敵と味方は出揃った
エルアリンドは、他に数名の商人たちを連れてきていた。彼らの主張は一貫していた。より富を得るために――全ての産業における自由貿易の解禁と、関税の撤廃だ。
クリステル家の屋敷の一室にこもり、わたしたちは長い話し合いをしていた。ディマを皇帝に推す代わりとして通商連合の言い分を全て受け入れるのは簡単だ。議論が長引いたのは、どこを落とし所にするかが、わたし達の誰にも分からなかったからだ。
ミアは言う。
「彼らの主張を全面的に認めるべきです。もし他国と自由貿易協定が結べれば、新たな市場が拓け、我が国の経済はさらに成長するわ。ローザリアの底力が上がる。生産も雇用も拡大して、いいことづくめでしょう?」
けれど、前世の勉強を思い出しながら、わたしは反論した。
「過度な輸入に頼れば、長期的には産業の衰退が起こります。自らの食い扶持まで安価な輸入品に頼っては、ローザリアの国力は衰え、緩やかな自殺と変わりありません。全ての貿易を自由に、とはできないのだと思っています。ある程度は規制すべきです」
商人たちが、わたしをジロリと睨んだのが分かった。
わたしに反論されたミアは、瞳を爛々と輝かせた。議論をするのが好きなのだ。彼女はそのまま、ディマを見る。
「陛下、あなたのご意見は?」
腕を組んでいたディマは、ゆっくりと言う。
「少なくとも、農林水産業の貿易については、慎重にならなくてはならないと思います。生命維持線は自国で確保すべきだ。輸入により職を失わせないよう、国策としての生活安定と労働の保護を進める必要があるとも考えます。自由と制限を見極め、ローザリアにとって、最もよい形を模索しなくてはなりません」
「そのためには、金がいるな。理想論は結構だが、実現するアテがあるのかね」
煽り、嘲笑するかのようなエルアリンドの言葉に、ディマは答える。
「皇帝家は自らの権限で、議会の承認を得ずに税を徴収することができる。不足するなら、国民から徴収し捻出するしかない。
植民地から利益が上がっているとはいえ、続く戦争で、帝国は常に金欠だ。永続的な運営のための基礎を作らなくてはならないと、思います。
だとすると一定以上の土地を持ち、安定的に収入を得ている者たちへ課税するのが、まずは一番いいと思います。例えば、このクリステル家のような領地を持つ、貴族たちです」
ミアが考え込むように言った。
「確かに皇帝家は税をかけているわ。でも貴族の土地にはまだ手出しをしていない。勝手なことをしては国民からの反発があるでしょうね」
「当然、民あっての皇帝で、皇帝あっての民じゃない。税の徴収をするには、国民からの理解を得る必要があります。
けれどこれは私欲のための税ではない。公益のための税だ。国民だって理解する。方法は、これから考えますけど――」
それなら、とわたしも口を挟んだ。
「平民と貴族、それから聖職者の代表を呼んで、三部会を開くのよ。最後に行われたのは三百年前だけれど、ローザリア法典にはその条文がまだ残って、生きているもの」
聖女ならばこの程度は頭に入れておけとルカに言われ、腐るほど読み返したこの国の基礎となる法典がこんな形で役に立つとは。
「近年の王たちは国民の意見を聞かなかった。けれどディマはそうじゃないって、皆に知ってもらう機会にもなる」
「オーランドとの差別化もできるわね」
にっこりとミアは笑った。
こんな話は、全てディマが皇帝にならなければ意味をなさない机上の空論だけれど、わたし達はひたすら、真剣に議論を詰めていった。
ディマと商人たちとの間で、一週間にも及ぶ、話し合いが行われた。誰もが疲れ果てた長い会議の後で、彼らといくつかの項目で合意に至る。
通商連合は、兵と金を提供することを、皇帝ディミトリオスに約束したのだ。
一方で、遂に現皇帝側が動いた。
アリアが聖女であると、オーランドが声明を出した。
ディミトリオスの発言は到底許されるものではない。虚偽であるとも、彼は言った。
そうして最後に、決定的な意思が示された。
北部、クリステル家の領地にいる、ディミトリオス・フォーマルハウトと名乗る国賊を、討伐するために派兵すると。
「では、わたくしたちの正しさを証明しましょう」
戦略会議の会場となっている居間において報告を受けたミアは、うっすら笑い、そう言った。
ミアの隣にいたディマも静かに言う。
「完膚なきまでに、打ちのめす。僕がローザリアを統治する正しい人間であると、帝国中に知らしめます。ミア、あなたも僕に口出しをするな。皇帝たる僕に従え、いいか?」
「はい陛下」
