全てが変わる一日に(後)
二人きりの逢瀬を邪魔したのは、フォルセティ家の四男、ルシオ・フォルセティで、大股で中庭を横切り、オーランドに耳打ちした。
「陛下、リオンテール公がお呼びです。急ぎ、お伝えしたいことがあるようです」
「用件はなんだ?」
ルシオは薄く笑みを作り、頭を下げた。
「申し訳ありません陛下、承知しておりません。私には教えてくださいませんでしたから」
余程重大なことなのだろう。オーランドは立ち上がった。
中に入る寸前でイリスを振り返る。彼女もこちらを見つめていて、しかしその表情は固かった。
ルカは執務室にいた。呼び立てられたオーランドの機嫌はあまりよくはない。
「私を呼び出したということは、それなりの用があるのだろうな」
「ええ陛下。もちろんでございます」
オーランドが座るソファーの向かいに腰を下ろしながら、ルカは言う。
「植民地での争いで、遂に敵国が降伏しました。我が帝国の領土は更に広がりますよ。それを私の口からお伝えしたかったのです。他の者の口から耳に入る前に」
「そうか――それは良かった」
勝つだろうとは思っていたため、驚きは少なかった。思ったよりも早い勝利の報せに、兵士たちには、褒美を与えてやらないとなるまいと考える。
ルカは更に言う。
「陛下、それで戦勝を祝し、将軍等を招いて祝いの場を設けようかと考えているのですが、よろしいでしょうか」
「ああ、悪くない」
「祝いの場では舞踏会も開きましょう。陛下は、此度の立役者である、アリア・ルトゥムと一番はじめに踊ってください」
オーランドは眉を顰め、ルカを見た。
「私がはじめに踊るのはイリスだ。いつだってそうしているだろう」
「イリスとはいつも踊っているでしょう」
「当たり前だ。彼女は私の妻になる女性だぞ」
言ってから、気がつく。
十五歳になるイリスの祝いを、豪勢にしてもいいだろう。彼女はこの帝国のために尽くしているのだから。そう思い、ルカに言った。
「丁度、イリスの誕生日に近い。重ねて祝の場とし、ローザリアの栄光を示そうではないか。あの娘とはお前が踊ればいい。随分と気に入っているようだしな」
「あれは中々、使える娘ですから」
ルカは微かに口元を歪めてから、足を組んだ。
「陛下、お呼び出しいたしましたのは、実は、イリス・テミスのこと――というか、テミス家のことを話しておかなくてはならないからです。お気づきですか? あの兄妹はあなたに距離が近すぎます」
「イリスは私の婚約者だぞ、ディミトリオスはその兄だ。近くて当然だろう」
憮然と答えるが、ルカの表情に変化はない。
「あの兄妹は妙ではありませんか。爛れた、不埒な関係だと噂する者もいます」
「見損なったぞルカ。貴様も宮廷のくだらない噂話を信じるというのか」
オーランドは、不愉快を隠さずそう言った。
「いいえ、陛下。噂があること自体が問題なのです。そのような者達を、陛下が寵愛していると、陛下にまで異質な目を向ける者がいるのですよ。
先日の戦略会議でも、フォルセティ公の報告を受けたあなたは、ディミトリオスの発言を採用なさった。アレン・テミスの起用です。彼が死んでいなければ、帝都に戻ってきていたかもしれない。テミス家が揃えば、彼らは更に国政に食い込んでくるかもしれない」
「アレン・テミスの起用は私も納得したからだ。彼は死に、帝都に戻ってきようがない。それでもお前の憂鬱は晴れないというのか? それに、距離が近いというが、お前は違うのか」
「私はあなたの伯父ですから」
一切の説明はそれでつくとでも言うような口調だった。
「話というのがそれならば、くだらない、という答えしか私は与えられない」
「もちろん、それだけではありませんよ」
子供を諭すような言い方で、ルカは言う。
そうして、彼は穏やかな笑みとともに、それを告げた。
「――アリア・ルトゥムに聖女の心臓が反応しました」
思わず、オーランドは立ち上がった。言われた意味が、理解できなかった。
「どういうことだ。聖女以外にあの宝石が赤く光ることはないだろう」
確かにアリアの魔力は、イリスに匹敵する。だが聖女として発見されたのは、イリス・テミスだ。
ルカは表情一つ変えずに言う。
「つまり、聖女はアリア・ルトゥムなのですよ。分かりますか。イリスはあなたを――この帝国を、いいえ、世界中を騙しているのです。とんでもない、悪女です」
オーランドは自分の頭に血が上るのが分かった。
「聖女はイリスだろう! 彼女は十歳から今日まで、ローザリアに尽くしてきた! 戦場で、兵士はイリス・テミスに命を捧げる。彼女の愛があれば、死さえも恐ろしくないと、戦っているのだ! ルカ、お前だってクリステル家蜂起の際は、彼女を頼りにしていたじゃないか! それを、今更、なにを……なにを言うんだ!」
