侵食の救い
シエラは身体を乗っ取られながら、自身の人生を呪った。
殺人が大好きな狂人。
人斬り。
最悪の悪女。
そんな呼び名で誰からも怖がられる存在。
その美しさで殺した者の魂を縛り、城の結界を強固なものにした。
それだけで良かった。
不死身になる霊薬を飲み、永遠に誰からも察することもなく世界の終わりの時まで生き続ける。
そうだったはず。
でも、シエラは幸せを手に入れた。
偶然か必然だったのか、彼女と同じ不死で同じ孤独。
ただあの雨が降る夜に出会い、雨が降る夜に彼女の心を吐露したただ1人の人物。
それはどんな思い出にもない、どんな記憶にもない甘美なものがあった。
楽しかった、本当に幸せだった。
娘が生まれてから人を殺さなくなった。
リイナを思うと狂気よりも愛が優先されるようになった。
感情が変わる、認識が変わる。
「でも、それも終わり」
娘を殺され、今は『』に身体を乗っ取られて何かを呼ぼうとしている。
それが何かは知らない。
知りたくもない。
「私は…なんだったんだろ?」
ただ素朴な疑問。
何百年も悩んでいたもの。
私はシエラ、私はシエラ、私はシエラ。
でもこの身体は?
違うもの、違う人のだ。
でも私は私だ。
だから幸せになろうと娘を産んだ。
夫婦円満だった。
なのに、なのにこんな結末はない…。
「…な、なんだった…んだろ…」
精神だけのはずが涙ぐんでいた。
その涙が溢れるのも感じた。
その時、右手に黒い何かが巻きつくのを感じた。これも精神面のはずなのに、ねっとりと絡みつくように右手からどんどん肩の方まで伸びてきた。
いや…
いやだ…。
やだ!
シエラは叫んで身をよじらせる。
動けない、右肩から先の感覚がない。
それがさらに彼女を錯乱させた。
肩から胸元を覆い始めたその黒い何かは首元まで巻き込むとどんどんシエラの顔にまで伸び始める。
消える。
ただ頭に浮かんだのはその単語だけ。
シエラは消える。
消えてしまう。
【消えるのが嫌だと?】
恐怖に怯えるシエラの頭に突然響いた、聞いているだけで重苦しい声。
【偉くもない、賢くもない、ただ森に囚われた罪人が消えたくないだと?笑わせてくれる、そういった魂こそ消えるべきだ】
声が響くたびにシエラは意識が掠れていく。
【殺しを後悔する人間こそ醜悪だ、生き物の道理を何も知らない者は勝手に散れ。お前のような作り物の家畜など不要で不愉快だ、さっさと消滅してしまえ】
その声が終わる頃にはシエラの意識は消えかけていた。
薄っすらと本当の闇が見え始めた時、急に左手を違う誰かが掴んできた。
「捕まえた」
その声は平淡だったが安心感が篭った不思議な声だった。
重苦しい声とは変わってそれだけしか特徴のない声だったが、それでもシエラは意識を取り戻した。
【な、何故貴様が…!】
「見縊るなよ悪神、私はあの王子に神通力を渡していたんだぞ?たとえ私に力がなくとも、この者の体にある神通力を辿ってここまで来れる」
【そうじゃない、貴様は今行われている界外術で呼ばれることはできないはずだ!!なのに何故我の前に現れた!?】
重苦しい声が頭からどんどん離れていく。
「確かにそうだな、憎悪に満ちた感情が渦巻くこの場において私のような奇跡や慈愛を象徴する権現が現れるのはおかしな話だ」
【なら何故だ!?】
「いや、なんとも奇妙なこともあったものだ。この者を思う者が大勢おり、お前のような悪神を見過ごせない生き物が救いを求めるとは。あれかな、この世界に不要な悪は要らないという意思表示かね」
平淡な声とどんどん薄まっていく重苦しい声。
シエラは両者の言い合いをただ聞いていた。
【人間以外の感情が呼んだと!?そんなもの獣畜生の本能でしかない!我は下等な人間の、厚い信仰で呼ばれたのだ!!そんな漠然としたものに神を呼ぶ効力などあるか!!】
「この者を思う者、私はそう言ったけどね」
【なに?…】
「私を呼んだのは彼らだ」




