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あこがれは水面に消ゆる  作者: 七海和希
9/26

警察の来訪

 程なくして、ママと新しいパパとが帰ってきた。

 玄関のドアが唐突に開かれた時、飽きちゃったパパの件からまだ5分も経っていないため、跳び上がらん程に驚いた。


「ただいま……」


 ママの表情は憔悴を隠せない程に曇っていた。額にはうっすらと汗を浮かべている。

 ママの背後で素早く鍵をかけた新しいパパは、顔面蒼白だった。

 2人が足重に居間に来ると、まず、新しいパパがぐったりとソファに寝転んだ。


「スーツが皺になるわよ」


 そんなママの言葉にも、新しいパパは、「ああ」とだけ短く答え、寝転んだまま目をか細く開けて天井を見つめていた。


「また来るんだろうな……」


 新しいパパがぽつりと呟いた。

 ママは、何も聞こえなかったかのように、上着を脱ぎながら寝室に向かった。

 僕も聞こえない振りをして、おもちゃ箱のレゴブロックに手を伸ばした。




 警察が家を訪ねてきたのは、翌日曜日の朝だった。

 窓外の空には雲一つなく、トレーナーだけでも寒さを感じさせない1日を期待していた矢先、前触れなくインターフォンが鳴り、玄関ドアがコンコンと叩かれた。

 昨日の飽きちゃったパパとの情景が脳裏をよぎり、僕の顔はぴんと強張った。居留守を決め込み、息を殺して玄関を注視する。


コンコン


 再び響くノック音。


「警察です。誰かいませんか」


 玄関先から優し気な声が掛かった。

 僕は忍び足で玄関へと向かう。ドアスコープから外を覗くには身長が足りないので、ドアに直接耳をつけて様子を伺う事にした。

 その際に、玄関内に散乱している靴を踏んでしまった。軽い物音が立つ。間髪入れずにドアが小突かれた。


「警察です。開けて下さい」


 丁寧な言葉だが、先程よりも強めの声だった。

 僕は観念した。鍵を開錠し、ドアを開く。

 ドアの向こうには、スーツ姿の2人のおじさんが立っていた。どこか威圧されているようで、不安感を覚えた。


 だが、一番手前のおじさんは僕のそんな心情を読んだのか、気圧されている僕ににっこりと微笑みかけてくれた。

 内ポケットから警察手帳を出し、「ぼく、お母さんいるかな?」と気さくなトーンで訊いてくる。

 手前のおじさんは優しい眼差しで僕を捉えてくれているが、後ろに控えているおじさんは、厳しい目つきで、開いたドアの隙間から部屋の中を威嚇するように観察していた。


「ママはいません」


「どこにいるかな?」


 手前のおじさんは中腰になって、僕と対等の背丈になるように気遣いながら質問を続けた。


「お仕事です」


「いつ頃帰ってくるかなぁ?」


「たぶん、もうちょっとしたら……」


 すると、手前のおじさんは中腰のまま、再度内ポケットに手を入れ、何かを取り出そうとした。「おっとっと」と言いながら、前のめりにバランスが崩れそうになる。

 おじさんは手帳に挟んである2枚の写真のうち、1枚を僕に見せた。飽きちゃったパパが写っていた。


「これ、ぼくのお父さんかい?」


「……」


 僕は何と返事をしてよいのか、言い淀んだ。


「どうして黙っちゃったのかな? ぼくのお父さんだよね?」


 僕は仕方なく頷き、「前の……パパです」と、小さな声で口にした。


 すると、今度は、手前のおじさんが黙ってしまった。何かを思案しているようにも見える。


「前の、ということは……今は違うお父さんがいるのかな?」


 僕は少し間を置いてから、「今は新しいパパがいます」とだけ答えた。



 手前のおじさんは僕の返答に満足したらしく、「そうか。おじさん達また来るから、お母さんにこれを渡してくれるかい」と、2枚の名刺を僕の手に握らせた。

 ごつごつとした太く温かい手が僕の指に触れた。

 静かにドアが閉められると、2人のおじさんの靴音が足早に遠ざかっていくのが聞こえた。僕はドアを施錠し直した。

 

