唾棄すべき正義
ルシオ・フォルセティ
ルシオ・フォルセティは、公爵家領地にほとんど軟禁状態だった。父のファブリシオは、ルシオが帝都に戻ることを固く禁じている。
だが問題はなかった。ルシオとて、戻るつもりはない。
あの時――アリアがテミス家を逃すまいと魔法を放った時、ルシオは無我夢中でアリアに体当たりをぶちかました。結果アリアの魔法は狙いを逸れ、テミス家はまんまと逃げおおせた。残ったのは、ディミトリオスの左腕だけだ。
ルシオが邪魔をしなければ、問題はあの場で解決したはずだった。テミス一家は処刑され、今まで通りの帝国があったはずだ。よもやディミトリオスが反乱を起こし、帝都を脅かすことになるなどという事態には、陥らないはずだった。
身内である一族からも咎められ、ルシオは大層厳しい立場に置かれている。だが後悔は微塵もしていなかった。
テミス家の行方が知れたのは、逃亡から二週間経ってからだ。そこまで時間がかかったのは、彼らが逃走の道を周到に用意していたことにある。魔力の痕跡を消し、完全に姿をくらませてしまった。
彼らはあろうことかクリステル家の領地に逃げ込み、そこを拠点としてしまった。のみならず、ディミトリオス・フォーマルハウトの名で、オーランドに勝負をしかけたのだ。
その上、アレン・テミスも生きていた。帝国最強と謳われ、出世街道を突き進んだ将軍、アール・ガモットも彼らの味方だ。民間最大の武装組織、通商連合さえも、向こう側に付いている。魔力を失っているとはいえ、教皇庁が認める聖女は未だ、イリス・テミスのままだ。
一体、いつから、どこまで計算の上でディマが動いているのか、親友のルシオさえ、知らなかった。
(水臭いやつだな。俺さえ信頼していなかったのか)
領地でルシオはそう思った。もし計画を話していてくれていれば、全力で、何がなんでも力になった。
思い出すのは、神学校でのディマの姿だ。学友から一目置かれ、将来を有望視され、笑顔と優しさで周囲を魅了してもなお、彼は孤独だった。その瞳に奥には、周囲に対する果てしのない怒りと拒絶が、宿っているように思えていた。彼の思考は、ルシオには分からない。
だが少なくとも今、分かっていることは、この地でディマを捕らえ、殺さなくてはならないということだ。既に彼らはクリステル家の領地を出て、勝ち進んでいる。大河の向こう側の大群を、フォルセティ家は感知していた。
出兵準備を進める父親に対し、ルシオは言った。
「ディミトリオスがセオドア帝の息子だと俺が言った時、親父は驚かなかったな。親父だってうっすら分かっていたんだろう。だから十二歳のあいつを助けたんじゃないのか」
鎧を身につけながら、ファブリシオはルシオに目を向けた。しかし父は無言のまま答えない。
「なあ親父。気付きながらなおオーランドに従うのは、テミス家とフォーマルハウト家を天秤にかけ、あいつらを切り捨てたからか? あれほど頼りにし、可愛がっていたイリスを、なぜそう簡単に捨てられるんだ」
ファブリシオは、家来達を下がらせた。部屋には父子、二人だけになる。父の目がいつになく厳しいものであることに、ルシオは気付いていた。
「あんたは幼いイリスとディミトリオスの姿に感動して、あいつを処刑から救ったと聞いた。それは嘘だったのか」
静かに、ファブリシオは答える。
「感動はしたさ。とても美しい愛情だった。あれほどの真心は、近年帝都ではお目にかかれない。いいものを見せてもらったと、今でもそう思っているとも。私をおじさまと慕ってくれたイリスのことは可愛く思っているし、国を何度も救ったことには感謝している。あれほど性根が真っ直ぐで、燃えるように正義を愛する、素直な少女はおらんよ。
