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子供のために棺を置いたのに。

作者: 思喜
掲載日:2026/10/25

 愛が死んだのは、七歳の春だった。


 近所の誰もが「いい子だった」と口をそろえ、担任は涙を流す。


 同級生たちは折り紙で作った花を棺に入れた。


 交通事故だった。


 青信号を渡っていた愛に、居眠り運転のトラックが突っ込んだ。


 即死だったという。


 しかし父親の健一は、その言葉をどうしても信じられなかった。


「即死だから苦しくなかった」


 何人にもそう言われた。


 だが、苦しくなかったはずがない。


 七歳の娘が死んだのだ。


 苦しくなかったなどと、大人が勝手に決めつけているだけだ。


 葬儀の日、 棺の中に眠る愛は、まるで眠っているようだった。


 健一は震える手で、ぬいぐるみを入れた。


 誕生日に買ってあげたウサギのぬいぐるみだよ。


「パパと離れても、寂しくないように」


 そう言うと、妻の美奈が嗚咽した。


 棺の蓋が閉じられ最後の別れ。


 そして火葬される。


 その日から、健一たち夫婦の時間は止まった。


 家の中には愛の気配だけが残った。


 ランドセル。勉強机。好きだったアニメの人形。小さな歯ブラシ。


 どれも片付けられない。


 片付けてしまったら、本当に愛がいなくなってしまう気がした。


 だから、そのままにした。


 毎晩、愛の部屋に入る。


 机を撫でる。それから写真を見て泣く事が日課になった。


 愛が死んでから三か月後の夜だった。


 健一は奇妙な音で目を覚ました。


 「コン。コン。コン。」


 何かを叩く音。時計を見る。


 午前三時十一分。家中が静まり返っている。


 また音がした。


 「コン。コン。コン。」


 今度ははっきり聞こえた。愛の部屋からだ。


 健一は飛び起きた。


 もしかしたら泥棒かもしれない。


 そう思いながら部屋へ向かう。


 扉を開けたが誰もいない。


 窓も閉まっている。


 だが音だけが聞こえる。


 「コン。コン。コン。」


 机の下だった。


 健一は恐る恐る覗き込んだ。


 そこには何もなかった。


 だが耳を近づけた瞬間、音が止まった。


 翌朝。


「気のせいじゃない?」と美奈はそう言った。


 確かにそうかもしれない。疲れているのだ。


 そう自分に言い聞かせた。


 しかし翌晩も、同じ時間に音がした。


 そして次の日も。


 毎晩三時十一分。


 「コン。コン。コン。」


 まるで誰かが内側から叩いているような音だった。


 一週間経った頃。


 健一は音の正体を探るため録音機を置いた。


 翌朝、再生してみる。


 最初は無音だった。


 やがてコンコンという音が始まる。


 そしてその後。かすかな声が混ざっていた。


 健一は凍り付いた。


『パパ』


 幼い少女の声だった。


『ここだよ』愛だった。


 聞き間違いではない。何度聞いても愛の声だった。


 美奈に聞かせる。


 彼女は真っ青になった。


「やめて……やめてよ……」


「聞こえただろ?」


「聞こえた……」


 二人とも、その夜は眠れなかった。


 そして三時十一分。


 音が始まった。


 今度は声も聞こえた。


 録音機越しではない。


 確かに部屋のどこかから聞こえる。


『パパ』


 コン。


『ママ』


 コン。


『寒いよ』


 その瞬間、美奈が悲鳴を上げた。


「やだ!」


 健一も全身が総毛立った。


 声は机の下からだった。


 二人で机をどかし床を調べる。


 何もない。


 しかし声は続く。


『出して』


 コン。


『出して』


 コン。


『出して』


 翌日、健一は寺へ相談に行った。


 住職は録音を聞き、難しい顔をした。


「娘さんを火葬されたんですよね」


「はい」


「棺に何か入れましたか」


「ぬいぐるみを」


「それだけですか?」


「え?」


 住職は黙った。


「火葬されたのなら、娘さん本人ではないでしょう」


「じゃあ何なんです!」


 怒鳴る健一に、住職は静かに言った。


「呼ばれています」


「誰に?」


「わかりません」


 その夜。


 愛の部屋の壁に異変が起きた。


 黒い染みが浮かんでいた。


 人の手形のような形。


 それも一つではない。十以上あった。


