逃走
聖人達と天秤部隊の兵士達の戦闘が、苛烈さを増す頃、クモとマークの戦闘は拮抗していた。
マークには天使ナナイの加護があるように、クモ自身も大天使サマエルの意思があるような、不可解なオーラをその身に纏い、激戦を繰り広げていた。
クモの身体にも徐々に変化が見られ、背中の大きな黒き羽根の他にも、耳からは羽根が生え、爬虫類のような黒々とした尻尾をはやしていた。
手足には奇妙な紋様が浮かび、さらにクモ自身の膂力が増した。
ようやくクモのスピードにも慣れ、反撃の糸口を探していたマークにとって、クモの攻撃手段が増えたことは、あまりにも都合が悪かった。
「ちぃ…クモ、なかなかやるじゃないか!君はどんどん人間離れしていくな、そんな隠し芸ができるなんてさ。僕も死力を尽くそうじゃないか!」
「お褒めにあずかり光栄だわマーク、私がこの姿を見せるのわ貴方が初めてよ。過去の異端共とは戦闘力が段違いね。サマエル様より授かりしこの力、『堕落』を存分に味わって。骨の髄まで、身体の隅々まで、血の一滴まで…ね」
人間離れしていくクモに対し、マークは疲労の色を浮かべる。
それでも聖剣を握る力を入れなおし、クモに対して果敢に攻めかかる。
光輝く聖剣と鈍く黒ずむ光を放つ邪剣が交錯し、破壊の渦を起こしていく。
一撃一撃が空間を揺さぶり、お互いの身体にダメージを蓄積していく。
「あぁ…やっぱりマーク貴方は素敵だわ、どの異端とも違う、特別な存在だわ。だからこそ、貴方の首は私がとる!その後でいっぱいいっぱい愛してあげるから、誰にも渡さない。そう、誰にも、誰にもなんだから…」
普段の物静かな態度からは、想像できない程の狂気に染まっていた。
マークを殺すと言いながらに、愛してあげると矛盾した発言をするクモ。
さらに禍々しいオーラを感じとり、これ以上の長期戦は得策ではないと、逃走を決意するマーク。
「モテる男は辛いねクモ、けど僕には心に決めた人がいるんだ。だから君の為には死ねないな。生き残る努力をするよ、だからこうするっ!よっ!」
「無駄な足掻きをっ…」
勇者は自身の道具入れから、赤の閃光玉を自分の頭上に高々と打ち上げる。
仲間内で決めた閃光玉の色の意味。
緑は敵対勢力の殲滅、及び周囲の安全の完全確保の色であり、勝利の合図。
黄は仲間内で負傷者の合図であり、戦闘地域からの離脱を促す合図。
赤は危機的状況であり、即時撤退を表す色の意味であった。
戦闘を中断を優先し、勇者マークの周囲に集合し、各々が協力して撤退を補助し、命を最優先にという意味がある。
「赤色⁉︎ヤクトバーグ、勇者の側にいくわよ!ほらほら私の聖槍の柄を掴んで、よし、急ぐわよー!」
「待て、ネラフィム卿、私はこれが慣れんのだ!乗り物酔いがっ、…っ⁉︎」
言うや否や、自身の聖槍に箒のように跨り、柄をどこまでも伸ばしながらに、ヤクトバーグを引き摺るように連れて行くネラフィム卿。
数分で気分を悪くしたヤクトバーグ卿は青い顔をし、俯いたまま動かない。
ヒュプノスとデレルネスが、突然の事に対応が遅れ、二人が翔び去った後を猛然と追いかけるも、みるみると距離を開けられてしまう。
「リュー赤色だ⁉︎隠蔽と消音の魔法を重ねがけしてくれ、マークの近くまで急ぐぞ!この四足歩行の人間もどき共を撒くぞ、リュー!」
「わかってるソロ!今やるとこよ!」
ソロ卿とリューティス卿も、ネラフィム卿達と同様にマークとの合流を急ぐ。
天秤部隊の強化兵達の鋭敏な嗅覚が、二人を捉えるが、姿が見えなくなった事に混乱している最中であった。
やがて、林を抜けた原っぱでマークと聖人達は合流すると、クモの目の前で、マークが空間魔法を発動する。
見知った場所を目的地に設定し、ランダムに消耗度外視で空間魔法を乱発する。
これにはクモをはじめ、天秤部隊の兵士達は追尾を散らされ、みすみす勇者達を逃す結果となった。
「逃がしてしまったか、だけど胸高鳴る時間でした。次は必ず、えぇ我が主人ご心配には及びません。ヘビが網を敷いております、見つけ次第必ずや。お怒りはごもっともでございますが、えぇ、挽回の機会を頂きたく…。どうせ彼らには頼る場所などないのです、どこにも…」
誰もいない虚空を見つめながらに、まるで独り言のように話すクモだけがそこには残っていた。