だが、ルシオ。これとそれとは話は別だ。正しさの話ではない。フォルセティ家は常に国の頂点にいなくてはならん。テミス家が反逆者になった以上は、彼らを排除しなくてはならなない」
ルシオは両手を握りしめた。
「オーランドにフォーマルハウト家の血が流れていないとしてもか」
「体に流れる血よりも、地面に流れる血のほうが重要だ。ルシオ――お前もディミトリオスも、そうしてイリスも、平和のローザリアしか知らない世代だ。だから簡単に壊すなどといえるのだ。一体、同胞の血をどれだけ流すつもりだ? よく覚えておけ。先人が血を流し築き上げたこの平和を、脅かす者は、何者であろうとも許されない」
先に脅かしたのは、リオンテール家だろうと、ルシオはそう思った。
血が流れるのは、リオンテール家が先に帝国を刺したからだ。はらわたまで達した傷が、ローザリアの内蔵を暴露したにすぎない。
だが、本心を隠し、ルシオは言った。
「分かったよ親父。俺に挽回の機会をくれ。友情も親愛も捨てる。テミス家は謀反人だ」
ファブリシオは、力強く頷いた。
根無し草のような生活を送っていたルシオに責任感を植え付けるつもりか、手柄を持たせ、帝都での汚名をすすがせるつもりでいるのか、この戦で、ルシオにも隊を任せるというのが、ファブリシオの考えだった。
「もしディミトリオスかイリス――あるいはそれに相当する者の首を穫れば、再び帝都に戻してやろう。お前は兄達とは異なり、魔法の才能がある。それを活かせ」
ルシオが既に帝都に未練はないということを、ファブリシオは知らないのだ。
シルワ公爵領に集ったのは、名門貴族の家長と、その兵。それから帝国軍だった。代表を集め、床に広げられた大判の地図を睨みつけながら、ファブリシオは言う。
「先日の衝突は虚しい敗北を喫したが、成果が何もなかったわけではない」
ルシオも末席で、父親の言葉を聞いていた。
「彼らの側にも死傷者は出ている。兵の数が未だ皇帝家に及ばない彼らにとっては痛手だろう。ディミトリオス・テミスは優秀な魔法使いでもあり、城からの空間転移を駆使しての逃亡は実に見事ではあったが、兵を大移動させるだけの魔力は有していないということだ。挟み撃ちをしなかったということは、そういうことだろう。魔力は当然ながらかつてのイリス・テミスほどではない」
周囲を鼓舞するように、ファブリシオは言う。
「地の利はこちらにある。森の中に先に兵を潜ませておこう。彼らを一度領地までおびき寄せ、取り囲み、すり潰すのだ。こちら側には、真の聖女、アリア・ルトゥム様も付いておられる。間もなく到着されるはずだ」
その言葉に、周りが安堵の息を漏らしたことにルシオは気付いた。確かにイリス並みの戦いをアリアがしてくれるのであれば、話に聞く二年前のクリステル家反乱の際のように、血を流すこと無く決着がつく可能性もあった。
ファブリシオは、さらに言う。
「所詮、相手は寄せ集めの烏合の衆だ。フォルセティ家の血の結束を、彼らは思い知るだろう」
力を得たと言わんばかりに、周囲は呼応の叫びを上げた。
ここにいる奴らは、本気でディミトリオスやイリスを、国賊だと考えているのだろうか。正義はオーランドにあると、腹の底から考えているのだろうか。自分たちに正義があると、疑いなく思えているのだろうか。――だとしたら、幸せな奴らだ。
ここにいる誰が本当のディミトリオスの望みを知っている? イリスの望みを知っている? あの二人はただ、幸福を奪われ、取り返そうとしているだけだ。ここにいる者達のように、自分が正しくありたいという欲だけで、他者を滅ぼそうとしているわけでは無いだろうに。
兵らの中で、ルシオはただ一人、急速に心が冷めていくのを感じた。
「親父殿に、神と聖女のご加護がありますように」
ルシオは小さくそう呟いて、地面に唾を吐いた。




