わたし達は負けてはならない
北部から帝都に向かうには、山岳地帯と大河を抜ける必要があった。
大河の向こうはフォルセティ家の領地だ。親友のルシオ・フォルセティについてどう考えているのか、ディマはそのことを決して口にしなかった。
けれどその前に、予期していなかった衝突があった。
平原を目指して、兵が進軍しているとの報せが、偵察に赴いていた歩哨からあったのだ。
帝都から派遣された軍隊にしては北部に近づくのが早すぎる。だからそれは、クリステル家領地に近い諸侯たちの連合軍だった。オーランドからの命令もあったのかもしれない。彼らは徒党を組んで、ディミトリオス・フォーマルハウトを殺すつもりでいた。
「戦闘が始まるのでしょうか」
「聖女様は、籠にでも乗せて運びましょうか。敵が狙う優先順位としては、聖女様が一番、二番に高いのですから」
そう言ったのは、わたしの側にいたカイル・ナツィオーネだった。クリステル家の臣下であり、忠実な軍人で、無骨な空気を纏う人だった。白髪頭は短く揃えられ、もみあげと髭はやはり白く、口髭と顎髭が繋がっていた。
ディマは軍隊の前方にいた。だから、わたしの護衛をするのはカイルだった。彼の言葉をわたしは笑う。
「共に戦うと、皆に約束しました。わたしが姿を晒すことで皆が勇気づけられるのならば、こうして馬に乗って移動していたいのです。わたしもディミトリオスと一緒に肩を並べ戦うと言ったのですが、彼も両親も大反対をしました。剣術ならば、幼少期から父に教わっていたのでそれなりに自信はあるのですけれど」
「勇ましいですな。ミア様が気に入るのもよく分かります。あの方も幼少期から、周囲がハラハラするほどお転婆でしたから」
そう言ってカイルは前方に目を向けた。愛馬の白馬に乗ったミアは、ディマと共に前方にいた。
ミアの寵臣の彼は、彼女が命じたから、わたしの護衛をしているのだ。本来だったら、前線で戦うことを望む人だ。
「あなた様の姿を見ると、二年前を思い出します」
カイルは目を細めた。それはわたしがクリステル家反乱を治めた時のことだろう。
「あの時はあなた様のおかげで負けましたがな。今回、あなた様はこちら側についておられまする。兵士たちはあなた様をお守りするのだと奮い立ち、士気が異様に上がっております。得意の剣術をお披露目していただきたいところですが、あなた様がおらずとも、勝つでしょう」
「戦ってもいないのに、勝利が分かるものですか」
「私は武家に生まれ、先代、先々代、先々々代の皇帝の御代より戦場へ出ております。戦場は私にとって家よりも安らぐ場所ですよ。そして経験を積むと分かるのです。どちらが戦闘に勝利するのかが――」
カイルの予感が正しかったのか――衝突は確かにあった。けれど、圧倒的にこちら側が有利なようだった。
いつかわたしがクリステル家を退けた平原で、諸侯たちは戦いを仕掛けてきた。
空間転移魔法を長距離で結べる能力はディマにはあり、例えば兵士を敵軍勢の後方に送り込み、挟むことも可能だけれど、それを彼は使わなかった。敵軍の正確な位置も分からないし、味方兵に敵地のど真ん中で死ねと言うようなものだから、そうはしなかったのかもしれない。
そうしてそうはしなくても、わたし達は押していた。
指揮はアール・ガモットが取り、兵らは彼の指示を堅実に守り、纏まった。一方で諸侯たちの戦い方は、以前のローザリアと同じだった。
つまり、家長の命令するまま、動く。ひとつの家が突撃すれば、当然別の場所に、隙ができる。そこを着実に突いていった。
軍隊としての戦い方の違いで、ここまで差が出るとは思っていなかったけれど、古い戦い方を止め、軍としてまとまりを持った新しい戦いをするということを、度重なる戦場で、アールは学んでいたのだ。
わたし達は結束していた。わたし達は、強かった。
それでも負傷兵は出た。
わたしはミアの娘たちと共に、戦場から遥か後方にテントを張り、彼らの処置に当たっていた。
「聖女様、どうか手を握ってください」
そう声をかけられたのは、一度や二度ではなかった。わたしは兵らの手を握り、感謝を何度も伝え続けた。
想像以上の忙しさだった。
ミアの長女、レジーナをはじめとする魔法が使える看護人は、軽症者を治療し、再び戦場へと送り出す。わたしは魔法が使えないから、適切な治療が行えるよう、軽症者と重症者が分かるように印を付け、治療者へ引き渡していた。
重症者は、更に後方へと移送するのだ。
「絶対に負けてはならないわ! 必ず勝つのよ、あなた達は強いローザリアの男でしょう。見せつけてやらなくては」
