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あこがれは水面に消ゆる  作者: 七海和希
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仔羊顔の仔猫

 幼稚園は家から歩いて15分程の場所だった。

 園庭は広いが、木造園舎は老朽化が進みあちこちが傷んでいた。園児が静かに歩いてもギシギシと割れそうな音を立てる床があり、園児達の間ではご臨終スポットと呼ばれていた。

 

 僕が幼稚園に到着すると、出入口の外門周辺には誰もいなかった。

 門塀には大人の背の高さで開閉用の取っ手が付けられており、園児達が独りで勝手に開け閉めできなかった。

 僕はママと一緒に登園していないため、当然ながら、独りでは門を開けられない。仕方なく、今日もいつものように門前で、誰かが登園してくるのを待つ事にした。

 

 何気なく空を見上げる。

 上空で広がる朧雲は、時間の流れを無視するかのように全く動かない。

 5分経ったが、誰も来る気配が無かった。今度は顔を下に向け、寒さに耐えるように口を結んで待つ事にした。

 すると、1台の黒塗りの車がブレーキ音をきいっと響かせて門の前に停まり、1歳年上の教室のたけし君がお母さんと一緒に車から降りてきた。  


 たけし君は暴力を振るう子で、僕はあまり好きじゃない。たけし君もそれに気付いているのか、チラりと横目で蔑視する目線を僕に投げて、目の前を通り過ぎていった。

 たけし君のお母さんが門を開くと、たけし君はお母さんの腕の下をくぐり園の中へと入った。

 僕も続けて中に入ろうとした。

 すると、突として門が閉められた。たけし君のお母さんは門の取っ手から手を離していたので、たけし君が園の中から門を押し閉めたようだ。勢いよく門が閉じられたので、僕は門塀に鼻をぶつけてしまった。鼻の奥に熱く粘っこいものを感じる。


「たけし、意地悪しちゃだめよ」


 たけし君のお母さんが軽い口調で窘めながら、僕に門を開けた。

 僕は門をくぐりながら、「ありがとう」とたけし君のお母さんの顔を見上げた。

 すると、たけし君のお母さんは、何か汚いものを見るように、濁った眼で僕を見下ろしていた。


 確かに、僕の園服はクリーニングに出してもらえていないため汚れていた。

 対して、たけし君の園服は、外遊びの時間にあれほど泥団子を投げつけ合って遊んでいるにも係わらず、翌日の園服は新品同様に汚れのないものだった。


「キミ、寒くないの?」


 門を閉めながらたけし君のお母さんが訊いてきた。

 が、僕は、粘性を増した鼻水を啜り上げて首を横に振り、大人用の通用口とは別の、園児登園口に向けて駆け出した。

 途中、園服の上に暖かそうなダッフルコートを着たたけし君を追い抜くと、「ちぇっ」と、舌打ち音を背後から投げつけられた。





 うめ組の教室に入ると、仲良しのけいた君がいた。

 園児毎に決められた棚にカバンを置き、僕はけいた君のもとへ走る。

「けいた君、遊ぼ」

 しかし、声を掛けられたけいた君はばつが悪そうな顔をして、下を向いていた。


「どうしたの?」

「お母さんからね……もう一緒に遊んじゃ駄目って言われたの」

 

 そう言うと、けいた君は窓際にいるこうた君のところへ行ってしまった。

 今度は、折り紙で遊んでいるさきちゃんに声を掛けた。


 「ねえ、一緒に遊ぼ」


  すると、さきちゃんは、「ママから、あまり話しちゃいけないって言われたの」とにべもなく言い放ち、そっぽを向いてしまった。


(……)


 悲しくなった。

 先程置いたカバンの中から、僕はウルトラマンタロウの人形を取り出した。

 掌上のタロウの目は、真っ直ぐ僕を見つめていた。タロウだけが、僕を残してどこかへ行ってしまう事が全くない存在に思われた。


 教室内では、園児達が数人ずつの輪を作って遊んでおり、僕だけがタロウの人形を握り締めて独りで遊んでいた。タロウがとても恐ろしい敵に勇敢に立ち向かっている……と、突然、タロウの頭が誰かの手でむずっと摑まれた。はっとして前を見る。たけし君が威嚇するように屹立していた。