 僕が知っている警察官は、『悪い人を捕まえる』だった。

 その警察官が飽きちゃったパパの写真を持っていた。

 僕は居間に行き、もらった名刺をテーブルの上に置いた。そして、レゴブロックが入ったおもちゃ箱の中を音を立ててかき混ぜながら、2体のレゴ人形を摘まみ取った。口の周りに濃い髭跡のある人形と警察官の制服を着た人形。2体を畳の上に置き、寝そべりながらじっくりと眺めた。人形はいずれも顔が笑っていた。何故か妙に救われた気持ちになった。僕は、そっとその人形をおもちゃ箱にしまい直した。




 時計の短い針が数字の9を指すあたりで、ママと新しいパパとが帰ってきた。

 2人共とても疲弊し切った表情をしていた。

 特に、新しいパパは余裕がない程に真っ青だった。玄関で出迎えた僕に向かい、早口で「誰かこなかったか?」と訊いてきた。


 僕が「お巡りさんが来た」と返答すると、新しいパパだけでなく、ママも不機嫌な表情を作り、「何て言ってた?」と顔を突き出して訊いてきた。

 僕は、「アレもらったよ」とテーブルを指さし、更に「飽きちゃ……」と言いかけたところで、ハッと口を噤んだ。すかさず、新しいパパが「何?」と、裏返った声で続きを要求してきたので、僕は「前の……パパの写真を見せられた」と、言葉を換えて口にした。

 ママはテーブル上の名刺を指先で摘まみ上げた。ひらひらさせながら「何かしらね……」と、新しいパパに意味深な目線を送る。


 新しいパパは、口角を少し強張らせ「フンッ」と吐き捨てるような息をした。そして、黒い合皮の薄っぺらい財布だけを手にすると「タバコ買ってくる」と甲高い声で言い放ち、家から足早に出て行ってしまった。

 ママは摘まんでいた名刺をしっかりと手に持ち直し、それを正視した。視線を名刺に向けたまま「また来るって?」と訊くので、僕は「うん」と応えた。


「そう……。寒いわね。ストーブつけようかしら」


 ママは意気消沈した声で呟くと、掃き出しの窓を開けてバルコニーに出た。

 灯油のポリタンクからキュコキュコと手動ポンプを手揉みして、灯油をストーブの灯油タンクに移し始める。

 

 随分と長い時間をかけて、ママは灯油タンクに灯油を入れていた。

 その間窓が開け放たれたままだったが、ストーブをつける程の寒さを、僕は感じなかった。


 電話が鳴る。

 ママは気付かないのか、俯きポンプを揉み続けているため、僕がでた。


「ああ、俺。ちょっと急用できたから、昼飯いらねえって言っといて」と、新しいパパは早口で捲くし立て、僕の返事を待たずに電話を切った。


 僕はバルコニーに顔だけを出して、ママに言った。


「パパから、キュウヨ―でお昼ご飯いらないって」


 ママはポンプを揉んでいた手を休めて、バルコニーのひびが入っている箇所を、見るともなく見ていた。


 やがて、「あ、そう」と、ちょっとテンポのずれた返事をした。

 よく見ると、ママの手がポンプを握り潰していた。





 12時きっかりに、警察が再訪してきた。

 玄関に向かうママの口は真一文字に結ばれており、緊張感が伝わってくる。

 ドアを開けるママの後ろに、僕は隠れるように立った。

 

