断罪
わたしが呼ばれたのは、貴族たちが姿を消して、三時間ほど経った頃だった。呼びに来たのはルシオで、しかし彼も部屋の中には入れなかったらしい。
「一瞬、中が見えたけど、皆鬼のような形相をして激論を交わしていた。あまりいい感じじゃなかったですよ」
ルシオはそう言ってディマを見る。
「良くないことが起こりそうだと、俺の勘が言っている。呼ばれたのはイリス様だけだが、お前も行った方がいい」
ディマは頷いた。
「ああ、もちろんそのつもりだ」
わたしも側にいたお母様の手を掴む。
「お母様も一緒に。三人で一緒にいましょう」
「ええ、絶対に離さないわ」
お母様もそう言って、わたしの手を強く握り返した。
もう二度と、引き離されないように。
わたしたちが城の一室に入ると、一同が勢いよくこちらを見た。ルシオも中に滑り込み、ファブリシオの合図で扉を閉める。
燭台が照らす薄暗い部屋の中で、アリアとオーランドを中心にして、貴族たちが立っていた。
ルカがわたしに目を向けて、それからアリアを見た。
「来たか。ではアリア、もう一度やってみてくれないか」
アリアは頷き、テーブルに置かれた水晶に触れる。彼女が触れた瞬間、赤い光が眩く煌めいた。聖女の心臓だった。
誰かが、深い溜め息を吐く音が聞こえた。
一同からほんの少し離れた場所に立っていたクロードが、わたしに向けて言う。
「イリス――君も触ってみなさい」
男たちの横をすり抜けて、ゆっくりとわたしは水晶結晶に触れてみる。
刹那、いつか、願ったことを思い出した。
――これが光るはずがない。だってわたしは聖女じゃないから。
そうしてその願いは、数年越しに叶ったのだ。
「光りません」
見れば分かることを、わたしは言った。
聖女の心臓は、わたしが触れても無反応だった。アリアが、じっとわたしを見つめているのが分かった。何かを判断する材料を探るかのような視線に、思えた。
「手品が使われたのでは?」
訝しげなルシオをルカが厳しく見た。
「手品ではない、ルシオ・フォルセティ。なぜそんな真似をする必要がある? 手品というのならば、テミス家こそがあの時、手品を使ってみせたのではあるまいか」
わたしは彼らの側を離れ、再びディマとお母様の近くに寄る。少しでも離れていない方が良いと思った。
ファブリシオが悩ましげに髭を撫でながら尋ねる。
「ヴァリ司祭。もう一度尋ねるが、この聖女の心臓は本物か?」
クロードは薄く目を細め、答えた。
「……確かに、それは本物です。私が大聖堂から運んできたものですから。すり替えようがありません」
ルカが、この中でただ一人、上機嫌に言った。
「ではこれが意味するのはたった一つだ。アリア・ルトゥムこそが真の聖女で、イリス・テミスは皆を騙していたということだ」
背中に冷や汗が伝う。一つも間違えるわけにはいかなかった。わたしとお母様の前に、ディマが一歩進み出る。
「……僕らだって知りませんでした。イリスが本物の聖女だと、今、この瞬間までそう思っていました。僕らも被害者です。エルアリンド・テミスに騙されていました」
わたしも言った。
「真の聖女がアリア・ルトゥム様だと言うのなら、わたしたちは地方に下がり、二度と中央には干渉しません」
静かな、しかし揺るぎない声を発したのは、オーランドだった。
「地方に下り、逃げるというのか? ここに三人いるのならば、丁度いい。私と国民の信頼を、これほどまでに裏切ったのだ。この場で殺せばよい」
そんな言葉を彼が言うなんて信じられなかった。即座にディマが叫んだ。
「馬鹿な! そんなことが許されるはずがない!」
「おぞましいほどの国賊だ。数年にも渡り国益を懐に入れ、私腹を肥やしていたのだろう」
そう言ったのはルカだ。ディマは首を横に振る。
「そんなことは一切していない! 皆だって僕らの誠実さと国への忠誠は知っているはずでしょう!」
貴族たちは顔を見合わせただけだ。テミス家の貢献は皆知っているけれど、誰も皇帝には口出しできない。ディマは更に言った。
「裁判を要求する。正当な権利だ!」
ルカが笑った。
「それで何を主張するというのだ? イリスが本物の聖女だと?」
「違う、僕らの無罪を証明するんだ。ルカ・リオンテール公、僕らの利害は一致している。あなたはアリアを聖女にする。僕らはイリスに聖女をやめさせる。
