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第1話 相上家の朝

 相上さがみ家の朝は、つい1週間前に入学したばかりの新高校生である所の次男、仁志まさしの怒鳴り声から始まる。



「こんっの……毎朝毎朝弟に起こさせてんじゃねぇえ! いい加減起きろっ、馬鹿兄貴ー!」



 耳元で盛大に怒鳴られのっそりと起き上がるのは、仁志の2つ上の義兄、隼護だ。迷惑そうな表情を浮かべている上、枯茶の目はほとんど閉じている。


「仁志……近所迷惑。ついでに俺の鼓膜と目覚めの悪さにも謝れ」

「だ・れ・の・せ・い・だ!」

 寝惚け気味の言葉に仁志はまたもや盛大に怒鳴り返すと、布団に潜り込みかけていた隼護を乱暴に引きずり出した。


「ちょ、暴力反対!」

「阿呆か! あと30分で始業の時間だわ! 兄貴が起きないと俺まで遅刻しかねねーの、さっさと着替えて下りろ馬鹿!」

 寝惚けた言葉を吐いた義兄に早口で言い返し、仁志は隼護の背中を蹴っ飛ばす。

「ってえ! お前な、兄貴を足蹴にするな! そして蹴るなら手加減しろよ、有段者!」

「文句あんならとっとと着替えろ準備しろ少しは急げ馬鹿野郎!」


 肺活量の限界に挑戦する勢いで喚き、仁志はもう1度隼護を蹴ろうとした、のだが。


「隙アリっ!」

「おわっ!」

 仁志の視界がぐるりと回転する。投げられたと気付いて受け身の体勢をとるも、ゆっくりとベッドに落とされ杞憂に終わった。

「ふっふっふ、2度も蹴らせてやると思うな義弟よ」

「〜〜っ、やかましいっ!」

 悔しさやら腹立たしさやらで吠え、仁志は手元の枕を隼護に投げつけた。


 仁志は小学校の頃から空手に没頭していた結果、不本意ながら目の前のぐうたら兄貴と同じ高校に通う事となった、文字通りの空手馬鹿だ。「似たもの同士ねえ」と母親に溜息をつかれた屈辱を仁志はまだ忘れていない。

 ただ空手は本当に好きで、小1から9年間1日たりとも練習をサボった事がない。全国大会でも上位に食い込む実力の持ち主で、仁志本人も相応の自負がある。

 それなのに、この義兄に勝てた事は1度も無いのだ。さっきのようなじゃれ合いでも、割とガチで取っ組み合いをしても、毎度毎度服を埃まみれにするのは仁志の方だ。


(あああああっ、んっとーにムカツクこの兄貴! いっぺん地面にすっ転がして一発入れてやりたい、じゃなくてもせめて全力で腹蹴っ飛ばしてぇえ!)


 ……と毎日怨念を募らせていく仁志だが、隼護が嫌いな訳ではない。何故相上家に引き取られたのかは知らないが、仁志が小3に上がる時に唐突に現れたこの義兄は、仁志の我が侭や癇癪を(いきなり兄が増えて直ぐ受け入れられる程、仁志の神経は鋼鉄ロープ製ではないのだ)笑顔で受け流し、宿題を手伝ってくれたり遊び相手になってくれたりと、実に「兄貴」らしい兄でもあるのだ。

 ついでに、どこで覚えてきたのか分からないが無駄に洗練された武道も(不本意ながら)認めているし、敬意を払っている。でもいつか絶対倒す。


「……って、何してんだ兄貴」

 ベッドから身を起こした仁志は、代わりのようにベッドに倒れ込んだ隼護にジト目を向けた。仁志が予想したのと寸分違わぬ答えを、隼護はのんびりと吐き出す。


「んー、おやすみ……」


 語尾の消えゆく義兄を目の前に、仁志は頭のどこかでナニカが切れる音がした。深く深く、ふかーく息を吸い込み、隼護の耳を掴む。











「今日も仁志の声はとても大きかったわねえ」

 おっとりとした母親に他人事のように言われ(そもそも子供を起こすのは親の仕事ではなかろうか)、仁志は仏頂面で朝食を掻き込んだ。


 「美味しいものは心ゆくまでじっくりしっかり味わう」という相上家のモットーをきっちり受け継いでいる仁志が、卵のとろけ具合絶妙なベーコン&トマト入りふわとろオムレツとバターがたっぷりと塗られたトーストをがっつく羽目になっているのだ、顔ぐらい不機嫌になる。


 その元凶たる隼護はといえば、未だ仁志の隣で至近距離で大声を聞かされた鼓膜を労っていた。

「耳いった……こんな毎朝耳元で怒鳴られてたら、近いうちに難聴になりそう」

「自業自得という言葉を贈ってやる」

 ぼやく義兄に冷たく言い返し、仁志はフルーツヨーグルトに手を伸ばす。ちなみに、隼護はまだトーストもオムレツも半分以上残っている。始業まであと20分、遅刻する気だとしか思えない。


「ご馳走様、母さん。行ってきます」

 ヨーグルトを流し込み、仁志はきっちり挨拶をしてから立ち上がった。挨拶を手抜くと普段は穏やかな母親が急に無表情になる。幼い頃に見てしまったその落差がちょっぴりトラウマな仁志は、以来1度も挨拶を欠かした事がない。


「行ってらっしゃい」

「おー、行ってこい」

「兄貴も遅刻寸前だろうが!」


 ほわんと微笑む母親に便乗し呑気に手を振る義兄に噛み付きつつ、仁志は台所に駆け込み用意されていた母親お手製の二段弁当を手に取る。鞄に押し込み肩に担ぎ、早足で玄関へと向かいながら、仁志は弁当を目にした時に思い付いた台詞を口にした。


「良いか兄貴、もし今後1度でも遅刻したという話を聞いたなら、俺は兄貴分の弁当も持って行くからな! 部活前に食ってやる、ぜってー一口も譲らねーぞ!」

「んなっ、お前なんて殺生な!?」

 母親謹製の栄養満点ボリューム満点な素敵弁当の取り上げを宣告され、悲鳴混じりに抗議する隼護。義兄の胃袋をがっつり握っているそれを切り札にした仁志は、勝利宣言じみた悪態を返す。

「嫌なら遅刻すんな、後15分だぞ早くしろバーカ!」

「相変わらず仲が良いわねえ」


 どこかテンポのずれた合いの手を入れた母親の声を背に、仁志は家を飛び出した。


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