三:上里健と高橋玲奈と連続殺人事件
昼休みが終わりかけた頃、一人の生徒が職員室の前にやってきた。
涼宮苑詩は両腕に資料を抱えまま、ドアを軽く二度ノックする。
「涼宮さんか、どうぞ入りなさい。」佐藤先生は机の上を片付け、本を置けるスペースを作った。「ここに置いてくれればいい。昼休みに呼び出して悪かったね、助かりましたわ。」
「いえいえ、大した重さでもありませんし。」涼宮苑詩は本を置きながら答えた。「では、お先に失礼します。」
「うん、ありがとう。そういえば涼宮さんまだサークルには入ってなかったですよね。」先生がふと思い出したように声を掛ける。
「はい、特に入りたいサークルもないのです……」涼宮苑詩は少し首をかしげる。
「実はね――」先生は推理部の事情を説明した。「だから、もしよければ涼宮さん、推理部に入ってくれないですか。活動しなくても名前だけで構わないんだ。」
少し考えた後、涼宮苑詩は静かに答えた。「……いいですよ。」
「そうか、それは助かりました。清水さんもきっと喜ぶですわ。」先生は嬉しそうに言うと、机の引き出しから一枚の紙を取り出した。「これが入部申請書。記入して清水に渡してくれれば大丈夫です。」
「わかりました。」涼宮苑詩は受け取り、軽く一礼して部屋を後にした。
こうして、推理部はわずか半日で五人の部員が揃い、廃部の危機を免れたのであった。
一方、千代田区・警視庁本部。
高橋玲奈は黒色のスーツに身を包み、年齢は二十五歳前後、身長はおよそ一六〇センチ。初めて顔を合わせる同僚に好印象を与えるため、淡い化粧を施し、髪もきちんとまとめている。
つい先ほど着任の手続きを終え、刑事部の執務エリアへと向かう。わずか百メートルほどの距離だが、高橋玲奈の足取りはまるで花嫁がバージンロードを歩むかのように慎重だった。
一週間前、神奈川県警本部で勤務していた彼女に届いたのは、警視庁本部刑事部――伝説の「捜査一課」への異動辞令。この一週間、興奮と期待でほとんど眠れず、目覚めたら夢だった、ということにならないかと何度も不安になった。
刑事部の前で深呼吸し、スーツの裾を整えてから扉を開ける。
「神奈川県警本部から参りました高橋玲奈です、よろしくお願いします!」部屋中に届く声で挨拶すると、一瞬だけ全員の視線が彼女に集まったが、それも束の間、すぐに各々の業務に戻っていった。どう立ち振る舞えばいいか戸惑っていると、一人の男性が足早に近づいてくる。
「高橋さんですね。はじめまして、同じ捜査一課所属の清水陽介です。よろしくお願いします。」年齢は高橋と同じくらいで、礼儀正しい雰囲気の青年だった。
「はじめまして、よろしくお願いします。」
互いに一礼した後、清水は少し頭をかいた。「本来なら上里警部が担当する予定でしたが、今は現場に出ています。とりあえず席までご案内しますね。」
「ありがとうございます。」
二人は並んで歩き、デスクに到着。高橋玲奈が荷物を置いて整理し始めると、低く響く声が聞こえた。
「おい、清水、行くぞ。」
振り向くと、四十代ほどの男性が立っており、厳つい表情をしている。
「はい。」清水陽介は頷き、高橋玲奈に耳打ちした。「あの方は山本警部です。」
そして続けて、「そうだ、高橋さんも一緒に行きますか? 上里警部も現場にいますし、事件の概要も道中で説明できます。」
「いいですか?」
「もちろんです。」
「では、お願いします。」
清水陽介は自席に戻り、一枚の資料を手渡した。「これが事件の概要です。」
「ありがとうございます。」
車に乗り込み、清水陽介の説明と資料から、高橋玲奈は事件の全貌を把握した。
5月16日午前7時12分、中野区沼袋のある公園で、木に縛り付けられた女性の死体が発見された。死体の腹部は縦に切り裂かれ、内部の臓器はすべて失われていた。