ミアは満足げに頷いた。
叔母と甥、二人並ぶと、大層迫力がある。二人とも背が高いし、人を惹きつける表情が上手かった。
柔和であったオーランドとはまるで異なっている。ディマとミアは、常に危険な匂いを漂わせていた。けれど誰もが、二人の瞳に宿る異様に輝く光に引き寄せられる。
おそらくは、これこそが、数百年もの間、帝国を支配し続けたフォーマルハウト家の血のなせる技なのだろう。誰もが彼らに、喜んで屈服し、身を捧げようとしていた。
火急、兵らが集められた。その多くが、志願兵だった。
広大な領地の中に、野営地が設置された。資金は商人から提供された。烏合の衆のわたしたちは、それでもなんとか、機能し始めていた。
どうやって集めたのか、数万の兵を引き連れてきたアール・ガモットにわたしは言った。ディミトリオス討伐に反抗するため、進軍準備を進めていた、昼間のことだった。
「ガモット将軍。あなたの下に、兵が集まりました」
彼は微笑む。
「いいえイリス様、あなたの下に、です。どうか兵らに言葉をかけてやってください」
今となっては、畏れ多いことだ。
「わたしは魔法が使えません。もう、強化も守護も、できません」
「あなた様の価値は、そんなものではないのですよ」
さあこちらへ、と手を引かれるまま、騒がしい兵士たちの野営地の間へと入っていく。
瞬間、しんと、静寂が訪れた。鍛錬をしていた者も、景気付けに飲んでいた者も、単に騒いでいた者も、一斉にわたしを見る。
皆もう、知っている。わたしから魔法が失せたことを。
今、わたしは役立たずだ。兵達は、失望しているだろう。
けれど静寂の後に、沸き起こったのは歓声だった。
「イリス様! ヘルで共に戦いました!」
一人の兵士がそう叫び、別の兵士が後に続いた。
「飢饉の故郷に、あなた様は恵みの雨を降らせてくださった!」
「共に戦おうと言ってくれた! あなたは我々と肩を並べ、どんな指揮官よりも近い場所で導いてくださいました!」
「貧乏で学のない俺は飢えて強盗寸前でした。他の貴族が俺たちを無視する中、あなたは初めて人間として扱ってくれた、笑いかけ、勇気づけてくださった! それがどれほど嬉しかったことか! あなた様こそまことの聖女様です!」
誰もが浮かべるのは、歓喜の表情だ。信じられなかった。
「聖女イリス様の御前であるぞ! 弁えろ!」
アール・ガモットがそう叫ぶと、ようやく静かになっていく。
けれど、一人の若い兵士が、わたしの前に滑り込むようにやってきて、そのまま地面に頭を擦り付けた。
「聖女様。ヘルの出身です。あなたは救いの光そのものでした。それに、皇帝ディミトリオス様も……あの方は、最後まで自分が付いていると言ってくださった。あの方がいなければ、誰も奮い立てなかった。あなたと彼に付いていきます。命など惜しくはありません……!」
彼の前に慌ててしゃがむと、その肩に触れ、顔を上げさせた。泣きながらわたしを見上げる彼は、わたしの中に、光そのものを見たかのように眩しそうに目を細める。
再び立ち上がると、わたしは周囲に、深く頭を下げた。
「あなた方の勇気と誇り高き誠意に、心からの敬意と尊敬と、感謝を申し上げます。本当に、ありがとうございます。
わたしは、矮小な一人の人間にすぎません。抱いている夢も、家族でただ一緒に暮らしたいという、自分勝手なものです。皆様の思うような、聖女ではありません。
それでもどうか、わたしの兄であり、未来の夫であるディミトリオスと、共に帝都に参るとおっしゃっていただけるのなら、約束してください。決して死んではだめです。誰の命も等しく惜しく、尊くて愛おしいものです。失ってはなりません。皆で、生きて進むのです。わたしも共に、戦います」
兵士達は、束の間わたしを見つめた後に、やがて敬礼の輪が、広がっていった。涙がこぼれ落ちるのを、誰にも悟られないように、わたしはしばらくの間、頭を下げ続けていた。
敵と味方は出揃った。
オーランド側には、リオンテール家、フォルセティ家、ヘル総督タイラー・ガン。その他、有力族達――それから聖女の魔力を持つアリア。
ディミトリオス側には、クリステル家、ガモット家、通商連合と、創造主派多勢。それから有志の義勇兵たち。
ヘイブンに代わり正式に聖密卿となったクロード・ヴァリをはじめとする司祭たちは、あくまで中立の立場を取っていた。
オーランドはこちらへ軍隊を向かわせた。わたしたちも、帝都へ向かう。争いは免れないだろう。
一番初めに相まみえるのは、おそらくフォルセティ家の領地でだった。




