り捨ててしまったのか、それとも食料になることを知らなかったのかはわからないが、どちらにしても残念なことだ。
普通の兎よりも二回りは大きい一角兎の肉は柔らかくて美味しい上に、量が取れるのが魅力なのだ。獰猛で結界も効かない魔獣ではあるが、物理攻撃の得意な者なら仕留めるのにさほど手間はかからない。遠征先で見つけたら、できれば狩っておきたい獲物だった。
「内臓を潰すと食べられないんですか?」
「……中身が出て臭いが移ってしまうんです。臭いし衛生的にもちょっと……なので」
「ああ……なるほど」
バルトの問いに多少遠回しな説明をしたが、察してくれたようだ。
「兎肉……惜しいですね。美味いのに」
食事に関する興味は他の二人より強いらしいバルトが肩を落とし、皆で苦笑する。確かに煮込み料理にするととても美味しいのだが。
「次に見つけたら仕留めておこう。余裕があったらだがな」
「……目的は肉じゃないから、本当に余裕があったらでいいわ」
アレクの提案に、アンネリエはやや呆れ気味な視線を従者に向けながら言った。それを見て再び皆で笑う。バルトは気まずそうに頭を掻いて見せた。
「せっかくだ、角だけは回収していくか」
クレメンスが双剣を片方だけ抜き、事切れている一角兎の角を切り落として回収した。光の加減で青みがかって見えることもある美しい純白の角は、印章の素材になる。また多少なりとも魔素を帯びているために、魔除けの装飾品や薬の材料として利用されることも多い。
再び歩き出した一行の後ろをアレクと共に守りつつ、シオリは首を傾げた。こっそり伸ばした探索の網に、噂の三人組の気配がかかる。
「うーん……」
「……何か変わりはあったか?」
当然のことながら探索魔法を使ったことに気付いていたアレクに訊かれてシオリは何とも言えない表情を作った。
「特に何も。さっきと場所が変わらないの。ほとんど動いてないみたい」
塔に入る前に気配を確かめてから、既に十数分が経過している。動きが無いということは休憩でもしているのか、そこから動くつもりがないのか。気配があるということは死んでいるわけではないだろうが、食料が無いのなら空腹で立ち往生している可能性もある。
「気配は中層階と言ったか」
「うん。多分三階のあたり」
大部屋と大広間がある階層だ。
「なにか……魔獣よりもそのパーティの方が厄介そう」
「同感だ」
真っ当なパーティなら探索中に出会っても大した問題はない。適当に情報交換や、場合によっては戦利品や食料の交換、売買などで互いに融通を図ったりもするが、質の悪い者や冒険者崩れのような輩になると、略奪――下手をすれば殺人などの犯罪行為に走る場合もある。
展望台で略奪しようとした形跡を既に見てしまった後では、どうしても悪い予想しかできない。
「何か起きると思っておいたほうがいいだろうな。先行して魔獣を片付けてくれていることだけはありがたいと思っておくか」
歩きながらところどころに散らばっている魔獣の死骸にちらりと視線を流し、それから二人で顔を見合わせて苦笑いした。
二階の半ばまではほとんど何事も無く終わった。やはり先行パーティがある程度の魔獣を始末してしまったのか、予想したより魔獣の襲撃は少ない。
時折出てくる魔獣は、結界を越えるだけあってそれなりに強力なものばかりではあったけれど、塔の中という場所柄、大型魔獣や大規模な群れを成すような種類のものはおらず、A級ばかりで固めたパーティの敵にはならなかった。
「――さすがねぇ。魔獣の棲み処にいるのにこの安心感」
何度目かの戦闘ですっかり慣れたのか、絶命した氷蛙の死骸を臆することなく眺めながらアンネリエがしみじみ呟くが、魔獣を見るその視線は怖ろしく真剣だ。
(もしかしてこれも後で描くのかな)
そういえばこれまでも魔獣の死骸をじっくり眺めていた気がするけれど……。
「おかげで参考になる素材を沢山見られたわ! スケッチブック、もう二、三冊くらい持ってきておけば良かった」
「予備は五冊ほど持ってきてありますのでご心配なく」
「さすがデニスね! ぬかりないわ」
(あ、やっぱり描くんだー……)
生きた状態のものを描くのか、それとも死骸を描くのかは気になるところだけれど、あまり深く考えないことにした。
「参考にって、魔獣も絵に描くのかい?」
「ええ、最近は絵本や小説の挿絵も頼まれるようになったのだけれど、冒険物なんかは資料が少なくて……。図鑑だとか観光客が入れるような遺跡なんかでは、あまり参考にはならないのよ。生きた魔獣や冒険者が実際に出入りしている場所を見られるなんて、貴重な体験だわ」