 まるで大勢が壁の向こうから押し付けているようだった。


 そして三時十一分。


 染みが動いた。


 手形がゆっくり伸びる。


 壁を這う。


 美奈が失神した。


 健一も足が震えていた。


 その時だった。


 部屋中に愛の声が響く。


『助けて』


『助けて』


『暗いよ』


『苦しいよ』


 健一は泣きながら叫んだ。


「愛!」


『パパ!』


「どこなんだ!」


 すると声が答えた。


『棺の中』


 健一の呼吸が止まった。


 火葬したはずだ。


 棺など残っていない。


 しかし愛は繰り返した。


『棺の中』


『出して』


『まだ生きてる』


 その日から健一は狂ったように調べ始めた。


 火葬場。


 葬儀会社。


 病院。


 事故記録。


 だが何もおかしな点はない。


 全て正常だった。


 それでも声は止まらない。


 日に日に大きくなる。


 そしてある夜。


 愛の声ではないものが混じった。


『開けろ』


 低い男の声。


「コン。コン。コン。」


『開けろ』


 さらに別の声。


『出して』


『返せ』


『寒い』


 何十人もの声。


 壁一面の手形。


 天井にも。床にも。家全体が軋んだ。


 まるで何かが押し寄せてくるようだった。


 住職を呼んだ。


 住職は部屋を見るなり顔色を失った。


「これはまずい」


「何なんですか!」


「娘さんじゃない」


「え?」


「最初から娘さんではない」


 部屋の空気が凍った。


「どういう意味ですか」


 住職は震えながら言った。


「悲しみの強い家には寄ってくるものがあります」


「寄ってくる?」


「死者のふりをするものです」


 健一は全身の血が引いた。


「じゃあ愛は……」


「声を利用されたのでしょう」


 その瞬間。


 部屋の壁が弾けた。


 黒い手が飛び出した。


 何十本も。何百本も。


 人間の腕ではない。


 異様に長く、関節が逆に曲がっていた。


 住職が経を唱える。


 黒い手がのたうち回る。


 だがその奥から。


 愛の声が聞こえた。


『パパ』


 健一は涙を流した。


「愛!」


『こっち』


 黒い闇の奥だった。住職が叫ぶ。


「行ってはいけない!」


 しかし健一は止まれなかった。


 娘の声だった。


 ずっと会いたかった。抱きしめたかった。


 一歩。また一歩。闇へ近づく。


 すると奥に棺が見えた。真っ白な棺。蓋が小さく揺れている。


 中から叩く音。


「コン。コン。コン。」


『パパ』


 健一は棺に手を掛けた。


 開ければ愛がいる。


 そう信じた。


 だが蓋を少し開いた瞬間。


 中から無数の目が覗いた。


 真っ黒な顔。


 裂けた口。


 腐った歯。


 そして数え切れないほどの人間の顔。


 全員が笑っていた。


『やっと開いた』


 棺から黒い影が溢れ出した。


 住職の絶叫が聞こえる。


 美奈の悲鳴も。


 しかし健一は動けなかった。


 影の奥で、本当の愛の声が聞こえた。


 とても遠くから。


『パパ、だめ』


 その声は涙で震えていた。


『それ、わたしじゃない』


 健一はようやく理解した。


 最初から。


 全部。


 偽物だった。


 愛を餌にしていたのだ。


 棺を開けさせるために。


 そして影が笑った。


『ありがとう』


 家全体が闇に飲み込まれた。


 翌朝。


 近所の人々は異変に気付いた。


 健一一家の家が消えていた。


 更地になっていたのである。


 警察が調べても何も出てこない。


 家族の行方は不明。


 住職も消えていた。


 ただ一つだけ。


 更地の中央に小さな木箱が置かれていた。


 中にはウサギのぬいぐるみ。


 そして幼い字で書かれた紙。


『ありがとう』


 その下に、さらに小さく書かれていた。


『こんどは、べつのだれかのおとうさんをさがすね』


 それを読んだ警察官は不気味に思っただけだった。


 だが、その夜。


 木箱は消えた。


 代わりに別の町で。


 子供を亡くした家族のもとに。


 三時十一分。


 コン。


 コン。


 コン。


 という音が響き始めた。

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