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Sign001:目覚め

──時は一九九八年十一月六日。


大日本帝国空軍の少尉、白井零はとある集合団地の一室で目覚めた。




Prologue First.




或る一人の孤独な青年がいた。



彼はただひたすら静かに、


狂気で満ちた戦場を駆けた。



やがて彼は、一人の女性に惹かれ、


そして世界を救うことに決めた。



その物語は誰にも語られず、


記されることも無かったのに、


いつしか、それは一つの神話となった。



そして、神話は世界を侵食する。



闇に蠢く異形の神々。


「彼等」は我々とは相容れぬ存在だ。



この神話を読んだものは、いつしか気付くことになる。



今まで信じてきた世界が、


羊皮紙の一枚に気紛れに書かれた滑稽な落書きでしかなかったことを。



そして「彼等」と我々の狭間に揺れる彼や彼女は、


一体どちらの味方なのだろうか?



あなたは、この恐怖を


ただの作り話と言い切れるだろうか?



それはきっと、一巡目の世界に起きた


暗澹たる闇にして狂気、


そして救いの物語。




Persephone-The World Heart Zero-




目が覚めた時、零の体を圧倒的な虚脱感が襲った。

長い、ひたすらに永い夢を見ていたかのような感覚。

三角錐形の生物になって、遠き彼方の星で何年も過ごしたかのような───

「はあ……」

頭の中のモヤモヤした感覚を晴らすのに数分を要してから、やっと零は体を起こした。

「……どこだ。ここは?」

零は室内を見回す。

ある程度の生活感が『演出』された部屋。

徹底的にシンプルさに拘り、生活感の無い部屋を作り出す零にとっては、覚えのない部屋だ。

ベッドの横に掛けられたカレンダーに書かれた文字はソビエトのものだろうか。

しかし、日本人の零にも意味は理解できた。

ソビエトの言葉や文字など習ったこともないのに、すんなりと。

一九九八年十一月六日、零が最後に記憶していた日付から、約一年が経過していた。

「……どういうことだ?」

カレンダーだけの話ではないが、二年余り軍に所属し、世界を飛び回った零には調度品だけで理解できる。

ここが住み慣れた日本の地ではなく、異国ソビエトであることを。

「ともあれ、帰る手段を探さなくてはな…」

精神的な特異性を自認している零は飽くまで冷静にスプリングの効いたベッドから降りた。

その瞬間、枕元にあった何かが鈍い音を立てて床に落ちる。

「ん?」

それは、この部屋で唯一見覚えのあるものだった。

何故か既視感を覚えるこの部屋とは違う、零の記憶に残っているものだ。

人の皮で装丁された、妙に落ち着かない肌触りのそれを零は手に取った。

表題には『Ctaat Aquadingen』とある。

水に棲むものクタアトといったニュアンスのそれは、零の母の白井いすかの形見である『水神クタアト』という魔導書だった。

「枕元にこんなものが?……どおりで寝覚めが悪いわけだ」

零は『水神クタアト』をテーブルに放り投げ、台所に入って顔を洗った。

「はあ……っ」

その辺にあったタオルで顔を拭き、ベッドに腰を降ろしてから深く溜め息を吐いて、少し思考を巡らせた。

「どうやって帰るかな、ソビエト語なんて話せないが……」

零が現実逃避したくなった刹那、現実に呼び戻すかのようにチャイムが響く。

客だろうか、ソビエトに知り合いなど居ないが。と思い立ち、台所にあった果物ナイフを手に取って零は玄関に向かった。

見覚えのある玄関に多少の警戒感を示しながら、来客確認用の小窓を覗く。

「ん……?」

外には北欧系の顔立ちの少女が立っていた。

黒を基調にした高級そうな防寒具に身を包み、睫毛を凍らせて白い息を吐いている。

零は取り敢えず警戒レベルを下げた。これで白いタンクトップのムキムキなおっさんでも出てきた日にはたまらない。と。

ふとこの訪問者に対し、少し悪戯心が芽生えて、果物ナイフを靴箱に仕舞い、小窓を覗いたまま合言葉を要求してみた。

「……海」

瞬間、少女が「ほわぁっ!?」と慌てる。

「っ!?………や、山?」

どうやら日本語は通じるようだった。

というよりソビエトにいる北欧系の少女が何故、極東の島国の職業スパイの合言葉を承知しているのだろうか。

「犬」

「……猫?」

「キャット」

「ふーど…?ですか?」

零はその答えに満足し、扉を開いた。

「ひゃっ!?」

いきなり扉を開いた為、驚いて少女が腰を打った。

「……すまん、大丈夫か。『マガリ』」

言って手を差し出し、零はハッとする。