アンネリエはほくほく顔だ。
「後でその魔獣素材を見せて頂いても?」
「あ、ああ……構わないが」
解毒薬の材料になる氷蛙の毒腺を瓶に詰めていたアレクは、やや引き気味だ。クレメンスは引き攣った顔で双剣を鞘に収めている。
「……凄いな、女伯爵殿は」
「……まぁな。慣れている俺でもたまについていけない時がある」
「そのうち資料と称して『現物』をコレクションし始めるんじゃなかろうな」
「やめてくれ。現実になりそうで怖い」
妙なところで仲良さげにぼそぼそと会話するアレクとデニスの様子に、つい噴き出してしまった。
「……仲良くしてくれるなら、何よりだね」
小さく笑いながら落とした呟きに同意するように、触手で死骸をちょいちょいとつついていたルリィがぷるんと震えて見せた。
せっかくだからと小部屋の中まで探索してみたが、幾度となく冒険者の探索が繰り返されたことで、目ぼしい物はやはり残されてはいなかった。
「これは魔法灯だったのか? こんなところまで抉り取られているんだな」
通路や室内の壁面に設置されている燭台を覗き込んで、デニスが呆れたような声を出した。魔法灯の光源は光の魔石を利用している。数十年前からようやく民間の生活に取り入れられるようになった他の魔道具とは異なり、比較的安価で取引される光の魔石を使った魔法灯だけは随分と昔から利用されているらしい。
そんな安物の魔石まで全て持ち去られているのだから、呆れもするだろう。持ち帰ったところで大した値は付かない。精々自宅や携帯用の魔法灯に再利用する程度だろうにと思った。
「……ああ、これ。ルキヤン・サラエフの絵だわ。勿体無い……」
小部屋の壁に飾られていた、すっかり朽ちてぼろぼろになった額装の絵を眺めていたアンネリエが嘆息を漏らした。
「有名なんですか?」
「ええ。二百年ほど前の帝国の画家よ。生前は無名だったけれど、死後何十年も経ってから評価されたの」
放棄されたのが百五十年ほど前とすれば、まだ無名だった時代に飾られたのだろう。貴重な絵画だという認識があったならこんな場所に飾ったりなどしないはずだ。
「素朴だけど優しくて温かい風景画を描く画家なのよ。少年時代の想い出の風景を多く描き残しているわ。無名でもなんでも、良いものは良いものだと思うの。なのにこんな扱い……」
絵の具の大半が剥がれ落ち、残った部分もくすんで元の色が分からないほどに劣化してしまっている絵を悲しげに見つめながらアンネリエは呟いた。辛うじて読めるサインは、確かにルキヤン・サラエフと書かれている。
寄り添って手を繋ぐ幼い少年と少女がこちらに背を向けて、向こうにある何かを眺めているらしい絵。その何かは剥がれ落ちた部分に描かれていて、彼らが見ているものの正体は分からない。ルキヤンの想い出の情景を描いたものなのだろうか。
「……次に行きましょう。なんだか切なくなっちゃったわ」
眉尻を下げて言うアンネリエに促されて、先に進むことにした。
他の小部屋にも入ってみたけれど、今までの部屋と似たようなものだった。扉は朽ち果てて散乱し、調度類の引き出しや棚、宝箱も全てが開け放たれた状態でぼろぼろだ。
「……この女神像、額が抉られているな。惨いものだ」
「多分宝石か何かが嵌っていたんだろうねぇ。どうせなら像ごと持って行けばいいものをさ。綺麗なのに」
儀式に用いられていたのだろうか、劣化して塗装が剥がれた飾り棚の上に転がる彫像に、クレメンスとナディアは顔を顰めている。塔に入ったのは冒険者だけではなく、盗賊のような者でもいたのかもしれない。
「なるほどな……塔まで来たのは初めてだが、これでは確かに中堅冒険者の訓練施設代わりに使うより他は無い場所だな」
「そうだねぇ……。実入りもあんまり無いし、経験値を稼ぐくらいかなぁ」
依頼者達を気遣って聞こえないように小さな声で言ったアレクに同意する。
得られる魔獣素材もそれほど貴重な物は無かった。冬より難易度が下がる夏ではなおさらだろう。今回はたまたま雪熊の毛皮を得ることが出来たけれど、そうでもなければ労力ばかりが掛かる。依頼でも無ければ敢えて来ようとは思わないかもしれない。
最初にアレクが難色を示したのも理解できる。
「しかし、依頼者はここまで来ただけでも随分と満足しているようだ。喜んでもらえただけでも十分な実入り――」
台詞途中でアレクの表情が変わった。利き手が剣の柄に掛かる。クレメンスとナディアも身構え、アンネリエ達を後ろ手に庇った。
明らかに魔獣とは違う、人のものらしき足音が複数、足早に近付いてくる。
ルリィの体色が赤く染まった。
――敵だ。
 




