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第四話

 マクドナルドをあとにして再び池田の部屋に戻った三人は、誰からの提案ということもなく、「星観」にいこうという話になった。


 こうして学生時代の友人みんなで集まって過ごすのは久しぶりのことだったので、全員のなかになんとなくこのまますぐに家に帰ってしまうのは名残惜しいような雰囲気があったのだ。



「星観」というのは、べつに星がきれい見える場所のことではない。ただ池田たちのあいだで弁詮的にそう呼んでいるだけだ。太陽が昔通っていた大学の付近に、あまりひとに知られていない、ちょっとした展望台のようなところがあって、その場所のことを池田たちは昔から「星観」と呼んで親しんでいた。夜になるとささやかながらも夜景を楽しむことができる。昼は昼で大阪の街を一望でできるのでそれなりに赴きがある。



 三人は池田の車に乗り込むと、池田の運転で大阪郊外にあるその場所を目指した。



 車のなかではずいぶんくだらないことをたくさん話した。みんな昨日の酒が残っているのか、変にテンションが高くて、笑い声が絶えなかった。池田はそうしてみんなの明るい笑い声を聞いていると、不思議な気持ちになった。すごく懐かしいような、でも、すごく寂しいような。


 いま自分たちは学生の頃とほとんど変わらない時間を過ごしている。ひょっとすると、この楽しい時間がずっと続いていくんじゃないかとそんな錯覚さえしてくる。でも、現実にはみんな明日から仕事があって、それぞれの生活があって、しばらくのあいだこんふうに過ごすことはできないのだ。



 考えてみると、自分の知らないあいだ実に多くの時間が過ぎ去ってしまっていったんだな、と、池田は思った。まるで掌のなかを風がとおり抜けて行くみたいに。風が通りすぎっていってしまったあとには、ただその感触だけが残っているだけで、あとには何も残らない。



 やがて目的の場所に辿り着くと、池田は道端の隅に車を寄せて駐車し、車を降りた。池田に続いて他のふたりも車を降り、それぞれ展望台に向かって歩いていく。



 展望台といっても、観光地にあるような立派なものがあるわけではない。木の板で間に合わせで作った地味な造りものが、崖のうえにしがみつくようにして建っているだけだ。



「めっちゃ久しぶりやわ」

 一番最初に展望台に上がった太陽が感嘆の声をあげた。

「ほんまやな」

 と、続いて展望台に上がった本田も太陽と同じようにしゃいだ声を出した。


 本田のあとから展望台に上がった池田は、歩いていくと、てすりにもたれかかるようにして、そこから見える大阪の街をぼんやりと眺めた。



 涼しい風が吹いていて気持ち良かった。遠くに見える大阪の街はもうすぐ正午を迎えようとしている太陽の日差しを浴びて、のんびりとくつろいでいるように見える。耳を澄ますと、近くに生えている木々の葉が風に吹かれて揺れる音や、どこか高い場所を通り過ぎていく飛行機のエンジン音が聞こえた。



 最後にこの場所の来たのは大学を卒業してすぐのときだ、と、池田は懐かしく思い返した。確か社会人になる前。そのときもみんなで集まって飲んで、記念のような形でこの場所にきたのだ。



 そのときからこの場所は何も変わっていないように思えた。いや、ひょっとすると、池田が通り過ぎてきたと思ってきたこれまでの時間は全て幻で、実際には最後にこの場所に来たときから時間は止まっているんじゃないか、と、そんな気さえ池田はした。



 でも、それはもちろんそんな気がするだけだった。最後にこの場所にきたときから確実にたくさんの時間が過ぎ去ってしまったし、色んな多くのことが変わってしまった。そしてそれはこれからも変わり続ける。変わり続けるというよりは、失われ続けるといった方が正しいのかもしれない。


 色んなものが失われ続ける。若さや、可能性や、未来や、希望といったもの。それを失うことによって得られるものはほんのわずか。ほとんど何もないといってもいいのかもしれない。



 池田は大学を卒業してからの自分の生活を振り返ってみた。果たしてそれはベスト呼べるものだっただろうか。最善を尽くしたといえるだろうか。そう考えると、池田は自信が持てなかった。もっと違う、建設的な生き方があったような気がする。でも、そう思ったところで、今更どうすることもできない。