 朝と同じ2人のおじさんだった。

 僕の時と同じように警察手帳を示してから、「お忙しい中恐れ入ります」と手前のおじさんが慇懃に切り出した。

 ママの背後に隠れるように立っている僕を目に捉えると、「やあ、ぼく、今朝はありがとう」と挙手のポーズをしてくれた。思わず僕も、見よう見まねで同じポーズをする。おじさんは相好を崩して微笑んでくれた。が、ママの表情は変わらず強張ったままだった。


「さて、奥さん」


 おじさんが、手帳から2枚の写真を引き抜いた。


「こちらは、あなたの旦那さんですよね……前の」


 朝、僕に見せたのと同じ写真をママに見せる。

 ママは言葉短く「ええ」と頷いた。


「それで……、あの、ぼく? 悪いんだけどね、部屋の中で遊んでてくれないかな。おじさん達はお母さんと難しいお話をするんだ」


 おじさんはそれまでとは打って変わって厳しい表情をしていた。

 僕は、黙って居間の方へ後ずさった。それとなく玄関の方を見遣る。


「それで、もう一枚のこの写真を見ていただきたいんです」


 おじさんは、ママに、僕が見ていない別の写真を見せた。


「ゔっ」


 潰れた声がママから漏れた。


「すみません。このような壮絶な写真をお見せしてしまい」


 そう言いながらも、2人のおじさんは鋭い目でママの表情や反応を観察している。


「……」

「ご愁傷様ですが、昨夜遅くにこのような姿で発見されました」


 ママは緘黙した。

 僕にはおじさん達が言っている意味が分からない。写真を見たくて再び玄関の方に向かおうとすると、後方に控えていたおじさんが初めて口を開いて、「奥で遊んでいなさい」と強い口調で制してきた。


「相当酔いが回っている状態で殴られ、刺されたようです。死因は出血多量。ただ、犯人はあまりナイフの扱いに慣れていないらしく、遺体には複数の浅い切り傷がついています。何か……」

「知りません!」


 ママは、手前のおじさんが話し終わらぬうちに、がんとした態度で言葉を遮った。

 後方のおじさんは、おやおやと言いたげに、両腕を腰の高さで広げたジェスチャーを作っている。


「昨日の朝早くなのですが、亡くなった旦那さんと思われる方がこちらの玄関先で騒いでいたと、ご近所の方から伺っているのですが」

「心当たりはありません」


 ママは語気を強め、威嚇するように断言した。


「奥さん、何だか……」

「何だか?」


 ママはどこか興奮して自制心を失っており、強硬な態度を示していた。


「奥さん、まずは、まずは、落ち着いて下さい。そりゃあ、あんな遺体の写真を見せられて正常に話すのは難しいでしょうが」


(イタイ?)


