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あこがれは水面に消ゆる  作者: 七海和希
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百合の香りのおばあさん

きょうこ先生に外門を開けてもらい、僕は幼稚園から出た。

 鬱屈した気持ちから解放された気がして、僕は思わずスキップした。

 片足でぴょんと跳び、冷えたアスファルトの路面に着地する際、たけし君の顔を思い浮かべた。たけし君の顔を踏みつけた気がした。

 もう一度、片足で高く跳び、路面に両足で着地した。今度は、たけし君のお母さんの顔を踏みつけた。

 楽しくなって、もう1回片足で高く跳ぶ。跳んだ瞬間、不意に、けいた君の顔が思い浮かんだ。


(!)


 僕は、踏みつけられないと思った。しかし、足は、もう、路面に着地する寸前だった。


「あ!」


 僕は、足をひっこめて妙な体勢で着地した。

 ズキンと右足首に痛みが走る。着地の時に捻ったようだ。立ち上がろうと、前屈みになっている上半身を両腕で支えながら、足に力をこめた。再び足首に激痛が響く。僕は路面に尻もちをついた。瞬く間に右足首が膨らみ始め、痛みが強まっていく。

 涙がじゅわっと滲んできた。が、僕は涙をこらえた。

 これは罰なんだ。ママが言っていた、きょうこ先生も言っていた、悪い事をすると罰が与えられると。着地の時、けいた君の顔を思い浮かべてしまった。その罪悪感が涙を目の奥へと押し戻した。


(ごめんね、けいた君)


 僕は懸命に立ち上がろうとした。


「ぼうや、大丈夫かい? あんよ痛いのかい?」


 不意に、犬を連れて散歩中のおばあさんから声が掛かった。

 おばあさんは、赤いジャガード織セーターの上に群青色の暖かそうなスモックを羽織っている。シルバーカーを杖替わりに押して、僕の傍に来てくれた。

 飽きちゃったパパとの想定問答が一瞬頭に浮かんだが、僕は「課せられた罰なんです」と応えた。

 おばあさんは口をぽかんと開いていたが、やがて、ふふふと優しい声で笑い始めた。


「ぼうや、可愛らしいサクランボ色のほっぺを動かしては、難しい日本語を喋るねえ」


 そう言うと、おばあさんは連れていた賢そうな犬に「お座り」と命じてから、僕の両脇の下に手を入れて、「よっこら……っしょ」と声を絞り出しながら、僕を抱き起してくれた。

 普段あまり嗅ぐ事のないおばあさんの匂いが鼻先をかすめた。百合の香りを薄めたような匂いだった。ママとは違うが、親しみを感じる匂いだった。


「ぼうや、おばあちゃんは、ぼうやが何をしたのか聞く気はないよ。ただ、犯した罪を罰と感じるその感性、心の輝きだけは、大きくなっても忘れちゃ駄目だよ。どんな人でも生きていく限りは必ず罪を犯す。それは仕方がない事。ただ、その罪をぼうやのように罰と感じられれば、罪も成長の糧となる。罪を罪とも思わなければ、恥の助長に他ならない」


 僕はきょとんとしながら、おばあさんの話す顔を見つめていた。

 おばあさんが語る内容はよく理解できなかったが、何か大切な事を教えてくれている。おばあさんの語る目から、そう察することができた。


 おばあさんは、僕の頭の上に温かい掌を置き、「難しい事を言ってごめんね。昔、小学校の先生をしていたものだから、つい……」と照れながら、足下できちんとお座りしていた犬に、「さあ行くよ」と声を掛けた。

 「さよなら」と伏し目がちに優しい視線を僕に預けると、ゆっくりと僕が歩いて来た方へと行ってしまった。


 もっと大きくなったら、おばあさんが言っていた事を理解できるくらい大きくなったら、もう一度おばあさんの言葉を思い返してみよう。そう、僕は思った。





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