「幼稚園に、こんなもの持ってきていいのかよう?」


 背の高いたけし君は、僕の手からタロウを奪い取り、見下ろしながらカメムシのような匂いの息を吹き掛けてきた。


「返してよう、僕の大切なタロウ」


 僕が取り返そうと腕を伸ばすと、たけし君はタロウを自分の頭上へと高く持ち上げた。

「幼稚園に、おもちゃを勝手に持ち込んだ罰だ。俺がもらっておく」


 そう言うなり、たけし君はタロウを園服のポケットの中に素早くねじ込み、悠々とうめ組の教室から出ていこうとした。


「返して、僕のタロウ!」


 僕はしがみつくように、たけし君の腕を掴んで引っ張った。


 ビリリッ


 生地の縫い目が裂ける音がした。見ると、たけし君の園服が腕のつけ根部分からもげ破れていた。


「てめえっ!」


 たけし君は怒り、僕を殴りつけた。軽々と後方に吹っ飛んだ僕は、教室の床に後頭部を打ちつけてしまった。


「お母さんに言うからな」


 たけし君はそう吐き捨てると、うめ組の教室から虚勢を張るように大股で出て行った。





 床に倒れている僕に対して、園児達は誰一人として声を掛けてくれなかった。

 園児達の輪の中からは、「お母さんから話しちゃダメって言われてるんだ」やら「親がもう一緒に遊ぶなって」などの声が漏れ聞こえてきた。


 教室担任のきょうこ先生は、定刻より少し遅れて教室に入ってきた。

 いつもより険しい表情だった。ぐるりと教室内を見回し、目の端で僕を捉えると、「みんな、おはようございます」と挨拶をした。園児達は大きな声で「おはようございます」と応じた。


 先生は教室内に置かれたピアノの鍵盤蓋を上げ、園歌を弾き始めた。

 それを合図に、園児達が先生の周りに一斉に群がり始めた。誰かの肩が僕に当たり、僕はよろめき倒れてしまった。園児達は、誰も僕に視線を向けてくれなかった。けいた君とかんじ君も僕には目もくれずに、ピアノの旋律に吸い寄せられるように走って行ってしまった。僕は独りで立ち上がり、群がる園児達の一番後ろにはみだすようにくっつき、みんなと一緒に園歌を歌い始めた。


―みんな仲良し めぐみ幼稚園 手と手をつないで 未来を拓こう―


 園歌はこう締めくくられていた。

 歌い終えると、虚しさを覚えた。

 いつもは、園歌を合唱すると気分が高揚し、これから続く歌を嬉嬉としながら歌うことができる。

 が、今日はとても居心地悪く感じられ、泣きたくなってきた。


 『手のひらを太陽に』の伴奏が始まると、園児達のテンションが上がった。先生が弾くピアノの旋律に合わせて、首を上下させる園児もいた。


―ぼくらはみんないきている―


 教室内に園児達のうぶな大合唱が響き渡る。


―いきているからかなしいんだ―


 活き活きとした表情で歌い上げる園児達。

 が、僕だけが深刻で悲し気な表情をしていた。


―みんなみんないきているんだともだちなんだ―


ジャン


 ピアノの締めくくる音で園児達は歌う声を止めた。どの園児も歌い終えた興奮で顔が上気していた。

 そんな中、僕は自分の目に大粒の涙を溢れていることを自覚していた。次第に涙の重さに耐えられなくなったのか、僕はしくしくと声を殺して泣き始めていた。


 先生はそんな僕には気付かず、楽譜を替えて、『おもちゃのチャチャチャ』を弾こうとした。

 その時、かんじ君が「先生、泣いてる子がいます」と、強調するように声を張り上げた。

 園児達が振り向き、視線が僕に集中する。

 どの視線も好意的なものではなかった。どこか「気持ち悪い」とか「歌の邪魔しないで」やら「泣き虫はあっちに行ってよ」という含みを感じさせるものだった。

 園児達の中からおどけた声があがる。


「上着を買ってもらえないから、寒くて泣いてるんだ」


 どっと笑いが起きた。

 けいた君もさきちゃんも笑っていた。僕は救いを求めるようにきょうこ先生を見た。が、先生もみんなと一緒になって笑っていた。


(違うよ。上着はあるんだ。だけど、押し入れの行李に背が届かなくて、取り出せないんだよ)


 僕の押し殺した泣き声は、気付くと、わんわんとした啼泣と化していた。

 ようやく、先生が泣いている僕のもとに来て、「どうしちゃったのお?」と、その場をとりなそうとした。

 が、みんなと一緒に笑っていた先生に心を開くことはできなかった。結果的に更に大きい乱れ声をあげてしまった僕への園児達の視線は、完全に冷めたものに変わっていた。僕は孤独感を強め、思わず「お家に帰りたい」とこぼしてしまった。先生は相変わらず「どおしたのよお」と、囁き続けながら僕の肩をさすってくれていた。

