踊る、踊る、踊る
イリス・テミス
戦勝を祝って開かれたそのパーティは、予定だと一週間続くらしい。
イリスの誕生日とも重なるから、豪勢なお祝いになるんだそうだ。国中の貴族が集まり、今回の戦争に勝利した軍人らも、多く参加していた。アレン・テミスの姿は、当然ながら、ない。
わたしはいつものようにドレスを着て、髪を仕立ててもらい、上座のオーランドの隣に座る。このところ、彼は忙しいのか、わたしと話すことは少なく、話しかけても上の空であることが多かった。彼の視線が、アリアに向けられていることには気が付いていた。きっと恋が始まったんだ。彼の耳にはピアスが付いているし、闇の魔術の効果というわけではないだろう。
やがて、曲が始まった。踊りの時間になったんだ。
オーランドが立ち上がったから、隣にいるわたしも立ち上がった。この後、彼はわたしに跪き、ダンスを申し込むのが通例だった。
けれど、わたしが伸ばした手は、空中で止まる。オーランドは立ち上がったまま、アリアの方へと迷いなく進み、彼女の手を握ったのだ。
「アリア、どうかこのオーランドと踊ってほしい」
一瞬、周囲がざわめいた。手を伸ばしたままのわたしに対する、哀れみの視線を感じる。アリアは嬉しそうに微笑み、その申し出を受け取った。
あり得ないことだった。皇帝の優先順位が、聖女を差し置いてアリアに変わったと、周囲が知った瞬間だった。
まあいいか、とわたしは思う。
オーランドがアリアに恋をしているなら、それは正しい恋だから。アリアが聖女になれば、これでテミス家は晴れてお役御免だ。上手く立ち回れば、今までの貢献に対する年金くらいはもらえるかもしれない。
凄いことになってきたな、と我ながら思った。自分で進めたところもあるけど、これほど簡単に、宮廷の人間模様は変わってしまうんだ。
かつてパーティで歌われたのはイリスを讃える歌だ。踊りで人気だったのは、イリスだ。今、吟遊詩人はアリアを讃える歌を歌う。皆がアリアと踊りたがった。
誰もがわたしの方を見ないようにしていた。関わり合いを恐れるように、近づいてさえこない。
サーリは側に座っていたけれど、落ち着かなげにオーランドを見ている。ルカはいつものように、直立不動で、会場に目を光らせていた。
小説でもこんなシーンがあったな。オーランドは偽聖女イリスではなく、アリアと踊り続けるのだ。イリスはそれを、ただ微笑みながら見守っていた。
夢にも見た場面だ。
でもその夢では、イリスはディミトリオスを目で追っていた。
目の前にすっと、影が現れたのはその時だった。
見上げると、正装に身を包んだディマがいた。わたしの前で恭しく一礼をすると、片手を差しのべる。わたしの心臓は高鳴った。
「聖女様。僕と踊ってください」
ディマは微笑み、わたしをダンスへと誘い出す。さっきまで未婚の令嬢達に囲まれていた姿を見た彼だけど、抜け出して来たらしい。
優雅な音楽が流れる中、わたし達は広間に進み出た。ディマの手が重ねられる。彼はダンスが上手だった。
踊りながら、わたしは尋ねた。
「他の方と踊らなくていいの?」
「いいんだ別に。イリスと踊るためだけに来たんだから」
わたしとディマの関係をよからぬ風に言う噂があるのは知っていた。彼らの思うような爛れた関係ではないけれど、気持ちだけなら真実だ。
ディマといると悲しみや惨めさなんて吹き飛んで、故郷のお屋敷の庭で、なんの憂いもなく二人で踊っているだけのように、心が凪いだ。楽しくて、嬉しくて、たまらない。
もしかするとディマもそう思ったのかもしれない。こんなことを言ったのだから。
「昔、領地のパーティで、領民の子たちに、誰が好きなのか尋ねられたことがあったな」
その日のことを、懐かしく思い出した。
「ディマは、イリスって答えていたわ。あの時のディマは、すごく可愛かったな。顔が真っ赤だったのよ」
「聞いてたんだ」
ディマは屈託なく笑う。
「あの頃からずっとだよ、ずっとイリスが好きだ。僕にはイリスしかいない」
音楽が、わたしたちの会話を隠してくれる。わたしはディマを見つめた。
「本当に? 本当にわたしだけ?」
ディマは頷く。心に、温かさが広がった。ディマの言葉はいつだって真摯で、だからわたしはどんな世界だって、安心して呼吸ができるのだ。
「わたし、ディマにわたししかいなくて、すごく嬉しい。わたしもそうよ。わたしにも、ディマしかいない。あなただけだから」
ディマは、楽しそうに笑った。
踊る、踊る。皆が踊る。
入れ代わり立ち代わり。色鮮やかに、華麗に踊る。