「池ちゃん、どうしたん?昨日酒飲みすぎたから気持ちが悪くなったん?」

 池田が長いあいだ黙ったままでいるので、気分が悪くなったと勘違いしたのか、太陽が話しかけてきた。池田はそれまで大阪の街に向けていた視線を太陽の顔に向けると、

「いや、べつにそういうわけじゃないで」

 と、いくらかぎこちなく微笑んで答えた。

「ただちょっと考え事してただけやで」



「考えごとって?」

「それは色々やで」

 池田は小さく笑って答えた。

「仕事のこととか。これからのこととか」



「仕事のことか。確かに明日から仕事やと思うと憂鬱になるよな」

 太陽は同情するように微笑して言った。いや、それとはまた話が違うんだけどな、と、池田は思ったが、何が違うのか説明するのも面倒なので黙っていた。



「しまった!」

 と、それまで黙っていた本田が突然大きな声を出した。池田が本田の顔に視線を向けると、

「明日までに提出の書類、すっかり忘れとった!まだ何もしてへん」

 と、本田は顔面蒼白になって言った。

「大変へんやな」

 と、そんな本田の困惑ぶりを笑っていた太陽だったが、突然何かを思い出したのか、その笑顔を強張らせた。


「どないしたん?」

 と、怪訝に思った池田が尋ねてみると、

「俺も、昨日までに返さなあかんエロディヴィディ返すの忘れてた」

 と、太陽も本田と同じように顔面蒼白になって嘆いた。

「延滞料金かかるやんけ!」

 太陽はこの世の終わりだといわんばかりに両手で頭を覆うと叫ぶように言った。



 池田そんなふたりの後悔の声を聴きながら、このひとたちは気楽でいいや、と、どこか救われるように思った。池田が笑うと、太陽は笑い事じゃないって哀しそうな声で言った。



 思い出したように、一際強い風が吹きぬけていった。それは微かに甘いような香のする、懐かしい匂いだった。夏の匂いだ、と、池田は感じた。もうほんのすぐそこまで夏が迫ってきているんだ、と、池田は思った。



「もうすぐ夏やな」

 と、池田は思ったことを口に出して言った。

「どうしたん急に?」

 太陽は池田のほうを振り向くと、微笑して可笑しそうに尋ねてきた。

「いや、べつに意味はないんやけどな」

 池田が太陽の言葉に苦笑していいわけするように答えると、

「でも、夏ってなんかわくわくするよな」

 と、太陽は嬉しそうな笑顔で言った。

 

 池田は太陽の科白に、軽く笑って頷いた。


 夏は、子供の頃の夏休みのイメージのせいか、意味もなく弾んだ気持ちになる。だから、暑くて過ごしにくくても、池田は無条件に夏が好きだった。花火。海。キャンプ。スイカ。入道雲。線香花火。それからみんなの明るい笑い声。池田は夏という言葉からそういったものを連想した。夏になるのがとても待ち遠しくなった。



「今年もキャンプしたいよな」

 と、太陽が明るい口調で言った。

「キャンプかー。ええなぁ」

 と、本田がしみじみとした口調で言った。その様子からして、失恋したことなんてすっかり忘れているように見える。



 何気なく空を見上げてみると、空のずっと高い場所を一機の飛行機が飛んでいるのがわかった。あの飛行機はどこへ向かっている途中なのだろう、と、池田は思った。どこか遠い外国だろうか。



「そういえば、わかちゃんが出発する日って、日曜日やったよな?」

 と、池田はふと思いついて言った。

「そういえばそんなこと言ってたな」

 と、本田が池田の問いかけに頷いて答えた。

「その日、みんなで見送りに行けへん?わかちゃんには内緒で」

 と、池田は言ってから、我ながらいいアイデだと思った。突然現れた自分たちを見て、目をまるくする彼女の姿が今から目に浮かぶようだった。



「それいいなぁ」

 と、本田は池田の提案に楽しそうな口調で賛同した。

 太陽は何も言わずにただ微笑んで頷いた。

「じゃあ、それで決定やな」

 と、池田は微笑んで言った。



 もう一度、空に視線を向けてみると、さっきまでそこに見えていたはずの飛行機の姿はもう見当たらなくなっていた。その変わりに、飛行機雲が青空に道を作るように細くたなびいているのが見えた。


 池田はその飛行機が通り過ぎていった軌跡を目で辿りながら、自分も彼女に負けないように何か模索してみようと密かに決意した。きっと今からでもできることはたくさんあるはずだ。確かにかつてあったはずの若さも可能性も未来もずいぶん失われてしまったけれど、それでもまだまだこれからできることはたくさんあるはずなんだ、と、池田は自分自身に言い聞かせるようにそっと思った。



 ふと耳にもとに、友人ふたりの明るい笑い声が穏やかに響いた。


 そして目の前には、夏のはじまりの静かな空が優しく広がっていた。

 



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