 僕の耳は、テレビをつけた際にニュースでたまに出てくる言葉を捉えた。どのような映像と共にその言葉が話されていたのかを、思い出そうと試みる。


「ところで、こちらには、そこにいる息子さんとお2人住まいですか?」


 今度は、後方のおじさんがママをねめつけながら、ねちっこい口調で訊いた。


「はい……いえ……」


 ママは、一転して口ごもりながら、たどたどしく「新しい……夫も含め、3人で暮らしています」と小さな声で返答した。


「新しい旦那ね」


後方のおじさんは手帳にペンを走らせる。


「いま、その旦那はご在宅?」


 後方のおじさんはつま先立ちになり、部屋の奥を伺う素振りを見せた。


「いえ、今は、ちょっと……出かけています」

「どこに?」

「あの……ちょっと急用ができたとかで、その、とにかく、ちょと、今出ています」

「行先分からない?」

「……。はい」

「んー、できればご在宅いただきたくてねえ、明け方息子さんにも名刺を渡したのですが。まさかねえ、名刺を見て、急用ができたとか?」


 後方のおじさんの目つきは、捕獲した獲物をなぶる獣のそれを連想させた。


「いえ、そんな……」

「そんな?」

「まさか……前の主人が死んだなんて考えもしていなかったので」

「ほう。では、どんな事を想定されていたのですか?」

「いや、その、想定、というか、本当に何も考えていなくて」


 ママの返す言葉には不安が滲んでおり、完全に逃げ越しになっていた。


「我々が旦那さんに接触すると都合が悪い、と考えているとかねえ?」

「まさか!」


 ママは情緒不安定気味に声を荒げ、後方のおじさんをキッと睨みつけた。

 慌てて手前のおじさんが、「まあまあ」と宥める。


「まぁ、どのみち又こちらへ伺いますので、その時には旦那にもご同席頂きたいですなあ。必ず居場所を把握しておいて下さい」

「ええ」


 ママがしょんぼりと頷いた。だが、話の終わりが見えてきたため、瞳には微かに安堵の色が広がっていた。



 不意に、先程から思い出そうとしていた『イタイ』について、映像ではないが『イタイ』と一緒によく口にされる言葉が僕の頭の中に浮かんだ。


『シボウ』


 そうだ、シボウだ。これも意味が分からない。が、とても最近聞いた気がする。

 シボウ……。幼稚園……。


(りゅうへい君だ!)


 僕は思い出した。

 先月、りゅうへい君のお父さんが事故でシボウしたと、先生が教室で説明していた。

 「りゅうへい君のお父さんは永遠の眠りに入り、遠いお空に旅立ちました」と先生が話す中、前方に座るりゅうへい君が、「パパがもういない」と涙を流していた。そんなりゅうへい君に対して、先生は、「みんなでりゅうへい君のお父さんの永遠で安らかなる眠りをお祈りしましょう」と呼びかけ、園児達全員が声を揃えて、「アーメン」と合唱した。


 その鮮烈な光景が僕の脳裏に浮かび上がった。同時に、僕は、泣くりゅうへい君を自分に置き替えた。


「え!?」


 思わず声をあげてしまった。


 玄関では、帰りがけの警察官から、「ちなみに奥さんは、昨夜の0時から2時にかけて、どこにいらっしゃいましたかな?」との質問を唐突に投げかけられたママが、「え!?」と僕と同じような声をあげていた。


 ママの見開かれた白眼の中で、黒眼が所在なさげに揺れる。


「あの……わたし、夜のお勤めに出ていますので」


 か細い声で答えるママに対して、後方のおじさんが、「スナック紫にお勤めでしたよね」とママの店名をさらりと口にした。

 ママは怯えるように無言で俯く。


「あなたがそこでママをしているのでしたら、従業員に箝口令を敷くのも容易いことでしょうね。まぁ、また伺いますので、旦那にもよろしくお伝え下さいよ」


 後方のおじさんは満足気だった。

 相変わらずねちっこい声で、ママに耳うちするようにそう言い残すと、片足の裏で押さえていたドアを離した。ドアがドアクローザ―にまかせてゆっくりと閉まっていく。


バタン


 玄関では、ママが力尽きたように尻もちをついていた。身じろぎ一つせずに、そのまま座り呆けている。

 僕はそんなママの背後から声をかけた。


「ねえママ、パパ……シボウしたの?」


 ママには僕の声が届いていないのか、玄関で脱力し切った虚ろな目でドアノブを眺めていた。

 聞こえていないと訝った僕が、もう一度口を開きかけた時、ママは、


「そう、死亡したのよ」と口重に呟いた。


(……)


 僕は溢れ出す涙を手の甲で拭いながらバルコニーに出た。

 太陽が照り渡り、雲一つない清朗な空に向かい、声をあげて泣く。

 

 泥酔していないパパの顔。

 新幹線に乗せてくれると言及した時の声。

 ドアを蹴り上げながらの怒号。殴る際の憤怒の目。

 

 色々なパパの表情と声がごっちゃ混ぜになりながら僕の脳裏を駆け巡り、僕は気が済むまでしゃくり泣きした。

 僕の血涙を受けても、空はあくまで広く澄み渡ったままだった。










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