誰かが生きて、誰かが死んだ戦いを祝うために。戦争は誰もが被害者で加害者だ。だからこうやって祝うのだ。正しさを証明しないと狂ってしまう。
けれど限界は近い。極限まで張り詰めた風船は、あっけなく割れてしまった。
その女性が現れた時、一瞬、誰もが静寂したかのように思えた。音楽隊さえも驚いたのか、楽器の演奏を止めている。
アリアに夢中だった人も、他のところで話していた人も、わたしとディマを白い目で見ていた人も、会場の入口に目を向けた。
「クリステル夫人です」
そう紹介を受けて、優雅に階段を降りてきたのは、ミア・クリステルだったのだ。相変わらず、美貌の女性には違いない。
けれどこの時、誰もが驚愕したのは、クリステル家はこのようなパーティに、いつも使者を寄越すだけで、当人たちは現れないから――だけではない。ミアは、男装をしていた。それが背の高い彼女に妙によく似合うのだ。
会場中の大注目を浴びる中、彼女はカツカツと靴を鳴らし、迷わずオーランドの元に向かっていった。
「陛下、お招きいただきありがとうございます」
「誰かと思ったぞ。その姿はいつもの酔狂のうちか?」
オーランドは背後にアリアを隠すようにしてミアの前に立つ。
「ええわたくし、今夜は女性と踊りたくって」
くっくとミアは笑い、くるりとわたしを振り返った。獲物を見つけた猫を思わせる金色の目に、思わずわたしは一歩下がる。気にした様子もなくミアは今度はわたしの方へとやってきて、目の前に跪き、手にキスをする。
「聖女様、わたくしと踊ってくださる?」
答える間もなくミアはわたしの腰に手を置くと、さっと広間の中心に躍り出て、音楽隊に向けて手を鳴らす。
「さあ音楽! 何をしているの? 奏でなさい」
慌てた様子で、音楽が再開される。踊りはまた始まった。
ディマはわたしに向かって肩をすくめてみせた。驚きはしても、ミアに怒ってはいないようだ。
もともと、背の高いミアは、男装のためか底の厚い靴を履き、強い美貌を放つ姿は、この場のどの男性よりも輝いて見えた。
どういうつもりなのかは分からないけれど、敵意や悪意は感じない。宮廷の様子を見に来ただけなのかもしれない。
踊りながら、わたしの耳元で、ミアは囁く。
「大好きなお兄様と一緒にいられて本当に良かったわね、聖女ちゃん?」
「ええ、そのとおりです」
つれない答えだったけど、ミアは楽しげに笑う。
「ねえイリス。わたくしの家に赤毛の馬が二頭いるのよ。素直なのと、そうでないの。どちらも大変可愛いわ。今度、見にいらっしゃい」
彼女が何を言っているのか、すぐに分かった。二頭というところは、分からないけれど。
「あなたはなんの見返りもなく、なぜそこまで親切にしてくださるのです」
問うと、彼女は微笑んだ。
「見返りならあるのよ? とっても素敵なのがね――。わたくし、この世で一番、自分が好き。その次に、夫と娘が好き。そうしてその次に、血を分けた親族が好きよ。イリス、光栄に思いなさい。あなたは、その次に好きよ」
喜ぶところなのかしら。ミアは上機嫌に続ける。
「オーランドが生まれた時にリオンテールが何をしたのか、もう、あなたも知ったのでしょう? その剣を使って彼らに留めを刺しなさい。この世には、皇帝になっていい者とそうでない者がおります。可愛いディミトリオスは前者、憎たらしいオーランドは――」
彼女の言葉を遮った。
「わたしの幸福は家族皆で暮らすことです。ディミトリオスは皇帝にはなりません。彼らをむやみに刺激せず、可能な限り平和的方法で解決したいのです。もし帝位が欲しいのなら、あなたに譲ります。宮廷遊戯には興味がありません。わたし、地方の田舎が好きですから」
「つれないのね」
「あなたは何をお望みなんです?」
にっこりと彼女は笑う。
「大混乱よ。オーランドとルカが、もっともっと苦しめばいいと、そう思っています。そうしてそれが済んだら、正しい者による正しいローザリアの統治を望みます」
音楽は、そこで切り替わった。ミアはダンスを止めていて、これ以上踊る気もなさそうだ。
「イリス。あなたはとても優しいけれど、ルカ・リオンテールはどうかしら? 切り札を持っているつもりでも、それで戦わなくては紙くずなのよ。奪われたものを取り返しなさい。彼らと同じように、最も残虐で残酷な方法でね。彼らは自らの腸を見つめながら、後悔して死んでいかなくてはならないわ」
そう言い残し、ミアはわたしの側を離れ、有象無象の貴族の輪の中へ、入っていった。
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