 だが、園児達の中から、刺すような冷めた声があがった。


「じゃあ、お家に帰ればいいじゃん」


 女の子の声。

 僕の好きなひろみちゃんだった。

 瞼から溢れ出ていた涙がすうっと引いた。

 先生は僕が泣き止んだこの好機を逃さなかった。ピアノの方へと足早に戻り、何事も無かったかのように『おもちゃのチャチャチャ』を弾き始める。


 もう僕は、みんなとは一緒に歌えなかった。ひろみちゃんの言葉が耳の奥で痛々しく残響し、気付くと、僕は声を失ったかのように口を小さく開き、パクパクと両唇を小さく動かしているだけだった。

 ピアノを弾く先生の顔、歌う園児達の顔、どの顔も楽しげに大きく口を開き、『チャチャチャ』を連呼していた。

 僕は悟った。自分の存在を空気にすれば、みんなの冷めた視線には晒されない。そんな僕になればいいんだ。

 そうして、僕は歌う振りを装うことにした。パクパクと唇だけを動かすようにした。自分の体内に溜まった気体を外に吐き出すように口をパクパクさせた。パクパク、パクパク……。


 合唱曲の中には、今度のクリスマス礼拝で歌う『きよしこの夜』といった讃美歌も含まれていた。

 ミッション系のこの幼稚園では、クリスマス礼拝が年間行事の中で最も重要なものであり、園児達がステージ上で讃美歌を合唱するこの礼拝は、冬の風物詩として保護者も招かれる一大行事だった。




 歌が終わると、次は外遊びの時間だった。

 気の早い男児は教室のドア付近に集まり、先生の号令がかかるのを、今か今かとその場で足を上げ下げして待っていた。

 つい最近までは、僕もけいた君と一緒にお互いこちょこちょし合いながら、先生の「外遊びの時間でぇす」の声を待っていた。


 しかし、今日のけいた君は、僕の遥か前方でかんじ君と手を繋ぎ、ピョンピョンと跳ねていた。僕と手を繋いでくれる気配は無さそうだった。

 程なくして先生の号令が響き渡り、園児達は外靴に履き替えて一斉に園庭に躍り出た。

 「わー」「きゃー」と湧き上がるけたたましい歓声が反響する中、僕だけが口パクを続けながらボロボロの外靴を履いて目立たないよう園庭に出ていた。




 園庭でも僕は独りぼっちだった。

 すべり台の列に並んでいると、1歳年上の教室の男児が次々と僕の前に割り込んできた。そのうち年齢性別関係なしに、女児も僕の前に割り込んでくるようになった。僕の後ろに並んでいる園児は順番が回ってこないことに気付き、次々と僕を追い抜いていった。


(僕は空気にならなければならない)


 気付くと、僕は園庭を飛び出し、外門へと続く小径を独りで走っていた。

 外門と大人用の通用口との間を只がむしゃらに何往復も走る。僕を見つけて追随してくれる園児はいなかった。この時僕は空気になれた気がした。そう思い、窮屈でボロボロの靴を更に傷みつけるように、靴音を踏み鳴らして走り続けた。



 いったい何往復したのだろう。

 ゼエゼエと吐かれた息を白く濁らせていると、背後で外門が開く音がした。

 振り返ると、朝見た黒塗りの車が横付けされ、たけし君のお母さんが立っていた。僕と目が合うと、砂利に埋没しかけたレンガ道にヒール音を鳴らして近づいてきた。


「たけしの園服を破いたそうね」


 僕の前で足を止めたたけし君のお母さんは低い声でそう口にした。


「代えの園服を持って来たわ。破れたのを着させたままじゃ、あなたと違って、たけしは可哀そうだし」


 手に持つ紙袋から、透明のビニール袋に入った新品の園服を見せられた。


「これに関して、あなたの親に言いつける気はないわ。たとえ言っても、弁償できるほど金銭に余裕無さそうだし。弁償したつもりで、あなたは暖かい上着でも買ってもらいなさい」


 まるで大人に対して言うような辛辣さだった。

 たけし君のお母さんは、そう言い終わると、再びヒール音を鳴らしてレンガ道を歩きだし、やがて大人用の通用口の中へと入っていった。いつも笑顔の事務のおばさんが、強張った表情で出迎えていた。


「違うよ。暖かい上着は……持ってるよ。ただ、行李まで背が届かないだけだよ」


 僕は垂れてきた色の付いた鼻水を園服の袖口で拭った。

 通用口近くの花壇脇では、どことなく仔羊の顔を連想させる現実感を伴わない印象の白い仔ネコが、じっと僕を見ていた。僕と目が合うと、「ニャオ」とひと鳴きして園外へと走り去っていった。







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