自分にしては珍しく声を荒げた。だが止められない。
「ルカ、お前はイリスから父親も兄も故郷も奪っておいて、今更そんなことを言うのか! 彼女を利用するだけ利用して、邪魔になったら捨てるのか!」
熱くなるオーランドの一方で、ルカは至極冷静だった。
「いいえ陛下。彼女から奪い、取り上げたのはあなた自身ではありませんか。そうしてそれは、真っ当な判断でした。テミス家は、まるで蜘蛛ですよ。あなたは罠に落ちている。そもそもイリスが発見されたのは、あの詐欺師、エルアリンド・テミスによるものです、信憑性などなかった。結局、彼はテミス家の仲違いにより城を追放されましたが、元々、彼があなたに近づくために用意した偽物の聖女だったのです」
「だ、だが、この城の中でも、聖女の心臓は反応したではないか!」
「すり替えられていたのです。私が確認しました」
「嘘を言うな。あの厳重な管理をされているあの水晶を、そうそうすり替えられるものか!」
「陛下、お忘れですか。イリスは聖女でなくとも、かなり強力な魔法を持っているのですよ。空間転移に瞬間移動まで可能な彼女にとっては、金庫に忍び込み、聖女の心臓をすり替えることなど容易いのでしょう」
ルカの言葉は破綻している。そのはずだ。そうでなければ、おかしい。
オーランドは認めるわけにはいかなかった。
「教皇庁は聖女がイリスだと認めているではないか! ヘイブン聖密卿を呼べ、彼に確認するんだ!」
「彼は今、エンデ国へ行っていて不在です。今の法皇は、金に汚い人間です。賄賂を積めば、白も黒というでしょう。テミス家が金をばら撒き、イリスを聖女に仕立て上げたのですよ」
オーランドが反論をする前に、重ねてルカは言った。
「陛下。かつて、セオドア帝の時代、宮廷は今よりも腐りきっていました。賄賂が横行し、皇帝の妾として娘を差し出す家ばかりで――。私は少年の頃、それをよく見ていましたよ。
そうしてその中で、とりわけ出世した家がありました。元々は武家の家系の、ネスト家です。特にカミラ・ネストは、妖艶な女でした。その美貌で皇帝に取り入り、皇后の座を奪おうとした。ネスト家は敵を蹴落とすためなら手段を選びませんでした。詐称も殺人も、平気でやってのける者達でした」
「……それが、今の話とどんな関係があるというのだ。テミス家も同じだと言いたいのか?」
真っ直ぐに、ルカはオーランドを見た。
「ディミトリオス・テミスは、カミラ・ネストの息子です。私生児ですが、間違いなくセオドア帝の実子です。それがテミス家の切り札ですよ。彼らは、あなたからすべてを奪う気でいる」
あまりのことに、オーランドは動けなかった。
だが次には力が抜け、ソファーに座り込む。
言われてみれば、妙に納得するものだ。ディミトリオスは、彼は、恐ろしい目をしている。あれは悪王セオドアの目だというのか? ディミトリオスに度々感じていた、総毛立つような恐怖の、意味が分かったように思えた。
「陛下。あなたに危険はありません」
愛情深いルカの声が聞こえた。
「いいですか、彼らをこの宮中から追い出さなくてはなりません。それもディミトリオスの血の色に、誰も気づかない内に。そのためには、イリスが聖女では困るでしょう? あの兄妹は、非常に強く結び付けられていますから」
オーランドは頭痛を覚え、片手で頭を抑えた。
「それではお前は、我が身、可愛さに、聖女を取り替えるつもりでいるのか」
「いいえ、陛下。言ったではありませんか。聖女はアリアなのですよ。現に彼女が現れてから、イリスの魔法は消え去りました。神罰が下ったのでしょう」
と、ルカが扉に目を向けた。
「入りなさい」
そう声をかけると、当たり前のようにアリア・ルトゥムが入ってきた。今までの会話も、全て聞いていたのかもしれない。
初めて会った時のような、みすぼらしい服はもう、彼女は身に付けない。代わりに、彼女によく似合う、絹のドレスを身に纏っていた。
猫のようにしなやかに、アリアはオーランドに歩み寄る。
オーランドはアリアを改めて見た。奇妙な感覚だった。己の心が、塗り替えられていくような錯覚に陥る。
初めて、彼女という存在を、直視したように感じた。そうして同時に、心に平穏が満ちていく。
彼女がオーランドの前に跪き、手に口づけするのを、ぼんやりと見る。
その頃にはもう、イリスのことも、ディミトリオスのことも、傍らに佇むルカのことも忘れ、ただひたすらに、彼女のことだけを考えていた。
この少女は、以前から、これほど――これほど美しかっただろうか。
「おかしなものだ。私はなぜ、今まであなたを前にして、平常心でいられたのだろうか」
うっとりと、アリアは笑う。
「何もかも、わたしにお任せくださいませ。陛下、あなたを幸せにして差し上げます」