レジーナは兵にそう声をかけていた。クリステル家の家臣たちは、少しも動揺せずに兵士の治療を続けている。中には内蔵まで傷が達しているような負傷者もいたのに。
「あなた達はとても強いわ」
運び込まれてくる怪我人の波が収まったとき、わたしはレジーナにそう声をかけた。十歳のパトリシアでさえ、懸命に手当に従事していたのだ。
「わたし達も背水の陣ということよ。皇帝がクリステル家の土地を狙っているのは知っているわ。お母様が死んだら、わたしたちから奪う気でいるということも。いいえ、それどころかリオンテール家はお母様を事故や病気に見せかけて、葬り去るつもりでさえいるはずよ。
絶対にそうはさせるものですか。決して負けてはならないの。この世界のどこにも、わたし達の逃げ場なんてない。誰もどこにも逃げられない。だとすれば安住の地は自分で作らなくてはならないわ。妹のシンディなんて、恋人と一緒に戦場へ出てしまったわ。ここに運び込まれてこないのが幸いね」
それからレジーナは楽しそうに笑う。そういう表情は、ミアそっくりだった。
「イリス。戦場で対峙したとき、あなたはとても恐ろしかった。どこからどうみても、正義はあなたにあって、わたし達、自分が間違っているのだと、あなたの姿を見て否応なく思い知らされたわ。
そのあなたが、今はわたし達のそばにいてくれる。これほど勇気をもらうことってないわ。治療を受けている皆の顔を見た? 誰もがあなたに恋をしているみたいだったわ。
以前の戦場では、皆が怒鳴り声を上げていたの。なのに今じゃまるで教会のよう。荒くれ共が、イリスの前では上品ぶって、まるで大陸の王族のようだわ。皆、あなたに下品な言葉を聞かせられないんですって。わたし達の前では平気でするのにね」
周囲を見渡すと、確かに戦場の手当場にしては、異常なほどに静寂がある。わたしを見て、手を合わせている人さえいた。
「でも、こうして会うと、あなたは普通の女の子に見える。普通の幸せを享受するのにふさわしい、可愛い子だと思うわ。……あなたに、皆、自分の見たいものを好き勝手に重ねているだけなんだって、今はそう思う」
「次の戦場では、ディマが何を言ってきても、わたしも彼らと戦います。そういう風に、約束したんだもの」
わたしは決意を新たにした。たくましいミアの娘たちの姿に、勇気づけられたこともある。
ディマは、あえてわたしに情報をくれないようだった。わたしが戦場に出るのが嫌なのだ。だけどわたし達は、ずっと一緒に戦ってきた。今だって、そうしたかった。
勝利の報せは、戦闘開始から半日ほどで訪れた。敵大将である貴族の家長を捕虜として数名捕らえた結果、他の家は退散するか、白旗を上げた。
あっけのない、勝利だった。こちら側の損害は意外なほどに少ない。
戦闘が終わった後に、ふらりとこちらのテントを訪れた者がいた。
エルアリンド・テミスだった。彼はわたしの姿を見て一笑した。
「聖女が看護人とは、随分とローザリアは人手不足と見える」
彼は土や血で汚れているけれど、怪我はしていないようだ。相変わらず好きではない男だったけど、前よりは、苦手ではない。
以前よりトゲが抜けたように思えたし、利害は、今になって一致していたからだ。……嫌味を言わないと気が済まないらしい性格には閉口するけれど。
「次は、フォルセティ家の領地だろう。安心したまえイリス。この私は、ファブリシオ・フォルセティより戦争がうまいぞ」
エルアリンドが更に口を開こうとした瞬間、ミアの長女レジーナと、三女パトリシアが、さっとわたしの前に現れた。
「エルアリンド・テミス様。あなたがイリス様に近づくことは、ディミトリオス様から止められております。負傷者でないなら、お引き取りください」
エルアリンドは手を見せる。
「負傷はしたぞ、ほら」
「では治療いたします」
小さな切り傷を、レジーナは魔法で治療した。エルアリンドは不愉快そうに眉を顰めた。
「私が聖女に害を成すとでも思っているのかね。イリス・テミスに用事があるだけだ。頼み事をしたい」
「どういったこと?」
わたしが彼に寄ろうとすると、慌てた様子でパトリシアが手を掴む。
「なりませんイリス様。ディミトリオス様とお母様に叱られてしまいます」
「エルアリンド様、どうかお引き取りください。通商連合との取引であれば、ディミトリオス様とお話がついたのでしょう? ご不満があれば、ディミトリオス様かわたし達の母へお伝え下さい」
断固として拒否する態度のレジーナに対し、エルアリンドはため息を吐いた。
「今日のところは止めておこう。番犬が煩くて敵わないからな」
そう言って、彼は去っていく。このときの彼の頼み事がなんであったか、わたしは、しばらく後に知ることになった。