何故、俺はこの少女の名前を知っているのか、と。

そんなことは知らずに、少女は零の手を取って柔らかな笑みを見せた。

「少しびっくりしましたけど、大丈夫ですよ。……零さん、どうしました?」

人懐っこい笑みで零の顔を除き込む少女。零はこの少女を知っている。

『マガリ・フォーベシィ』

近くの高校に行ったり行かなかったりしている十六歳の少女、多種多様なハーフらしい。

一応自己申告に拠るところのフィンランド系ソビエト人。

ソビエト語を解さないジブラルタルの通訳となってくれていた、少女。

どこで知り合ったのか、覚えはないが。

「いや、なんでもない。……寒いだろう、上がるといい」

「?…はい、お邪魔しますね」




「何か飲みますか?」

部屋に入るなりマガリが台所へ向かう。

零はこの部屋に既視感があるにも関わらず、茶葉やヤカンの場所を把握していなかった。

「じゃあ、紅茶を頼む」

「はい」

自然な動作で茶葉を取り出すマガリを見て、零はこの少女が普段からこの部屋に出入りしていたということに思い至る。

もしかしたら、この部屋の内装には彼女が深く関わっていたのかもしれない。

「どうぞ」

ソーサーに乗ったティーカップとジャムの乗った小皿を差し出すマガリ。

「……今日は高校はいいのか?」

紅茶を啜って、取り敢えず今ある情報から、他愛もないことを尋ねてみる。

軍にいた頃に飲んでいた紅茶とは違い、驚くほどまろやかな味だ。しかし、舌の飲み慣れた感覚には、零は疑問を浮かべるしかなかったが。

「このご時世に、まともに高校に通っている人のが少ないですよ?」

マガリが舌を出して答える。

「……そうだな」

零はテレビをつけた。言葉はわからないが、映像で内容は多少理解できる。

映し出される映像は、一年前に日本で見ていたものとなんら変わりはない。

黒く淀んだ『暗黒海流』に蝕まれ、既存の生命が死に絶えた世界中の海。

飲み水の確保も地下の水源や森林に頼らざるを得なくなった。

砂漠化が進み、荒廃した場所も多い。

その中でも、特に被害を被ったのは北に位置する国々だ。

『暗黒海流』が気化し、冷やされて降りてくる真っ黒な雪。

日本では『死の雪』と呼ばれていた。

その為、雪の降る国や地域では、居住区の上に巨大なドームを建設し、雪を見ることは少なくなった。

零は窓の外を見る。

恐らくこの町もそうなのだろう。

半円状のドームの天井には雪が積もり、陽が昇るときと沈むときにしか太陽を拝めない町。

地球は、着々と人類の居場所を無くしていった。

一時期、六十億近くまで膨らんだ世界人口も、今や二十億を切って衰退の一途を辿っているといってもいい。

人の住まない地域では、新種の生物までもが猛威を振るっているという。

ある生物学者はこう言った。

「ネアンデルタール人は、少しだけ優れていた我らホモ・サピエンスに駆逐された。今度も同じことが起きないとは限らない」

歴史は繰り返す。学者は声を大にして言う。

新種の生物の発生地であり、一番最初に連絡の途絶えた北極の数年前の映像がテレビに映された。

その映像には巨大な、人に近い形をした何かが、暗黒海流に汚染された海を泳いでいた。人の形をしていなければ、恐らく鯨かなにかだと思っただろう。零はその生物の名前を知っている。

「…ダゴン、か」

気が付いたら、呟いていた。

テレビに見入っていたマガリが零に視線を向ける。

「……だご、ん?」

「ああ、あの巨人の名前だ」

零の父や母は、何故かああいった生物が出現する前から、その存在を認識していたかのようにメモを残していた。『水神クタアト』もその研究のうちに手に入れたものの一つだ。

「詳しいんですね」

「…ああ、両親がああいうのを研究していたからな

零は再び紅茶を啜る。

そんな零をマガリは驚いたように見つめていた。

「どうした?」

「いえ、零さんご自分のことを話すのは珍しいなって」

「……そうだったか?」

この少女と知り合いである自分の記憶の殆どを喪失している零は、不思議そうに尋ねる。

確かに軍人という仕事柄、自分のことなどあまり話すことでもないが。

「日本人ってこと以外は、なにも。仕事もお年も何もかもです」

結構一緒に居るので、好物とかはわかりますけど、とマガリが笑う。

「そうか、じゃあ俺はミステリアスな存在ってわけだな」

「そうですね、みすてりあすです」

微妙な発音でカタカナ語を喋るマガリを見て、零は吹き出した。

この少女ともそのうち別れなければいけないだろう。

それまでに少しは自分のことを教えてもいいかな、と零は思った。




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