だけど条件付きだ。僕らが大人しく引き下がる代わりに、僕らの安全を確保してください。そうすれば、あなた方の不都合な真実を、永遠に闇に葬りさってやる」
「脅しのつもりか知らないが、貴様らの罪はそれだけではない。神の教えに背く行為だ。オーランド様というものがありながら、イリスは他の男と姦通している。そのうちの一人は、実の兄だ」
「は――⁉︎」
それがディマの声かわたしの声か分からなかった。そんな事実はない。
オーランドが重ねて言った。
「裁判など不要だ。皇帝の権限で、今、テミス家を処刑する」
けれどディマも引かなかった。
「本気で言っているのなら、真の馬鹿じゃないのか。自白剤でも飲ませて僕らに尋問して確かめてみろ! それに、神の教えに背く行為をしたのは、貴様らの方だろう!」
「ディマ!」
彼の手を掴んだけれど、柔らかく制された。
「イリス。もう無理だ。言うしかない」
ディマはそう言うと、再び彼らに向き直る。
「僕らは調べた。ルカ・リオンテール公、あなたとその父君が、オーランド様が生まれた時に何をしたのか。あなたは、セオドア帝の愛人と子供を殺した。赤子も、胎児さえも殺した……!」
ディマは両手を握りしめた。それらは彼の、母親違いのきょうだい達だ。
わたしは少しだけ目を閉じて、それから開いた。切り札を使うなら、きっと今しかないと、ミア・クリステルだって言うだろう。
わたしもディマの隣に立ち、言った。
「娼館の古い人間や、セオドア様の寵臣で生き残った者達から聞きました。リオンテール家がセオドア帝の私生児を皆殺しにしたのだと。セオドア様と当時の皇妃様の間には、子供ができませんでした。だから私生児を殺せば、セオドア様の子供は誰も残りません」
ミア・クリステルの言葉について、ディマやお母様と協力して、わたしたちは証言を集めた。結果浮かび上がったのは、リオンテール家の残虐な犯行だ。重い口を開いてくれたのは、わたしが聖女であるからだ。皆、過去の暗い悲しみに対する救いが欲しかった。一つ話せば、堰を切ったように、皆、嗚咽混じりに話してくれた。
あの子と子供が殺されたのだと。たくさんの人が殺されたのだと。
ルカは不愉快そうに眉を顰める。
「仮に我がリオンテール家が子供を殺したとして、反逆者を始末しただけだ。それがどうしたというのだ? 先帝の私生児がいくら死んだところで、このローザリアは揺るがない。この国にはオーランド様がいらっしゃるのだから」
わたしは首を横に振る。
ミアが言いたかったことは、そんなことじゃない。その先のことだ。
「そうじゃ、ありません。ルカ様、なぜあなたは子供達を殺さなくてはならなかったのですか?」
例えばオーランドも私生児だったら、他の庶子を殺す意味はある。だって同じ立場の者、皇帝の座を奪い合いかねない。
けれどオーランドは、リオンの子だ。だからリオンテール家がセオドアの私生児を殺す必要は、本来ならば、ない。
オーランドを見た。彼はどこか遠くを見るように、ぼんやりと視線を浮かばせていた。わたしやルカや、アリアさえも見ていない。
知らなければ良かったと、今では思う。オーランドの弱さや葛藤を、少しだって知らなければ良かった。
彼の抱えるものの重圧を。
彼の笑顔や優しさを。
気高さと愛情を。
よりよくあろうとする、人として当然の願望を。
わたしを好きでいようとしてくれる、信頼しようとしてくれる、その心を――わたしは、知らなければ良かった。
だってわたしは、それら全てを裏切るから。
「――答えは一つです。オーランド様が、サーリ様と宮廷画家エヴァレット・ノーマンとの間に生まれた子供だからです」
瞬間、オーランドがはっきりとわたしを見た。
随分と久しぶりに彼と目が合ったように思う。青い目は驚愕に見開かれ、同時に深く絶望していた。信頼していた者に、裏切られたような表情だった。
だけどわたしたちを殺すと先に言ったのは、そちらの方だ。そうじゃなければ、わたしたちはここまでしなかった。ルカとオーランドが徹底的にわたしたちを潰すというのなら、わたしたちもそれ相応の反抗をしなくてはならなかった。
十歳から、十五歳まで続いた、長く、うねり、捻じれ、歩み寄ってきた彼との奇妙な友情が、たった今、終わったのだ。




