第一話:月曜日の朝と食パン
彼は今日も寝坊した。
目覚まし時計はちゃんと鳴ったし、アラームも五分おきに三回鳴ったのだが、彼はそのすべてを、夢の中でうまく処理してしまったらしい。夢の中の彼は、アラーム音を「背景音楽」として認識していた。
起きたのは午前7時43分。学校まで徒歩15分、出発のリミットは7時50分。
時間はないが、彼には“日常の危機管理能力”がある。つまり、食パンをくわえて走ればなんとかなるという、根拠のない自信だ。
だが現実は甘くない。食パンは昨日で切れていた。
彼は戸棚をあけ、代わりになりそうなものを探す。バナナ一本と、少ししけったクラッカー。しかたなくバナナをくわえ、ランドセルを背負って飛び出していった。
……と、ここまでが今朝の彼の話だ。
一方、彼女は7時ちょうどに目を覚ました。彼女の名前はミナミ。同じクラスの女子で、彼の斜め前の席に座っている。
彼女は彼のことを「ちょっと変な人」と思っている。だが、その「ちょっと変」なところを、なぜか毎朝探してしまう。
今朝は彼がバナナをくわえて登校してきたのを見て、「あれは新しいギャグなのか、それとも本気なのか」と、給食の時間まで悩むことになる。
ちなみに、ミナミはパンよりごはん派だ。
もうひとり、観察者がいる。
それは教室の隅、誰も気づかないような位置に座っているオオタくんである。
彼は特に目立たない。成績は中の上、運動はまあまあ、性格は温厚。ただ、彼にはひとつだけ特技がある。人のことをよく見ているのだ。
観察力というより、観察癖に近い。今日も彼は朝から「彼がくわえていたバナナが、熟れ具合としてはギリギリだった」ことに気づいていた。
オオタくんはふと思う。
「バナナくわえて走ってくる奴って、漫画の世界だけかと思ってたけど……リアルにやる人、いたんだな」
タイトルの意味
この物語には、主人公がいない。
語られるのは「彼」「彼女」「観察者」。それぞれの視点が、すこしずつ交差し、すこしずつズレていく。だが、そのズレこそが“日常”というものだ。
たとえば、誰かが走ってくるのを見て「急いでるんだな」と思う人もいれば、「食べながら走るって器用だな」と思う人もいる。
たとえその人の名前を知らなくても、視線の先にはたしかに“誰か”がいる。
そう、この物語は——
「三人称視点」で語られる、なんてことのない、ただの一日。