調査の結果、被害者は井上千雪、20歳。推定死亡時刻は前日の午後10時から午前0時頃までとされ、発見時の死体は顔面蒼白で、筋肉が痙攣し、眼球が突出し瞳孔は散大していた。四肢には明らかな縛られた痕があり、つまり死亡前、被害者は意識がはっきりしたまま犯人に手足を拘束され、腹部を切り裂かれる様子を見せつけられたと考えられる。必死にもがき抵抗したものの無駄で、最終的に激痛からショック状態に陥り、そのまま帰らぬ人となった。
第2の事件は5月22日に発生。新宿区内ある湖で女性の死体が漂流しているのが発見された。死因や状況は第1の事件と酷似しており、推定死亡時刻も前日の午後10時から午前0時頃。警察は同一犯による犯行と判断した。
捜査一課は、犯人は極めて残忍で愉悦犯の可能性が高く、今後も被害者が増える恐れがあると見て、しかし3日経っても手がかりはなく、ついに第3の事件が起きる。
5月25日、新宿区高田馬場のある空き地で、女性の死体が発見された。死体は土に埋められ、頭部だけが地表に出ていた。
第4の事件は6月4日、中野区内ある廃屋で火災が発生し、その焼け跡から死体が発見された。法医学鑑定により、これも同一犯の犯行と判明。そして今日、6月16日――。
「着きました。」清水洋介がハンドブレーキを引き、車を路肩に停めた。
三人は車を降りた。現場は小さな公園で、すでに警戒線で囲まれ、数十名の警察官が作業していた。山本警部は先に手袋を装着し、警戒線をくぐって中へ。
二人も後を追う。現場に入ると、高橋玲奈はかすかな悪臭を感じたが、刑事としての素養のおかげで数秒で慣れた。このとき、清水洋介が一人の背中を見ながらて言った。
「そこにいるのが上里警部です。」
高橋玲奈も視線を向けた。上里健の名は以前から耳にしていた。彼は「捜査一課のエース」と呼ばれ、幹部から昇進の打診を何度も受けながら、その都度断ってきた。理由は「オフィスで指示を出すより、現場で事件を解決する方が性に合う」からだという。
上里健は26インチほどの金属製ロッカーの前にしゃがみ込み、眉間に皺を寄せて犯人の痕跡を探っていた。しかし長く考え込んでも手がかりはなく、立ち上がったところで二人に気づき、歩み寄ってきた。
清水洋介は「では、俺は山本警部のところに行く」と言い残して去っていった。
「高橋さんですね。初めまして、上里健です。」
「はい、初めまして。高橋玲奈です。上里警部のお名前は神奈川にいた頃から伺っていました。」
「ただ肩書きの話ですわ。」
想像していたよりも上里健は気さくで、やり取りを重ねるうちに高橋玲奈の緊張も解けていった。
「事件については、清水から詳しい話を聞いてますね?」上里健の表情には深い憂慮が浮かんでいた。「第5の事件まで起きてしまったのに、犯人の手がかりは全くない。分かっているのは、被害者がいずれも20歳前後の若い女性で、手口は同じ。そして臓器がすべて奪われていること。被害者同士に接点はなく、交友関係もバラバラ。現場にも指紋、血痕、毛髪といった痕跡は一切残されていない。さらに事件発生時間帯、周辺の防犯カメラはすべて作動不能になっている。」
「私もさっぱりです。」高橋玲奈は首を振った。「犯人は賢すぎて、痕跡を全く残していない。」
「本当にそうでしょうか?」上里健は現場を見つめた。「もしかしたら、犯人はすでに痕跡を残しているのに、私たちがまだ気づいていないだけかもしれません。」
「鑑定結果が出ました。」清水洋介が駆け寄り、報告書を手渡した。「鑑識課の調べによると、死亡推定時刻は6月13日午後10時から午前0時頃。これまでの4件と同一犯によるものと断定されました。」




