第三話:水曜日の午後と図書室の窓
水曜日は、彼にとって一番テンションの上がらない日である。
理由は特にない。ただ、月曜日は寝坊しやすいし、火曜日はまだなんとかなるが、水曜日になると週の中だという事実がずしんと肩に乗ってくるのだ。しかも、掃除当番までついてくる。
彼は放課後、雑巾をしぼりながら、ため息をついた。
「今日は、何も落とさなかったな」
それはつまり、話題になるような失敗すらなかったということだ。
昨日のゼリー事件は、クラスの数人に「うけた」。でも今日の彼は、無味無臭の人間のように一日を過ごしていた。
彼はふと思った。
「目立たないって、ラクだけど、ちょっと寂しいな」
そんな彼の姿を、誰かがそっと見ていることには、まだ気づいていない。
ミナミは、図書室の窓辺にいた。
放課後の図書室は静かで、空気がすこし冷たい。彼女は、窓の外で掃除をしている彼をちらりと見て、少しだけ目を細めた。
ゼリーを落とした人、という認識から、最近は「毎日なにかやってくれる人」になりつつあった彼。
だが、今日は何も起きなかった。そのことが、ほんの少しだけ、残念だった。
「……今日は記録、なしだな」
ノートのページにそう書きかけて、やめた。代わりに、ふと書いた。
《彼、今日は静かだった。ちょっと、変な感じ。》
風が吹いて、窓ガラスがわずかに揺れた。
そのころ、オオタくんは二列目の席で本を読んでいた。
タイトルは『透明な存在と観察』。心理学の入門書だった。
彼は最近、自分の観察癖について考えている。人をじっと見るのは、いいことなのか、それとも単なる暇人なのか。
ふと、ページの間から小さな紙切れが落ちた。
裏返すと、走り書きのような文字があった。
>「あの子のこと、気になるなら話しかければ?」
誰かの置き忘れか、あるいは誰かがわざと挟んだのか。
だが「どの子か」は書かれていない。
オオタくんはふと、図書室の奥、窓際の席に目をやった。ミナミがいた。ノートを閉じて立ち上がるところだった。
でも、オオタくんは声をかけなかった。紙切れをポケットにしまって、本をまた読み始めた。
そのページのタイトルは「距離感と観察の限界」。
日常の曇り空
水曜日は、特に何も起こらない日。
でも、それは本当に「何もない」のだろうか。
黙って掃除する彼。
窓の外を見る彼女。
人の動きに目を向けながら、黙って本を読む観察者。
雨は降らなかったが、空には雲がかかっていた。
それぞれの心にも、少しだけ。
だが、それでいい。
これも、三人称視点で語られる日常のひとつ。
目立たないことにも、意味がある。
それを、彼らは少しずつ知りはじめていた。




